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2011/12/26

古代東北と王権 ―日本書紀の語る蝦夷 中路正恒

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「古代東北と王権」 ―「日本書紀」の語る蝦夷
中路 正恒 (著) 2001/06 講談社 新書: 280p
Vol.3 No.0572★★★★☆

 ニーチェから宮沢賢治へ」が面白かったので、中路正恒追っかけを始めようかな、と思ったが、この人、割と寡作である。タイトルを見ると、この本はタイトルは面白そうで普段の私なら大好きなテーマなのだが、今のこのタイミングでこのタイトルはいかにも唐突かなぁ、と、ちょっと腰が引けてしまう。

 1995年8月にわたしは岩手県江刺の原体村の剣舞を見に行った。これは宮沢賢治の「原体剣舞連」という詩で有名な剣舞であるが、この詩や、賢治の他の作品の中に表れる剣舞のイメージの源泉をつきとめるために、わたしはどうしても原体剣舞の「太刀入剣舞」という演目をみせてもらわなければならない心境になっていた。庭元の菊池正美さんはそのわたしの願いを快く受け入れてくれた。それによってわたしは一つの論文を完成させることができたのだった。「あとがき」p277

 その論文こそはニーチェから宮沢賢治へ」の中の「『ひとつのいのち』考---宮沢健二の『原体剣舞連』をめぐって----」であろう。この人、この本にまとめられている部分においてはあまり「東北学」とは無縁のような雰囲気であったが、どうもこの賢治を入り口として、一気に東北学との接点が増えていったらしい。

 「古代東北と王権」に関していえば、それはそれでとても関心深いのだが、あまり深い追いすると、どこかユダヤ陰謀論に似て、あてどもない迷路を走り続けてしまうような徒労感を感じてしまう。だから、最近の私はこの部分に関してはほどほどに接することにしている。

 特に、今の3.11というタイミングでは、中央のヤマトと東北のエミシの対立の構図を際立たせることは、得策ではない。そのルサンチマンを掘り起こすことで、一体何が生れてくるだろう。

 東北には、国家の<外>には、つねに戦士たちがいた。戦士たちが<外>をつくり、それを活用し、奥の深い、さわやかな空気の飲める空間を、やすらかに息のできる小さな隠れた洞窟を、つくり、護ってきたのである。彼らのことを、宮沢賢治は「気圏の戦士」、と呼んでいた。そして「わが朋(とも)よ」と。p17「東北---多孔質の身体」

 中路正恒の東北は乾いている。どこか軽い。それが特に賢治ワールドと繋がってくると、なお、平坦な構図と浮遊感が生れてくるから面白い。ただ、賢治は、東北の戦士なのだろうか。

 賢治の祖先は、京都からの移民である。つまり、賢治の中に流れている地は蝦夷以来の、みちのくの土着ではない。天皇を頂点とするクニに反逆する血ではないのだ。畑山博他「宮沢賢治幻想紀行」p106「生涯」

 確かに、賢治の祖先はすでに数代、花巻に根付いていたし、父親も母親も京都からの移民の宮沢一族の出であったとしても、賢治の人生はまったく東北の地に囲まれた人生だった。だから東北の人、ということに、なんのこだわりもない。だが、東北のルサンチマンは、もっともっと深く、湿度が高いと、私は感じる。

 この本を読み進めると、これがまた厖大な時間と空間のつながりの中に引きづり込まれてしまうが、このような繋ぎとめをできるのは、この人が「東北」の人ではないからではないか、と思う。よくも悪くも、東北の人ではない。

 「東北」にもルーツとウィングがある。この本は、東北のルーツに深く突き刺さっていく。だがそれが割と軽い。サクサクと、さわやかな作業工程である。この軽さは、本当は「東北」的ではない、と思う。

 賢治は、東北のウィングであろう。修羅としてのルーツの錘をぶら下げつつ、夜だかのウィングで銀河まで飛び去ってしまう。星になってしまう。今、3.11以降のカオスモスの真ん中で、賢治に期待されているのは、そのルーツではなくて、ウィングであろう。

 この「古代東北と王権」を、飯沼義勇と突き合わせて読んでみたいと思う。それはそれで興味深く、面白いと思う。しかし、今、当ブログの流れは、ちょっと違う相に入り込んでいる。こちらの作業が一巡したら、また、その誘惑に身を任せてみるのもいいかもしれない。

つづく・・・かも、いつかは・・

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