雨ニモマケズ風ニモマケズ 宮澤賢治詩集百選 ミヤオビパブリッシング
「雨ニモマケズ風ニモマケズ」 宮澤賢治詩集百選
宮澤賢治 2011/11 ミヤオビパブリッシング/宮帯出版社 新書 229p
Vol.3 No.0582★★★★☆
ちょっと変な本だなぁ。新書版の2百数十ページの読みやすそうな本ではあるが、「宮澤賢治詩集百選」とサブタイトルがついている以外、序もあとがきも出版の経緯も何も書いていない。巻末に「宮澤賢治略年表」と「著者紹介」があるのみだ。
それぞれの詩にいくつかの短い注釈がついてはいるが、出展とかどの版であるとかは一切書いていない。ある意味、アトランダムである。版権の切れた賢治だけに、このような出版のされ方もしかたないのか、などと考えたりするが、別に粗末に無造作に編集されているわkでもなさそうだ。
巻末にというか、最後の頁に出版社の広告がある。
心温まる癒しを、そして生きる希望と勇気を持ってほしい その願いを、彼らの詩に託しました
みすゞ、夢二、賢治 復興の詩 3部作
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こだまでしょうか、いいえ、誰でも。金子みすず詩集百選
小さな命を見つめ続けた優しい女流詩人 「若き童謡詩人の巨星とまで称賛され、26歳の若さで世を去った 金子みすゞ珠玉の百編
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その日から とまったままで 動かない時計の針と哀しみと。竹久夢二詩集百選 竹久夢二詩集百選
愛と悲しみに苦悩し続けた人恋する詩人 みずみずしい言葉で、生涯愛と哀しみの情景を描き続けた 竹久夢二珠玉の百編 巻末広告
なるほど、この二人との三部作として企画された一冊なのだった。残念ながら、賢治自身はどのような紹介のされ方をしているのか、この本からは分からない。みすゞや夢二の本の巻末にある広告にだけ、賢治に対するコピーがあるのだろうか。
生きているものすべての幸福を願う仏教思想の詩人。大乗仏教の法華経に深く傾倒し、鮮烈で純粋な生涯のうちに宮沢賢治が創作した800余篇の詩から100篇を精選。自己犠牲と自己昇華の人生観が溢れ出る。(後略)
とある。おそらく、このようなコピーが短縮して使われているのだろう。
いずれにせよ、この賢治詩集百選には、それらのお飾りは一切なく、ただただ一冊の詩集として提出されている。それが見事でもあり、また、ぶっきらぼうでもある。初読者が読むには、お手軽そうでもあり、量的にも、内容的にも、ちょっと重そうでもある。
長年の賢治ファンが読むには、簡潔で懐中に携帯しやすい愛読版とも言えそうだが、さまざまな版や表記法がある賢治の詩ゆえ、高段者であればあるなりに、不満がでそうな一冊でもある。そもそも800余編の中から100編を精選した根拠がわからない。編者も誰なのか分からない。
さて、「復興の詩 3部作」とある限り、救援物資にそっと忍ばせる一冊、あるいは被災者自身が仮設住宅で読む一冊、と仮定して見た場合、これはこれで、すっきりしているのではないだろうか。
詩集は別に急いで一気に読むものでもないし、順に読まなければならないものでもない。折に触れて、一行一行の詩情を追えばいいのだ。むしろ、よけいな解説や解釈など必要ないだろう。むしろ通なら、これはここ、あれはあそこ、と一つ一つが分かるに違いない。
この一冊を通読してみて、あらためて、いくつかの点に気がついた。1)妹としの死があまりにも衝撃的であったこと。2)科学的用語、あるいはアフファベットが多用されていること。3)国柱会や法華経を通り越して、花巻地方を中心とした大自然が、賢治が明け渡そうとしていたマスタリーであったこと。
この三点を、当ブログの進行中の構図の中で捉えてみると、科学者としての賢治、芸術家としての賢治、宗教者としての賢治、の姿が見えて来る。一人の修羅として、あるいは探究者としての賢治は、妹としの死を契機としてさらに銀河に広がる意識の海を見る。そして、山や植物や動物たち、空や星々をマスタリーとして、37年の人生を駆け抜けていったのだった。
われらぞやがて泯(ほろ)ぶべき
そは身うちやみ あるいは身弱く
また 頑きことになれざりければなり
さあらば 友よ
誰か未来にこを償え
いまこをあざけりさげすむとも
われは泯ぶるその日まで
ただその日まで
鳥のごとくに歌わん哉
鳥のごとくに歌わんかな
身弱きもの
意久地なきもの
あるいはすでに傷つけるもの
ひとなべて
ここに集え
われらともに歌いて泯びなんを p221「われらぞやがて泯(ほろ)ぶべき」
賢治を、金子みすゞ、竹久夢二と相並べて、復興三部作、とすることの妥当性を論ずる力は当ブログにはない。しかし、賢治を必ずしも、3.11の「復興」とリンクしてしまうことに、多少の危惧を感じるものである。
そもそも、3.11とは、象徴的であったとしても、大自然、銀河系の中にあっては、小さな砂粒ほどの小さな風景に過ぎない。賢治は、生前中に体験した災害について、大いに心を痛めたが、必ずしもそこに留まる世界を生きていたのではなかった。
私たちは、3.11という、あまりに大きな具象性の前に立たされてはいるが、それを含みつつ、さらに広がる大きな世界に生きているのであった。そして、地球に生まれた一人の人間として、限界を抱えつつ、その限界を超えていく未知なる力も与えられているのであった。
3.11をみつつ、私たちはさらにその3.11の向こうに見える大きな真理に向かっていきていく必要があるのだ。その生きていく過程において、宮澤賢治という詩人は、力強く、あるいは優しく、私たちの傍らに、野の人として而立しているのであった。
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