宮澤賢治 雨ニモマケズという祈り 重松清他
「宮澤賢治 雨ニモマケズという祈り」
重松清/澤口たまみ/小松健一/著 2011/07 新潮社 とんぼの本 単行本 p127
Vol.3 No.0569★★★★★
1)震災前の昨年に出版された一冊だが、コンパクトでよくわかりやすく編集されている。たくさんのカラーページがイメージをかきたてる。「春と修羅」の一部を読んでいて、ふと気がついたことがあった。
2)あの四月の実習のはじめの日
液肥をはこぶいちにちいつぱい
光炎菩薩太陽マヂツクの歌が鳴つた
(コロナは八十三万四百……)
ああ陽光のマヂツクよ
ひとつのせきをこえるとき
ひとりがかつぎ棒をわたせば
それは太陽のマヂツクにより
磁石のやうにもひとりの手に吸ひついた p72
3)この「光炎菩薩太陽マヂツクの歌が鳴つた」のところの、光炎菩薩とはなんだろうか。検索してみると、当ブログの「如是経 一名 光炎菩薩大獅子吼経 序品 つあらとうすとら」がトップに躍り出て来る。あ、やはりな、と直感がはたらく。
4)「光炎菩薩大獅子吼経」は、1921(大正10)年10月に登張竹張(信一郎)がニーチェの「ツァラトウストラ」を抄訳と論評をした一冊である。「春と修羅」の中で、賢治のこの文章が書かれたのは1922(大正11)年とされている。
5)宮澤賢治の「春と修羅」は、ニーチェに触発されて書かれたものではなかったか。
6)賢治が東京の国柱会本部を訪れたのは1921(大正10)年1月。トシの急病の報で花巻に帰郷したのは同年8月だった。
7)一方、同じ国柱会の田中智学に傾倒したのが、「文明批評家としての文学者」の中で、ニーチェの思想を個人主義の立場から紹介した高山樗牛だった。
8)太陽からは光や紫外線のほかに、太陽風と呼ばれる高速の電子なども降ってきていて、それがオーロラなどの発生原因にもなている。太陽風が激しくなって太陽風になれば、大規模な停電などを引き起こすことも知られている。賢治はたぶん、そういったさまざまな現象を踏まえたうえで、太陽マジックという言葉をつかっているのだろう。p73「陽光」
9)この本の解説のような捉え方も可能であろうが、むしろここで「光炎菩薩」と明記している限り、ここはニーチェつながりで捉えて、内的な精神活動の発露、とみるほうが正しいのではないだろうか。
10)そう思って検索してみると、中路正恒の 「ニーチェから宮沢賢治へ―永遠回帰・肯定・リズム」という一冊もあるようだ。うん、そうであろう。
11)「詩人は、夢の種さえ植えればいい。 自分で収穫しなくていい。」という考え方があるとすれば、当ブログにおいては、賢治、とりわけ「春と修羅」をニーチェの影響下において発表されたのだ、と捉えたほうが、これまでの流れに即しているし、今後の展開に大きな整合性がでてくる。
12)賢治が「春と修羅」を書き始めたのは、大正11年の1月であり、ヤスと親しくなっていったのと、ときを同じくしている。そしてその出版は大正13年の4月であり、ヤスが渡米する約1か月前のことだ。ヤスとの切ない恋が「春と修羅」を生み、賢治を詩人にしたと言っても、過言ではないのである。p107澤口たまみ「きみにならびて野にたてば---賢治の恋」
13)その名前は大畠ヤス。
14)当時、二人でゆっくりと野山を散策したりするのは、とても難しいことだったかもしれない。けれども私は、「春と修羅」に収められた詩の内容から、大正11年の6月27日、賢治とヤスは二人で北上山地のどこか---おそらくは種山が原あたりを訪れたのではないかと考えている。あれほど自然を愛した賢治が、愛した女性にもその美しさを伝えたいと願うのは、ごく自然な感情ではないだろうか。p111同上
15)著者澤口たまみには「宮澤賢治 愛のうた」(2010/04 盛岡出版コミュニティー)があるが、近隣の図書館に入っていない。
16)むしろわたくしはそのまだ来ぬ人の名を/このきららかな南の風に/いくたびイリスと呼びながら(中略)測量班の赤い旗が/原の向ふにあらはれるのを/ひとりたのしく待ってゐよう
決して記すことのできない人の名を、賢治は鼻の名前に託して呼んでいる。こんな山中の開拓地でヤスとふたり、慎ましく土を耕して暮らしてゆけたのなら、賢治はほかに、何もいらなかったのだろう。
「シグナルとシグナレス」にも記されているのだが、賢治とヤスは二人の恋が追い詰められてゆくなかで、どこかで畑でも耕してゆこうと考えたことがあったようだ。p120同上
17)他人の恋沙汰にあれこれ首の突っ込むのは私の趣味ではないが、賢治の作品を理解するうえでは、これらの背景を理解することも大事なことなのかもしれない。しかしだ。他にも「宮澤賢治と幻の恋人 澤田キヌを追って」澤村修治(2010/08)という本もでている。
18)その気になって探してみると、他にも幾人かの女性の影がチラチラする。賢治も、割とポーカーフェイスのプレイボーイだったりしたら、面白いかもな。ないしは、どちらかと云えばタナトスに傾きやすい賢治ワールドだけに、すこしはタントリックな話題でエロスのほうにバランスをとる必要があるだろう。
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