地球人スピリット宣言草稿<20>エコビレッジ
「地球人スピリット宣言草稿」
<20>エコビレッジ
それは別にそう呼ばれなくてもよかったし、それがそのように存在しなくてもよかった。ただ、もしそう呼ばれるなら、それなりの必然性があるのだろうし、それが存在することになるのなら、それもそれなりの必然性があるのだろう。
山があり、森があり、そこに行こうとする人がいる。そこを活用しようとし、そこを憧れとする人もいる限り、そこにすこしづつ人間の生活ができる。それをなんと名付けようと、それはそれでしかない。
思わぬ形で、数万坪の土地が活用を待っているとしたら、まずそこにイメージするのは、隠れ家だったり、遊び場だったり、コミューンだったり、共同体だったりする。まずやりたいことのイメージが先行する。
幾人かの仲間に声をかけてみれば、エコビレッジ、という言葉だったり、パーマカルチャー、という動きだったり、NPOという主体であったりする。それはもう、どれでもいい。その中から、いくつかの言葉を拾いだし、よりイメージをふくらましてみる。
エコビレッジ、でなくてもいい。エコタウンでも、エコシティでもいいだろう。だがなぜエコなのか。これは重要なキーワードだ。ただの村や町や都市なら、あまり奮い立たない。エコは、もう一つの別の可能性を見つけてみようとする試みを象徴的に代弁する。
なぜ、パーマカルチャーなんだろう。持続可能な生活スタイルの表現の一つだ。考えてみれば、かつての農村の暮らしなんて、ほとんど持続可能なjパーマカルチャーでしかなかた。なにをいまさら、英語で表現?
それもまた、ひとつの粋がり。農業とか山暮らしとか、いうことより、なにかプラスアルファのイメージができる。それはそれでいいだろう。それに、パーマカルチャーと言われる生活形態を体系化した人たちもいる。今は、それを肯定的に受け止めて、そう呼んでいても、そう可笑しくもないだろう。
でもでも、NPOねぇ。それもまた、どうでもいいんだよ。ただただ、たった一人の個人だけの遊びじゃなくて、複数の仲間たちの繋がりのなかでの動きにしたいんだよね。共同の基本的な姿勢も確認しておきたいし。
そんなこんなで、ひとつの動きが始まっている。あるいは始まったことがある。もう終わったのかもしれない。でも、具体的な土地があり、仲間がおり、夢がある。そして、それにはそれなりに必然性があるだろう。
今後どうなるかは未知数だが、メモだけは残しておきたい。
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