ニーチェから宮沢賢治へ<2> 永遠回帰・肯定・リズム 中路正恒
「ニーチェから宮沢賢治へ」 <2> 永遠回帰・肯定・リズム
中路正恒著 1997/4 創言社 四六判 / 238頁
哲学者とは自然の射放った一本の矢のようなものだと、ニーチェはいう。ひとはときどき哲学者になるのだとすれば、ニーチェもまた、ときどき哲学者になり、そのつど一本の矢になったのだ、と考えることができる。p3「はじめに---ニーチェと哲学の矢、そして宮沢賢治へ」
いよいよ、究極の激動のカオスモスとなった3.11の2011年も紅白歌合戦の時間となった。私はもう、猪苗代湖ズを聞いたので、もういいかな。
それは、実際に飛んでいるならば、われわれの上空を、さらに未来をさして、飛んでいるであろう。実際、ニーチェの提起した問題は、今日、何一つ克服されていないのである。p4同上
さて、2011年最後の一冊となった。最後の一冊として選ぶべきなのはどんな本だろう。いろいろ考えてた結果、この本、「ニーチェから宮沢賢治へ」でしめくくることとした。
どのような矢も、実際にはすぐに落ちる。哲学者の矢も、実際にはすぐに落ちてしまう。ニーチェの矢も決して例外ではない。そしてそれは、その落ちた地点でそれを拾い、再び弓につがえ、そうしてそれをまた別の時空に向かって射放つ者がないならば、実際には飛びつづけることができない。p4同上
3.11後も、復活した図書館ネットワークを利用して、たくさんの本を読んだ。短期的にはひとつひとつが具体的な緊急を要するものであったが、本質的には、もっともっと長いスパンで取り組まなければならない問題ばかりであった。
思いもかけないことであったが、リズムの概念を分析の道具に加えることによって、私は宮沢賢治が、まったく新しく解釈できるようになったのである。まさにリズムの概念によって。
---今まで誰も賢治の本質が理解できなかった。だれも賢治の本質をつきとめるための道具をもっていなかった。おそらく本書の中ではじめて、賢治の思索の本質の最も深いところまで、解釈の錘が届いた・・・・・p6同上
賢治が射放った矢もまた、遠くまで飛び、落ちてはまた、それを拾いあげ、ふたたび射放ち続けた者たちがいた。本書もまた、そうあらんとしているし、また、当ブログもその列に並ぼうとしている。
思うに、すべてのものごとには、「正しい時」があるのではないだろうか。私は、今が、この本を世に出す「正しい時」なのだ、と信じる。p7同上
今が、「正しい時」なのだ、と信じることができるなら、行く2011年も、来る2012年も、きっと良い年回りなのだ。今だからこそ、あんなこと、こんなことが沢山あったカオスモスの今だからこそ、できる、なにかがあるのだ。
今年、みなさん、どうもありがとう。
そして、来年も良い年でありますように。
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