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2012/01/18

フリスビー犬、被災地をゆく 東日本大震災、写真家と空飛ぶ犬、60日間の旅


「フリスビー犬、被災地をゆく」東日本大震災、写真家と空飛ぶ犬、60日間の旅
石川梵 2011/12 飛鳥新社 単行本 159p
Vol.3 No.0591★★☆☆☆

 この本の評価は、立場によって大きく変わるだろう。内容はタイトルとサブタイトル、そして表紙を見れば大体わかる。それ以上の説明もできるだろうが、説明は必要ないだろう。内容は、第一印象とそれほど変わりはない。

 功罪半ばする。いきなり功罪とは、あまりにも唐突だが、そんな言葉さえ、私の頭の中ではリフレインする。まず功だが、まずは記録として鮮明な画像が何枚かは残されたことになる。犬好きの人にとっては、犬に触れることによって、セラピー効果があったかもしれない。あるいは、すくなくとも、より多くの人が被災地に思いをよせ、このような形での関心の持ち方もあるのだ、という事実の確認にもなるだろう。

 そして、罪だが、いきなり罪とは言えないが、少なくとも、一読者としての私にはマイナス要素と思えることがいくつかある。それは、著者を客観的に評価した場合、ではなく、自分と比較した場合、こうなるだろう、という範囲に留まる。

 まず、私はカメラマン・マインドを持っていない。被災地にも足を運んだが、シャッターは押していない。ここではシャッターを押すべきではない、と思ったから、一切シャッターは押さなかった。カメラを持っていなかった訳でもなく、画像として残すべき風景がなかった訳でもない。

 自分の側にも甘えがあった。私が撮らなくても、誰かが撮るだろう。仮に「いい写真」ができたとしても、それが何だというのだろう。それは何を記録することになるのか。その写真から何が生まれるというのか。

 おなじ写真集でも「その時、閖上は 小齋誠進写真集」に対する、当ブログの評価は高い。たまたま駅から自宅まで戻るバスに乗り合わせた写真家が、たまたま持っていた高感度カメラで、地震がやってきて倒壊した街並みを撮影していた。そして、その後、数十分後には、津波がやってきて、その倒壊した街並みそのものを消してしまった。

 その町には、写真家自身の自宅があり、その自宅の変化を何枚かの写真によって記録として残してもある。写真家ならではの作業であり、ほぼ自費出版のような形で提示されたことにも、なにか共感をさそうものがある。

 しかるに、こちらの作品は、タイトル通りの内容である。それ以上でも、それ以下でもない。ある意味ふざけている。その、おふざけを、ジョーク、ユーモア、癒し、不謹慎、モノ好き、野次馬、目立ちがりや、変態、悪趣味、火事場泥棒、などなどと評価することも可能であろう。

 いや、私の頭の半分は、そういう評価で埋まっている。しかしまぁ、ここは、そうストレートに表現しておくべきでないだろう。ここで問われているのは、写真家ではなく、写真集を手にしている私自身なのだ。冷静になる必要がある。

 都心にいた私は、翌朝、自宅のある町田へ帰宅した。その足で調布飛行場へ直行し、セスナをチャーターすると、空か被災地の撮影を行った。p015

 すぐセスナをチャーターできるという立場にあるとはどういうことを意味しているのかは私には直ぐには理解できないが、すくなくとも、この写真家は被写体の状態に依存した写真家であるようだ。比較するとすれば、かたわらの何気ない風景や事物に、新しい発見をする写真家もいるのではなかろうか、という思いがあった。

 写真家として私がやるべきことはただ一つ、とにかく現場へ行くことだ。調布飛行場から自宅に帰り着くと、とるものもとりあえず、深夜、バイクにまたがると、一人東北を目ざした。p015

 まるで、特ダネでもあさっているような風景だ。その東京や、それこそ地元の町田市にだって、大きな変化があっただろうに、一番目立つところだけを切り取ろうとしている。

 13日に福島に入り、相馬市を訪れたのは14日だった。p016

 まさに、フリスビーを追っかけているのは、ボーダーコリー犬ではなくて、カメラマン本人だ。餌が欲しいのか、芸そのものが楽しいのか、とにかく、はしゃぎ回っているのは、カメラを持って、歯をむき出しにして、舌をベロベロしている写真家本人だ。

 その姿を見ていると、やるせない気持ちが湧いてくる。私は何をしているのだろう。みんな自分の務めを果たそうと懸命に働いている。いい大人が、自分だけ逃げていいのか。p019

 逃げる、というより、自らがその渦中に飛び込んでいったのだから、逃げる、という表現さえ当たらないだろう。怖いもの見たさに、洪水の時に、わざわざ川の増水を見に行くような行為なのだから。逃げる前に、近づかない、ということのほうが正解だったのだ。

 当ブログもまた、このような「危なっかしい」写真集に「近づかない」ほうがいいようだ。別に「逃げる」気もないのだが、なにはともあれ、3.11を語った新刊本コーナーには、このような程度の質の出版物もあるのだ、ということはしっかりメモしておこう。

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