仙台平野の歴史津波―巨大津波が仙台平野を襲う! <3> 飯沼 勇義
「仙台平野の歴史津波」 巨大津波が仙台平野を襲う!<3>
飯沼 勇義 (著) 1995/09 宝文堂 単行本 p234
★★★★★
1)秋晴れに誘われて、自転車で町にでた。図書館にいったが、なんと本日はお休みときた。ここまで来たからにはと、前から気になっていた蛸薬師まで足を伸ばすとしよう。
2)正確には淵上蛸薬師瑠璃光如来。「参拝のしおり」には次のようにある。
3)いつの頃か、この地方一帯に洪水があって水が引いたあとを見ると、池の中島に蛸に吸いつかれた薬師様の像が流れついていた。それ以来、薬師様の漂着した中島に生えている葦はみな片葉になり、この片葉の葦を夜泣をする子供の布団の下に敷いて寝かせると夜泣が止まるという。「参拝のしおり」
4)この部分は飯沼勇義に言わせれば次のようになる。
5)慶長津波の時、この観音様に蛸がついてこの地へ打ち上げられ、これ以来、この観音を薬師如来とし、川熊家の氏神として屋敷内に蛸薬師堂の神社を建てたと大竹誠氏が言っています。「仙台平野の歴史津波」p118
6)慶長津波は1611年だから、ちょうど400年前のこととなる。「参拝のしおり」によると、またこうある。
7)その後川村家では、粗末にしては勿体ないと薬師様を屋敷内に安置していたが、薬師様が繁盛すると家運が衰えると聞いて池の西にお堂を建てて移しお祭りすることとなり縁日は5月朔日で昔から赤飯をはじめ供物は川村家で供える。「参拝のしおり」
8)どうやら現在地の太白区長町4-2-12の、その地点まで正確に波が来たということではなく、これまで何回か移動してきたようである。ただ、気になったのは「薬師師様が繁盛すると家運が衰える」というくだり。たしかにホトケごころが過ぎると、競争社会を生き抜くことは難しくなるのかなぁ。<再訪>2016/04/05
9)すぐ近くの知人の事務所を尋ねると、こちらもまた不在。よし、いい機会だ。今日は、沖野の「浪分神社」まで行ってみよう。
10)慶長津波は、井戸浦川、七郷掘を駆け上がり、この周辺一帯まで及び、現在の神社の位置が浪分けの地となって、ここより二つに分かれて引いていったといわれています。この社には、浪分不動尊をご本尊として祀り、浪分神社というようになりました。「仙台平野の歴史津波」p115
11)浪分神社は若林区霞目の自衛隊駐屯地の東北にある。自衛隊機の発着でかなりやかましい。道路沿いのちょうどローソンの道路を挟んで反対側。こちらも400年前の慶長津波ゆかりだが、おなじように、あとから移築されているようだから、必ずしも現在地がその浪分けのポイントとは言い難いようだ。
12)社務所は地震の被害があって修理中だが、今回の3.11津波は来ていない。そこから2キロほど東に東部道路が見える。田んぼの中を自転車で走っていくと、たしかに、この地点には建物がほとんどない。
13)東部道路のガードをくぐると、もうそこは海岸から3キロほどのところなので、あちこちに3.11の痕跡が見えてくる。さらに海岸に近付いていけば、あとは動画で有名なポイントとなる。
14)賢治のイーハトーブと地続きのセンダード2012は、巡回する高速環状線で一周45分の旅だ。今日はシコシコと自転車でその高速下の側道を走った。
15)宮地尚子によれば、これらの神社などの痕跡は、尾根にある中間地点ということになろう。
16)たしかにゼロ地点に近づくほど、当事者や、被った損害、抱える負担は大きく、発言権や証言者としての正当性(レジティマシー)も大きくなります。けれども、ゼロ地点に近ければ近いほど発話力が上がるという単純なモデルは、すでに説明したように事実に反しています。宮地尚子「震災トラウマと復興ストレス」p11「円錐島とのちがい」
17)見えない内海部を幻視する力が必要となる。
18)神秘家たちが、「指を見ないで月をみよ」という時、私たちは、「指」としての歴史的遺跡をばかり注目しているわけにはいかない。そして、また「津波」でさえ「指」でしかないのではないか。
19)見られるべき「月」とは何か。人生そのものを賭けた問いである。
20)それにしても、蛸薬師の「薬師様が繁盛すると家運が衰える」という因縁と、浪分神社のすぐそばにある自衛隊基地。自転車をこぎながら、福祉予算と軍備予算の比較のことが思い出された。どっちかに大きく傾くと、人心は乱れることになる。
21)瑠璃光薬師如来については、三省もスナイダーも賢治も詩で歌っている。我が家の近くにもカヤの木ゆかりの瑠璃光薬師如来がある。
22)自衛隊や電気事業もなくてはならない存在である。3.11で思わぬ新たなテーマについて、いろいろ思いをめぐらすことが多くなった。
23)塩害で枯れた草原と化した田園の中を自転車を走らせた。ここで生きよう、ここがセンダード2012だ。
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