宮沢賢治の銀河世界/賢治の素顔が見えてくる 宮澤和樹他
「宮沢賢治の銀河世界」賢治の素顔が見えてくる
宮澤和樹 鍋島直樹/出演 2009 龍谷大学 人間・科学・宗教オープンリサーチセンター方丈堂出版 DVD 77分
Vol.3 No.0514★★★★★
1)3.11で壊滅した図書館ネットワークだったが、各方面の努力によって見事復活しつつあるばかりか、新しいサービスをはじめてくれている。本ばかりではなく、ビデオやDVD、CDと言った視聴覚資料も、ネットワーク上にあれば、最寄りの図書館まで取り寄せてくれるのである。しかもそれを自宅からネットでリクエストできるのようになったのだ。
2)そのサービスでさっそく取り寄せてもらったのがこのDVD。2625円と値段は付いているが、広く一般に販売されているものではないようだ。賢治から原稿を受け取った弟・清六の孫にあたる宮澤和樹が、賢治の素顔、彼の願い等を語る。龍谷大学内での公演である。
3)このビデオで初めて分かったことがいくつもある。先日メモしておいた、南三陸町の中学校校長が「雨ニモマケズ」の額を受け取ったのは、この和樹氏であったのだろう。そして、賢治の大事なメッセージである「行って」という部分は、校長が和樹氏に言ったというよりも、和樹氏が祖父である清六から教えられたことであった。
4)清六は第二次世界大戦中、花巻が米軍機による空襲を受けた時、防空壕にこもって、賢治から預かった原稿を守ったという。周りが火の海になり、熱がこもらないように、ドアや窓に、味噌を塗りたくったり、醤油をかけて冷やしたらしい。
5)空襲後、周りはすっかり焼け野原になってしまったが、清六はむしろ「さっぱりした」気分だった。こうして、賢治の原稿は守られたのであった。
6)「雨ニモマケズ」にある「ヒデリノトキハ」は、実際には「ヒドリノトキハ」になっている。花巻弁では「ヒドリ」とは「日雇い仕事」を意味する場合もあるらしい。だが、清六は出版するときにその言葉を知らず、「ヒデリ」となおしたという。賢治の本意は定かではないが、清六も知らなかったのだから、賢治もその方言を知らかったのではないか、という。「雨ニモマケズ」は全体に方言は使われておらず、そこだけを方言にするのはおかしい、と考えるらしい。いずれにせよ、そういうエピソードがある、ということで、それはどちでもいいだろう、ということだった。
7)清六が言うには、賢治の根幹は「農民芸術概論綱要」にあるという。ここから賢治の世界が派生していったのだと。
8)「銀河鉄道の夜」の中に、タイタニックで亡くなった人たちが登場してくるが、彼らは十字架のある駅で下車していった。賢治はキリスト教は途中で降りる人たちで、仏教はどこまで行っても限界がない、と感じていたのではないか、と清六は言っていたという。
9)アニメ「銀河鉄道の夜」に曲をつけた細野晴臣の祖父は日本人としてタイタニック号に乗っていた唯一の日本人で、しかも生き残ったという。そのことで細野は賢治に縁を感じていたとも。
10)「宮沢賢治・民家の世界展」で紹介されていた「注文の多いレストラン」と「セロ弾きのゴーシュ」の内山正一作になる人形やジオラマは、先日行った賢治記念館付帯の「童話館」の中に展示されていた。
11)最後に和樹氏が経営する「林風舎」が紹介されており、賢治の肖像画などの管理をしているらしい。お店になっているらしいので、次回機会があれば、ぜひ足を延ばしてみよう。
12)それと、賢治が畑に立ってうつむいている写真は、実はベートーベンをまねした姿であるという。賢治は決して陰気な人ではなくて、むしろひょうひょうとひょうきんな人であったと、家族は感じているらしい。
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