甦れ!気仙沼港 日本一の漁港を瞼の奥に 吉川順一
「甦れ!気仙沼港」 日本一の漁港を瞼の奥に
吉川順一 2011/11 アートダイジェスト 単行本 131p
Vol.3 No.0564★★★★★
1)気仙沼生まれの70歳を超えたお医者さん。カメラを趣味として、いぜんより魚市場などの風景を撮りためてきた。震災後はなかなかレンズを向けることができなかったようだが、それらを含めて、一冊の写真集になった。
2)私は気仙沼には詳しくないが、2~30年前のある時期、仕事で盛んに気仙沼に通ったことがある。二ヶ月に一度、一週間ほど滞在した。観光ではなかったので、見たいところを十分に見れたわけではなかったが、宿に泊まったり、地域の人々に触れたり、なんともほんわかした時間を過ごしたのだった。
3)子供たちが小学生のころには、気仙沼湾内の大島にキャンプを張ったことがある。今でもアルバムを見ると、一番子育てに熱中している頃で、美しい思い出になっている。
4)個人的なトリップだが、国魂学で、日本列島に世界地図をあてはめてみると、朝鮮半島は牡鹿半島になり、日本列島は金華山に当たると思われる。ところが実際にその地に行ってみると、唐桑半島もまた朝鮮半島に対応しており、そこにある大島もまた日本なのではないか、という直感があった。
5)金華山の超絶した堅さ、孤高さと、気仙沼大島のおおらかさ、まほろば的な柔らかさは、陰陽裏表の関係にあるのではないか、と思われた。
6)酔っぱらった時など、生まれ変わるんだったら漁師になりたい、などとほざいては家族にいつも笑われる。ミミズも苦手で、釣りもあんまりしたことがない自分なので、漁師仕事など出来るわけがないのだが、なぜか自らの対極にあるように思われる漁師仕事に、魅かれていくようだ。
7)「甦れ!気仙沼港」などと、現地の事情もわからない他所の私に言えるわけなどない。そうあって欲しいとは思うが、声を出すことができない。先日も、半年以上過ぎた気仙沼を訪れてきた。通りがかりに気になって古い友人の自宅を訪ねてみた。すでに被災者住宅に移っており、無人地帯になっていたが、そこは3.11のままで、まだ修復も撤去もされていなかった。
8)現地の人から、「甦れ!気仙沼港」という声が上がってくるのは当然だろうし、そうでなければならない。しかし、それをどのような心で発しているかは、そこに住んでいない者にとっては、推し量りようがない。「甦れ!気仙沼港」。そっと私もちいさくつぶやいてみる。
9)巻末に参考資料として結城登美雄の文章が3つ掲載されている。かならずしもこの本のために書かれたものではないが、ここに載るのは彼の文章がぴったりだろうし、また、この文章があったればこそ、この写真集も更に生きる。
10)この本。気仙沼に住んでいる人が作った本だから「甦れ!気仙沼港」となったが、決して一部地域だけを取り立てて語った本ではない。気仙沼沿岸、三陸漁業全般の再生、宮城県沿岸からさらには東北、あるいは日本の第一次産業から、地球全体の人間の在り方を問うている本でもある。
11)いま行き詰った日本みたいな言い方をしますが、何が行き詰ったのか。東北はいま絶望的な状況にあるわけですが、決して行き詰ってはいない。ここからちゃんと立ち上がっていくし、新しい東北をつくり上げていくと思います。
人間が生きるべき一番大事なものをきちんと示しながらね。それは十分にまだ見えていないけれっど、その姿は次の世代だけでなく、いまの世代も含めての希望になっていくような気がしますね。p126結城登美雄「東北はいつか希望の星となる」
12)むのたけじが96歳の健筆を振るって、「希望は絶望のど真ん中に」と、高々に歌い上げる。彼もまた東北人のひとりだ。比較的被害が少なかったとされる日本海側にありながら、なお、彼は彼の立場からエールを送る。
13)(高橋)純夫さんはある時、私にこう問いかけた。「なぜ宮澤賢治は”雨ニモ負ケズ、風ニモ負ケズ”などと言ったのだろうか? 人間は雨や風には勝てないはずなのに。賢治はあの詩を本当は発表したくなかっんじゃないだろうか?」。それほど自然と向き合い、人のありようを考えた「てんばた師」だった。p128結城登美夫「連凧はひとつでもおかしくなると揚がらない」
14)先日12月12日、NHKプロフェッショナル仕事の流儀で畠山重篤を取り上げていた。
15)やっと見通しが少し出てきたところだったんです。「森は海の恋人」のスローガンに山に木を植える運動を続け、魚付きの林の再生を進めたカキ養殖の畠山重篤さんたちの努力などもあって、ようやくこうすれば養殖で暮らしを立てていける、いよいよこれからだなと方向も見え始めたときに津波にやられてしまった。
でも、畠山さんたちは今年も植樹祭をやって、何とか前に進む元気を取り戻し始めたようですよ。p123結城登美雄「東北はいつか希望の星になる」
16)あらためて、この写真集を見るのは悲しい。悲しい風景がいくつも写されている。しかしそれでも、元気だった頃の気仙沼の美しい写真も沢山残されている。
17)甦れ!気仙沼港 日本一の漁港を瞼の奥に!
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