地球人スピリット宣言草稿<4>ジャンルを象徴する3冊
「地球人スピリット宣言草稿」
<4>ジャンルを象徴する3冊
1)敢えて30数個のカテゴリを三つに分けて、その10数個づつのカテゴリ名を見ていると、それぞれに経緯が思い出される。まとめようとしてもまとまらず、散漫な思いでイメージが拡散していくのだが、ここでさらに敢えて、「読書ブログ」として、そのジャンルを象徴する本を一冊づつイメージしてみた。
2)<Ⅰ、創造的科学に向けて>
「ウェブ進化論 」本当の大変化はこれから始まる
梅田望夫 2006/02 筑摩書房 新書 249p
科学と言えば、宇宙旅行も原子力発電も最新医療も心理学も、すべてが科学の分野になるわけだが、その中においても、インターネットの発達は大きかった。そして、その中にブログという機能があったことが、当ブログの存在を決定づけた。
その事実を明確に突きつけてくれたのが本書であり、この本なくして、ネット上の自己確立の旅に出ようとは決心しなかったであろう。この本から派生した読書は多く、またドックイヤーと言われるネット社会の情報革新の波も早く、はや6年近くが経過してみれば、時代遅れや予測違いが発生しているとは言え、その画期性から考えると、この時代の当ブログを象徴するのは、この一冊しかない。
今や定番となっているツイッターやフェイスブックも、この本の予想の延長にある。ただ、当ブログは、やや保守的で、ブログという形態にこだわり続けている。この辺が、3.11以降を目ざした当ブログの革新にどうかかわるのかは、検討課題として残されている。
3)<Ⅱ、表現から芸術へ>
「増補チベット密教」
ツルティム・ケサン /正木晃 2008/05 筑摩書房 新書 222p 初版オリジナル2000/01
インターネットの発達とともに、知の集積の一つの象徴といえる図書館が変わった。博物館や美術館、天文台や科学館など、公的施設は多けれど、図書館に勝る利用頻度の高い施設はない。
かつては地域にある一つ二つの図書館と、学校などの付帯してある図書館の蔵書に限られていたわけだが、インターネットの普及とともに、図書館の開放化も進み、地域の行政や学校、とりわけ大学などの図書館が進んだ。
各施設の図書をネットで確認し、登録すれば閲覧することも可能だし、借り出すこともできる。また、手元になくても、日本全国どこかにあれば、最寄りの図書館まで転送してくれるサービスが、しかも無料でできるようになった。
この機能の恩恵を受けて、かなりの書籍をみることができた。このジャンルで一番興味深かったたのはこの本。もともとは図書館の開架棚で見つけたのだが、巻末に参考書リストが掲載されていて、殆どの本をネットで取り寄せて読むことができた。
<表現から芸術へ>というジャンルの中で、なぜに「チベット密教」か、という思いもでてくるが、シャンバラやアガルタなど、無意識から超意識にかけてまで、創造性をかきたてるソースとしては、チベット密教はとびぬけて優れた芸術の源泉と言える。
4)<Ⅲ、意識を意識する>
「私が愛した本」
OSHO 1992/12 和尚エンタープライズジャパン 単行本: 269p
別段にOshoにこだわってきたわけではないのだが、私がOshoのサニヤシンであり、当ブログが自らを「読書ブログ」と規定する限り、この本がこの位置にくるのは至極妥当であるろう。
意識が意識するために「本」が必要かどうかは微妙な問いだが、少なくともここでOshoが語っていることはメタコンシャスについてである。
ここで語られた160数冊の文献のうち、30%ほどは読めていないのだが、それもまた、最終的には「本」にこだわるジャンルでないのだから、それはそれでいいに違いない。
5)当ブログにおいて、しかも6年間という長い年月をかけて何をやってきたのですか、と聞かれたら、まずはこれらの三冊の本を上げることで、簡単な説明ができると思う。かなりの密度で集約されているし、ここをスタートして、かなり広範囲に旅をすることができる。
6)それでは、この三冊の中から、さらに絞り込んで一冊を選べと言われると、そうとうに難しい。それはほとんど不可能である。3つのジャンルという、互いに支え合う要素があればこそ、この三冊を選び出すことができる、ということだ。
7)もし一冊を選び出せ、ということになるのであれば、その前に、まずは当ブログを、さらに絞り込んで、たった一行で、一語でまとめることが前提になる。
8)当ブログにおいては、すべてが多義的なものをまとめようとする傾向がある。「地球人スピリット・ジャーナル」というタイトルも、「地球人」+「スピリット」+「ジャーナル」からできている。それでは、この中の、何が一番大事なのか、問われると、これがなかなか難しい。
9)「意識をめぐる読書ブログ」という言葉も、三つの語意から成立している。「意識」+「読書」+「ブログ」。この三つのうち、どれが一番大事か、と問われると、答えに窮する。
10)敢えていうなら、地球人=読書、スピリット=意識、ジャーナル=ブログ、という単語が互いに対応しているということはできるだろう。
11)ジャーナル=ブログは、「ウェブ進化論」が象徴してくれるだろう。
12)地球人=読書は、 ちょっと無理があるが、「増補チベット密教」が象徴してくれるだろう。
13)こちらはさらに矛盾をはらんでいるが、スピリット=意識を、「私が愛した本」に象徴させることも、できないわけではない。
14)死を前提として、ブログを止める、ブログが抹消される、という可能性を前提とした場合、「ジャーナル=ブログ」というジャンルは消えていくだろう。
15)外側を見ることを停止し、ひたすら内面を見る、ということであるなら、「地球人=読書」という目を失うことは覚悟しなければならない。
16)敢えて、敢えて残すとすれば、最後の残るのは「スピリット=意識」であろう。
17)しかして、最後に残った「スピリット=意識」をずばりそのもので現しているのは、「私が愛した本」であろうか。
18)確かに「意識を意識する」ジャンルの中には、「ブッタ達の心理学」や「地球人としていきる」などに交じってOsho関連のカテゴリ名が見える。このジャンルにOshoの足跡を残すことはやぶさかではない。
19)しかし、Oshoの仕事やワーク、業績といったものを「私が愛した本」として象徴させるには、無理がある。
20)ここは別途、Osho単独で、当ブログを象徴する一冊を選び出す作業を開始すべきではないのか。となれば、重要キーワードは「瞑想」ということになり、それはOsho本を選び出す、という作業よりも、私自身の瞑想が問われる、という、やや苦渋に満ちた道となる。
------------------
追記2012/01/06
ここにおけるジャンル分けは、<Ⅰ、創造的科学に向けて>を「ウェブ進化論」に代表されるのは妥当だとしても、<Ⅱ、表現から芸術へ>には「私が愛した本」を対応させ、<Ⅲ、意識を意識する>にこそ「増補チベット密教」を対応させるべきだろう。
この方がバランスがいい。
| 固定リンク
「35)センダード2011」カテゴリの記事
- ニーチェから宮沢賢治へ<1>永遠回帰・肯定・リズム 中路正恒(2011.12.22)
- 「宮沢賢治『銀河鉄道の夜』」<3> NHKテレビテキスト100分de名著(2011.12.21)
- 竜のはなし 宮沢賢治(2011.12.21)
- 野の道―宮沢賢治随想<3> 山尾三省(2011.12.20)
- OSHO ZEN TAROT<24> 独りあること(アロンネス) (2011.12.21)
コメント