震災によって再確認された「町内旧家の書画、工芸品、古文書展」
震災によって再確認された「町内旧家の書画、工芸品、古文書展」
大河原町 佐藤屋プロジェクト 2011/11/11~13日
Vol.3 No.0536★★★★★
1)古い友人に誘われて、蔵王の麓の町に行ってきた。
2)震災によって再確認された、というコピーが何かを予感させる。
3)つまりは3~4年前まで棲んでいた旧家の人が離れ、無人になったお屋敷を、地域の文化活動に開放しようという申し出に、地域の人たちが活動をはじめた、というところだ。
4)かつての味噌醤油醸造元としての風格が残る旧家には、元店舗にも使われただろう蔵屋敷があり、奥座敷や中庭、二階の客間など、何代もつづく旧家の名残が漂う。
5)三陸大津波の記録
過去帳の中に書かれた明治の三陸大津波の記録である。
明治29 年5 月5 日(旧暦)午後8 時に大津波が発生し、負傷者並びに死者が4 万人余とあり、今回の東日本大震災に匹敵するほどの地震であったことがわかる。
救助金3 円(現在の金に換算して約3 万円)を出したとある。
震源地の位置なども記された貴重な記録である。 「展示品リストと説明」より
6)出品されているのは、会場となっている佐藤屋の所蔵品の他に、地域に保存されている古文書や掛け軸、その他の衣食住にかかわる美術品たち。遠く、明治三陸津波の時の記録などもあり、当時でも大きな出来事だったことが分かる。
7)この地域にくると、いつも私は、ちょっと気がそぞろとなる。
8)二人の霊能者によって霊視されていたという蔵王王朝も、けっして、一笑にふされるべきヨタ話とはいえまい。私は、秀真伝(ホツマツタエ)のいう日高見高天原こそ、この「幻の蔵王王朝」ではなかったかと考えている。遠からぬうち、必ずや「蔵王紀(ザオウノフミ)」ともいうべき古史古伝が発見されるのではあるまいか。佐治芳彦「謎の秀真伝」p302 1986/06
9)飯沼勇義「3・11その日を忘れない。」でさりげなく登場してしまったホツマだが、20年ほど前に、盛んに周辺の本を読みあさったことがある。その時以来、この仮称ザオウノフミというロマンに密かに心を躍らせているのだ。
10)ひょっとすると、今回の「震災によって再確認された」文書の中に、その片鱗が隠されていたりするのではないか、などという好奇心が湧きあがってくる。
11)震災から数カ月後に、野草社のスタッフと多賀城の多賀神社を尋ねたことがある。その時、社主のI氏にさりげなく、「ザオウノフミ」というものの存在について聞いてみた。彼は一笑に付してしまったので、それ以上、聞かなかったが、私は結構、真に受けているのである。
12)そんなわけで、今日もまた蔵王の周辺をあちこち散策してきたのであった。
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コメント
いちごじんさん、こんにちは。
蔵王王朝は日高見国の別名でもあるかと思っているのですが、全くの未調査です。貴ブログもちらっと拝見いたしました。もう少し自分の考えがまとまったら、なにか書きますね。今後ともよろしく。
投稿: Bhavesh | 2012/10/05 07:09
こんにちわ。
蔵王王朝という語で検索したら、たどり着きました。
私もうろ覚えですが、読んだことがあったかも知れません。その王朝について土地の郷土史家が書いていた本を思い出して書いた事があります。
http://amanohitukukami.blog28.fc2.com/?mode=m&no=239&m2=res&page=6
http://amanohitukukami.blog28.fc2.com/?mode=m&no=239&m2=res&page=5
で「いちごじん」で他のHPのコメント欄にかきこんだものです。
越後栃尾と仙台は繋がりがあったのかも知れません。ロマンですが(笑い)
投稿: いちごじん | 2012/10/04 13:56