スティーブ・ジョブズとアップルのDNA 大谷和利
「スティーブ・ジョブズとアップルのDNA」Think different.なぜ彼らは成功したのか?
大谷和利 2011/12 マイナビ 単行本 207p
Vol.3 No.0604★★★★★
私はマック派ではない。別に積極的にマックが嫌いというわけではなかったが、結果的にそうなっていた、というしかない。マックでしかできない、ということはなかった。むしろ、私はマックに近づこうとしても、どうしても近づけなかったと言うことができる。
1983年に「携帯コンピュータ資格」(笑)を取得しているから、一般人としては割と速い時期からコンピュータに関心を持っていたと言える。ジョブスと同年代で、似たような時代性の中で生きてきたわけだから、無関心ではあり得なかったが、技術者ではないので、ただひたすら供給されるものを使ってくるしかなかった。
1998年に初代iMacが発売されたときに、我が子の高校入学祝いに買ってあげたのが、唯一私がマックに心躍った時代と言える。しかし、このiMacもそれほど製品寿命は長くなかったし、性能も決してよくなかった。
21世紀になって、ジョブスがいわゆる音楽革命をおこしたり、スマートフォン革命をおこしたり、とする中でも、私は積極的に取り入れてきたというより、回りに引きづられながら、やってきたという感じがする。
私の中でのコンピュータ革命は、もう技術的にはこれ以上は必要ないのではないか、とさえ感じているところがある。同じ年代でありながら、私はこの面に関しては、早々と老化をはじめていたのかもしれない。
ジョブスが亡くなった後、一種のジョブス・ブームが起きており、書店には関連の書籍が山積みになっているが、私はなぜか、そのエリアを遠回りして避けている。この本もまた、たまたま図書館で手に取っただけで、きっとこの本より優れているものはたくさんあるに違いない。
しかし、この分野に関しては類書を追っかける気はないので、内容的にはこの本で十分だ。それでもやはり、スティーブ・ジョブスには座布団を送りたいので、ここではレインボー評価とさせていただく。
若い頃のジョブズは、自分探し的な行動の一環としてインドにグル(導師)を探しに出かけたり、東洋思想に傾倒したリーダーが率いる「オールワンファーム」というコミューン(社会運動的な意味合いで、ヒッピー文化に根ざした共同生活コミュニティを指す)に参加し、後者においてはそのリンゴ農園の管理を任されていた。
しかし、理想とするグルには会えず、商業主義に走るコミューンのリーダーとも衝突する機会が増えて、ある意味でカルト的なそれらの集団からは距離を置くようになっていった。
その代りに彼の心を捉えたのは、瞑想を通じて悟りに至るという考えだ。西洋の合理的思考の対極に位置し、旅やコミューンを通じて直感を重視する東洋思想に触れたジョブズは、直観力は知力よりもパワフルであると感じ、それを磨くために好んで瞑想を行うようになった。結局のところ、誰かほかの人間から指導や指図をされるのではなく、自らが自然に目覚めていくという悟りのスタイルは、彼の性格的にもジョブズに適した精神修養の方法だったものと思われる。
そして、面白いは、彼の友人が証言しているように、ジョブズが修業を重ねるほど独りよがりで高慢な人物になっていったという点だ。普通は、この逆になるものだが、彼の場合には自分の都合のよい悟りの境地に達していったのだろう。この点からも彼は禅宗という宗教ではなく、禅そのものに関心があったというべきなのだ。p024「コミューンから禅へ」
まさに愛すべき同時代人である。
ジョブズは毎日、早朝に瞑想していたと伝えられるが、それは自分は何者か?という問いから逃れ、ありのままの自分を受け入れるためのの修練だったのではないだろうか。
そして、皆で一つのビジョンを共有して暮らすコミューンでの経験と、パーソナルコンピュータが情報化社会において人々を解放するという思想が、彼の直感によって融合したとき、ジョブズは、アップルを新時代のコミューン的存在にするという考えに至ったように感じられる。
それが如実に現れたのが、初代Macintoshの頃だった。有名な"The Computer for the Rest of Us"(マニア以外の人々のためのコンピュータ=誰もが使えるコンピュータ)というキャッチフレーズや、アーキテクチャをクローズドにして、すべてのユーザが同じ仕様のマシンを使うことで情報環境を平等なものにするという考えは、アップルという組織を借りてジョブズなりの理想郷を作ろうとしたことにほかならない。
その意味で、アップルとその製品に賛同するユーザたちのコミュニティは、彼にとってのコミューンだったのである。028「アップルこそが彼のコミューン」
まさに、愛すべきスティーブ・ジョブズ。だが、私は彼のコミューンの一員ではなかった。勿論、私はマック派でもなければ、ウィンドウズ派でもなく、あえていうならリナックス派だ。しかし、業務上、使用できるソフトがウィンドウズ版しか提供されれずに、結果論としてウィンドウズを使ってきただけである。
そもそもなぜにカウンターカルチャーであったのか。なぜコミューンだったのか、なぜインドや旅だったのか、という処に戻っていけば、パソコンやマックにこだわりつづけることも可笑しいことになる。
スマートフォンでツイッターやフェイスブックがベーシックな環境となりつつある今、重要なインフラはモバイルWiFiがキーポイントとなってきている。この環境が進化すればするほど、アラブの春のような現象がもっともっと起きやすくなるだろう。
人間進化の可能性を求めたジョブズの「かくめい」DNAは、今後も受け継がれていくだろうし、そのリレーは持続されていくだろう。スティーブ・ジョブズは素晴らしいランナーであったと思う。
冥福を祈ります。 合掌
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