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2012/01/15

3・11の未来 日本・SF・創造力 海老原豊/藤田直哉他


「3・11の未来」 日本・SF・創造力
海老原豊/藤田直哉/編集 2011/09 作品社 単行本 393p
Vol.3 No.0587★★★☆☆

 2011年7月28日、日本SF界の北斗と仰がれる小松左京が亡くなった。「日本沈没」などの想像と3.11の近似性が語られる中、彼はこの本の中に一つの可能性を残し、その後輩たちは、彼を座標軸として、3.11を語る。

 この本には、20数名の書き手の名前が並び、例によっての3.11後のオムニバス形式の一冊ゆえ、当ブログとしては、最初から遠慮したい一冊ではあった。小松に続いて豊田有恒、巽孝之、仙台在住の瀬名秀明などには多少の親近感を感じるが、仲正昌樹などは、当ブログにおいての評価はDランクである。

 そもそも、「3.11の未来」を語る時に、日本、SF、創造力、と限定したところに、最初から違和感を感じる。日本は地球に、SFは意識に、創造力はリアリティとでも書き換えられたなら、もっともっとこの一冊に関心を持つことができただろう。

 そもそも3.11と一口に言われる今回の出来事だが、当ブログでは、天の巻としての地震、地の巻としての津波、人の巻としての原発事故、と3つに分けて考えている。

 天の巻、あるいは天災としての地震は、これは、地球上どこに生きていたとしても遭遇し得る現象なのであり、そのことに対する心構えは常になければならず、そのことによってどんな境遇になろうとも、それは地球上に生きる人間としては、甘んじて受け入れざるを得ない事象なのである。

 地の巻、あるいは「地災」としての津波は、地震に連動して起こることではあるが、まったく予知することができない事象ではない。少なくとも、数分、数十分の余裕がある。あるいは、津波の押し寄せる海岸から数キロ範囲に棲むということ自体、その事象に対する心構えがあってこその棲まい方だった筈である。

 さて、人の巻、人災としての原発事故はどうであろうか。これもまた、地震、津波、と連動して起きた事象ではあったが、そもそも原発事故は人類がこの地球上に存在していなければ起きえなかった事どもである。地球自体に大きな惨禍を加えてしまうとともに、もっとも人類自らが被災する、自業自得の事象である。

 当ブログとしては、天の巻は、むしろ伝説や神話のほうに救いを求めたい。あるいはファンタジーのような、例えば生命にとっての「死」の存在のような、不可避のテーマとして、全ての事象をただ受入れていくという方向にならざるを得ないだろう。

 地の巻は、あえてそのようなライフスタイルになっていなかった我が身を確認するとともに、地球上に暮らす人間としての環境の捉え方を、今後も探究し続けて行く必要を感じる。津波はある意味では、疲労した大地が再び生命力を蘇らす機会でもあったはずである。悲惨な形ではあったにせよ、「森は海の恋人」というラブレターへの返信でもあった。海は森の恋人なのだ。

 しかるに人の巻においては、その原因は人間にあり、そもそも原発は人間だけが必要とし、人間だけが関与してきた事象であった。そしてもっともその災いを受け取るのも人間であった。場合によっては、自然界はそのこと自体を受け入れ、自らの在り様を変化させていくだけであり、人間たちのことなど、気にもかけないだろう。

 地球上に生きる意識としての存在である限り、そしてその地球を我が意のままにコントロールし得ないのである限り、人類はこの地球上において、許された範囲でのライフスタイルを日々続けていくしかない。

 そんなことは当然のことなのであり、夜があり朝があるように、春が来て冬に到るように、その恵みの中で人類は生きていく術を学ばねばならない。そもそも大地から掘り出された鉱物の一種を活用することによって、その恵みを享受した人類ではあったが、その使い方に、十分な敬意を払い、意識深く役立てなければならなかった。

 3.11天地人は、それぞれ別途な問題であり、なおかつ一体となったテーマであった。地球人としての意識を持ち、自らの生命をどこまで続けていこうとするのか、すべての叡智を集めて生きる方向性を見つけていくことが大事になっている。

 この本、400頁の分厚い本である。ひとつひとつを読みこむには方向性がバラバラであり、なおかつ、ある一つの間違った方向性へと導こうとしているようでもある。ひとつ、あえて気になったのは鼎元亨が「3.11後の来るべき日本」の中で「マルチチュード」を取り上げていたことだった(p348)。

 ただし、マルチチュードという概念を使うのであれば、もうすでに「来たるべき日本」など論ずるべきではない。ここでは「来たるべき地球人」となるべきである。当ブログにおけるテーマは「3.11後の来たるべき地球人」である。あるいは「3.11後」は、他の言葉に置き換えられてもいいのだ。「アラブの春の後に来たるべき地球人」とか、「資本主義終焉後の来たるべき地球人」などであっても構わないだろう。

 「3.11の未来」というタイトルに多少の妥当性はあるとしても、サブタイトルは「日本、SF、創造力」ではだめだろう。「地球、意識、リアリティ」でなければならない。「創造力」はまだマシでもあるようだが、そこに文章的な創作活動をイメージしているようではいけない。

 いま、ここ、に生きているぞ。このリアリティの中に。

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