インドラの網 宮沢 賢治 <1>
「インドラの網」 <1>
宮沢 賢治 (著) 1996/04 角川書店 文庫 281p
Vol.3 No.0508★★★★★
1)この文庫を手に取ったのは、表題となっている「インドラの網」を読むためである。このほかには、「竜と詩人」や「風野又三郎」など8編の作品が収められている。
2)仏教におけるこのような世界像の核心的なイメージは「インドラ網」であり、それはすべての存在が幾重にも相互依存し合う様相をし隠したものである。(興味深いことに、宮沢には「インドラ網」という物語がある)。
スナイダーにとって、「インドラ網」はアジアの宗教的ヴィジョンが捉えた世界像であり、エコロジーは西洋の科学的思考から生まれた自然界のモデルなのである。「越境するトポス」p122 山里勝己「越境する精神」
3)スナイダー→賢治のベクトルの中で、上のように山里は指摘していた。他に誰かも同じ様な指摘をしていたが、散逸していまは見つけることができない(あとで加筆する)。
4)巻末に詳しい「年譜」(268p)があり、作品が書かれた年も分かるので、リストを作っておく。私家版でアバウトな部分があるので、次第に訂正し、他の文献からの情報も後に加筆するものとする。
5)宮沢賢治作品年代リスト(私家版)
明治29(1896) 明治三陸津波(6月15日) 賢治誕生(8月27日)
大正06(1917)21歳 「『旅人のはなし」から」
大正07(1918)22歳 「蜘蛛となめくじ」 「双子の星」
大正08(1919)23歳 一冊の歌集(662首収蔵)
大正09(1920)24歳 「摂折御文 僧俗御判」を抜き書き編集
大正10(1921)25歳 「かしはばやしの夜」 「月夜のでんしんばしら」 「鹿踊りのはじまり」 「どんぐりと山猫」 「注文の多い料理店」 「狼森と笊森、盗森」 「雪渡り」 「烏の北斗七星」
大正11(1922)26歳 「雪渡り その二」 「屈折率」 「くらかけ山の雪」 「精神歌」 「黎明行進歌」 「角礫行進歌」 「応援歌」 「生産体操(のちに「飢餓陣営」に改題」 「永訣の朝」 「松の針」 「無声慟哭」
大正12(1923)27歳 「やまなし」 「氷河鼠の毛皮」 「シグナルとシグナレス」 「異稿植物医師」 「イーハトーブ童話集 序」 関東大震災(9月1日)
大正13(1924)28歳 「春と修羅」 「ポランの広場」 「種山ヶ原の夜」
大正14(1925)29歳「鳥(後に「寄鳥想亡妹」と改題」 「過労呪禁(後に「善鬼呪禁」と改題」 「過去情炎」 「---命令---」 「未来圏からの影」 「疱瘡(幻聴)」 「ワルツ第CZ号列車(後に「春」と改題」 「休息」 「丘陵地」 「冬(幻聴)」
大正15 昭和元(1926)30歳 「オッペルと象」 「秋と負債」 「昇寡銀盤」 「雲(幻聴)」 「孤独と風童」 「ざしき童子のはなし」 「心象スケッチ朝餐」 「寓話 猫の事務所」 「農民芸術概論」 「春」 「風と反感」 「『ジャズ』夏の話です」
昭和02(1927)31歳 「陸中国挿秧の図」 「イーハトーブの氷霧」 「銀河鉄道の一月(後に岩手軽便鉄道の一月」と改題」 「奏鳴曲四一九」
昭和03(1928)32歳 「氷質の冗談」(『春と修羅』に収録) 「稲作挿話(未定稿)」
昭和04(1929)33歳
昭和05(1930)34歳 「空明と傷痍」 「遠足許可」 「住居」 「森」
昭和06(1931)35歳 9月、父母その他に宛てて遺書を書く。「雨ニモマケズ」
昭和07年(1932)36歳 「グスコーブドリの伝記」 「早春独白」 「眼にていう」 「民間薬」 「選挙」 「客を停める」 「祭日」 「母」 「保線工手」
昭和08年(1933)37歳 昭和三陸津波(3月3日) 「半陰地選定」 「詩への愛憎」 「北守将軍と三人兄弟の医者」 「朝についての童話的構図」 「移化する雲」 「郊外」 「県道」 「(石川善助追悼文)」 「葱嶺(そうれい)先生の散歩」 「花鳥図譜・七月」 「文語詩稿 五十編」 「文語詩集 一百選」 9月21日永眠。
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