IT時代の震災と核被害 コンピュータテクノロジー編集部
「IT時代の震災と核被害」
コンピュータテクノロジー編集部編 2011/12 インプレスジャパン 単行本 390p
Vol.3 No.0600★★★☆☆
この本もまたごっちゃ煮のオムニバス本だ。すでに表紙だけでも17人の名前が書いてある。苦手苦手と言いながら、なにもこんな本に手を出さなければいいのに、と苦笑いしつつ、やっぱり手がでてしまう。そしてやっぱりなぁ、と納得して、早々と本を閉じることになる。
かつて、ウェブ関連は当ブログのお気に入りのテーマだった。そもそも、ウェブやIT関連がすきだったから、ブログを書き始めたと言ってもいい。それはいろいろな形で、いろんな局面で、いろいろ書いてきた。
ただ、技術的に深いところにいくことができない自らの限界と、実際的には日常的な利用技術としては、もう十分なのではないか、ということで、いつの頃からか、急速に関心が薄れてきてしまった。
ちょっと例えが違うが、車のダッシュ力とか、最高スピードとか、何馬力とか、限界に挑む研究が進んでいるうちは、面白そうだが、いずれ、それには限界が来て、やがてそのような研究は飽きてしまう。次には居住性とかスタイルとか、音響設備など、付加価値に関心が湧いてくる。しかし、それにもやがて限界がきて、環境性とかハイブリット性とかに興味が移っていく。
それと同じように、ハードやコンテナとしてのITやウェブにはすでに飽和状態を味わっていて、情報やコンテンツとやらにも、限りなく手を広げることはできないのだ、ということも分かってきた。あえていうなら、当ブログは現在、コンシャスネスとしてのウェブを探索している、と言ってみたいのだ。
そういう視点からこの本を見てみると、ひとつひとつは面白そうなのだが、こうも煩雑な情報の洪水を味わうと、とてもとても、最初から、うへ~と退散することになる。
ITやウェブと震災は特にダイレクトに繋がるものではない。今回の3.11においても、一般に言われているほどには、ツイッターやフェイスブックの利用価値を見つけることはできなかった。生身の身体が、一番だ。近親者の安否を確認できれば、もうそれでいい。そんな感じだった。
いくらITやウェブが発達しても、地震がおこらないようにはできない。いざ津波が起きてしまえば、あとはひとりひとりが逃げるだけで、IT機器やネット上の情報なんて役に立たない。もし役立つすれば、核被害の情報と、そこからの避難術かもしれない。
読む人が読めば、この本もそうとうにおもしろいのだろうが、現在の私では、もう馬の耳に念仏、豚に真珠。興味の範囲はかなり離れたところに行ってしまっている。そういうことを再確認した一冊だった。
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