郡山遺跡 日本の遺跡35 飛鳥時代の陸奥国府跡 長島榮一<2>
「郡山遺跡」 日本の遺跡35 飛鳥時代の陸奥国府跡<2>
長島榮一 2009/02 同成社 全集・双書 185p
★★★★★
1)太白山は郡山遺跡から西に8キロに位置し、標高320mの円錐形の山である。平野部からは象徴的によく見え、現地の「太白区」はこの山の名称から取ったものである。遺跡内からは真西に見え、夕景などは非常に美しい光景を現してくれる。
陵糟等が三輪山の神に誓ったように、蝦夷が太白山に誓うというのも頷ける話である。ただし現地で長く仕事をしていた感想であるが、太白山と重なるように奥羽山脈を見ることができる。そこに覗く峰は、神室岳(かむろだけ)である。標高1350m程の峰が二つある。
カムロはアイヌ語の起源では、「神の住居」といわれている。西方に見える山々に宿る現地の神に対し口を漱いで宣誓する行為と、蓮池が原型とされる石組池から西方世界を望む仏教的観想とを重ねて表現しているのではないのか。
石組池の存在は、蝦夷と神、さらには仏教世界を結びつけながら、飛鳥と蝦夷の関係を明確化する装置としての機能を持っていたものと考えたいが、いかがだろうか。p114
2)太白山は、センダード2012における重要なバイオリージョンのポイントである。さらにその向こうの神室岳までは考えつかなかったが、ここで蝦夷やアイヌが登場することによって、ネイティブ・ピーポーの精神世界とつながりつつある予感がある。
3)現在は休息に住宅地と化し、戸建住宅やアパートが農地を埋めてしまった。また郡山遺跡の西まで「あすと長町」区画整理事業が進み、ビル街が出現する直前となっており、仙台市南部の新たな都市機能の中心地になりつつある。その地に接しながら遺跡の存在や評価を伝えていくのは大変むずかしいことである。
しかしこの地が1300年前には東北の中心であり、藤原京や平城京のある飛鳥地方と関連のあった地として伝えていかなくてはならない。
仙台開府400年という言葉を多くの仙台市民が知っている。伊達政宗が仙台を城下町として作ったことに由来している。これからは仙台開府1300年の合言葉を、郡山の地から発して次の世代に継承してもらいたいものである。p169
4)仙台開府1300年とすれば、当ブログの関心は、そのさらに前の時代にあったとされる蝦夷やアイヌにまつわる精神世界に移行していく。多賀城にも、アラハバキ神社がある。とするならば、この郡山遺跡の中にも、関連の遺跡や痕跡があるのではないだろうか。
5)公共機関が発掘調査したとしても、そこで得られた情報は国民、市民共有のものである。要請に応じて様々なかたちで提供していかなくてはならないと考えている。p184
6)著者は1957年宮城県で生まれたセンダード市の職員である。まだまだ若い。これからも続編に期待したい。
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