「人や銀河や修羅や海胆は」 TheaterGroup“OCT/PASS” 石川裕人・作・構成・演出<3>
「人や銀河や修羅や海胆は」<3>
石川裕人・作・構成・演出 2011/12/24 TheaterGroup“OCT/PASS” センダード・エルパーク・スタジオホール
この芝居はこれで3回見たことになる。同じ芝居を3回見るなんて、初めてのことだ。でも、本当は、せっかくだから、この芝居11回全部見てみたかったな、とさえ思う。それは、この3回見ただけでも、3回が3回とも、まったく違った印象を持っていたからだ。
第1期
07月09~10日 大河原 えずこホール
07月16~18日 仙台市 錦町公園いこいの広場
07月23日 仙台市 龍澤寺
07月24日 仙台市 ほうねん座民族芸能センター
07月30日 古川市 荒雄公園(野外)
第2期
10月08日 石巻市 日和山公園内広場
10月15日 七ヶ浜町 国際村野外劇場アンフィンシアター
10月22日 東松島町コミュニティセンター 野外ステージ
10月29日 山元町 中央公民館大ホール
11月26日 あすと長町仮設住宅 集会所
そしてラストステージ決定版
12月24日 仙台市 エルパーク・スタジオホール
とは言ってみたものの、第1期の頃は、私は「芝居」なぞ、見ようという気力があっただろうか。自分のブログを遡っても、この時期に私に目の前にある現実から目をそらす余裕などなかった。現実を現実としてとらえることさえできなかったのだから、もう一つ何か別な視点から見てみよう、などという試みの余裕はまったくなかったと言える。
そんな自分がようやくこの芝居とクロスするのが、10月29日の山元町中央公民館での公演だった。ここの公民館はごく先日まで、被災者たちの避難場所になっていたのである。身近な親戚が何家族も被災したために、この避難場所には何回か通っていた。
もちろん、震災前からこの施設があることは分かっていたし、正直言って特別な感情はなかった。そんな空間が、震災後、芝居を通して、一体、どの様に変容するのだろうか。日常から日常へ、非日常の日常化、そして、非日常からの演劇空間への変容。その辺の変化にとても関心があった。
11月26日のあすとナーガの仮設住宅集会所においての公演もそうだった。列車操作場としての日常、区画整理からエコタウンを目ざしての都市化計画にそった変貌。そこに襲った3.11大震災。突如現れた数百の仮設住宅群。この地は、1300年前には多賀城に先駆ける国府があった場所ですらある。
そして昨日、この芝居を、クリスマスイブの夜、センダードの杜のイルミネーションが輝くビル街でみることになった。ここは、先日、黒テントの公演を見た同じ場所であった。実際には、オクトパスの公演があることを知って、その「比較」の意味で、前もって黒テントを見ておこう、と思ったのだった。
ようやくここでこの劇団とクロスしたように思うのだが、実は、もっと歴史は長いように思う。この劇団の芝居を最後にみたのは、1995年のことだった。すでにタイトルすらよく覚えていなかったが、劇団のHPによれば、それは「教祖のオウム 金糸雀のマスク」という作品だった。現代浮世草紙集 仙台演劇祭'95参加、と銘打たれている。
私はこの芝居を見たあと、この劇団の公演には足を運ばなくなった。この芝居に対する他の評価がどうであったのか知らない。また私も、十全な演劇鑑賞者とは言いにくい。実にわがままに自らに引き寄せて観劇する一入場者に過ぎない。
この芝居のテーマは分かっていた。自ら抱えていたテーマの解決の糸口を見つけようとして観客席に座っていたはずだ。そんな私は、観客席で必要以上にいら立っていた自分を感じた。これは違う。こんなことでは解決にも、解消にもならない。私のいら立ちは大きかった。大袈裟に言えば、私は芝居を見限った。
そのいら立ちは、結局16年続いたことになる。その間、問題を直視していたかと言えば、そうは出来なかった。直視しなければならないという思いとは裏腹に、むしろ、その問題から回避しようというエネルギーの方が強かったとさえいえる。
1995年には、大きな出来事が3つあった。1月17日の阪神淡路大震災であり、3月20日の地下鉄サリン事件であり、8月25日(国内版11月23日)のウィンドウズ95の発売である。いずれも大変な事件であった。
リスクマネジメント関連の仕事をする上で震災の問題は大きなテーマであったが、阪神淡路は西日本のことであり、当事者意識は薄かった。そして、地下鉄サリン事件は、戦後文化のしわ寄せが膿となってほとばしったような事件であり、直視しようとしても、あまりにも見えないことが多すぎた。
いきおい、90年代後半は、私はインターネットの進展に目を見張り、ネット空間の可能性の方へと逃げ込んできたのだった。2001年には9.11という大変な事件が起きたが、これもまたアメリカや中東の問題でもあり、当事者意識は薄かった。
そんな私は、自分としては決して「逃げ込んだ」とは思っていなかった。Meditation in the Marketplace の意識のもと、一人分の現実の中で生きてきたとは言える。そして、2005年頃になって、SNSなどの発達によるネットワークの進展の中で、過去に先送りしてきた宿題をかたづけなくてはならなくなった。
オウム真理教事件は、多くの未解決の問題をかかえつつも、今年、すべての刑事裁判が終了するという一応の「終決」を見た。16年かかった。長くもあり、短くもある期間だった。「終わって」見れば、教団側に対する配慮など何ひとつ必要なく、すべてきっぱり断罪されてしかるべき犯罪であった。
この「終決」感が、ふたたび私をこの劇団の観客席に呼びこんだのだろう。ただ、私はかならずしも演劇観賞を趣味とするファンではない。どうも、観客席、というのは居心地が悪い。かと言って、自分がステージに立ったり、その制作にかかわるなどということは更に思いもよらないが、今回、この芝居団が抱えている「テーマ」について、私は「当事者」意識を持って見つめていたい。
思えば、時代は一巡したのかも知れない。95年の三大事件は、2011年の三大事件に置き換えることができるかも知れない。東日本大震災、東京電力原発事故、そしてツイッターやフェイスブックの興隆。
阪神淡路大震災のただ事ではなかったが、それを上回るのが東日本大震災である。修復するには何十年もかかるだろうし、ほとんど修復不可能である部分も多くある。地球から放出されたエネルギーは何万倍もの差がある。
そう言った意味においては、地下鉄サリン事件も大変な事故だったが、東京電力原発事故は、比較にならないほどの「大犯罪」である。それこそ被害は、何万倍どころか、それこそ修復不可能な領域まで達しているのである。
そして、ウィンドウズ95というOSの発売などに比較すれば、ツイッターやフェイスブックの日常化の効果は、それこそ何億倍の違いがある。パソコンの一般家庭への普及率など数パーセントに満たなかった95年に比べ、2011年現在、ネットに接続できる機器の普及率はほぼ100%に近付いている。しかもそれは、各人のポケットに入ってさえいる。
さて、95年の私と2011年の私とでは、何がどう変わっているのだろうか。生きていくことに精一杯という現実にはそれほど違いはないが、育ち盛りの子供達をかかえて右往左往していた時代と、すでに子供達が自立してしまった後の時代とでは、視野の広がりに大きな違いがある。
視野を狭め、自らの歩むべき道をのみ見つめて生きる姿勢と、すでに歩むべき道などそれほど遠くはなく、時にはふりかえって自らの道の修復を試みる姿勢とでは、大きな違いがあって当たり前だ。
今、私は、ツイッターやフェイスブックなどの、過大な期待は持っていない。日常の道具として活用されるべきだとは思うが、そこに「逃げ込もう」とは思わない。世界が同時につながるネット機能は、時にはアラブの春と呼ばれる解放の効果を生んでいるようであるし、もっともっとネットが広がることによって、地球上の人間の営みはどんどん変わっていくだろう。そのことには期待しているし、今でも「マルチチュード」的夢想をしていることは確かではある。
原発の問題は大きな問題だ。捉え方によっては、オウム真理教などより、はるかに重大な犯罪である。16年などでは「終決」しないことは明確である。メルトダウンしてしまった原発を「廃炉」にすることなどほぼ不可能なのだが、それでも政府発表は、これから30年かかるということだ。少なくとも、現在57歳の私がこの地球上に生きている間は、この問題は解決も終息もしないことが明確となった。この問題と共存していかなくてはならないのである。
そして、地震・津波による被害。こちらは200年サイクルとも1000年サイクルとも呼ばれる大きな周期的な地球の生命力の発露なのである。人間として避けるに避けることのできない宿命である。私たち地球人は、地球の上に生かされているのである。大自然を「敵」とすることはできない。大自然に抱かれながら、大自然から許される範囲の中で、自らのいのちを育んでいく姿勢が必要だ。
シアターグループ・オクトパスのHPを見ると、この10数年間の演目には、色濃く宮沢賢治の影響を見てとれそうな作品名が並んでいる。いま、ようやく賢治ワールドに目を見張っている私などは、う~ん、この作品も、あの作品も、見ておくべきだったな、という後悔の念が走るものがある。しかし、時間はもどらない。文学作品とは違い、演劇は、その時間と空間にだけ現れるものだから、同じものは二度と見ることはできない。
しかし、そのスピリットにおいて、大きな変化がなければ、時間や空間が違っても、そこに現出してくるエネルギーの本質に、そう大きな違いがあるわけでもなかろう。この劇団が難しい時代に、ずっと賢治をひとつの大きな支柱としてきたことは間違いないようだ。だとするなら、この2011年における「三大事故」というカオスモスの真ん中において、この劇団の、そして「私たち」の「賢治スピリット」は今後、どう生きつづけていくだろうか。
観客席に座ることだけが観劇ではないとする私にとって、観劇しないということは、その芝居に参加しない、ということではない。今後も、このグループの芝居を見ることになるのかどうか、今の私には判断つかないが、少なくとも、その活動には目を見張り続けていこうと思っている。
次回作は半年後に公演される「方丈の海」とか。語感としては、三島由紀夫の「豊饒の海」を連想するが、「方丈」と来るからには、鴨長明の「方丈記」とかかわりがあるだろう。作者自身は、地震のことを描いても仕方ないので、人間を描く、ということだから、むしろ、ここはグッと賢治ワールドを離れて、より純化した仏教的無常観でくるかな。
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