書は呼吸する~臨書・筆に偉人の人生を発見する~ NHKBSプレミアム
「書は呼吸する」~臨書・筆に偉人の人生を発見する~
書家・石川九楊・他 2012/01/03 NHKBSプレミアム
Vol.3 No.0579★★★★★
正月テレビは面白くないのが多いので、なにげにBSにチャンネルを回したら、こちらも、面白くなさそうな書道の番組をやっていた。しかも「臨書」とかいう文芸を紹介している。他の人の書を真似て書いたからどうだってんだ、なんて斜に構えてみていたが、これがなかなか奥深い。
途中から見たからよくわからなかったが、大久保利通の畳の下敷きを再現しようとするあたりは噴飯ものだな、なんて思っていた。良寛あたりは来客もあり、横目でみていただけだが、なかなか繊細な字にそれだけの多くを見るのか、と半ばあきれ顔。
「臨書」は、達人の書を正確にまねる書の練習法。書家・石川九楊は「練習やまねの域をはるかに越え、作者の生き方が浮かぶ」という。明治の政治家・大久保利通、ぐいぐい筆をねじ込む力強い書は当時の流行。西郷隆盛に通じるが、正確にまねると力強さの直後に繊細な筆運び!墨を付け直したか否か?石川が検証し、「なぜ大久保は書の途中で繊細になったか」筆跡を見極めようとする。良寛の書、宮沢賢治の鉛筆筆跡にも石川が挑む。
【出演】書家・大学教授…石川九楊,東京学芸大学准教授…加藤泰弘
【朗読】中嶋朋子 番組案内より
ところが、最後になって、宮沢賢治の段になって、ギョギョとテレビ画面に引きつけられた。でてきたのは宮沢賢治、しかも「雨ニモマケズ」手帳だ。
この手帳は別に目新しくないが、林風舎から借りてきた精巧なレプリカを手本に、同じような手帳の上に臨書しようというのである。
この時すぐに話題になったのは、雨ニモマケズの「モ」が横にそれていて、後から書き加えられたものだろうという推測。そして、どの段階で書き加えたかだが、「雪ニモ夏ノ暑サニモ」の段階では、キチンと一行に書かれているので、この段階で、前に戻って書き加えられたものだろう、という結論になる。これで語調が七五調になったので、より多くの日本人に愛されたのだ、という。
そして、当ブログでも以前話題になった「行ッテ」の部分に注目する。
臨書であるがゆえに気付くデリカシーだ。そして、この「行ッテ」の中に、「行」があることに注目する。この詩の最後に書かれている曼荼羅の中に「行」が4つ入っているのである。
南無無辺行菩薩
南無上行菩薩
南無多宝如来
南無妙法蓮華経
南無釈迦牟尼仏
南無浄行菩薩
南無安立行菩薩
この菩薩名の中の「行」と、「行ッテ」の「行」が同じものかどうかは定かではないが、深読み賢治ファンなら、それも在り得ると同感するに違いない。
当ブログにおいては、夢枕獏「上弦の月を食べる獅子」におけるアーガタと、アガータの類似性について暗黙のうちに追いかけてきたわけだが、そこには如来の意味があった。「行ッテ」しまった者である。
救いを求める者のところまで「行ッテ」声をかけることと、自らの精神性の中で、彼岸まで「行ッテ」しまいながら、その子供や母親や死にそうな人々のもとに「行ッテ」いることは、賢治の世界では一体化されていなければならない。
なるほどなぁ、そういう風に考えてみれば、臨書という芸術であるからこそ見つけることができた賢治ワールドの一端かもしれない。いやいや、ここに賢治の本質がある。
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