農民芸術概論綱要 校本宮沢賢治全集第12巻上
「校本宮沢賢治全集」〈第12巻 上〉雑纂,校異
宮沢 賢治 (著) 1975/12 筑摩書房 全集 735p
Vol.3 No.0533★★★★★
1)この本を取り寄せたのは、弟・清六が「兄のトランク」p209で「賢治が書き残してこれから書きたいと思った作品」の一つとして次を上げていたからである。
2)書き換へられたる修身書
或いは生理学的倫理学 「筑摩書房四十三年版全集」第12巻132頁
3)ところが実際には、昭和43年度版全集は最寄りの図書館にはなく、多分似たようなものだろうと、こちらの昭和50年度版の「校本」を取り寄せた。上下巻があり、そのp132とやらをめくってみたのだが、残念ながら、その字句を見つけることができなかった。「43年度版」(あればだが)を取り寄せて、再チャレンジしよう。
4)しかし、それにしても「全集」とは言え、あまりに膨大な資料集となっており、正直言って辟易した。目的は達成しなかったのだから、即返却と思って、ただパラパラとめくっていたところ、ここに「農民芸術概論綱要」があった。
5)決して長い文章ではなく、前後の「農民芸術概論」、「農民芸術の興隆」と合わせても、10数ページというコンパクトなものだ。
6)曾つてわれらの師父たちは乏しいながら可成楽しく生きてゐた
そこには芸術も宗教もあった
いまわれらにはただ労働が 生存があるばかりである
宗教は疲れて近代科学に置換され然も科学は冷く暗い
芸術はいまわれらを離れ然もわびしく堕落した
いま宗教家芸術家とは真善若くは美を独占し販るものである
われらに購ふべき力もなく 又さるものを必要とせぬ
いまやわれらは新たに正しき道を行き
われらの美をば創らねばならぬ
芸術をもてあの灰色の労働を燃せ
ここにはわれら不断の潔く楽しい創造がある
都人よ 来ってわれらに交れ 世界よ 他意なきわれらを容れよ p10
7)清六が、孫・和樹にいうには、「賢治の根幹は『農民芸術概論綱要』にあり、ここから賢治の世界が派生していった」と。
8)科学、芸術、宗教に対する、深い傾斜とともに、深い疑念。それらすべてを新しく建てなおすべく、賢治は宣言している。そして、その根幹となるべき主体を「農民」とし、自らもまた「農民」たらんとした。
9)職業芸術家は一度亡びねばならぬ
誰人もみな芸術家たる感受をなせ
個性の優れる方面に於て各々止むなき表現をなせ
然もめいめいそのときどきの芸術家である
創作自ら湧き起り止むなきときは行為は自づと集中される
そのとき恐らく人々はその生活を保証するだらう
創作止めば彼はふたたび土に起つ ここには多くの解放された天才がある
個性の異る幾億の天才も併び立つべく斯て地面も天となる p14
10)奮い立つような、青年賢治30歳のみずみずしい宣言である。
11)2011年の今日、時あたかもTPP問題で日本全体が揺れている。とりわけ、農業に携わる人びとの杞憂は深い。
12)さて、2011年の今日、労働人口のほんの数パーセントにも満たない専業農家の人々だけを「農民」と考えてはいけないだろう。賢治の時代においては7割以上、あるいは花巻のイーハトーブにあっては、9割以上が「農民」であったと考えられる。その時代の変貌は激しい。
13)当ブログにおいては、この時、賢治が「農民」という言葉で言わんとしたことを「地球人」と同義として聞く。「農」もまた、大地に立ちて生を営む「民」たらんとする生業ならば、「地球」もまた、大地に立ちて、時にはマーケットプレイスにおいて、自らのライフスタイルを構築せんとする「人」々のステージなのである。
エマーソン 近代の創意と美の源は涸れ 才気 避難所 p18
彼の音楽は市井の雑音 ここに求めんとするものは自ら鳴る天の楽
♂[#「♂」は矢印が下向き]エマーソン 斯ノ如キ人ハ p20
15)エマソン→ソロー→スナイダー、という系譜があるとするならば、エマソン→ソロー→三省、という系譜をたどることも楽しい。
16)さて、ここで賢治は「芸術」という言葉で何を言おうとしたのか。
かくてわれらの芸術は新興文化の基礎である p11
四次感覚は静芸術に流動を容る
神秘主義は絶えず新たに起るであらう
表現法のいかなる主張も個性の限り可能である p12
17)当ブログが、「農民」を「地球人」と読み替えるならば、賢治の「芸術」を「スピリット」と読み替えてみようと思う。敢えて農民足らんとした賢治において、科学、芸術、宗教は、三位一体のものであり、唯一芸術のみを樹てようとしたわけではなかった。100年前のイーハトーブにおいて、彼にはまず「芸術」という面に光をあてる必要があった。
18)「センダード2012」においては、「宗教」は必ずしも時代にフィットした言葉ではない。同義であったとしても「意識」のほうがより原義に迫り得る可能性がある。そしてそのことを当ブログでは「スピリット」と言い慣わしている。
19)であるならば、賢治の「農民芸術」を「地球人スピリット」とまで読み直すこともできるであろう。あとは、「概論綱要」をどうするかだが、前後の文章で賢治自身も彷徨しているように、細かくは追求しないでもいいだろうし、また細かく規定すべきものでもないだろう。
20)当ブログであれば、「ジャーナル」と読み替えも可能であるかもしれないし、あるいは新たに「宣言」という言葉を採用することもやぶさかではない。つまりは、「センダード2012」において、賢治を立ち上らせるということは、当ブログにおいては「地球人スピリット宣言」を歌う、ということになるはずである。
21)この「農民芸術概論綱要」において、賢治の反逆のスピリットが、創造のたいまつを掲げて、キラキラと銀河世界へビックバンを起こす。
まづもろともにかがやく宇宙の微塵となりて無方の空にちらばらう
しかもわれらは各々感じ 各別各異に生きてゐる
ここは銀河の空間の太陽日本 陸中国の野原である p15
| 固定リンク
「35)センダード2011」カテゴリの記事
- ニーチェから宮沢賢治へ<1>永遠回帰・肯定・リズム 中路正恒(2011.12.22)
- 「宮沢賢治『銀河鉄道の夜』」<3> NHKテレビテキスト100分de名著(2011.12.21)
- 竜のはなし 宮沢賢治(2011.12.21)
- 野の道―宮沢賢治随想<3> 山尾三省(2011.12.20)
- OSHO ZEN TAROT<24> 独りあること(アロンネス) (2011.12.21)
コメント