地球人スピリット宣言草稿<27>メタコンシャスと森の生活
<26>からつづく
「地球人スピリット宣言草稿」
<27>メタコンシャスと森の生活
3.11当時、当ブログは、「メタコンシャス--意識を意識する」カテゴリを走っていた。実際には、それは終章だった。どこかで終わりたかった。しかし、3.11がやってきた。3.11後スタートしたのは「森の生活」だった。思えば、この二つは、当ブログのアルファ&オメガになるだろう。
森の生活とメタコンシャスを並べてみれば、それはもう、水を汲み、薪を割るという、禅生活の一幅の水墨画みたいなものではないか。ルーツ&ウィングとも言えるだろう。
この概念の中に、プロジェクト567の7つの要素を取り入れてみる。便宜上、下から上へと順番に並べてみると、それなりに整合性のあるものとなる。
7)3.11
6)ホワイトターラー
5)スマートフォン
4)孫たち
3)メディア・テーク
2)ハイブリッド車
1)エコビレッジ
森の生活に、1~3を対応させ、5~7をメタコンシャスに対応させる。その二つを繋ぐのが4である。
1は、実際にはエコタウンでも、スマートタウンでも、何でもいい。要は、大地に根ざす、根ざし方が問われている。まさにルーツである。その部分に一工夫が必要だ。
2はその大地の上でどう活動するのか、ということだ。必ずしも農業とばかり短絡するのは現代的なライフスタイルとは言えない。すくなくとも、ライフスタイルの象徴として、とりあえずエコカーを持ってこよう。1と2を繋ぐのはエコ、エコロジーだ。
エコロジーを新たにとらえなおす必要がある。あくまで現代的にとなれば、図書館が必要となる。3のメディアテークは一つの現代的な象徴として存在する。
4はもっともハートな部分。人間らしい部分である。子どもたちはまさに人類のハートだ。
スマホに5を象徴させる。現代の情報や創造性の源が大きく変化しつつある。
ホワイトターラーは6。チベットや東洋、そして神秘的な部分。あるいは瞑想。
7は、とってつけたようなものだが、3.11をどうとらえるか、ということで、当ブログの、この局面においては、天からの啓示、としてとらえれるのはどうか、という提案だ。
7)インスピレーション
6)メディテーション
5)クリエーション
4)ヒューマニティ
3)トータリテイ
2)テクノロジー
1)エコロジー
と、別な言葉に直してみることもできるだろう。あるいは、もっと別な新しい言葉に置き換えてみることも可能だろう。ただ、大事なことはここで7つのポイントでチェックしていくのはどうか、という直感だ。
そして、これらは、別に未来に期待するだけでなく、今、自分の足元からスタートできるはすだ、という予感に支えられている。
例えば、エコビレッジに住まわないまでも、今すぐ、我が家の中でエコロジーはスタートできるはずである。あるいは、何もガラスの図書館に通わないでも、実質的に、それと同等の知の全体性は得ることができる、という予感である。
それは、チベットに行かずとも瞑想をすることができる、ということもできるし、究極の体験は、今ここにこそある、と会得することもできる、ということに通じる。
そして、そもそも、私は人間なのだ、という結論に落ち着くはずである。
また、meditation in the marketplace とも通うじるであろう。森の生活は、必ずしも孤高のリトリートである必要はない。marketplace こそ森の生活となるべきなのだ。あるいは、そのように生きていくことは可能である。ないし、そう生きていくしかない。
かなり強引なひっくるめ、ではあるが、ここではこう編集しておこう。大筋で間違いはない。
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