古代東北統治の拠点 多賀城 シリ-ズ「遺跡を学ぶ」 進藤秋輝
「古代東北統治の拠点多賀城」 シリ-ズ「遺跡を学ぶ」
進藤秋輝 2010/02 新泉社 単行本 93p
Vol.3 No.0535★★★★☆
1)アラハバキを尋ね、多賀城へ行った。なに、直線距離でも大したことないのだが、他の所用を兼ねて、センダード銀河環状高速で近くのICまで車を走らせた。タントリ川があり、ヒロセ川があり、Y字につながった二つの河川は大きく太平洋へと流れ出る。
2)今回は、そのユリアゲ港を3.11の巨大津波が逆流し、Y字と新幹線に囲まれた三角地帯までは逆流しなかったが、ひょっとすると今から1300年前の大津波においては、この三角地帯にあった郡山国府も冠水し壊滅した可能性もあるのだ。
3)銀河環状高速の中にある多賀城遺跡は、いまや立派な東北歴史博物館などでその全体像を知ることができる。車で、関連史跡をあちこちネットワークすることもできるし、ウォーキングで散策することも勿論可能だ。
4)歴史博物館付属の売店でこの本をめくった。この本は2010/02の発行になっているから、2009/02発行の長島榮一「郡山遺跡 飛鳥時代の陸奥国府跡」よりさらに新しい。
5)この僅か100頁に満たない本の中で、まず前章として郡山遺跡のことが約20頁にも渡って説明してある。いまや多賀城を説明するのに郡山遺跡に触れないわけにはいかないことになっているのだ。
6)もっともこの本は、この郡山遺跡の年代を多賀城前と判定した本人によって書かれている。
7)この瓦は当初、仙台市太白区にあった富沢瓦窯産の多賀城瓦の模倣とみられ、平安時代のものとされていた。そのため遺跡も平安時代のこの地域(名取郡)の郡家(ごうけ 郡の役所)と見られていてのである。
その後、筆者(注・進藤秋輝)が行った瓦の検討により、瓦の年代が多賀城をさかのぼる7世紀末から8世紀初頭のものであることが明らかになり、多賀城よりも古い段階の管衙遺跡跡として注目されることになった。p15
8)郡山国府→多賀城国府と動いた歴史も、いつまでも固定的なものではない。
9)隆盛をきわめた多賀城も、10世紀後半には急速に機能を失ったようだ。(中略)
古代東北の行政・軍事の拠点であった多賀城は10世紀後半には終焉したとみてよい。(中略)
ところが多賀城の終焉から約200年ほど後のことである。(中略)史料に「多賀国府」という行政組織がしばしば登場する。しかし、多賀城では半世紀以上も発掘調査が続いているにもかかわらず、多賀国府の存在を証明するに足る遺構はいまだ発見されていない。中世の多賀国府の所在と実態の解明は今後の大きな課題として残されている。p91「まぼろしの多賀国府」
10)まさに鴨長明の「方丈記」冒頭を思い起こす史実である。
11)行く川の流れは絶えずして、しかももとの水にあらず。
淀みに浮かぶうたかたは、かつ消え、かつ結びて、久しくとどまりたる例なし。
世の中にある、人と栖と、また、かくのごとし。鴨長明「方丈記」
12)飯沼 勇義の「仙台平野の歴史津波―巨大津波が仙台平野を襲う!」を契機として、突然再燃した歴史探訪ウォーキングの旅。当然の流れではあったのだが、あまりの展開の速さに、ついていけない部分が多い。
13)しかし、ここはマイペースで歩を進めよう。
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