情報時代の見えないヒーロー ノーバート・ウィーナー伝
「情報時代の見えないヒーロー」 ノーバート・ウィーナー伝
フロー・コンウェイ (著) 松浦 俊輔 (翻訳) 2006/12 日経BP社 単行本 672p
Vol.3 No.0555★★★☆☆
1)生命は宇宙の中の稀な現象であることは間違いないなかろう。おそらく生命は太陽系だけに限られており、われわれが主として問題にしている生命と較べられるような何らかの生命を考えるなら、地球だけに限られてさえいる。
さらにまた、生命は時間的に限られた期間のものであって、地質時代の最初期以前には存在せず、やがて地球が再び生物の住まない焼けつくしたか或いは凍りついた一惑星になる時が確かに来る、と考えて間違いなかろう。
この地球上において人間に類するものに限らずあらゆる形態の生命の存続を許している降伏な偶然事は完全な破壊的終末に至るのを免れないということは、いわれなくてもわかりきったことである。
ある意味で確かにわれわれは死を宣告された一惑星上の難破船の乗客である。にもかかわらず、難破に臨んでも人間の体面と人間の価値とは必ずしも全く消滅しない。そしてわれわれはそれらを十分重んじなければならない。
われわれは滅びてゆくであろう。しかしわれわれはそれをわれわれの尊厳にふさわしいと思える仕方でむかようと思う。 ノーバート・ウィナー 「時の葦舟三部作 石川裕人戯曲集」p8
2)この本を手に取ったのは、作家の三部作、その第1巻の巻頭に、上のノーバート・ウィーナ―の言葉を見つけたからである。意味的にはまずまずとして、この人物は誰であろうと検索してみて、いわゆるサイバネティクスの提唱者であることがわかり、関連の書物を読んでみることにした。図書館リストから割と新しめの一冊を選びだしたのだが、さて、これが適切であったかどうかは定かではない。
3)アメリカのハードカバー本は、余計な支線や情報が限りなく書いてあり、すっきりしない本が多い。特に、当ブログのような走り読みには適していない本が多く、こちらが求めている情報を探し出すこと自体に苦労する場合が多い。
4)いずれにせよ、この本は原文で2005年に書かれた伝記であり、1894年~1964年の間を生きたノーバート・ウィナーは、むしろ、1896年(明治29年)~ 1933年の間を生きた宮沢賢治と同時代人でさえある。「科学者としての宮沢賢治」と比較しながら研究すべき対象であるかもしれない。
5)当ブログにおける進行上、この本でこの「科学者」を知っておこうと思ったのかと言えば、かの戯曲を書いた作家が、なぜにこの言葉を三部作第1巻の巻頭においたか、を考えるためである。
6)「1991年から1994年まで書き継ぎ、上演してきた戯曲を再読したが、古びたところがなかった。時をテーマにした戯曲だからだろうか?時を旅する異能の家族の物語は戯曲の中で永遠性を勝ち取ったようだ。「時の葦舟三部作 石川裕人戯曲集」p260「あとがき」
7)この三部作の公演は、私も観客のひとりとして見ているはずである。
第1巻 --未来編-- 「絆の都」 センダード公演 西公園図書館前 1991年9月
第2巻 --古代編-- 「無窮のアリア」センダード公演 錦町公園 1993年9月
第3巻 --現代編-- 「さすらいの夏休み」センダード公演 センゼード停車場東口イベント広場 1994年9月
8)大きなサーカステントを設営しての大掛かりなセッティングである。ひとつひとつの情景が思い出される。しかし、正直言ってそのストーリーはよく覚えておらず、その芝居の意義も、よく分かっていたとは言い難い。
9)91年。私は国際シンポジウム「スピリット・オブ・プレイス」にかかりっきりだった。私が出した企画が多勢に無勢で危うい立場に立たされ時、私は作家にヘルプの電話をしたことがある。この公演の直後だったと思うのだが、すげなく断られた。私はシンポジウムに劇団のスタッフなどを巻き込みたかったのだが、スピリチュアルな流れといわゆる芝居の人々の流れは、必ずしも一致しないことを確認した。。
10)92年。私は「湧き出ずるロータススートラ」を書いた。もし作家が自らの代表作を1991年から1994年に描いた「時の葦舟三部作」とするなら、同時代に書かれた私の文章はそれに対峙する形に置かれている。
11)93年。私の精神状態や経済状態は最悪の時代を迎えていた。あの時代に作家の芝居を見に行く余裕があっただろうか、と考えてみるのだが、時代背景やそこであったことを突き合わせてみると、やはりこの芝居も見ているのである。
12)そして94年。今は大きな家電店ができてしまって広場などというものではないが、駅の東口という一等地に大きな(すこし古い)テントを立てて行われた公園はある意味、この作家や劇団のみならず、地元の演劇界や演劇界という枠組みを超えたパフォーマンスの金字塔であったともいえる。
13)95年。阪神淡路大震災が起こった。そして麻原集団事件がおこった。ここがひとつの分かれ目だった。作家は、この事件を契機に一つの作品を書き上げ、街中のステージで公演を行った。私はこの芝居が不満だった。それから私は、芝居という世界から遠ざかった。
14)ちょうど同じころウィンドウズ95が発売され、時代はインターネットの時代へと突入する。私はウィンドウズ派であり(仕事上そうならざるを得なかった)、作家は、仲間内のネットワーク上そうならざるを得なかったのだろうがマック派だった。
15)あれから16年が経過し、2011年の最近になって、いわゆる麻原教団に関する裁判はすべて終結することとなり、私は私で「オウム真理教と失われた秘境シャンバラ」などという戯言リストをまとめようとするまでに「回復」した。
16)当ブログ(のまとめ)を、「雀の森の物語」、「湧き出ずるロータススートラ」と並ぶ三部作とするなら、私はどうしても、あの90年代前半まで下りていかなくてはならない。そして、あそこから今日に至るまでの経緯を拾っていく必要がある。
17)さてさて、ノーバート・ウィーナーご本人のことであるが、本当にこの人は、すこしも「古びたところがない」と言えるだろうか。ジョン・フォン・ノイマンやチャールズ・バベッジと並び称せられる存在で、バートランド・アーサー・ウィリアム・ラッセルやアルフレッド・ノース・ホワイトヘッドとの繋がりの中で読み込まれなくてはならない存在なのであろうか。
18)21世紀の地球規模(グローバル)の社会で、ウィーナ―の遠い夢想は日常の現実となっているが、一方、新しい現実は、情報時代の見えない(ダーク)ヒーローというウィーナーの役割を、あらためて確認している。p510「エピローグ 未来--グローバル社会を生きる」
19)このテーマは、当ブログにおいては、「ネット社会と未来」→「シンギュラリティ」→「2ndライフ」→「シンギュラリタリアン」→「クラウドソーシング」などのカテゴリの中で語られてきたテーマであり、その底流に流れているどす黒い何かである。
20)実際には、このダークサイドは、当ブログにおいては落とす決断をしたばかりなので、このテーマを復活させ、深追いすることはできるだけ避けたい。むしろ、いままでの持ち札の中でなんとか処理し、より卑近な個的なフィールドに意識全体を戻したいのである。
21)まずはともあれ、当ブログの存在意義を確認するために、あえて作家の三部作を触媒とし、その支線として、巻頭言の縦と横の位置関係を確認するために、この伝記を手にしてみたところだ。
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