宮澤賢治と幻の恋人 澤田キヌを追って 澤村修治
「宮澤賢治と幻の恋人」
澤田キヌを追って
澤村修治 2010/08 河出書房新社 単行本 261p
Vol.3 No.0575★★★★★
いくら高名な文学者とは言え、他人の色恋沙汰に首を突っ込むのは当ブログの趣味ではないので、この本はどうかなぁ、と後回しになっていた。違うなぁ、と思えばすぐやめようと思っていたのだが、この本、それほど皮相な本じゃぁなかった。
宮澤賢治の人と作品にはさまざまな「謎」があるが、そのひとつにこの「きみにならびて野にたてば」の「きみ」とは誰か、という問いがある。研究者の間ではさまざまな憶測が行われており、定説をもつに至っていない。高瀬露説、伊藤チエ説、大畠ヤス子説、そして恋愛感情を濾過して出来上がった「きみ」でありとくべつ具体的な対象がいるわけではないという詮索不要説に大別される。p11「はじめに」
それぞれの女性についても、それぞれに詳述されているのだが、本書においてはさらなる存在、澤田キヌを主人公として追っかけて見るという旅である。生涯不犯の童貞男と断定されている賢治ではあるが、いくつかの女性たちの姿が見え隠れし、その人生を彩る。
彩る、というほどではないにせよ、春画を集めて30センチほどの厚さになっていた、という賢治だから、まるで性欲が欠如した人間ではない。さほど女性にはモテなかった「変人・奇人」賢治ではあったにせよ、言い寄ってくる女性は、いないわけではなかった。
ある時から賢治は、自らをベジタリアンという生活に押し上げていったし、女性を忌避し、結婚を忌避する、というライフスタイルにこだわり抜いていった。清貧主義とか、聖人として偶像化される要因の一つにはなっているが、彼は彼なりに考えて生きていたのだった。
東京から原稿でいっぱいのトランクをぶら下げて帰ってきた賢治は、弟の清六に、「子どもをつくる代りに原稿を書いた」と言っていたくらい、あるエネルギーを昇華するプロセスとして、沢山の作品を仕上げていったのだ。
具体的なスキャンダルとしての恋愛事情ではなく、賢治のスピリチュアリティにおけるタントラとしての性に対する態度を知っておくには、なるほど、その幻の恋人たちの影を追うこともまた必要なことなのだろう。どちらかと云えば、自然とタナトスに傾きがちな賢治像だけに、時には(あるいは常時)、賢治のエロスに対する姿勢を対置しておくことも大事なことなのだ。
「賢治は早熟な男で、仏教を知らなかったら始末のおえぬ遊蕩児になっただろう」という父・政次郎のことばが伝わっている。「彼は絶えず女性を求めていた」と親友の藤原嘉藤治にもいわしめている。p24「多面体・宮澤賢治」
父・政次郎は、どちらかと云えば常識人であったし、父親の立場から見ればそうだったのかもしれないが、親友の立場から見ても、そういう印象を持たれていた、というのが賢治という存在の一面でもある。
なんだか堅物でもなんでもなく、どこにでもいる健康な男性である。性的要求もまったく正常で、性的関心はふつうの男となんら変わるところがなかった。むしろ平均的男性よりやや欲求が強いくらいではないか。p29同上
ほっとするやら、当然だろうと思うやら、いろいろだろう。時にはガッカリする人もいるのかも知れない。
「性欲の乱費は、君自殺だよ、いい仕事はできないよ。瞳だけでいいじゃないか。触れて見なくたっていいよ。性愛の土壇場までいかなくてもいいのだよ」と賢治は藤原嘉藤治に語っていた。賢治の禁欲主義は仏教の教えばかりではなく、「いい仕事」をするために必要なことだとの認識もあったのである。p33同上
今から100年前のことである。現在の人間関係や性風俗から見れば、考え方は、進歩的にも見えるし、また、いつもよくあることのような情景でもある。禁欲、という言葉は相応しくないと思うが、ブラフマチャリアとか、クンダリーニの上昇、なんて面から考えれば、あり得ない話ではない。ただ、賢治自身はそれを何処まで知っていて何処まで認識していたのかは、さだかではない。
結局、賢治は、「著しく文学的天分はあったが、それを除けば、多少の変人性を含んだふつうの人である」という人物だとわたしは思う。やや非常識で子供じみているが、どこか明るい印象があるのは、育ちの良さなのだろう。そこのところが啄木との違いになる。啄木は賢治と比べると「暗い」のである。
ともあれ、賢治については、そろそろ「聖人から人間へ」であろう。本書は確かに、賢治の実像を再検討する試みの一つであるといってよい。p135「幻の恋人・澤田キヌの発見」
当ブログとしては、当然、「人間・宮澤賢治」が目下の探究目的であり、そもそも「ふつうの人間」としての「地球人」大歓迎である。
賢治のホロスコープを見ると、火星が双子座にあり、金星が乙女座にある。ここから恋愛運を見るとすると、賢治自身の男性性は、割とポーカーフェイスで女性と付き合うことができるだろうが、ここ一番という決め手に欠ける。また、お好みの女性像と云えば、実務的でありながら、控えめなちょっと地味目な人と言うことになる。
太陽は乙女座だから、賢治自身もやはり才気活発で器用ではあるが、他の面に比べて、恋の手管はやや下手くそで、どちらかと言えば晩婚になる運気を持っていた。決して結婚しない人でもないし、その気がないわけでもないのだが、いまいち手が伸びない、というのが実像であったのではないだろうか。
晩年に病臥していたころは、病者を献身的に看護する女性に、とくべつな思い、すがりつくような気持ちを抱くことは容易にあったと思われる。健康体だったら、看護婦を思う気持ちはこれほど強くなかったはずである。死をも意識していた病者ゆえに、みずからを護ってくれる看護婦と心理的に近くなった。それが「病気」と「宗教」に満ち満ちた「雨ニモマケズ手帳」のなかに、この清明な詩が唐突にあらわれる理由として考えられないか。
「きみにならびて野に立てば」のどこかにキヌがいる----。キヌを、そして看護婦の姿に対する隠された慕情が見え隠れする。わたしにはそう感じられてならない。p204「「隠された慕情」
著者は1960年生まれ。編集者、文芸評論家。当初思っていたよりはるかに重厚な一冊である。論拠に子細あり、説得力のある推論が展開される。しかしながら、この本は、昨年の2010年8月に出版された本である。もし、この本が今年の3.11後に出されることになっていたら、推論はもっともっと精緻になっていったかもしれない。
1886(明治29)年6月15日午後7時32分、三陸東海岸を大津波が襲う。旧丹後の節句で各家庭では夕食を終える時刻であった。(中略)
日本赤十字社岩手県支部が自前で救護看護婦を養成する必要性に迫られたのは、この大災害がきっかけである。p209「北のナイチンゲール」
賢治と津波の不思議な関係はすでに有名である。しかしまた、イーハトーブの地において、看護婦が養成され始まったのは、この津波がきっかけだった。そもそも日本全体でも、日本赤十字社の看護婦養成は、1890(明治23)年に始まったばかり。日本における看護婦というの制度は、スタートしたばかりだったのだ。
賢治にとって看護婦とは、「血のいろ」をしたあやしい月が患者たちを不安に陥れる「凶事」のなかで、「なべて且つ耐えほゝゑ」む存在であった。そして「いそがしく氷を割」ったり、「水銀の目盛を数」えたりして、けなげに立ち働く白衣の「聖女」たちであった。p213同上
3.11以降、各地で賢治が立ち上がってくる。もう賢治がいなければ、この被災地の復興など成立しないかのような勢いだ。当ブログもまた、賢治おっかけに躍起となり始めている。しかし、なにかが足りない。被災地のカオスモスの中で、ひとり賢治が立っていても、タナトスのルーツに引きずり込まれて、いくら賢治だって、ついには大地の中に取りこまれていってしまいそうだ。
ここでは、ウィングが必要なのである。高く飛翔する幸いなるエロスが必要だ。そう思った時、すこし謎が解けてきたように思われる。賢治と澤田キヌの出会いの子細は端折るとしても、このキヌの存在が大きい、と著者がいう意味が、実は3.11後にさらに明確になってくるのではないか。
キヌは都合三回の召集を受けた。自己履歴書によると、初めは1933(昭和8年)3月3日になっている。このときは召集といっても、戦場に赴いたのではない。「震災海嘯救護のための召集」とある。三陸で大津波が起きたため、救護に向かったのだ。p219同上
これは、賢治の亡くなった年の昭和三陸大津波の時のことである。賢治の生まれた年に起きた明治三陸大津波で看護婦養成が始まり、その後に生まれたキヌはやがて看護婦となって昭和三陸大津波の被災地へと救護に向かったのだった。
賢治にまつわる恋人探しは、7~8人の女性の影がちらつくが、その多くは教員や看護婦である。教員は職場がそうだったからと言えそうだし、看護婦は何回かの入院体験があったから、とは言えそうだが、賢治は、特別な看護婦フェチ、という訳ではなかっただろう。
賢治は、新しくできつつあった医療や看護の制度のなかに、新しい息吹を感じていた。そしてその看護婦という存在の中に、ひとりの女性や恋人というより、自未得度先渡他を理想とする菩薩像を見たのだろう。
3.11後の賢治像には、「デクノボー」であるだけでは何かが不足している。エロスが必要なのだ。高く飛ぶウィングが必要だ。そのためには、タントリストとしての宮澤賢治が必要なのである。
このようにいわば毛穴の皮油まで晒された作家は史上、賢治だけではないか。生前は文学者として不遇であった賢治は、後年に起きた過剰なまでの手厚い扱われ方にどのような感慨を持つのだろうか。p56「聖職の女」
すでに語り尽くされている賢治ではあるが、敢えて賢治を鏡として使い、自らの中に、理想の地球人としての「ケンジ」を見ようとするなら、当ブログは敢えて宮澤賢治の実在を細かく掘り起こす必要としない。新たなる「ケンジ」を生み出せばいいのだ。
しかしまぁ、そうであったとしても、宮澤賢治という存在は、実に自由自在に、踊り、歌い、祈ってくれる、フィギュアであり、アイコンである。この本のおかげで当ブログも一歩前に進めそうだ。
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コメント
タナトス賢治に対峙する、エロス賢治が必要とされるのなら、それは具体性を持っている必要はないのだ。具体性は、抽象性を呼び起こす機縁とさえなればいい。そもそもタントリスト賢治を高く掲げるのなら 、それは、賢治という具体性、具象性を機縁とする読み手側 、受け取り手たちにこそ、真実性が求められるのである。
投稿: Bhavesh | 2018/08/27 01:42
当ブログにおいて、常時人気ランキングの上位に留まり続けるこの記事。面白いとは思うし、賢治の魅力があるのは充分理解するが、どうしてこの記事だけが留まり続けるのか、書き手にはわからない。賢治関連なら、他にもたくさん書いているし、そちらも覗いてほしい。http://terran108.cocolog-nifty.com/blog/2011/10/1-2-fb07.html
誰か、書き手を助けるようなコメントを書いていただけないでしょうか?
投稿: Bhavesh | 2018/08/10 11:11
来訪者の皆様へ こちらの記事を読むのなら、ぜひ『 童貞としての宮沢賢治』押野武志についての記事も読んでね。
http://terran108.cocolog-nifty.com/blog/2012/11/post-e769.html
投稿: Bhavesh | 2018/07/27 11:13