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2011/11/08

兄のトランク 宮沢清六 <2>

<1>よりつづく 

Ani
「兄のトランク」 <2>
宮沢 清六 1987/09 筑摩書房 単行本: 241p

 「賢治はこの世に執着を持っていたでしょうか。」と聞かれると、私は答えに窮するのであるが、或時はこんな風に答えることもあるだろう。「やはり見ないでしまったこの地球の中のあこがれの土地、例えば北欧とか南欧、またドリームランドとしてのベーリング地方やカシュミール、北倶虜州や中央亜細亜、そんなところへ好きな人と旅をしたり、心清らかな人たちと棲んでみたかったでしょう。」と

 そんな想像から私はもう案外賢治はあこがれの土地に生まれ変わって、「また起きて詳しく書きます。」ということばを実行に移しているではないかと、子供の考えるようなことを思うのである。
 そしてそんな土地をいま仮りに瑞典あたりに仮定して、賢治が書き残してこれから書きたいと思った作品をそのメモの中から拾って見ると、

 書き換へられたる修身書
    或いは生理学的倫理学       「筑摩書房四十三年版全集」第12巻132頁

などを賢治風の文体で、ストックホルムあたりで書いている青年があるだろうなどと考えることは楽しいことだ。
 またウクライナあたりで、

  科学に威嚇されたる信仰
  本述作の目安、著書
    1、異空間の実在、餓鬼、分子--原子--電子--真空--異単元--異構成
      幻想及夢と実在、
    2、菩薩仏並に諸他八界依正の実在
      内省及実行による証明
    3、心的因果法則の実在
      唯有因縁
    4、新信行             「同」第12巻157頁

などという不思議な著述が、若いヒッピー族の一人によって発表されて、もうそういう本の日本語訳が出ていても、賢治の人生観や四次の世界では少しも可笑しくないと私は思うのである。
 或るはいま日本に生まれている沢山の天才たちのうちの一人が、

 「学者アラムハラドの見た着物」    「同」第9巻63頁

の著書によって投げ棄てられた後半の空白を、全然別の発想で書いているだろうと想像することも差し支えないことと思う。 1970/07  p209「臨終のことば」から 

<3>につづく

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