風の又三郎 宮沢賢治 <2>
「銀河鉄道の夜,風の又三郎,ポラーノの広場 ほか3編」 <2>
宮沢 賢治 (著), 天沢 退二郎 (編さん) 1971/07 講談社文庫 文庫: 392p
★★★★★
1)「風の又三郎」を読んだ。以前に読んだ「風野又三郎」や宮沢賢治名作アニメシリーズ VHS「風の又三郎」とはまた別の風格がある。 青空文庫を見ても、「野」と「の」の二つの作品があり、どちらも味わい深いが、どちらかというと、私はプリミティブでスケールのでかい「野」が一番好き。
2)「の」には「の」の完成された美があるが、それでも文章中には欠字があったり、校了前の原稿的な部分もあったりするので、この読み方が「正しい」ということはないだろう。このような輻輳的な読みかたができるところがまた、賢治ワールドの面白さであり魅力である。
3)VHSの宮沢賢治名作シリーズも、ひととおり作品を知ることはできるのだが、それだけでは、やはり賢治を「読んだ」ということにはならないようだ。
4)三郎はいよいよ面白そうに指を一本立てながら、
「それから? それから? ええ? それから。」と云うのでした。
耕助は顔を赤くしてしばらく考えてからやっと答えました。
「風車もぶっ壊さな。」
「すると三郎はこんどこそまるで飛び上がって笑ってしまいました。みんなも笑いました。笑って笑って笑いました。p214
5)飯沼義勇が「3.11あの日を忘れない」で、「ホツマ」について触れていたので、手元にある何冊かのホツマ本をだしてめくってみた。面白いので、再突入してみたい誘惑にかられるのだが、二の足を踏む。
6)ここで賢治が「それから? それから?」という問いに対して、「笑って笑って笑いました」という答えを出しているのは、とても見事である。本来、ホツマを通しても、このような明快な結論、「笑って笑って笑いました」という突き抜けた世界にいくのが本当だろうが、どうもそこまで行くには、日が暮れてしまいそうだ。
7)三省は言う。
8)賢治の眼を世界に向けて開かせたものは、一つには詩を含む芸術であり、一つには科学(サイエンス)であり一つには法華経であったが、彼の胸(ハート)をどこまでも引いて行ったもの存在そのものの姿であった。
存在とは懐かしいものである。それは根源的懐かしいものである。過去として懐かしいのではなく、現在として懐かしいもの、それが存在である。太陽の下、土の下で働く百姓の姿は、賢治にとって根源的に懐かしい永遠の現存、すなわち存在であった。山尾三省「野の道」p103「祀られざるも神には神の身上がある」
9)賢治の世界、とりわけこの「風の又三郎」には、現在の存在としての懐かしさを感じる。小学校の4年生や5年生だったことを思い出す。あるいは中学一年生の習字の時間を思い出す。
10)「人や銀河や修羅や海胆は」を書いたTheaterGroup“OCT/PASS” 石川裕人は、小学校の時、学芸会の劇で一緒だった。最初、私が主役だった「ごんぎつね」(だったかな?)の役割を彼に奪われたりもした(笑)。中学一年生の時の習字の時間、彼の席までいって、雑誌をつくらないか、と言った記憶がある。
11)今、これらの懐かしい記憶は、根源的な永遠の現存として蘇ってくる。賢治の教室にいると、それは100年前とか、50年前とか、言うのではなく、今、そして、いつも、そして、これからの、世界が連なっていく。
12)二人はしばらくだまったまま相手がほんとうにどう思っているか探るように顔を見合わせたまま立ちました。
風はまだやまず、窓ガラスは雨つぶのために曇りながら、まだがたがたとなりました。p231
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