郡山遺跡 日本の遺跡35 飛鳥時代の陸奥国府跡 長島榮一<4>
「郡山遺跡」 日本の遺跡35 飛鳥時代の陸奥国府跡<4>
長島榮一 2009/02 同成社 全集・双書 185p
★★★★★
1)買い物ついでに、またまたウォーキング。秋の夕暮れは早く、4時を過ぎるとあっという間の夕暮れだ。大体の方向を定めて遺跡発掘事務所に向かって歩きだすのだが、なんとも乱開発ともいうべき地形に、袋小路やら、遠回りやら、えらく時間がかかる。
2)辿りついたのは、事務所終業前の時間帯。作業員の人たちが、事務所前で終業点呼をしている。事務所の担当者の若い男性が対応してくれた。
3)3.11の被害により展示室は壊滅状態で、プレハブ小屋自体が立入禁止となっている、とのこと。再開のめどはまったく立たず、もし再開するとすれば、新しい立派な展示室をつくったあとになるだろう、という。
4)30年前から発掘しているが、発掘予定地のまだ10分の1しか完了しておらず、いつ完了するかは定かではない。すくなくとも、今の管理者たちが生きている間はできないだろう、というほど、息の長い仕事となる。
5)やはり、ここは多賀城のように、遺跡公園ともいうべき開かれたスペースになる予定であり、順次、私有地の買い上げが進んでいるらしい。
6)3.11で被害を受けた私有地も多く、買い上げ希望者も出てきているらしいが、そもそも今回の震災で買い上げの予算が付かず、民間での転売が進んでいるらしい。
7)発掘事務所の南側に、廃寺跡と見られるエリアがあるのだが、そこには昔、巨石があったという伝説があり、それが塔の心柱を支えていた、と見られている。しかし、そこも、いまだ民間地であり、そのことが明確になるのは、気の遠くなるような時間を必要とするらしい。
8)飯沼勇義は西暦700年前後に、この郡山国府政庁を巨大津波が襲ったのではないか、と予測しているが、名前を出さずに、おもむろにその可能性を聞いてみた。若い担当者は、「一部の郷土史家はそういう説を出している人もいるらしいが、今のところ、津波の痕跡はない」という回答だった。
9)10年前と2年前に出されたというパンフレットをもらってきたが、それを見ると、今ようやく私が知ったような事実はすでに10年以上も前に明らかになっていることが多く、この地に対してまったく無知だったなぁ、と反省しきり。
10)ただ国の史跡指定になったのはこの数年前なのだから、その重要性が広く一般に認知されるようになったのは、ごく最近、と考えていて差し支えないだろう。
11)周辺の開発も進んでおり、遺跡の北辺は現在工事中の、あすとナーガから国道4号線バイパスに抜けるアクセス道の存在が気にかかるが、もともと、このエリアは、繰り返されたヒロセ川の氾濫により、すでに遺跡の痕跡は失われているという。
12)それにしても、あの地に、多賀城に匹敵するような遺跡公園が出来たりすれば、あすとナーガと相まった未来都市「ECOタウン」ができあがる可能性はゼロではない、と思えたりする。まずは、もうすこし歩いてみよう。
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