ブータン国王の「龍」とは何か? 「シャンバラ 勇者の道」チョギャム・トゥルンパ <13>
<12よりつづく
「シャンバラ 勇者の道」 <13>
チョギャム・トゥルンパ /沢西康史 2001/6 めるくまーる 単行本 241p
★★★★★
1)ブータン国王が被災地の子供たちに送った、「龍は心の中に棲んでいる。 自分の龍を育てなさい。人は経験を積んで強くなる。」というメッセージは、被災地の人々の心を強く打った。
2)ブータン仏教は、チベット仏教と深く結びついており、この言葉を聞いて、「シャンバラ 勇者の道」を思い出した。今まで書いたところから、関連の部分を抜き出しておく。
チョギャム・トゥルンパは、幼くしてチベットの活仏となったが、中国共産党に追われて英国に逃げ、さらにはアメリカに渡って欧米人にチベット密教を伝えた。さらには結婚して子供をもうけ、一般人として還俗した。広く若い世代に影響を与えながら、1987年48歳で亡くなった。
3)「始めも終わりもない。
虎、獅子、迦楼羅、龍の栄光に輝く
言葉を超えた自信に満ちあふれる
リグデン王に臣従の礼をささげる」巻頭より
4)この本はいかにして自分の生き方をより良いものにしていくか、いかにして「勇者の道」のほんとうの意味を見いだしたらよいのかを明らかにしている。それは偉大なチベットの王、リンのゲサルの範例と叡智---彼の測り知れなさと恐れのなさ、この本では四つの尊い性質として論じられている、虎・獅子・迦楼羅・龍(タク・セン・キュン・ドルク)の原理を応用して、彼が蛮族を征服したそのやり方---に触発されたものである。p19
5)チベットには、アジアのほかの国々と同じように、今日のアジアの社会の知恵と文化の源泉となった伝説の王国の物語がある。その伝説によれば、そこは平和で豊かな土地であり、賢明で慈悲深い支配者が治めていた。国民はみな思いやりが深く教養があったので、王国はしばしば理想の社会とみなされた。この国土はシャンバラと呼ばれた。
シャンバラの社会が発展する上では、仏教が重要な役割を果たしたと言われる。伝説が語るところでは、釈迦牟尼仏はシャンバラの初代王ダワ・サンポに高度なタントラの教えを授けたという。これらの教えはカーラチャクラ・タントラとして受け継がれて、チベット仏教のなかでは最も深遠な知恵とみなされた。王がこの教え授けられたあと、シャンバラの人々は瞑想に親しむようになり、生きとし生けるものを哀れみ慈しむ仏教に帰依するようになった。このようにして、君主ばかりか国民たちまでも高度に啓蒙された人たちになった。
チベットの人々のあいだでは、シャンバラ王国はいまもどこかに存在し、たぶん奥深いヒマラヤの谷のどこかにあると広く信じられている。またシャンバラに至るための道順を詳細かつ曖昧に記録した仏教の文献がいくつかあるが、これらが具体的なものか比喩的なものなの意見が分かれるところだ。さらに王国の様子を詳細に記述した多くの文献が残っている。例えば、19世紀の高名な仏教教師ミパムが著わした「カーラチャクラ大註解」によれば、シャンバラの地はシータ河の北方にあって、その国土は八つの山脈によって区切られている。
歴代のリグデン王、すなわちシャンバラの偉大な支配者たちが住む宮殿は、国の中央の環状の山の頂上に建てられている。ミパムによれば、この山はカイラーサ山と呼ばれている。カラーパと呼ばれるその宮殿は、敷地が何平方マイルにも及ぶ壮大なものである。その南面にはマラヤと呼ばれる美しい庭園があって、この庭園の中央には、ダワ・サンポが奉納したカーラチャクラの寺院が建っている。
別の伝説によると、シャンバラは何百年も前に地上から姿を消してしまったということだ。ある時点で、国のすべての民が悟りを開いて、王国は別のもっと天上的な領域へと消えていった。これらの物語によれば、シャンバラの歴代のリグデン王はいまも人間の行ないを見守っており、いつの日か人類を滅亡から救うために地上に戻ってくるという。
多くのチベット人が、偉大な勇者の王、リンのゲサルは、リグデン王やシャンバラの叡智から霊感と導きを受けていたと信じている。これは、王国は天上界に存在するという信仰を反映したものだ。ゲサルは実際にシャンバラに行ったわけではなく、彼の王国とのつながりは霊的なものだった、と多くの人が考えている。
彼はおよそ11世紀の人で、現在の東チベットのカム県にあった、リンという小王国を支配していた。ゲサルの治世のあと、彼の勇者・支配者としての優れた業績の言い伝えが広くチベット中に知られるようになり、ついにはチベット文学の最も偉大な叙事詩とみなされるようになった。一部の伝説が言うところでは、ゲサルは再びシャンバラから現われて、軍勢を率いて世界の闇の勢力を打ち負かすことになる。
近年になると、シャンバラ王国とは、実際には中央アジアのザン・ズン王国のような歴史上に実在した古代王国だったのではないか、という西洋の学者が現われた。しかしながら多くの学者は、シャンバラの物語は神話にすぎないと信じている。シャンバラ王国をたんなる作り話として片付けてしまうのは容易だが、この伝説のなかに、あらゆる人間のハートに深く根を張った、善良な充実した生き方を求める普遍的な欲求の表われを見ることもできる。
実際、チベットの多くの仏教教師のあいだには、シャンバラ王国を外側の場所ではなく、万人のなかに潜在する目覚めと健全さの基盤、または根とみなす長い伝統がある。この視点から見ると、シャンバラ王国が事実なのか作り話なのかを判断することはさほど重要ではない。それよりもむしろ、それが象徴する「目覚めた社会」という理想的な価値を認めて、それを見習うべきだろう。p25
6)ここで言う「勇者の道」とは、他人に戦争をしかけることではない。攻撃は問題の原因にこそなれ何事も解決しない。この「勇者」とはチベット語でいう「パウォ」のことで、「勇敢な人」という意味だ。この文脈における「勇者の道」とは、人間の勇敢さの伝統、または恐れのない道のことだ。
北米のインディアンにはそのような伝統があったし、南米のインディオ社会にも同じ伝統があった。日本の武士道も、知恵ある勇者の道のひとつの表れであるし、西洋のキリスト社会にも、目覚めた勇者の原理があった。アーサー王は西洋における伝説的な勇者の例であるし、ダビデ王のような聖書に登場する君主たちも、ユダヤ教・キリスト教いずれの伝統にも属する勇者たちだ。世界には勇者の道の典型が数多くあるのだ。
7)勇者の道に至る鍵となるもの、「シャンバラの理念(ヴィジョン)」の最初の原理とは、ありのままの自分を恐れないということだ。実のところ、自分自身を恐れないということ、それが勇敢さの定義なのだ。シャンバラの理念は、世界の大きな問題に直面したときに、人は英雄的になると同時に優しくもなりうると教えている。シャンバラの考え方は利己主義の対極にある。p29
8)シャンバラの考え方(ヴィジョン)はたんなる哲学ではない。それは勇者になるための修行にほかならない。目覚めた社会を築く手助けができるように、自分の正しい扱い方を学ぶということだ。そのプロセスの中では、自分に敬意を払うことがとても大切であり、それはすばらしい、まさに並外れた経験になるだろう。p103
9)この自然に存在するエネルギーは、シャンバラの教えのなかでは「風の馬」と呼ばれている。「風」の原理が意味するのは、基本的な善良さのエネルギーは力強く、活気にあふれ、輝かしいものだということだ。それは人生のなかでとてつもないエネルギーを発散する。
だが、それだけではなく、基本的な善良さは乗ることができる。それが「馬」の原理だ。勇者の修行、とりわけ手放しの修行をすることで、あなたは善良さの風を乗りこなすことができるようになる。ある意味で、この馬はけっして手なずけることができない。
基本的な善良さは個人的な所有物にはならない。だが基本的な善良さの高揚したエネルギーを人生に呼び込み、誘い込むことならできる。どうすればたったいま自分自身や他人のために、たんなる哲学的な概念ではなく具体的なものとして、基本的な善良さを円満かつ理想的につくりだすことができるのかということがわかってくる。109p
10)私たちが見いだすのは始まりのない知恵、自然な賢さ、宇宙的な鏡の知恵だ。チベットでは、存在のこの魔法のような質、自然な知恵を「ドララ」と呼んでいる。「ドラ」とは「敵」または「対立者」のことで、「ラ」とは「上にいる」ということだ。だから「ドララ」とは「敵より上にいる」こと、「敵を超えている」ことを意味する。
ドララとは、世界に内在する、あらゆる二元対立を超えた無条件の力と知恵のことだ。ドララはすべての敵や争いを超越している。それは攻撃性を超えた知恵だ。宇宙的な鏡のなかには自立的に存在する知恵と力として、私たち自身や知覚の世界のなかににも反映している。
ドララの原理をみつけるためのひとつの手がかりは、自分の人間としての知恵はあるがままの事物に備わっている力と異なるものではないと気づくことだ。いずれも宇宙的な鏡の無条件の知恵の反映なのだ。
だから、あなたと世界とあいだには根本的な分離や対立というものはない。これら二つのものを一度に、いわばひとつのものとして経験するようになったとき、あなたは世界に内在するとてつもない洞察力(ヴィジョン)やエネルギーに近づくことができる。p132
11)ラ・ニェン・ルは、まさに大地の秩序と掟を表すもので、人間が基本的な実在の生地に自分を織り込んでゆく方法を示している。だから、ラ・ニェン・ルの原理を適用することで、ドララまたは根源的に魔法を呼び起こすさらなる方法が得られる。p171
12)「ラ」は元々は「聖なるもの」または「神」を意味するが、この場合には、天上界ではなくて、大地のいちばん高い地点を表している。p172
13)次の「ニェン」は、本来は「友人」を意味している。ニェンは山の雄大な肩に始まるが、森やジャングルや平野も含んでいる。山の頂きはラであり、その雄大な肩がニェンだ。p172
14)最後に「ル」だが、これは元々は「水」を意味している。それは海や川や湖の領域であり、水や湿り気の世界だ。ルにはきらきら輝く宝石のような質があるため、この場合の湿り気は豊かさと結びついている。p173
15)人間はラ・ニェン・ルの秩序を守ることで文明化されるから、私たちはこれを究極の決まり事とみなすこともできる。ラ・ニェン・ルの秩序に従うなら、あなたの人生は現象世界の秩序に調和したものになる。p175
16)自然な階層の調和した生き方とは、硬直した規則に従うことではないし、命のない戒律や行動規範にのっとって生活することでもない。この世界の秩序や活力や豊かさが、他人には優しくし、自分も大事にしながら、有意義な人生を送るその方法を教えてくれる。
しかしながら、たんにラ・ニェン・ルの原理を学ぶだけでは十分ではない。自然な階層の発見は個人的な体験でなければいけない---自分自身で魔法を体験しなければならない。それを体験したら、帽子を床に置こうなどとは思わなくなるし、さらに大事なことだが、隣人や友人たちを騙そうなどとは思わなくなる。世の中に奉仕しよう、自分を完全に明け渡そうという情熱が湧いてくる。p179
17)最良の人生は平凡な状況の下で実現できる、というのがシャンバラの教えの基本的なメッセージだ。それがシャンバラの基本的な知恵だ---このあるがままの世界のなかで、私たちは充実した意味のある、また他人のためにもなる人生を送ることができる。それがほんとうの豊かさだ。
世界が核戦争の脅威や大規模な飢餓や貧困という現実に直面している時代にあって、自分の人生を治めるということは、この世界のなかで平凡だが十分に人間味のある生き方をするということだ。世間で暮らす勇者のイメージとはまさにこのようなものだ。p186
18)具体的に、どうやって豊かさや秩序を日常的な生活のなかに持ち込めばいいのか? 勇者がある程度の精神的な成熟に達して、基本的な尊厳と優しさの原理を完全に理解し、ドララの原理や、ラ・ニェン・ルの原理をも正しく認識できるようになったら、自分が人生の豊かさをどう考えているか振り返ってみなければならない。豊かさの基本的な修行とは、いつも善良さが輝きを放つように、自分の存在に備わる善良さを表現できるようになることだ。p186
19)それができるようになったら、さらに一歩進んで、「世界の君主の七つの宝」と呼ばれるものを養って、もっと大きな豊かさを経験することができる。七つの宝とは、古代インドに起源を持つとされる、支配者の資源を表わす概念だ。私たちはこれらの資源をひとりひとり、自分の力で養わなければならない。p187
20)支配者の第一の宝は「女王」だ。女王は---妻や夫は、と言っていい---家庭のなかの寛大さの原理を表わす。自分の知恵も短所も含めた。人生を分かち合える伴侶と暮らすと、あなたは開かれたハートを持つようになっていく。p187
21)世界の君主の第二の宝は「宰相」だ。宰相の原理とは、助言してくれる相談相手を持つことだ。配偶者はあなたが寛大になるのを助け、友人たちは助言や忠告を与えてくれる。p188
22)第三の宝は「将軍」であり、それは恐れのなさや保護を象徴する。将軍もまた友人だが、彼は恐れを知らない友人だ。なぜなら、彼はあなたを守り、あなたを助け、そのとき必要などんなことでもするし、少しもためらうことがないからだ。p188
23)第四の宝は「軍馬」または「乗用馬」だ。軍馬は勤勉さを、懸命に働いて全力を尽くすことを表わす。p188
24)第五の宝は「象」であり、これは安定や着実さを表す。あなたは虚偽や混乱の風に動じることがない。象のようにどっしりと落ち着いている。p188
25)支配者の第六の宝は「満願成就の宝石」であり、これは気前のよさを表している。p188
26)第七は「車輪」だ。古くから全宇宙の支配者は黄金の車輪を持つとされ、この世界の真の君主には鉄の車輪が与えられると言われて来た。p189
27)これら七つの宝の原理を応用すれば、正しく家庭生活を切り盛りすることができる。妻や夫はあなたが寛大になるのを助け、親しい友人は適切な助言を与えてくれる。肉親や仲間はためらうことなく愛してくれる。自分自身も馬のように仕事や人生の旅に最大限の努力を惜しまない。つねにそのエネルギーに乗りつづけ、どんな問題が持ち上がってもくじけない。
だが、それだけではなくて、象のように着実で、安定していなければならない。そしてこれらすべての宝を手に入れたときに、自己満足するのではなく、満願成就の宝石のように気前よく他人に与えられなければいけない。こうして、あなたは自分の家庭を安らかに治めて、支配者の車輪を手にする。p189
28)いかに治めるかを学びたいなら、第一歩として、自分の家庭や身のまわりの世界を治めることから始めるべきだ。それができたなら、間違いなく、次の一歩は自然にやってくる。p190
29)勇者の道の成果とは、基本的に善良さを根本的に悟ることだ。この理解に達すると、基本的な善良さを疑うことがまったくなくなって、そのために自分自身を疑わなくてもよくなる。むき出しの肉を世界にさらけだすとき、「別の皮膚をつけたほうがいいでしょうか? ちょっと露骨すぎるでしょうか?」などと尋ねるだろうか---そんなことはありえない。
いったんさらけだしたら、もはや考え直すことはできない。失うものはないし得るものもない。ただ自分のハートを完全にさらすだけだ。p200
30)勇者は、基本的な善良さに揺るぎない確信を抱くようになり、神聖な世界に昇る朝日の反映を見るようになって、初めて四つの尊い性質を体現できるようになる。そうなったら、勇者は無尽蔵なエネルギーの源泉、風の馬のエネルギーとつながりを持つようになり、旅はいっそう力強いものになっていく。つまり、風の馬は四つの尊い性質を活気づける燃料であり、真性な存在はそれで動く乗物であるといえる。p205
31)温和な勇者
「温和さ」が最初の尊い性質だ。ここで言う温和さとは、弱さとは違って自分の純朴さを信頼すること、率直でありながらしかも親しみやすくあることだ。p206
32)温和さには三つの段階がある。第一に、勇者は謙虚なので、その想念が有害な傲慢さにふくれ上がることがない。p206
33)温和さの第二の段階は無条件の自身の表明だ。温和さは、密林のなかを悠々と、だが細心の注意を払って歩く、たくましい虎に喩えらえる。p207
34)温和さの第三の段階では、ためらいがないために、勇者は広やかな心をもつようになる。p208
35)温和さは広い視野と自信をもたらす。四つの尊い性質はこの謙虚な、誠実な、しかも広やかな、また細心の注意をともなったものの見方から始まる。この旅の始まりには、他人に乞う必要のない自然な充足感がみなぎっている。p209
36)活気に満ちた勇者
「活気」の原理は、高原の山々の爽やかさを楽しむ雪獅子(スノーライオン)に喩えられる。雪獅子は精力的で、活気に満ち、若々しい。彼は空が高く空気がさわやかな高原を棲み処にしている。p209
37)活気には二つの段階がある。最初のそれは高揚した快活な心の経験だ。この場合には、高揚した心とは何物にも因らない喜びが持続する状態だ。p210
38)活気の第二の段階とは、活気に満ちた勇者は決して疑いの罠に落ちないということだ。疑いの根本は自分自身への疑いであり、5章で述べたように、それは体と頭が共調(シンクロ)しないときに起こってくる。p210
39)要するに、勇者の道の先の段階で生じた温和さや優しさがあるので、次の活気に満ちた状態へと入っていくことができる。活気に満ちた勇者は疑いの罠に捕らわれることがなく、いつも喜びと創意工夫に満ちている。p211
40)豪放な勇者
「豪放さ」とは無法さではく、その意味で、乱暴になるということではない。ここで言う豪放さとは、勇者としての強さとたくましさを備えていることだ。豪放さは恐れのなさを達成することに基づいている。p212
41)豪放さは、チベットの伝説上の鳥で、昔から鳥の王と言われている、迦楼羅(かるら)に喩えられる。迦楼羅は成鳥の姿で卵から生まれて、宇宙まで舞い上がり、翼をあらゆる境界を越えた彼方にまで広げる。同じように、豪放な勇者は望みと恐れを乗り越えているので、限りなく自由な精神を発達させる。p212
42)もちろん、このような達成に基礎には温和な勇者や活気に満ちた勇者の修行がある。それらを経験しているから、あなたは豪放になることができる。また豪放な勇者は他人に深い慈悲心を抱いている。何ものにもさえぎられずに視野を広げることができるので、他人のために意のままに働くことができる。彼らを助け、何であれ必要なものを与えることができる。p213
43)測り知れない勇者
「測り知れなさ」は龍に喩えられる。龍は精力的で、力強く、堂々としている。だが、これらの龍の性質も、虎の温和さ、獅子の活気、迦楼羅の豪放さの上に初めて成り立つ。
測り知れなさは二つの部分に分けることができる。最初に、測り知れない心の状態があって、次に、測り知れなさが外に表れてくる。測り知れなさは恐れのなさに基づいている。p214
44)伝統的な考え方では、龍は夏は天空に棲み、冬は地中に引きこもるとされる。春が来ると、龍は大地のつゆやかすみとともに天に昇る。嵐を起こすときには、龍は口から稲妻を吐き、その咆哮は雷鳴となって轟く。この比喩は測り知れなさには何か予兆のようなものがあることを伝えている。p214
45)測り知れなさが理想とするのは優しいエネルギーに満ちた、秩序正しく活気にあふれた世界を創造することだ。だから測り知れない勇者は急いだりはしない。きちんと最初から始める。p216
46)測り知れなさが輝かしく恐れを知らないのは、勇者が昇る朝日の理念に導かれているからだ。喜びを味わいながら努力することで、自分自身を高揚させることができる。そうして真正な存在を成就して、最終的には「世界の君主」の境地に至る。
自分自身を開け放ち、恐れることなく他人に与えることで、あなたは力強い勇者の世界を創造する、その手助けをすることができる。p219
47)シャンバラの系譜
勇者の道を歩もうとするときには、純真さと基本的な善良さをみずから実感することが何より大切になる。しかしながら、旅を続けて、四つの尊い性質の道を歩み、真正な存在を成就するには、旅の道案内を、あなたに道を示してくれる達人の勇者を持たなければいけない。究極的には、利己心またはエゴを捨て去るために、生きた人間の実例が不可欠なのだ---すでにそれを成し遂げた人がいたら、それを手本にすることができる。p220
48)「魔法を見つける」で話したように、宇宙的な鏡の境地を経験すると、「ドララ」と呼ばれる、争いを超えた、広大で深遠な知恵がわき上がってくる。ドララの経験には多くの段階がある。根源的な、究極のドララとは、宇宙的な鏡の知恵をじかに体験することだ。この知恵を経験するとき、あなたはシャンバラの系譜の起源、知恵の源泉に触れている。p221
49)究極のドララには三つの特徴がある。第一に、根源的であるということ---これはすでに話したように、石器時代や先史時代にまでさかのぼるという意味ではなく、私たちの思考を超えている、またそれに先立っているということだ。宇宙的な鏡の領域を王国とするリグデン王たちはそのような境地にある。
第二の特質は不変性だ。リグデン王の世界では何かを考え直すことがない。考え直すとは心が揺らぐこと、自分の知覚の純真さに自信がないために、心が揺れ動き、ためらうということだ。そこでは考え直すということがない。それは不変の境地であって、移り変わるものは何もない。
究極のドララの第三の特徴は勇敢さだ。勇敢さとはかすかな疑いにもなびかないということだ。実のところ、この境地ではわずかな疑いさえも抱くことがない。p222
50)最後に、内側のドララの究極の知恵が生きた人間へと伝えられる。別の言い方をすると、宇宙的な鏡の無条件のあり方を完全に理解して、その原理を実在の明晰な知覚のなかにすっかり呼び込むことで、人間は生きているドララに、生きている魔法になるということだ。
人はこうしてシャンバラの勇者の一族に加わって、たんにドララを呼び覚ますのではなく、それを体現することによって、ひとりの達人の勇者になる。だから達人の勇者は自分が住む世界のドララを体現していると言える。p224
51)第一に、達人の勇者は始まりも終わりもない、限りない空間が広がる宇宙的な鏡のなかに誕生する。彼の悟りまたは境地は、単なる修行や哲学から生じたものではない。むしろ彼は宇宙的な鏡の無条件の清浄さのなかにゆったりとくつろいでいる。p224
52)第二に、達人の勇者はリグデン王たちの知恵の伝統に自己を完全に同化させているから、生きとし生けるもののなかに基本的な善良さを見る、大いなる優しさ、大いなる慈悲心を養っている。
達人の勇者が身のまわりの世界を見るとき、あらゆる人間には基本的な善良さが備わっていること、少なくとも自己の純真さを悟る資格があるのだということを理解する。p225
53)最後に、達人の勇者は人々への大いなる慈悲心から、天と地をひとつに結びつけることができる。すなわち、達人の勇者の力があれば、人間としての理解と人間が拠って立つ大地とを結びつけることができるということだ。
そうなったら天と地はいっしょにダンスを踊るようになり、人々はだれが天の崇高な性質を備えているのか、だれが地の劣悪な性質を持っているのかといったことを議論しなくてもよいのだと感じるようになる。p225
54)「俺は達成したぞ!」と思うようなことがあったら、それはうまくいかないだろう。エゴイステッィクな態度を乗り越えて、初めて天と地をひとつに結びつけることができる。p226
55)過去何世紀にもわたって、究極の善を探究し、それを同胞の人間たちと分かち合おうとした多くの人たちがいた。それを悟るには断固たる決意で修行に励まなければならない。
探究を恐れることなく続け、人間の根元的な善良さを恐れることなく主張した人たちは、その宗教、哲学、信条が違っていようとも、達人の勇者の系譜に属している。
このような人類の指導者たち、人間の叡智の守護者たちに共通する共通する特質は、あらゆる有情のために優しさと純真さを恐れることなく発揮していることだ。
私たちは彼らという実例に深い崇敬の念を抱きながら、彼らが切り開いた道に感謝をするべきだ。彼らはこの退廃的な時代にあって、目覚めた社会を心に描くことを可能にした、シャンバラの父であり母であるのだから。p229
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コメント
石村秀夫さん
リンクありがとうございます。ワンチュク国王の話にはとても感動しました。国会での演説も素晴らしかったですね。
ブータンが目指すGNH(国民総幸福量)、大いに学ばなければなりませんね。
投稿: Bhavesh | 2011/11/22 08:03
こんにちは。
ワンチュク国王の龍の話に感銘を受け、ネット検索したところ、貴殿のブログにたどり着きました。
益々神秘とロマンあふれる仏教世界に引き込まれています。
僭越ですが、マイfacebook上にリンク繋げさせて頂いています。
貴ブログじっくりと味合わさせてください。
よろしくお願いします。
投稿: 石村秀夫 | 2011/11/22 00:36