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2011/11/16

石川裕人戯曲集「時の葦舟」三部作 <1>

Asi
「時の葦舟」三部作 石川裕人戯曲集<1>
石川裕人 2011/02 Newton100実行委員会 単行本 p262
Vol.3 No.0541★★★★★

1)私はこの作家の作品を正当には評価できない。よいのかわるいのか。おもしろいのかおもしろくないのか。それすらもよく分からない。なんせこの人は身近すぎる。モノを見るのでも、適正な距離感というものが必要だろう。50センチとか60センチとか、本の文字ズラとの一定程度の距離が必要だ。

2)しかし、この人との距離は近すぎる。裸眼のすぐ前にあり、二つの眼が実像をなかなか結んでくれないのだ。いやいや、そうでもないかもしれない。私は私なりに適正な距離を保とうとしてきたのだ。だが、やはり実像が見えないとすれば、この人の本体が大きすぎて、もはや双眼鏡や天体望遠鏡を持ってして見るべき存在となっているのかもしれない。

3)この人と「友人」になったと思えるのは中学校1年生の時で、9年間一緒の学校に通っていたが、小学校の時は同じクラスにならなかった。同じクラスになったのは、中一の一年間だけだった。

4)だが、強烈に覚えているのは、小学校3年生の時。学芸会の時、劇に出演することが決まっていた私たちは、役を割り当てられ、最初、主役のキツネを演じるのは、実は私だった。ところが二回目か三回目の練習の時間に、私はなんと「村の子供3」に降格となり、空白となった主役を演じることになったのが、この本の著者であるw。

5)その時の写真は残っていないが、次の年の4年生の時の「孫悟空」でも、私(最前列中央、大王の左隣)は主役にはなれずに「護衛」となり、主役である「孫悟空1」を演じたのが、やはりこの本の著者(最前列中央大王の右隣)であった。

1963

4)中一の時、彼は「ボーイズライフ」という月刊誌をクラスに持ち込み、その影響の下、私たちは、クラスメイト10数人を巻き込む肉筆雑誌「ボーイズファイター」を創刊した。わら半紙に鉛筆で書いたものだが、マンガあり、小説あり、カラーの表紙あり、クイズありの200頁であった。これは一年間のうち5号まで続いて、なんと一回10円で、クラス中を回し読みされたのだ。

5)残念ながら、この雑誌は後年、手違いでチリ紙交換に回されてしまって実存しないが、結構コミケ・ブームの先を行っていたのではないか。1966年、ビートルズ来日の年である。

6)その年、3年生の送る予餞会の時、私たち二人は余興で漫才をすることになった。タイトルは「アルバイト」。この時、内容は二人で相談したが、シナリオは私が書いた(ここを強調しておきたいw)。この時、タイムキーパーなど裏方をやったのが、後に東由多可の「東京キッドブラザーズ」に行ったK。

7)著者とKは同じ高校に進み、二人は学園祭で演劇を立ち上げた。その時のスペースは、階段の踊り場を利用する異色のアイディアであった。観客こそ決して多くなかったが、人気は高かった。この時、すでに「座敷童子」という劇団名を名乗っていたのではないだろうか。

8)私は別な高校に進学したが、著者とは交流があり、1970年前後は、黒テントや紅テント、夜行館などの公演を一緒に見にいった。黒テントの公演はこの時以来見ておらず、先日40年ぶりで見た。

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9)高校を卒業すると、互いに作っていたミニコミなどを総合する形で、「時空間」(表紙は私がデザインし、シルクスクリーンで自家印刷した)というミニコミ雑誌をつくるようになったし、一時、共同生活するようになった。ただ、彼は演劇という路線を強調し、私は精神世界への足がかりを探していたために、自然とそれぞれの道を歩むようになった。

10)当時の彼の演劇のチケット(謄写版)やポスター(シルクスクリーン)を一部手伝ったが、その多くは現存していない。当時のことが彼のブログにすこし書いてある。

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11)その後、私の周囲の友人たちの多くが、彼の芝居団にかかわりを持つようになったが、私はOshoの「存在の詩」に触れて、やがてインドにいくことになる。

12)それ以来、彼の芝居はそれとなく見てはきたが、必ずしも良い観客ではない。回数も多くみていないし、ジックリとその内容を玩味したこともない。

13)時空はかなり飛んで、今回の3.11の被災地の一つである宮城県山元町で、「人や銀河や修羅や海胆は」 TheaterGroup“OCT/PASS” 石川裕人・作・構成・演出、を見た。久しぶりに感動した。親戚が先日まで避難していたその体育館で、宮澤賢治を彼なりにコンパイルした躍動感あふれる芝居をした。

14)この芝居はふたたび、この11月26日(土)に、センダードあすとナーガの仮設住宅の集会場で上演される。また12月24日(土)には、エルパーク・スタジオホールで決定版の上演が決まっている(時間未定)。

15)さて、以上の経緯から、私はこの戯曲集を正当に論評する立場にない。しかし、これは、40年かけて作ってきた彼の世界の、100作の作品のなかから抜き出した自薦の三部作だけに、間違いなく彼の代表作といっていいだろう。

16)賢治がでてきて、ガイガーカウンターが、考古学が、銀河が、南方熊楠(桜)がでてきてと、今回の上演目とかなり繋がりがあるのではなかろうか。

17)被災地に立つ賢治。その行く手には何が見えているだろう。

<2>につづく 

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