地球人スピリット宣言草稿<12> 新しいビジョン、そして無の中へ
「地球人スピリット宣言草稿」
<12>新しいビジョン、そして無の中へ
1)ジブラン「預言者」邦訳は10種以上あるが、今自分が所有して手元にあるのは3種。小林薫訳「プロフェット(予言者)」(1972/06ごま書房)は最も古く、佐久間彪訳「預言者」大型特装版(1984/05至光社)には、ジブランの絵が刷り込まれた美しいもの。堀内利美訳「預言者アルムスタファは語る」(1993/03近代文藝社)はほぼ自費出版に近いものだが、素朴で平素な味わいの翻訳で、執筆者の住まいもどうやら近く、身近な感じがする。
2)今後の当ブログの<3.0>の方向性を占うものとして、3冊をそれぞれめくってみる。それぞれに味わいがあるのだが、どうも私は最も長く手元にある小林薫訳が一番親しみがある。
3)どの本も、ハリール・ジブラーンという著者の名が冠せれていた。しかし私は、どうせ、このごろ流行のヒッピー好みの神秘主義の本だろう、あるいは、ウースペンスキーやグルジェフなどの系譜を踏む精神統一法、ないしはヨガくずし程度だろうと振り向きもしなかった。小林薫「プロフェット(予言者)」p3「まえがき」
4)小林訳の出版は1972/06だから、それより遥か以前の、留学先のニューヨークでの話である。その中の一冊を開いて、小林はジブランに夢中になっていくのだが、どうも、この「ヒッピー好み」とか、「 ウースペンスキーやグルジェフなどの系譜」というくだりが気になる。当ブログはいまだにその辺をひとつのメルクマールとしているのだが。
5)あるいはまた、ZENのことが思われ、どうも玉川信明「OSHO、ZENを語る」(2002/02 社会評論社)が気になりだし、めくり始める。いろいろ問題含みの本ではあるが、ダイジェスト版として読むなら、これはこれでいいではないか、と思う。
6)Oshoの邦訳ZENだけから抜き出して、しかも著作権にひっかかりそうな危うい存在の一冊ではあるが、ひとりの読者による読書ノートとして見た場合(それをキチンと表記していればの話だが)、それはそれでいいのではないか、と寛容な気分になる。
7)だが、それでも、どうもジブランとZENでは、いまいち落着き悪い。どちらに行くのか、どちらも包括した方向というものを模索するのか、あるいは、どっちも違うのか。腑に落ちないので、ひとまず停止し、OSHO ZEN TAROTを引いてみる。今回は、大アルカナだけの5枚のカード引きだ。
1枚目、中央、主題(問題点) 「創造性 Creativity」
2枚目、左、まだ気づいていない内面の質、「変化 Change」
3枚目、右、すでに気づいていて外面に発揮すべき質、「内なる声 Inner Voice」
4枚目、下、結論を導くための指針、「新しいビジョン New Vision」 そして、
5枚目、上、結論: 理解、「無 No-Thingness」
9)一枚一枚のカードを読んでみる。なるほど~。納得。
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