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2011/11/01

地球人スピリット・ジャーナル・ダイジェスト版<3>ブログ・ジャーナリズム・カテゴリについて 

<2>よりつづく


「地球人スピリット・ジャーナル」
ダイジェスト版


<3>「ブログ・ジャーナリズ」カテゴリについて

1)ブログを最初に登録したのは、2005年8月だった。それから遡ること、半年ほど前にSNSに誘われ、一大悶着に巻き込まれた。ネット上の炎上の整理役に呼ばれた、と言えなくもない。その過程で、友人の複数がブログを書いていることを知り、同じようなブログを登録したのだった。

2)当時、HP作りやMLなどで、ネット上のワークは足りていたので、最初、敢えて更なるブログを書き続けることなど考えつかなかった。それに、ネット上における自我のつくり方がよくわからなかった、ということもあった。実質、何も書かずに半年が経過した。

3)その沈黙を破ったのは、2006年2月にでた梅田望夫の「ウェブ進化論」であった。この本の出版を知ったのは、当時宅配で読んでいた朝日新聞上の記事。さっそく本を買って読んでみると、これが素晴らしく面白い。

4)いちいち納得なのだが、どうも私の中から反射的に沈殿物がでてくる。若いリーダーに対する反感みたいなものが湧いてくるのだろうか。これは一体なんなんだ、と、すこし何か書いてみようかという気になった。ブログを登録していたことを思い出し、ひとつひとつ書き始めたのが、私のブログの出発点である。

5)2006/3/14~4/15にまで、約一カ月かけて「ウェブ進化論」と格闘した。一章ずつ精読しながらメモし続けていると、われながら、かなり時代遅れになりつつあるなぁ、という反省と、インターネットはますます進化するぞ、という期待感がないまぜになった。

6)この本を読むプロセスの中で、気になったのがブログ・ジャーナリズムという言葉だった。小さい時の将来の夢はジャーナリストになることだった。私の人生は結局そういう道にはならなかったが、私の中に、今でも「ジャーナリズム」という世界にやり残していたものがあったようだ。

7)ブログ・ジャーナリズムは、まったくの個人でもできる。これはすこし積極的にブログを使っていくことも大事かな、と思い始めた。

8)ちょうどその頃、我が家の奥さんが図書館勤務となり、茶の間で日常的に読書し、業務用の読書ノートをつけていることが多くなった。私はアッシー君として図書館への運転手を頼まれることもあり、ぶらぶらと新刊コーナーなどの本をめくったりすることも多くなった。

9)かつて若い時は読書ノートをつけていたこともあったし、今回はブログとして始めてみるのも面白いかなと感じた。ここに、わが「読書ブログ」がスタートしたのだった。

10)図書館で手当たり次第、面白そうな本をつぎつぎ手に取った。こんな本もあるのか、と次々関連の本に手を伸ばした。ブログにおけるカテゴリつくりは難しかったが、まずはとにかく気になるキーワードを10個ほど設定してみた。

11)次第に、いくつかのキーワードが固まり始め、やがて、3つのキーワードを同時に進行させるというスタイルが出来上がっていった。最初にできたカテゴリは「ブログ・ジャーナリズム」だ。最初ランダムに書いていた記事をこのカテゴリに収めていった。

12)時代はちょうど堀江貴文のライブドア事件が世間をにぎわせていた頃である。そこからこのカテゴリは2006/12/14まで続いた。他のカテゴリも進行していて、あとから、これに当てはまるものをほおり込んでいった。

13)この時点で、ひとつのカテゴリの定量を108とすることにした。あまりに膨大になるとあとで整理に困るだろうということもあり、別に100でもよかったのだが、仏教に縁のある108個にした。

14)再読したいこのカテゴリこの3冊で選んだのは、次の3冊。

「ブログ・ジャーナリズム」湯川鶴章 /高田昌幸 2005/10 野良舎

「ブログがジャーナリズムを変える」 湯川鶴章 2006/07 NTT出版

「ブログ 世界を変える個人メディア」 ダン・ギルモア /平和博 2005/08 朝日新聞社

15)当ブログの基本的土台はここにある。

16)2011年11月現在、スマートフォンやツイッター、フェイスブックなどにインターネットの潮流が向かってきており、ブログ・ジャーナリズムというスタイルはやや廃れぎみである。「ジャーナリズム」という部分には期待できないかもしれないが、ブログという機能は、まだまだ有効だろう。

17)じゃぁ、どんな本を読んでいくのか、当ブログのテーマは一体なんなんだ、ということで次なるテーマとしてでてきたのが「地球人スピリット」という言葉。次なるカテゴリ名となった。

18)スタート地点の混乱がよく現われている。ブログという機能がはっきりわからないまま、とにかくやってみようという魅力があった。

19)「世界を変える個人メディア」という可能性は感じられた。結局は限られたアルファ・ブロガーしか生き残れないのだが、個人の記録と考えれば、それなりに魅力のある機能である。

20)2011年現在、ツイッターやフェイスブックなどが主流になってきているが、個人の記録として手元に残りにくい。そういった意味では、ブログはまだまだ存在価値があると思われる。

21)「ジャーナリズム」という言葉にも魅力があったが、結局は個人は一次取材をほとんどできないわけだから、流れるニュースに対して、雑感を加えるだけになってしまうだけだ。

22)当ブログが、読書ブログ、と言う形に落ち着いたのは、ネットにおける情報の危うさと、ちょうど解放されつつあった図書館ネットワークの利用が、ちょうどタイミングよくマッチしたからだった。

23)地域図書館だけではなく、大学を含む学校図書館も利用できるようになった。視聴覚資料も利用できた。

24)結局は、自然と「ジャーナリズム」と言う表現は落ちていった。

<4>につづく

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