野の道―宮沢賢治随想<3> 山尾三省
「野の道―宮沢賢治随想」 <3>
山尾 三省 (著) 1983/01 野草社 単行本: 234p
★★★★★
1)賢治を巡る旅も、いつの間にか50冊以上になりつつある。重複する内容のものもあれば、時代を経て古色蒼然とした研究もあった。思わぬところで賢治の名前が飛び出したり、あるいはその記念館まで足を運び、原稿を復元したものを入手したりもした。
2)科学者としての賢治、表現者、芸術家としての賢治、そして、信仰者、あるいは法華行者、あるいは野にある菩薩としての賢治、の姿もおおまかになぞってきた。
3)その中にあっても、当ブログにおける賢治の旅は、三省のこの一冊から始まったことを考えれば、時折、三省のことが想いをよぎり、何度も、この原点に戻ってくることになる。
4)賢治研究の書はあまた在るが、この「野の道」は格別の一冊である。すでに30年前の本ではあるが、いや、30年前の本であるからこそ、三省がいかに賢治を深く見つめていたか、賢治を友とし、賢治と一体化し、そしてまた、三省は三省として、いかに生きたのか、ということがあらためて深く偲ばれる。
4)当ブログ三省関連リストでは、比較的早い時期にこの一冊がでている。だが、賢治に対する予備知識がすくなかった私は、できれば飛ばし読みしたい一冊であった。この本の中に、三省の消息を探し、部族の記録を読み、周辺の情報を嗅ぎ取ろうとしていた。むしろ、賢治にかかわる部分はややもするとおざなりしか読めなかった。
5)しかし、いまは違う。すこしづつ賢治の作品に触れ、その評論に触れ、そして、3.11後における、大きなファクターとしての賢治の姿を期待し、この本から、三省を通した賢治の姿を読みとろうとしている。
6)賢治という実存を、三省という実存を通して読みとろうとしている。読みとろうとしているのは私なのであるから、私もまた、私の実存を賭けてそれらを読みとらなければならないのはもちろんである。賢治や三省を読みとるということは、私が私自身の実存を生きる作業でなければならないのである。
7)宮澤賢治は修羅の人ではあるが、彼の修羅は、修羅を超えたものとしての如来性を自覚しているが故での修羅であり、如来から断たれた修辞学としての修羅ではない。p60「マグノリアの木」
8)三省もまた、野の人として、百姓であり、詩人であり、意識の深みを求める実存の人であったすれば、彼もまた自らの如来性を自覚していたことであろうことは間違いない。
9)ここで私たちがよく見ておかなくてはならないことは、彼は世の中に背を向けていたわけではなく、世の中を恨んでいたわけでもなく、結核という、当時にあっては死病を意味する病気の予兆を身内に持ちながら、ひたすら自分の幸福のために、自分の幸福ということは、自分と共にある人々の幸福のために、その道を歩き始めたのだということである。p83「腐植質中の無機成分の植物に対する価値」
10)三省は、ふるさとならぬ異郷としての屋久島で百姓になろうとしながら、決して世に背を向けたのではなく、やはり、自分の幸福のため、自分と共にある人々の幸福のために、その道を歩いていたのだった。
11)ああ誰か来てわたくしに云へ
奥の巨匠が並んで生れ
しかも互いに相犯さない
明るい世界はかならず来ると
と叫んで見ても、自己を神と録した者に他から助けが来るものではない。自己を神と録したこと、祀られざるも神には神の身土があるとうかつにも録してしまったことが業なのである。p107「祀られざるも神には神の身土がある」
12)一人で野にあることは、松の林の蔭の小さな小屋にいることと変わりはないが、それは、全体と在ることであり、一人の人間性を超えた何かになろうとしている姿でもあった。
13)賢治が一歩深く歩み入った世界は、父と子とか私と貴方とかの個別の世界ではなくて、法華経という法(ダルマ)の世界であった。p184「玄米四合」
14)科学者や芸術家としての賢治の面は高く評価されつつあるが、その心象としての宗教性を明瞭に評価することは容易ではない。それは賢治を見ようとするこちら側の深く掘り下げ、高く舞い飛ぶ力量を問われるからだ。
15)宮沢賢治はブッダによって開示され外化された真理としての法華経を信受した人ではあったが、それだけでは究極ではなかった。開示され外化された真理を、もう一度もとの自然存在のふところへ帰すこと、つまり、自分が愛した山々や森や峠の土の中にそれを埋めること、そうすることによってもう一度、その山々や森や峠から真理が流れ出すことを願ったのである。p208「み祭り三日」
16)三省もまた、部族というコミューン運動の流れや、屋久島で百姓として生きるという暮らしの中に、真理を思い、世界に向かって祈った。
17)私は私の野の道に立ち、この国家社会の内に生活している限りは、定められた法律を守る努力をするし、定められた義務もできる限りは果たす気持ちでいる。それは、怠惰や臆病からするのではなくて、私がガンジーのような非暴力による変革を希んでいるからであり、平和というものを何よりも尊いものであると感じているからである。
けれどもそれは、国家を守り国家に賛成することではすこしもない。私の希望は国家にはなく、私達の太陽の下、土の上の野の生活にある。p230「野の道」
18)三省が憲法九条の精神性を語り、核エネルギーに強いアレルギーを示す時、それは単に憲法の問題であったり、健康問題だけが関心ごとではなかった。同じく、賢治が、賢治の暮らしや芸術の中で言わんとしたことは、賢治の暮らしや芸術そのものだけのことではなかった。
19)野にあるものは野でしかない。それで充分である。ここには太陽があり土がある。水があり森がある。風が流れている。大きそうな幸福と小さいな幸福とを比較して、それが同じ幸福であるかrないは小さな幸福を肯しとする、慎しい意識がここにはある。宮沢賢治が、「都人よ、来ってわれらに交れ 世界よ 他意なきわれらを容れよ」と言ったのは、このような場からにほかならない。p230同上
20)3.11以後、賢治が多く語られる。すでに80年前亡くなった賢治が今でも生きているかのように私たちに語りかける。そして、30年前に三省が語った賢治が、二重写しになって存在しているかのようだ。彼らの実存がまた、それを読む者に、自らの実存に向き合うことを、暗に薦めている。
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