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2012/01/18

地域学への招待 京都造形芸術大学/中路正恒


「地域学への招待」 
京都造形芸術大学/中路正恒 2005/05 角川書店 全集・双書  334p 改訂新版2010/03
Vol.3 No.0590★★★★☆

 「ニーチェから宮沢賢治へ」がなかなか面白いネーミングだったので、中路正恒追っかけをしてみようと思ったが、彼の著書はそう多くはない。この本にも名前がでているが、編集責任者としてであり、全体の構成と、いくつかの彼自身の文章が含まれている。

 この本は京都造形芸術大学通信教育部の「地域学」の教科書として構想されています。「地域学」という言葉は最近人の口に上ることが多くなりましたが、「地域学」はまだ明確な学問になっているとは言い難いところです。

 「地域学」とは何かということすらまだ明確な規定がなされているとは言えません。しかしそれに携わる多くの人々の共通して理解していることは、地域を、中央との関わりにおいてではなく、むしろその地域に根をおいた仕方で明らかにしてゆこうということです。

 地域に根をおいた研究のためには歴史学とか民俗学とかの特定の学問だけでは不十分で、そのためにそれぞれが諸学の成果を総合して研究してゆかなければならないということも大体共通して理解されています。

 従って「地域学」とは地域を地域に根をおいた仕方で明らかにしてゆこうという総合的な研究の試みだということは言えるでしょう。p004中路正恒「本書の趣旨」

 私も大学の通信教育部に籍を置いたことがあるので、どのような人々が、どのような希望をもってその学びの場に臨むのか、わかるように思う。「学」への憧れ、必要性、そして「学」への疑問も抱えている。

 ましてや「地域学」という「学」の試みが、はて、どれほどの妥当性があるのか、例えば結城登美雄の「地元学」との比較と考えてみると興味深い。

 「地元学」とは、そうした異なる人びとの、それぞれの思いや考えを持ち寄る場をつくることを第一のテーマとする。理念の正当性を主張し、押しつけるのではなく、たとえわずらわしくとも、ぐずぐずとさまざまな人びとと考え方につき合うのである。暮らしの現場はいっきに変わることはない。ぐずぐずと変わっていくのである。
 地元学は理念や抽象の学ではない。地元の暮らしに寄り添う具体の学である。
結城登美雄「地元学からの出発」p14「地域が『ぐずぐずと変わる』ための『地元学』」

 両方に「学」がついているが、かたや大学のカリキュラムとしての「学」であり、かたや「暮らし」の中の学びである。「地元学は理念や抽象の学ではない。地元の暮らしに寄り添う具体の学である。」という言葉が重い。

 周囲を見回しても、東北学とか仙台学などの言葉が目につく。初期的には、おっ、と魅力を感じるのだが、どこかその関心が持続しない。ちょっと違うぞ、といつも思う。中路は、東北学などの文献などにもでてくるが、さて、その兼ね合いはどうなのだろう。

 老人大学だの駅前留学だのと、割とお気軽に「学」が流通しているが、地元学の「学」は、こちらにやや傾いている。だが、真面目さにおいて、その必要性において、地域学の「学」に勝るとも劣らない真摯な学びの姿勢がある。学びというよりは、「生きる」というほうに傾いているだろう。

 宮沢賢治の「農民芸術概論綱要」とか「羅須地人協会」などのネーミングも、必ずしも「概論」とか「協会」という構成要素を満たしていたものではなかった。そこには憧れや必要性はあっただろうが、敢えていうなら、それらはほとんど未完のまま消えてしまったものだった。

 当ブログにおいては、主にネイティブ・アメリカンへのアプローチを中心とはしていたが、「チェロキー」とか「アンソロポロジー」とかのカテゴリーで地域学や地元学と言われる領域への接近を図ってきた。あるいは、「アガルタ」や「レムリア」、そして「環境心理学」などのカテゴリもその延長線上にあった。

 しかしそれらは、当ブログとしては未完、というより未発進のまま、進むべき方向性すらまったく見えない状態であった。ほとんど放置してある。そして、それらは、「地球人として生きる」というカテゴリへと繋がっており、当ブログとしては、細かい「学」よりは、「地球人として生きる」というリアリティの方が、よっぽど大事なことなのではないか、と思えたのだった。

 この「地域学への招待」は中路追っかけの中で開いたので、他の人々の文章は割愛したが、坂下一郎の「『黒いヒゴ』について」(p218)などは、同じ仙台平野の竹細工のことについてなので興味惹かれた。あるいは鎌田東二の「鎮魂という人々のいとなみ」も読まずには通過できなかった。

 そして、終章である第4章の「地域学への実践へ--地球的観点から」で再び鎌田東二が登場し、「アメリカン・スタンダードとローカリティ」の中で、宮沢賢治、南方熊楠とならべて山尾三省を論じている部分には大いなる共感と共に、妥当性を感じた。

 山尾には、宮沢賢治や南方熊楠同様、アニミスティックでしかもコズミックな存在論的な感覚があった。そしてまた、地域性を最も尊重してきた先住民の智慧の生活に対する深く真摯な尊敬(リスペクト)の感情を抱いていた。p280鎌田「ローカリティの自覚と『地球即地域』学への試み」

 最後の最後に中路が「地域学と芸術する人間---ヘルダーリン・宮沢賢治・芸術」(p299)で締めている。

 「人間は詩人的にこの大地の上に住んでいる」と言うとき、ヘルダーリンはこの「人間」において「人間はみな」と言おうとしたのであろうか。おそらくその通りである。p308中路「忘却に抗してとどめられるもの」

 当ブログなりの言い方なら、「人間は大地の上に立っている」という感覚であろう。「詩人的」であったり、「芸術的」であったりすることより、「人間的」であることの方が優先すると思われる。そして、「住む」とか「棲む」より、「立つ」の方によりリアリティを感じる。

 われわれは「住みこと」を、そこに子々孫々にわたって定住しようとすること、そのようにある土地に固く束縛されて生きることとは違ったこととして考えてゆきたい。「動くことを前提とした「住むこと」である。それこそがより「この大地の上に住む」ことになるのではないだろうか。

 そのような住み方と生き方があるのではないだろうか。そのような生き方を、芸術をもって地域に生きることの学として、われわれは探究してゆきたい。p313中路「住む・動く・大地・芸術」

 「地域」とは勿論子々孫々にわたって定住していかなければならないものではない。宮沢一族は、花巻において宮沢まきと言われる富裕な一族ではあったが、数代前に京都から流れてきた商人の子孫であると言われている。山尾三省だって、最初から屋久島にいたわけではなく、東京で育ったのだが、その父親は山陰から出てきており、祖母などはその地に残っていた。

 熊楠の出自はまだ調べていないが、生まれた和歌山の地に留まりつづけていた訳ではない。アメリカやイギリスなど外国に渡って活動している。地域とは、「住む」場所というよりは、感知しうるエリア、というニュアンスの方が正しいのではないだろうか。

 小中学校などで「学校と親と地域が一体となって」などと語られる場合は、子どもたちが通学する通学圏が「地域」と認識されるであろう。地方に誘致された工場などが「地域貢献の為に開業する」などと言う時は、従業員が通える範囲、あるいは、下請け工場などの散在できるエリア、あるいはその経済効果の波及するエリアを「地域」として漠然と意識しているであろう。

 さて、地球の上に立つ一人の人間において「地域」とはなんだろう。宮沢賢治や南方熊楠と同列に山尾三省を語ることはやや時代錯誤ではないか、と思う。1867年生まれの熊楠、1896年生まれの賢治に対し、1938年生まれの三省では、「地域」という概念の捉え方は違っている筈なのである。

 賢治の「なめとこ山の熊」にでてくる熊捕り名人の小十郎にとっては、熊の出て来る近くの山や、たまに熊の毛皮と胆を売りに出ていく「里」あたりまでが「地域」なのであり、その外はないも等しい。

 しかるに21世紀の現在、ある一定程度の地球人たちにおいては、自らの感覚の及ぶ範囲はかなりの広域に達している。留学や外遊ができるという恵まれた環境になくても、情報という意味では、この地球全体を自らの「地域」と感ずることさえできるようになっているし、また、その感覚なくしては、それこそ「熊」一匹仕留められない、時代が来つつある。

 地域性(ローカリティ)に依拠することはいわば「蟻の眼」を持つことであり、地球性(グローバリティ、惑星性)に倣うことは「鳥の眼」を持つことである。この遠近両方の複眼に寄って初めて地球上の自己の立脚点が立体的に見えてくるのである。宮沢賢治も南方熊楠も山尾三省もみな"Think globally, act locally"(地球規模で考え、地域的に行動せよ。大局的に思考し、具体的に行為せよ)という二つの翼を駆った。p283鎌田東二「ローカリティの自覚と『地球即地域』学への試み」

 この部分は、以前からあちこちから聞こえてくるキャッチフレーズが使われているのだが、そのニュアンスは良いけれど、本当だろうか。複眼的であるとは、より実態に即した実像を把握するための装置なのであり、見ている自分は複眼で見ているという自覚はない。実像は一つなのである。

 鎌田は「蟻の眼」と「鳥の眼」と言いつつ、二つの翼、と言っている。翼は「鳥」の眼の象徴である。「蟻」には翼はない。蟻は足で大地を這うのである。勿論、羽アリみたいな存在は「翼」を持つが、移動する、という意味では、蟻は鳥にも劣らない広いエリアを「地域」とする。

 当ブログでは、この辺のニュアンスを表現したい時、最近ではルーツ&ウィング、としている。翼だけでは地域的でもなければ、大地的でもないと感じる。ルーツは植物的な感覚だ。その地を動けない。根ざし、地域に育てられるままに生きていくしかない。そして、実を結べば、風に乗り、あるいは蝶や鳥たち、動物たちに同伴してあらたな根づきの場所を見つける。

 当ブログとしては、ルーツ&ウィングでも、いまひとつ納得していない。まだ分裂している気分が残る。この二つの要素を本質的に持ち得ているの「地球人」であり、「地球人スピリット」である、という逆規定をしているところだ。

 人間は、鳥でもなければ蟻でもない。羽も生えていなければ、根も生えない。しかし、そこに「ローカル」でもなく「グローバル」でもない「地球」を見る。当ブログにおいては、自らが生きている場所が地域なのであり地球である。そして「学」として体系化せずとも、生きていること自体が学びであるはずである、という自覚を持っている。

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