その時、閖上は 小齋誠進写真集
「その時、閖上は」写真集
小齋誠進 2011/08 有限会社印刷センター P80オールカラー。A4サイズ。税込み1500円。
Vol.3 No.0568★★★★★
1)いやはや、このような写真集をレインボー評価しなければならないのは、極めて心苦しい。私にとっては、もっとも至近距離にある沿岸部の被災風景である。
2)著者は地震直前に駅からバスに乗り閖上に向かっていた。バスの中で被災し、地震で液状化し、家屋の倒壊した貴重な写真が幾枚も掲載されている。この直後に巨大津波が押し寄せ、その風景も一片に押し流された。ほんの数十分の間の極めて貴重な資料となろう。
3)造り酒屋の酒造店の写真も掲載されている。我が家ではこの町には直接の親戚はなかったが、小学生の頃、この酒造店の酒は、我が家の井戸水で作っていた縁で、遊びに行ったりしていた。あの大きな旧家がこのような状態になっている。
4)こんなこと言ってもしょうがないことだけど、地震だけだったら、被害はかなり限定的になっていたはずである。少なくとも死者は限りなく少なかったであろう。その直後の津波が全てを押し流した。
5)貞山堀そばの同業の事務所では、家族も失い、家も事務所も流された。かける言葉もない。
6)閖上大橋のたもとの五差路付近の風景も絶句する以外にない。同じ時刻ころ、この橋の上流の橋を、私もまた徒歩で渡っていた。道端の車のラジオから漏れてきた三陸地方に津波、という情報は耳に入ったが、まさか、私がいる橋の、ほんの下流に、このような津波が押し寄せているとは、想像もしてみなかった。
7)この写真集は、ほぼ自費出版にような形でだされたものだ。協力者として同窓後輩の市議の名前が載っている。
8)巻末に著者の「閖上4丁目の自宅」として4枚の写真が掲載されている。平成18年5月の改築前の家。平成20年の新築の家。そして今年23年4月の被災後の風景。そして、23年6月には更地になってしまった。
9)被災直後の現場からのデジカメやケータイでの撮影は多いけれど、この写真集はかなり本格的なカメラでの撮影のようだ。ここに掲載されなかった写真もたくさんあることだろう。
10)私にはカメラマンマインドがないので、ほとんど写真は撮影していないが、今から5年ほど前に閖上朝市に行った時に、傍らから朝日を撮影した写真が一枚残っている。私にとっては、被災前の貴重な思い出となってしまった。
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