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2011/10/23

スナイダーと宮沢賢治--宇宙的でくのぼうの道を歩む詩人たち--アメリカ現代詩の愛語―スナイダー/ギンズバーグ/スティーヴンズ 田中 泰賢

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「アメリカ現代詩の愛語」 スナイダー/ギンズバーグ/スティーヴンズ
田中 泰賢 1999/08 英宝社 単行本 265p
Vol.3 No.0503★★★★☆

1)「愛語」とは、「愛した言葉」くらいの意味かな、と思ったが、著者にとっては、もっと意味深いキーワードであった。

2)この論文(修士論文)の副題に用いた愛語という言葉は道元禅師が著書「正法眼蔵」の「菩提薩埵四摂法」(ぼだいさったししょうぼう)の中で使われている。道元禅師は仏道を求める菩薩の修行には布施、愛語、利業、同時の四つがあると述べて、この四つについて詳しく説いている。(中略)

 道元禅師は愛というは、衆生をみるにまず慈愛のこころをおこし、顧愛の言語をほどこすなり。慈念衆生(じねんしゅじょう)、猶予赤子(ゆうにょしゃくし)のおもいをたくわえて、言語するは愛語なり。徳あるはほむべし、徳なきはあわれむべし、怨敵を降伏し、君子を和睦ならしむこと、愛語を根本とするなり。むかいて愛語をきくは、きもに銘じたましいに銘ず。愛語よく回天のたからあることを学すべきなりと述べておられる。pi「まえがき」

3)古色蒼然とした言葉使いを、アメリカ現代詩、というハイカラなモダニズムに連結させようとするのが、著者の持ち味なのだろう。処女作は「ゲイリー・スナイダーの愛語」(1992)である。

4)ギンズバーグもスナイダーも若い頃はヒッピーといわれるような生活をしていたと見られる傾向があるが、本当は違っていた。それは自己を見つめ、修行するためであって、決して自堕落な生活におぼれていなかったのである。piii「同上」

5)1946年生まれの著者はどうやら仏寺に生まれて、父から得度を受けた人のようでもあるが、このような人に「ヒッピー」をこのように表現されると、なんだか納得できない。これでは、すべての「ヒッピー」は、「自己をみつめず、修行をせず、自堕落な生活におぼれている」かのように想像してしまう。あるいはスナイダーはとても品行方正なお方に思えてしまう。

6)宮沢賢治は信仰深い家で育った。両親も、兄弟たちも心の温かい人であった。彼は中学時代、曹洞宗の清養院、浄土真宗の徳玄寺、時宗の清淨寺に下宿している。曹洞宗の報恩寺で坐禅もしている。piv「同上」

7)この辺もなんだかなぁ、・・・。堅苦しいやらステロタイプの表現が連続していて、いまひとつイメージが広がらない。

8)宮沢賢治は挫折しながら、起き上がる達磨のように生きた。それはスティーヴンズも、ギンズバーグも、スナイダーもやはり挫折をバネにしていきた点では共通していると思う。彼らは個性豊かな無我に生きようとした詩人たちであって、そこから愛語、即ち真言が湧き出ているのである。1998年春 piv「同上」

9)スナイダー→賢治の脈絡を尋ねて、この本もめくることになったのだが、最初からこの調子だと、ちょっと当ブログのセンスとは違うなぁ、と感じて足がひいてしまう。しかしながら、貴重な資料であるから、メモは残しておこう。

10)第1章は「スナイダーと道元 森と水の循環思想」だ。スナイダーが修行したのは臨在禅であったと思うが、たしかにスナイダーは臨在禅の他、道元に触れていることが多いようだ。つまり、ヒッピーといわずとも、スナイダーが自らを表現する「ロングヘアー」としての「「自己をみつめず、修行をせず、自堕落な生活におぼれている」かのようなイメージに対比すると、道元の「正法眼蔵」に触れたりすれば、見事な対比が生み出される。

11)この本には、スナイダーの詩と邦訳が対置してあって、分かりやすい。なるほど、こうなるか、という美しさがある。考察も興味深いのだが、道元やスナイダーが「素晴らしければ素晴らしいほど」、その文章を書いている本人が問われることになる。他者を美化することなど、それほど難しいことではない。

12)第2章は「スナイダーと宮沢賢治 宇宙的でくのぼうの道を歩む詩人たち」p19である。

13)暁烏敏(あけがらすはや1877~1954 僧侶)は賢治が33歳の頃、アメリカのサンフランシスコやバークレーから程近い町、オークランドで法話を行い、その後エマーソンの墓参りをしている。

 その後暁烏が亡くなる1950年代初期、アメリカの詩人、スナイダーはオークランドから近いバークレイの真宗寺院に仏教を学ぶために通っていた。そこで賢治の書き残した「雨ニモマケズ」の英訳に出会って感銘を受けている。p19

14)一説に、日本に来てから触れたという報告もある。エマ―ソンについては別途読み始めている。

15)スナイダーが日本の文化に出会ったように、賢治もアメリカ文化に接触している。(中略)賢治は15歳の頃にはとにかく変わっていて汚れ物はかまわず押し入れにつっこみ教科書は見ず、「中央公論」の読者で、エマーソンの哲学書を読んで友人を驚かせたという。このように賢治がエマーソン(1803~82)の作品に読み耽ったのも、さきほど述べたエマーソンの墓参りに行った暁烏敏と何かの不思議なつながりを覚える。p20

16)エマーソンやソローとの絡みのなかで、スナイダーと賢治の出会いを浮き彫りにしていく部分は興味深い。

17)スナイダーは賢治と出会った様子を次のように述べている。

I first came across his hamous poem"Ame nimo makezu" while attending study-sessions at the Berkley Buddhist Church (Jodo Shin) in the early fifities. I was impressd.

 1950年代初期といえば、スナイダーがカリフォルニア大学バークレー校で日本語、中国語を学んでいた頃である。そのバークレーにある浄土真宗のお寺に仏教を学びに行った時、賢治の作品「雨ニモマケズ」の英訳に出会い、印象深いものを覚えたのである。

I don't know who translated that first version of Kenji's poem I came across in Berkeley.

 その英訳が何時、誰によって訳されたものかは残念ながらわからない。ただ筆者は「雨ニモマケズ」の二つの英訳のみ確認している。(中略)

 スナイダーは「雨ニモマケズ」の英訳を読んだ青年時代の思い出を振り返ってこう書いている。

I was impressed basically by the message of it, the call for selflessness, simpliity, and generosity.

 スナイダーは、その作品から伝わる思想、こだわりのなさ、質素さ、及び寛大さに注目している。そしてスナイダーはこれをきっかけに賢治の作品を学んでいった。

Later, living in Kyotom I read a number of translations of his stories.

 彼が読んだのは英訳によるものであったが、理解できた様子を次のように書いている。

While linving in Kyoto and reading Miyazawa's little stories I had no doubt that I understood what they ware about. They are wonderfully clear and tranparent.

 さらに彼は賢治の作品を一層深く理解するために原文を読むことに思い至っている。

Then I got the idea of reading more of his poems. I arranged with a Kyodai graduate student to sit and read Miyazawa with me. For several months we met one night a week and he helped me read poems. Our text was the standard Iwanami Bunko"Miyazawa Kenji Shisyu" edited by Tanikawa.

 彼と原文を読むのに時間を割いてくれた京都大学大学院生の名前は覚えていないという。彼は原文を読むことによって賢治の世界に一層深く入っていくことができたはずである。

 だから彼は「春と修羅」から17編、及び「雨ニモマケズ手帳」中の「月天子」の計18編を英訳し、彼の詩集「奥の国」(The Back Coutry)に収めている。彼は翻訳の際、日本文学に造指の深い友人で、さきほどあげたワトソンに指示を仰いでいる。

I selected the paperback version of Miyazawa to translate at the suggesion of my friend the scholar Burton Watson. p20

18)この本、ここから各作品論に突入していく。そして本の内容としては、これでもまだごく一部だ。「アメリカ現代詩の愛語」というテーマにそって展開していくわけだが、当ブログの「3.11」後に賢治を読む、というテーマから少し離れていくので、今日この本に触れるのは、このくらいにしておく。他日、再読しよう。

つづく、だろう。

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