仙台平野の歴史津波 巨大津波が仙台平野を襲う!飯沼 勇義 <5>
「仙台平野の歴史津波」 巨大津波が仙台平野を襲う!<5>
飯沼 勇義 (著) 復刻版 2011/09 本田印刷出版部 単行本 p234
★★★★★
1)またまた読んでしまった。最初はショックのあまり、要所要所しか読めなかったが、それでも、ポイントはつかめた。その後、何度かツマミ読みしたが、資料としても、かなりしっかりしている。今回はあらためて、最初から読んだが、大体3分の2程で、体力がなくなってきた。次回、その辺を、より詳しく読んでみよう。
2)この書に触れてから、地元のあちこちを散策した。郡山遺跡、蛸薬師、多賀城八幡、七北田川河口、蒲生、浪分神社、そして、今日は、多賀城周辺を歩いてきた。
3)多賀城は時の大和政権の根拠地から見た場合、ちょうど東北45°の位置にあり、ここが開かれる前の国府と見なされる郡山遺跡もまた、ちょうど東北45°に位置しているのである。
4)つまり、郡山遺跡が仮に西暦700年前後の巨大津波によって壊滅したとしても、それなら、直ぐ近くの向山とか八木山へと移築すればよかったものを、と思ったが、それは浅はかな考えで、つまり、その45°延長線上に国府政庁はなくてはならなかったのだ。
5)つまり、東北は丑寅、つまり艮の「鬼門」を制圧するためのものであり、このラインをはずすわけにはいかないのだ。ましてや、その多賀城においても、その政庁跡の東北に位置しているのが、「アラハバキ神社」である。
6)国の史跡となって、あちこちが整地されているにも関わらず、アラハバキ神社だけは、なぜか砂利道のまま、ほとんどごくわずかの人にだけ守られている、という風情である。東北の、さらに東北に祀られているアラハバキ。今回、あらためて訪れて、深い嘆息の声を漏らしてしまった。
7)ほとんど、歴史的な知識のないボンクラ頭だが、いざ廻ってみようとすると、多賀城の遺跡めぐりも奥が深い。今日も一万歩歩いてしまったが、あと十万歩歩いても、まだまだ全体が見えてこないようにさえ感じられた。
8)こうしてみると、ごくごく身近な郡山遺跡だが、何時も図書館までのウォーキングの道すじにあるこの地が、実は、多賀城以前の、東北で一番栄えた政庁のあったところで、しかも巨大な歴史津波に襲われたあとに、時空はめぐり、今や、被災者の為の仮設住宅の地となり、あるいは、エコタウンの未来都市構想の実験地になっている、というのは、実に意味の深いことだ、とあらためて、またまた溜め息をついた。
9)この書、読み込めば読み込むほど、地元学に通じ、郷土史に通じ、バイオリージョンに通じてくる。殆どが徒歩か自転車、あるいは、センダード銀河環状道を使えば、あっという間の距離にある地であることが、ますます興味に拍車をかける。
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