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2012/02/19

地球の家を保つには エコロジーと精神革命<4>  ゲーリー・スナイダー

<3>よりつづく

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「地球の家を保つには」 <4> エコロジーと精神革命
ゲーリー・スナイダー (著), 片桐 ユズル (翻訳) 1975/12 社会思想社 単行本 264p

 朝日新聞の記事「プロメテウスの罠」で「獏原人」を思い出し、獏原人で三省や部族を思い出し、そしてスナイダーを思い出した。また、別なプロセスで、3.11後の宮沢賢治を思い、その英訳「奥の国」をもっているスナイダーを思い出した。いずれにしても、当ブログにおいては、スナイダーは何度ももどってくることになるのだろう

 「奥の国」は、最近アマゾンから取り寄せたので、少しづつ楽しんでいるところ。

 当ブログは「足に土―原人・アキラ 須貝アキラ追悼集」から、あたらしく「ベルゼバベシュの孫への話」というカテゴリへの移行を経て、1975年の「星の遊行群」のほうへ話を進めようとしているが、なかなかスタートしない。

 3.11と賢治をダイレクトに繋ぐとすれば、石寒太「宮沢賢治祈りのことば 悲しみから這い上がる希望の力」が、ほんとぴったりだと思う。この一冊で、それはそれでいいと思う。しかし、それでは、なにかが決定的に矮小化されてしまっているのを感じる。

 そもそも3.11をどうとらえるかが問題だ。たしかに1000年に一度の大災害であることには変わりはないが、それでは、3.11以前の環境を戻すとする「復旧・復興」では、当ブログの精神性は満たされない。

 そもそも、その3.11以前の世界にこそ不満をもち、間違っている、と感じていたからこそ、当ブログがあり、また、個人的には、この人生があったのだ。だから、3.11で、いろいろな問題に気づいたのなら、それはそれでいい。しかし、もっと本質的な地球サイズの問題意識をもたなければ、「せっかく」の3.11も台無しになってしまう。

 天災、地災としての、地震、津波に対してなら宮沢賢治も「役に立つ」。その祈りは、たしかに、悲しみから立ち上がるための希望の力、になるだろう。しかし、「人災」である原発事故に対してはどうだ。

 天災としての地震は、地球が生まれた時から、ずっと続いてきただろう。それは、もう、地球の自然の営みと言っていい。それは避けて通ることはできないし、それは、ある意味、地球に新しい息吹さえ与えてくれる。人間が生まれる前から、ずっと続いてきている。

 地災としての津波もまた、山が海の恋人なら、海は山の恋人、というほどに、それは相互依存として機能しているのだ。津波は津波として、受け入れて、あるいはその恵みを受け取っていくしかないのだ。賢治が生まれ年にも、賢治が亡くなった年にも、津波はあった。人は悲しみを乗り越え、新たなる希望を見つけて生きてきた。

 しかし、人災としての原発事故はどうだろう。賢治が生きていた頃、その電子柱からは、原発事故なんて想像さえすることができなかった。「仮定された有機交流電灯のひとつの青い照明」には、放射線を出すことなど、できるわけがなかった。

 伝統的諸文化はどうみても運はつきている。だからそれらの良い点に絶望的にしがみつくよりは、よその文化にあったことや、あることはなんでも、瞑想をとおして無意識から再構成することができるということを覚えておくべきだ。

 じっさい、わたし自身のかんがえでは、きたるべき革命が輪をとじて、われわれを多くの方法で太古のもっとも創造的だった諸側面とむすびつけるだろう。

 もし運がよければわれわれはやがて完全に統一された世界文化に到達するかもしれない、そこは母系で、結婚のかたちは自由、金本位制でない共産的経済、工業はよりすくなく、人口はずっとすくなく、国立公園はうんとたくさんあるのだ。p164「仏教と来たるべき革命」

 スナイダーのビジョンは、一貫している。そして、半世紀が経過したいまでも有効だ。いや、いまだからこそ、さらに力強くなっている。

 瞑想の実践には、ただ「足のしたの地面」があればよいのだが、それはマス・メディアやスーパ―マーケット的大学によって精神に注入されたがらくたの山を一掃する。

 しずかにたっぷりと満足させられれば、目かくしし、傷つけ、抑圧するようなイデオロギーは力をうしない---「道徳家」をおどろかせるような種類の共同体社会への道がしめされ、愛することができないために戦うしかなかった男の大軍を変身させるだろう。p162同上

 地球と人との繋がりは、瞑想だ。瞑想を通じて、人は、自らの中に地球スピリットを見い出す。

 「革命」はイデオロギーの問題ではなくなった。そのかわりに、ひとびとはそれをいま試行しつつある--ちいさな共同体での共産主義、あたらしい家族組織。アメリカで百万人とイギリスとヨーロッパ大陸で百万人。ロシアではアンダーグランドの大軍が待ちかまえて今後4.5年のうちに姿をあらわすであろう。

 どのようにして彼らはおたがいに知り合うのか? つねにヒゲ、長髪、はだし、ビーズだとはかぎらない。

 しるしはきらきらした、優しい顔つき、しずかさとやさしさ、いきいきとして気らくな立ち居ふるまい。みんないっしょに時を知らぬ愛と知恵の小道を、空、風、雲、気、水、動物たちと草木を友としながら行こうとする男たち女たち子どもたち---これが部族だ。p207「なぜ部族か」

 ネット社会は、横に繋がれば、速成のマルチチュードたちを生み出すだろう。しかし、いまは、むしろ、縦に、上昇していくべき時だ。大地に、地球の上に、瞑想し、大地と地球に根づき、さらに、瞑想という羽をつかって、意識という大空にはばたく。そこには超意識の連帯、ひとつの宇宙意識への繋がりが生まれる。

 人類は、直接われわれに関係あるかぎりでいえば、約40000年の垂直軸と西暦1900年現在において水平のひろがりは約3000のことなった言語と1000のことなった文化をもっている。いきているあらゆる文化と言語はかぞえきれない雑交受精の結果であり、---文明の「興廃」ではなく、むしろ花のような周期的九州---開花と---破裂し種をまきちらす。

 今日われわれはいままでにはぜったいなかったほど人類の生活様式と可能性の多様性に気づいている、と同時に、むかしのサイレント映画のように、暴走する機関車にしばりつけられた奇想天外な破滅にむかってまっしぐらに突進している。

 科学は「かざりけない美しさ」を見ることができるかぎり、我々の味方だ。われわれが現代的であるということの一部は、われわれはわれわれのはじまりといっしょであるという意識---あらゆる時代と同時代人であり---あらゆることなった文化に属する---という意識をもつ事実である。p224「詩と原始」

 この本の原書は1969年にでている。片桐ユズルの邦訳がでたのは1975年12月だった。私がこの本を購入したのは、記録を見ると1977年10月ということになる。片桐ユズルは、1973年頃、私たちの小さなコミューンを訪ねてきてくれたことがある。 

 こういった時代性の中に、獏原人や、1975年の「星の遊行群」があった。

<5>につづく

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