地球人スピリット宣言草稿<29>THE FOOL、デクノボー、あるいは不用の用
<28>からつづく
「地球人スピリット宣言草稿」
<29>THE FOOL、デクノボー、あるいは不用の用
すでに「地球人スピリット宣言」カテゴリも80に達してしまった。108までの残るチャンスで、見事「宣言」まで到達することは可能であろうか。あるいはここは見事「草稿」に退却して、またのんびり再スタートしようか。
そんなことを逡巡しながら、このカテゴリの最後は何でしめくくろうか、と考え始めた。思いついたのは、結局はOsho Zen Tarotの「THE FOOL(愚者)」が適当なのではないか、ということ。愚者こそはタロットの主人公であるし、また探究者のシンボルでもあるし、締めくくりであり、再到達点としては、ひとつの円環のシンボルでもある。
そう考えてしまえば、賢治のデクノボーだって、なかなか素敵なシンボルではある。
ヒドリノトキハナミダヲナガシ
サムサノナツハオロオロアルキ
ミンナニデクノボートヨバレ
ホメラレモセズ
クニモサレズ
サウイフモノニ
ワタシハナリタイ 宮沢賢治「雨ニモマケズ」
こういうモノに私はなりたい、とまで集約できるかどうかはわからないが、賢治がならんとした、祈りの姿を、デクノボーという言葉は立派に表現している。あるいは老子の「無用の用」に通じるものでもある。
当ブログにおいては、「地球人」、あるいは「地球人スピリット」という慣用句を常用してきたわけだが、賢治の羅須地人協会もまた、「地」と「人」がある限り、なんらかの繋がりを設定することも可能ではないか、と模索してみる。
次のカテゴリ名を「べゼルバヴェシュの孫への話」と決めているかぎり、ここは適当に、不連続的に、「宣言」までこぎ着かなければならないのではないか、と、多少のあせりがでてくる。
しかし、ここはぐっと堪えて、THE FOOLでも、デクノボーでも、あるいは不用の用でもない、当ブログ独自の表現がでてくるまで、ぎりぎり待とうではないか。当ブログにとっての「地球人スピリット」とはなにか。「宣言」すべきものとはなにか。
賢治の場合は、雨ニモマケズは
南無無辺行菩薩
南無上行菩薩
南無多宝如来
南無妙法蓮華経
南無釈迦牟尼仏
南無浄行菩薩
南無安立行菩薩
という曼荼羅で終わるわけだが、当ブログにおいては、そのようなものは登場し得るのだろうか。
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