足に土―原人・アキラ 須貝 アキラ 追悼集 <6>
『足に土――原人・アキラ』 須貝 アキラ 追悼集<6>
やまびこ編集室 1998/9 共同編集・発行 人間家族編集室 A5判・284P
★★★★★
第6章大鹿村の人々、そして第6章闘病生活と読み進めてみる。ここまでくると、「うんどう」とか「こみゅーん」とかいう言葉を離れた、アキラ本人の、アキラらしい素直な素顔が浮かび上がってくる。寡黙なアキラはやさしく笑っているだけなのに、雄弁なアキラが立ち上がってくるようだ。それはまるで、ジブラーンの「人の子イエス」を読んでいるようでさえある。
しかし、その中から立ち上がってくるのは、イエスのような救世主ではなく、賢治のいうようなデクノボーだ。ほんとうに、アキラは、賢治の生まれかわりであるかのように、その時代を生きた。いみじくも、私はこの文集の中に、2ページを与えられ、拙い追悼文を寄せたが、その中に、二度、宮沢賢治、という言葉を使っている。
しかしながら、この本に寄せられた100人以上の中に、その名を語った人はいない、ただひとりアキラ本人を除いては。
退院してからの約2週間ぐらいは、体もままならないので、悪い事ばかり考えてネ。どのくらい苦しんで死ぬのか、死んだら後に残ったものはどうなるのか、とか----。
畑の花の上にバッタリとたおれて死んでしまえば、みんなから「イヨー、大鹿の宮沢賢治」とでも声をかけられたのにとか思ったりして、くやしんだり。-----
体も順調になってくると、心の方も軽くなって来て、悪い事はほとんどどこかに行ってしまって、以前よりも明るくなったのではないかと思う程になりました。p246アキラ「トムと、いくちゃんと、わたると、かいへ」
こうしてみると、結局は、私はアキラにすでに見透かされていたように、「イヨー、大鹿の宮沢賢治!」、と言ってしまったのだった。その掛け声は、アキラにとってはよかったか悪かったかは、よくわからない。やっぱりアキラはその掛け声に対しても、風の中で静かに笑ったと思う。
終章には、資料として「『名前のない新聞』にみるアキラとコミューン」という記録を浜田光(あぱっち)が寄せている。記録をとる、という意味でのジャーナリズムとして、この新聞の果たしてきた役割は大きい。この新聞があればこそ残されたアキラの生きた姿がある。
10ページに渡るこの資料にも見えるとおり、アキラはもぐら、コミューン、獏、農業、というものを心から愛し、叫んでいた。いろいろ理想を語り会ったが、結局は、本当に大地と向き合い、作物を作り続けたのは、結局アキラしかいなかったのではないか。我が身を振り返ってみれば、忸怩たる気持ちで、そんな思いさえする。
詩人の工藤直子さんを訪ねた時のことだった。この人はゲームを考え出すのがとても上手で、その一つが「90歳になった自分を想像してみる」ことだったそうだ。
アキラに見えた90歳になった自分は、「獏」の地に座っている自分だった。「オレはそれぐらい、獏が好きだったんだよな」と言う通り、獏のことを語る時の口調は熱っぽかった。p252中村政子(わかめ)「1996年9月~1997年9月」
飛騨山中に独立するようになった僕は、隣の長野県大鹿村へは、年に1、2回は訪ねるようになったが、アキラと会っても、彼は決して「もぐら」や「ひまわり農場」のことは話題にしなかった。まるでコミューンという見果てぬ夢の実体を、見抜いたかのように。p142「山田塊也(ポン)「コミューンと八角堂」
またある時、ふっと思い出すように、共同体作りの夢を追って、がむしゃらに皆で力を合わせて働いていた時が一番楽しかったなあと、ぽつりともらしていた。泣けてきた。内田ボブ「アキラへ」
最近、古いブログのほうに、若い大学院生からメールをいただいていたことに気がついた。当時の日本の小さなコミューン運動について調べてみたい、との意向のようだった。数カ月後に返信したために、タイミングの悪い反応になったが、彼は何人かの当時の関係者(マサイも入っていた)には連絡がとれたが、結局はテーマを変更したため、特に情報は必要なくなったという。
自分の間の抜けた対応に反省しきりだったが、いや、この時期に、すこし昔を振り返っておくのも悪くないな、と思いだした。特に、1975年、と言う記念すべき年を、もうすこし丁寧にトレースしておくのも悪くないのではないか。そんな思いを次なるカテゴリ「ベルゼバベシュの孫への話」につなげようとしている。
しかしてまた、この本もまた、一つのコミューンに成り得ている。須貝アキラという、行ってしまった存在を中心に、一冊の八角堂に集まった人々が、大きなAUMのマントラを空に放っているようだ。
そして、いま、あらためて、3.11東電第一原発事故と福島県双葉郡川内村の「獏」を思う。
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