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2012年2月の66件の記事

2012/02/26

OSHO ZEN TAROT <51>PLAYFULNESS(遊びに満ちる)

Zen027playfullness   からつづく

OSHO ZEN TAROT <51>

26.PLAYFULNESS(遊びに満ちる)

 生を深刻ではないもの、遊びに満ちているものとして見はじめるやいなや、あなたのハートの重荷がすべて消え去る。死の、生の、愛のすべての恐怖——あらゆることが消え去る。

 人はひじょうに軽い重みで、あるいは、ほとんど重みがなく生きはじめる。あまりにも重みがなくなるために、大空を飛べるほどだ。

 禅の最大の貢献は、深刻な人間にとって代わるものをあなたに与えることだ。

 深刻な人間が世界をつくってきた、深刻な人間があらゆる宗教をつくってきた。あらゆる哲学、あらゆる文化、あらゆる道徳をつくってきた。あなたのまわりにあるものは、すべて深刻な人間がつくりあげたものだ。

 禅は深刻な世界からドロップアウトしている。禅は独自の世界を創造している。まさに遊びに満ち、笑いに満ちた世界、偉大なマスターたちでさえも子どものように振るまう世界を——。
Osho Nansen: The Point of Departure Chapter 8

解説:

 生は、私たちが思い込んでいるほど深刻なことはめったにありません。そして、この事実を認めると、生はさらにもっと遊ぶ機会を私たちに与えることで応えてくれます。

 このカードの女性は蛹(さなぎ)の皮を破って約束された光のなかへと現われた蝶のように、生きていることの喜びを祝っています。

 彼女は、私たちがまだ子どもで、海辺で貝殻を見つけたり、次の瞬間には波が押し寄せ、流し去ってしまうかもしれないことなど気にもせずに、砂の城をつくったりしていた頃のことを思い出させてくれます。

 彼女は、生はゲームだということを知っていて、とまどったり、わざと見せかけたりすることもなく、今は道化師の役を演じています。

 「火の従者(ペイジ)」があなたの生に入ってくるときは、新鮮なもの、そして新しいものへの準備が整っているというサインです。

 なにか素晴らしいものの兆しがまさに現われていて、それを両腕を広げて歓迎するにふさわしい、遊びに満ちた無垢と明晰さという質があなたにはあります。Copyright © 2012 Osho International Foundation

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2012/02/25

Zen Mind, Beginner's Mind  禅へのいざない 鈴木俊隆 <3>

<2>よりつづく

Zen_2
「禅へのいざない」 Zen Mind, Beginner's Mind <3>
鈴木 俊隆 (著) 紀野 一義 (翻訳) 1998/06 PHP研究所  単行本 261p
★★★★☆

 この本、なかなか読み進めることができない。読めば、平易な日本語で書かれているし、内容も、ことさら難しい内容ではない。しかし、時節がら多忙であることもあり、まとまった読書時間がとれない。それでもなお。最後までは読んでみたいと思わせる魅力はもっている。

 道元はこの宇宙そのものである大我を「こころ」と表現し、また「いのち」と表現し、これに対しての人間の小我を「心」といい、また「命」と表現していたと思う。「正法眼蔵」の用例がいつもその通りであったということはできないが、少なくとも道元の真意はその辺にあっただろうと私は考えている。紀野一義 p57「正しい修行(RIGHT PRACTICE)」

 これは翻訳者による解説だが、いちいち登場するこの解説がうるさくないわけでもない。1970年のアメリカにあって、講演する鈴木俊隆の横に座って、アメリカの聴衆に翻訳しながら解説するのなら、それもありだろうが、ここで日本向けに、しかも後だしジャンケンのように、ひとつひとつ訂正する、というのは、どうであろうか。

 今日のメッセージは「自分の心(spirit)を育てなさい」ということです。これは、自分自身の外に何かを求めるなという意味です。これはとても大事なポイントで、禅の修行をする唯一の道です。p158「不変性(CONTANCY)」

 心をマインドと訳するかスピリットと訳するかは、局面において微妙な使い分けが必要だが、ことZENに関しては、しかも肯定的な意味において使われるなら、やはりスピリットのほうが適している。

 「忍」は、私の心(spirit)を育てる方法です。「忍」は修行を続ける道です。私たちは常に暗い空っぽの空に生きていかなればなりません。空(そら)はいつも空(そら)です。雲や稲光が来ても、空(そら)は乱されません。悟りという稲光が来ても、私たちの修行はそれについてすべて忘れてしまうのです。

 そうすれば、もう一つの悟りを受け入れる用意ができます。次々と、できれば一瞬一瞬に悟りを得ることが必要です。それが悟りを得る前の悟り、そして得たあとの悟りと呼ばれるものです。p162「正しい態度(RIGHT ATTTITUDE)」

 この本には、当然、英文の原文があり、また、新訳として松永太郎・訳が2010/08にでている。わずか10年で新訳がでたということは、この本の版権の問題もあるだろうし、また、訳自体、あるいは本の作られ方自体が、どうもいまいちで、現代の若い世代にフィットしていなかった、ということができるだろう。

 紀野・訳と、スティーブ・ジョブズは、直線的には繋がりにくいけれど、なにはともあれ、英文や新訳はあとから読み比べることとしても、この本にはこの本の味わいはある。

<4>につづく 

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2012/02/24

OSHO ZEN TAROT <50>COURAGE(勇気)

Zen009courage  からつづく

OSHO ZEN TAROT <50>

8.COURAGE(勇気)

 種子には、この先なにが起こることになるのか知ることはできない。種子は花のことなどこれまで一度も知らなかった。そして、自分が美しい花になる力を秘めていることなど、種子には信じることすらできない。旅は長く、道はわからず、なにひとつ保証はないのだから、旅に出ないほうが安全なのは決まっている。

 保証はなにひとつありえないのだ。旅の危難は数限りなく、落し穴はいくらでもある ——が、種子は硬い核のなかに秘められて安全だ。だが、種子は試みる、努力する。安全だった硬い殻を落とし、種子は動きはじめる。すぐに戦いがはじまる——土との、石との、岩との格闘。しかも、種子はひじょうに硬いが、芽はとてもとても柔らかく、危険はいくらでもある。

 種子には危険はない。種子は千年も生き永らえることができただろう。だが、芽には多くの危険が待ち受けている。だが、芽は未知なるものへと、太陽へと、光の源へと、どこともわからないまま、なぜかもわからないまま、進みはじめる。背負う十字架は大きい。だが、種子は夢にとり憑かれ、進んでいく。

 人間にとっても道は同じだ。容易ではない。多くの勇気が必要になる。
Osho Dang Dang Doko Dang Chapter 4

解説:

 このカードが示しているのは、昼の光へと出ていく道の途中で、岩や石の挑戦を受けている小さな野の花です。明るい金色の光のオーラに包まれて、その小さな自己の尊厳をさらしています。恥じることもなく、野の花は、もっとも明るい太陽にも匹敵します。

 ひじょうに困難な状況に直面したとき、私たちには選択の余地があります。腹を立て、苛酷な運命をほかのせいにするために、なにか人かものごとを見つけようとすることもできますし、その挑戦を正面から受け止めて、成長することもできます。この花は、その道を私たちに示しています。

 生への自らの情熱によって暗闇から抜け出し、光へと導かれていくのですから——。生のいくつもの挑戦に抵抗したり、その挑戦を避けたり拒絶しようとしたりしても、なんの意味もありません。それはそこにあり、そして、もし種子が花になることになっているのであれば、私たちはそれを通り抜けなければならないのです。もともとなるべき花へと成長していけるだけの勇気をもちましょう。Copyright © 2012 Osho International Foundation 

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2012/02/23

Zen Mind, Beginner's Mind  禅へのいざない 鈴木俊隆 <2>

<1>よりつづく 

Zen_2
「禅へのいざない」 Zen Mind, Beginner's Mind <2>
鈴木 俊隆 (著) 紀野 一義 (翻訳) 1998/06 PHP研究所  単行本 261p
★★★★☆

 こちらの本もゆっくりゆっくり読み進めている。初心者向けのコンパクトな本、というイメージがあったが、なかなかどうして、噂通りの、本格的な、本質的な一冊である。

 禅マインドの修行は初心者の心です。「私は誰なのか?」という最初の疑問の素朴さは、禅の修行の間中ずっと必要です。初心者の心は空っぽで、熟達者のような癖がなく、なんでも受け入れ、疑い、そして、あらゆる可能性に対してオープンなのです。1970年京都にて リチャード・ベーカー p20「はじめに」

 この本は輻輳的に解読される必要がある。そもそもの瞑想について。仏教における座禅について。20世紀における欧米、とりわけアメリカの精神風土について、そこに禅を持ち込んだ鈴木俊隆。そして20世紀も最後になって、日本の翻訳者が、日本人にむけて、もともとの日本語に翻訳しなおす、という作業。これらが、渾然となっている。

 日本には”初心”という言葉があります。これは初心者の心という意味です。修行の目標は初心者の心を持つということです。p30

 いちばんむずかしいことは、常に初心を忘れないことです。禅を深く理解する必要はありません。禅に関する文献をたくさん読んでも、文章を一つ一つを新鮮な気持ちで読まなければ何にもなりません。p31

 Osho瞑想に親しんでいる者においては、このZen Mindという用語に、最初から引っ掛かることになる。そもそもOshoにおいては、Zen Mindなんて言葉さえ、存在しないことになっている。Zen Spiritなら、まぁ、あり得る用語ではあるが、やはりZenはZenでしかないだろう。

 Zenを、臨在禅とか曹洞禅などと名付けているのは、日本のガラパゴス的禅風土の悪癖であって、そもそもはボーディダルマや、マハカーシャッパまで戻ってみれば、そんな違いや文化や伝統は、ほんのわずかな小さな差になってしまう。

 ましてや、更にゴータマ・ブッタ、や、更にその以前まで遡る、東洋の、あるは地球の、偉大なる遺産としての瞑想の系譜をZenと見るのなら、この本に語られている、多くの部分は、かなり表現不足ということになる。あるいは、たくさんの解説が必要となる。

 それを察したのか、この本の翻訳者である紀野一義は、さかんに鈴木俊隆の教えに茶々を入れる。どのタイミングで、どうしてそうしたのかは、この本全部を読んだあとでなければよくわからない部分も多い。

 問題は、60年代のアメリカとか、20世紀末の日本とか、カウンターカルチャーとか、スティーブ・ジョブズとか、いろいろな雑念が湧いてくるのを、かぎりなく避けて、結局は、私はだれか、という、この私自身がZenと向き合うことにある。

 紀野一義は、Oshoの「道元 その探求と悟りの足跡」(1992/10OEJ)に解説を書いている。

<3>へつづく

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OSHO ZEN TAROT <49>COMPLETION(完成)

Zen022completion からつづく

OSHO ZEN TAROT <49>

21. COMPLETION(完成) 

 ものごとを最後まで言わないこと——これが禅のやり方だ。これは理解されなければならない。ひじょうに意義深い方法論だ。すべてを言わないということには、聞き手にそれを完成させる機会を与えるという意味がある。

 答えはすべて未完成だ。マスターはあなたにただ方向を与えているだけだ……。あなたが行き着くところにまで行き着いてしまえば、なにが手元に残ったのかがわかるだろう。

 だから、たとえ誰かが禅を知的に理解しようとしても、失敗することになる。それは問いに対する答えではなく、答え以上のなにかだ。それは現実(リアリティ) そのものを指し示している……。

 仏性は遠くにあるなにかではない——あなたの意識そのものが仏性だ。そして、あなたの意識は、世界を成り立たせているものごとをその場で見ることができる。
世界は終わっても、鏡は残る——なにもないことを映しながら
Osho Joshu: The Lion's Roar Chapter 5

解説:

 ジグソーパズルの最後のひとかけが、しかるべき場所、第三の眼の位置、内なる洞察の場に置かれようとしています。果てしなく変化する生の流れのなかにあってすら、これで完成というポイントに行き着く瞬間がときにはあります。

 こうした瞬間に、私たちは絵全体を、長いあいだ気になっていた小さな断片すべてが組み合わされた全体像を読み取ることができるのです。

 仕上げてしまったら、私たちにできることは、この状況が終わることは望んでいないので絶望してしまうか、それとも、感謝して、生には多くの終わりと多くの新しい始まりがあるという事実を受け容れるか、そのどちらかです。

 なんであれ、これまであなたが時間とエネルギーを注いできたそのすべてが、今、終わろうとしています。それを完成させることで、あなたは新しいなにかが始まるためのスペースをきれいにかたづけて準備することになるのです。

 この間合いを両方に——古いものの終わりと新しいものの到来を祝うことに使いましょう。Copyright © 2012 Osho International Foundation 

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2012/02/22

プロメテウスの罠 原始村に住む 福島川内村 漠原人 朝日新聞<4>

3>からつづく

「プロメテウスの罠」 原始村に住む <4>
福島川内村 漠原人 朝日新聞 2012/02
★★★★★

 今日はどこに行って読もうか。そういえば、床屋がいいのではないだろうか。そう思いついて、さっそく行ってみたが、順番を待っている間に読めたのは、地元紙一つと、スポーツ新聞2紙。あとは週刊誌のみだ。床屋では「朝日新聞」はすこし堅すぎるのかもしれない。

 やっぱり、今日も図書館に行って読むことになった。15回連載で、どうやら、今日で「獏原人」のシリーズは終わりのようだ。もうすこし、食い込んでくれるかな、と思ったが、所詮マスメディアはこの程度だろう。

 マサイは昨年10月に、川内村の村会議員に立候補した。記事では、57票の得票で、落選、ということばかり書かれているが、これは、実は、「次点」だったのだ。

 「川内村議会議員一般選挙 開票結果」を見ると、投票者総数2,137、トップ当選者326票、最下位当選者122票。次点のマサイはこの半分だが、それでも、まったく可能性がなかったわけではない。さらに得票が少ない人は、マサイの下に二人いる。今後、場合によっては「次点くりあげ」なんて事態もないわけでもない。

 しかしまぁ、村という行政組織ではあるが、かなりミニマムな環境だ。私の住む町内会は、会員が1200所帯ある。一軒2人以上の成人がいるとすると、ほぼ川内村と同じ人口を抱えている、ということになる。面積は、ほんの数百メートル四方なのだが。

 国内大手SNSのマサイのページを見ると、震災直後の獏原人は0・60μSv/hほどの放射線量だったが、最近は0・30μSv/hほどで推移しているようだ。もっとも、屋内と屋外に差はあるだろうし、もっとこまかいメッシュで調査してみる必要があるだろう。

 それでも、ふと考えてみる。0・60~0・30μSv/hエリアで作られた野菜や鶏卵を、私はなんの疑問もなく購入することができるだろうか。私ほどの年齢なら、もうあまり関係はない、とされているが、やっぱり命は惜しい。できれば長生きしたい。

 記事では、結局、電気の問題に終始して、文明そのもの、それに対峙するカウンター・カルチャー、という構図まではもっていくことはなかった。原発VS太陽光発電、程度だった。そもそもが「プロメテウスの罠」という原発に関わるテーマだったからしかたないが、やはり、これをきっかけに、文化、文明を、見直し、シフトし、トランスフォーメーションすることこそ、大事だと思うのだが。

 3.11直後、隣の家が太陽光パネルを屋根の上にあげているので、ケータイの充電などをさせてもらった。我が家でも真剣にパネルを屋根に上げることを検討してみた。しかし、どうも採算が合わない。

 見積もりは5~6社とってみた。性能も工法もまちまちだが、最安価格で100万程度で上げることができるようだ。まだ契約はしていないが、どうも腑に落ちない点も多い。

 そもそも、月8000円程度の電気代だとすると、年に10万円。100万円といえば、その電気代を10年先払いすることになる。そのことにどれだけのメリットがあるのだろう。売電というメリットもあるようでもあるが、これも腑におちない。自宅で作ったものは、自宅で消費したい。別に発電で利益を挙げようと思っているわけではない。

 ましてや、現在は原発でつくられた電気をつかっているわけではない。太陽光発電などを考えていると、なにかをすり替えられてしまっているような、感じを味わう。いずれはなんとかしなければいけないのだが、電気のことだけではなく、それを取り巻く文化、文明の行き先を考えてみたい、と思っているのだ。

 今回の朝日新聞の「プロメテウスの罠」も、そういう意味では面白い企画ではあるが、こと獏原人のシリーズでは、まだ、そこまでは食い込んではいなかったと思う。どこか、内部告発的なニュアンスだけが突出していたように思う。

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OSHO ZEN TAROT <48> POSTPONEMENT(引き延ばすこと)

Zen062postponement_2前からつづく

OSHO ZEN TAROT <48>

61 POSTPONEMENT(引き延ばすこと) 

 引き延ばすことは、たんにばかげている。明日になったところで、あなたはまた決心しなければならなくなるのだ。そうであれば、なぜ今日ではだめなのかね?

 それに、明日になったら今日よりも自分は賢くなっていると思うかね? 明日の方が今日よりも活き活きしていると思うかね? 今日よりも明日の方が若くなっている、より新鮮になっていると思うのかね?

 明日の方が、あなたは年をとっている。あなたの勇気はなくなっている。明日の方が、あなたは経験を積み、もっとずる賢くなっている。明日の方が、死はより近づいている——あなたは迷い始め、もっと怖くなるだろう。

 けっして明日に引き延ばしてはいけない。それに、誰にわかるかね? 明日は来るかもしれないし、来ないかもしれない。もし決めなければならないのなら、まさに今、決めなければならない。

 歯医者のフォーゲル先生は、かわいい娘の診察を終えて、「ベースマンさん」と口を開いた。「どうも、親知らずを抜かなければならないようですな!」
「わあ、どうしよう!」と娘は驚いたように言った。
「わたし、ほんとうは子どもが欲しいの!」
「そうですか」とフォーゲル先生は言う。「どちらかに決めてくださいよ、椅子の調節がありますからね」

 決めるがいい。永遠に引き延ばしてばかりいてはいけない。
Osho Dang Dang Doko Dang Chapter 8

解説:

 この絵の女性は非現実的な、切り抜いた雲がいっぱい出ている灰色の風景のなかで生きています。窓枠を通して、彼女は色彩と光と活気を見ることができますし、その枠を通り抜けて行きたいとも思っているのです が——それは彼女の着ている服に虹色が現われていることからもわかります——でも、どうしてもそうすることができません。

 彼女の心のなかにはまだ、「もし、こんなことになったら?」という動きが多すぎるのです。明日は、明日は、と延ばしていたのではなにもできないとよく言われますが、そんなことをいくら言われても、私たちのほんどは、その真実を忘れようとしがちです。

 事実、ものごとを引き延ばして得られる唯一の結果は、未完成で「行き詰まっている」という、鈍く憂欝な、今日の感じでしかありません。

 あなたの今の動きを妨げている心の迷いをすべて脇に置きさえすれば、安堵と広がりが感じられ、なぜ自分はこんなに長い間待っていたのか不思議に思うでしょう。Copyright © 2012 Osho International Foundation

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2012/02/21

ななおさかきの地球B 現代詩手帖2010年10月号

Nanao
「ななおさかきの地球B」 
「現代詩手帖」2010年10月号 思潮社 雑誌 特集100P~122P
Vol.3 No.0620★★★★★

 ナナオという名前を一番最初に誰から、何処で、聞いたのかはすっかり忘れている。いくたびごとに、何処から聞こえてくる名前だった。それは「部族」という、どこか古代の洞窟のような響きのなかから、輝くアマテラスのような不思議な光を放っているかのような雰囲気をもった名前だった。

 何度か聞いているうちに、やがて記憶に残ったのが、パンタ笛吹(そのころは単に笛吹だった)が、「旅でいろんな人にであったけど、一番すごいのはナナオだ」と言った時のことだった。それは練馬の都市コミューン「蘇生」に泊っていた時のこと。

 笛吹自身、そうとう面白そうな人物だった。やたらと長身で、やたらと笑顔だった。縁側に座って、雀と話をしていた。たぶん1973年頃のことだろう。

 その後、すぐにナナオのポエトリーディングと出会った。東京のどこぞのロックハウスだった。私は東京の人間じゃないので、よく覚えていないが、結構有名なところで、仲間内なら、すぐ思いだしてくれそうなところだった。

 ナナオは長靴をはいていた。ネクタイやスーツでは、もちろんなかった。長靴や土方ジャンパーなら、こちらもアルバイトで土いじりをしていたので、別に驚かないし、対抗して地下足袋に軍手だってしていっただろうが、いや、そういう話ではなかった。

 彼は、ピアノをひいた。なんの曲か、という問題ではない。それはジャズとか、もったいぶったものでさえなかった。楽器にさわり、うつくしい音をだした。そういうことをする人だった。

 なんの詩を聞いたか、なんてこともすっかり忘れた。というか、多分、聞いていなかった。彼の存在そのものが、詩だった。かなり衝撃だった。10代の私にしてみれば、あまりに唐突に目の前に現れた、異世界への入り口だった。

 あるいは、ハーメルンの笛吹きのようですらあった。彼の回りには、若い連中が集まっていた。取り巻いていたのか、徒党組んでいたのか、それすらもよくわからなかった。結局、それは、どっちでもなかったし、どっちでもよかったのだ。

 それから、かるく40年の時間が経過したわけだが、う~ん、いろいろあったな、と思う。いや、彼ばかりではなく、彼をとりまく、あるいは、私を含む、この地球上には、いろいろなことがあった。

 この「現代詩手帖」の特集は20数ページと短いが、ナナオの詩と、死、そして、新しくできた詩集「ココペリの足あと」の出版と期を一にして編集されている。 

 この特集の中には、スナイダーとナナオの対話。6畳二間のナナオの居住スペースに積まれていた蔵書の数々。それを引き取りにいった古書店主の話。白石かずこオバチャマのナナオを弟分として見ているような、お茶目なお話。などなど、散発的だが、刺激的な原石が、ゴロゴロ積まれている。

 ナナオは、老子よりも孔子を高くイメージしているようなところも、興味深かった。一茶もすきだったようだ。

ブライダイ いつから歩きはじめたんだ?

ななお ああ、いつも同じ質問されるよ。おれの答えは、----生まれる前から、だ(全員、大笑)。

 一茶を読んだから歩きはじめたってわけじゃないってこと?(笑)

 ちがうよ。「いつ詩を書きはじめたんだ?」っていう質問と同じだ。そう思うよ。オッケー、おれは生まれる前から詩を書きはじめていたんだ。そうだろ! ほんとに。何世紀も前から。当時おれは、芭蕉とか一茶、蕪村、シェイクスピアなんて呼ばれていた。

 そうやって受け継がれていく精神って、なにかな?

 そんなこと、考えたこともないぞ。おれはここにいて、なにか書いているだけだ。そしてそれは古代からの言霊(エコー)だ。p120インタビュー「一杯のお茶と焼き魚(抄)」

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プロメテウスの罠 原始村に住む 福島川内村 漠原人 朝日新聞<3>

<2>からつづく

「プロメテウスの罠」 原始村に住む <3>
福島川内村 漠原人 朝日新聞 2012/02
★★★★☆

 数日前から、ストーリーが急展開し、主なる登場人物としてマサイが中心になってきた。実際には、彼のことはよくわからない。この時代においては、顔や「方向性」は知っているが、ニックネームしかしらない、という友人たちが沢山いる。それがまたカッコよかったのだろうし、他の肩書は、むしろ邪魔になったのだろう。

 まぁ、そういいつつ、この新聞記事で初めて、その生い立ちや生き様がみえてくる部分もある。書かれるほうは、すこし被虐的な気分になるかもしれないが、個人情報が見えてくるのは、読者としてはたのしい。

 ということで普段は新聞を読まない自分ではあるが、コンビニで新聞を買ってみた。なるほどな、とは思ったけれど、自分が読みたいな、と思った記事の何倍もの紙の媒体が、ちょっとうっとうしかった。

 実際に新聞を買ってみた、自分の反応に驚いたのだが、原人の記事を読んだあとは、他の記事をいっさい読まずにかたづけてしまった。翌日の大工仕事に使ってしまって、結局は何一つ読まなかった。

 これはまずいと思い、それからは、スーパーの新聞スタンドでサッと立ち読みしたり、図書館で覗き見をしたりした。図書館も最近はかなり混んでいて、お目当ての新聞をなかなか読むことができない。私と同じく、宅配新聞を取らない人が図書館に来て読む確率が高くなっているのではないだろうか。

 さて、マサイが獏原人にやってきたのは、70年代の中ごろ、他のグループが抜けたあとだった、ということだから、1975年頃のもぐらのあと、と考えて、まずはよいのであろう。須貝 アキラ 追悼集「足に土―原人・アキラ」を引っ張り出してきて、時代公証(笑)してみる。すこしづつ立体的になってきたぞ。

 それにしても、例えば、ヘンリー・ソロービル・マッキベンのように、文明批判をしながら、都会を離れ、山地に自給自足の場につくろう、とする試みは結構あるのだが、最後まで、その地で暮らしを立てるという人物たちはそうザラにはいない。結局は、よくもわるくもその地を離れることが多いのだが、このマサイに関しては、あれからよくもまあ、40年近くも福島の山中で暮らしたものだと思う。

 鶏卵で現金収入10万円、ということだが、これはこれなりに相当にすごいことだ。単純に計算してみると、一個10円の卵を、月に1万個商品化する、ということだから、一日に300個以上の卵を、1年365日ずっと扱っていることになる。

 これもまた、買い手を確保しての上のことだから、配達などしているのでは、そうとうな労働である。もちろんエサ代もかかるだろうし、順次ヒナも育てていかなかればならない。だが、それで得られる収入は月10万円。

 山地でとれる自然の恵みは大きいとは言え、日本国民として暮らすなら、国民年金も収めなければならないだろうし、健康保険料も納めなくてはならないだろう。夫婦二人分と、子どもがいれば、子どもの教育費もバカにならないはずだ。

 私の人生は、けっして誇れるものではなかったけれど、町に住んでいる限り、10万円では暮らせなかった。本当に若い時に、子どももまだ就学前だったら、何とか暮らせたが、それでも、家賃ただ、井戸水無料、野菜やコメは、しょっちゅう貰える、という環境にいた時だけだった。

 森に住む、山で暮らす、農業をやる、田舎に住む、というのは、ひとつの「理想」としてはあるが、若い時分から一生そのスタイルをやりとおす、ということは並大抵なことではない。土地を先祖から受け継いだプロの農業従事者でさえ、自立した農業を、21世紀のこの現代日本で経営するのはただ事ではないのだ。

 いずれにせよ、多分であるが、そのように想像するようなスタイルの中で、獏原人のマサイは(あるいはその周辺の人々)は生きてきたのだろうし、今回の、この未曾有の3.11災害に遭遇したわけだった。

<4>につづく  

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KOJURO AND THE BEARS Junko Morimoto

Kojuro
「KOJURO AND THE BEARS」 
Junko Morimoto (著, イラスト)  1986/11 ハードカバー 出版社: HarperCollins (Australia) Children's (/17) 言語 英語
Vol.3 No.0619★★★★☆

 宮沢賢治「なめとこ山の熊」の英訳絵本。そもそもは Helen SmithThe bears of Mt. Nametoko、という翻訳があり、さらに KOJURO AND THE BEARS というタイトルになり、そこにシドニー在住の1932生まれの画家Junko Morimoto がイラストをつけて、一冊のハードカバーの絵本にした、ということのようだ。

 よく知られた童話でもあり、シンプルな登場人物たちではあるが、意味は深い。英語もシンプルで、読みやすいが、これはグロービッシュというより、ジャパニッシュに近いかもしれない。賢治のあの世界が、この英語で、どれだけ世界のスタンダードに成り得るかは不明だが、こういう形で、賢治がグローバル化してきたんだな、ということが分かる。

 この本には同じ作家と画家の組み合わせで別バージョンの絵本もあるようだ。こちらの絵本のイラストは、ちょっと堅く、より具象化されているので、あの賢治の持っている暗さと明るさのアンバランスの中にイメージをかきたてる深さがやや欠けているようにも感じる。

 「なめとこ山の熊」の翻案である熊谷達也の「邂逅の森」なども思いだされるが、あちらは大人の世界であるが、こちらは童話の絵本でもあるし、幅のひろい解釈、発展があっていいのだろう。

KENJI MIYAZAWA was only 37 years old when he died, but in his short life produced many works, including childrens' stories which are considered classics in Japanese literature. He was born Iwate prefecture which is located in northern Honshu, the main island of Japan.

Educated in his native region, he completed his studies at agricultural college before moving temporarily to Tokyo, a city he returned to many times in his life to further his studies.

To support himself he taught agronomy to local farmers, as well as organising a childrens' club and other activities including record concerts. At night e worked on his writings. His health had started to fail badly by the time he turned 29 and he devoted his remaining energy to writing poetry and studying mathematics an calligraphy. Kenji Miyazawa died of tuberculosis in 1933.

This text has been freely adapted from Kenji Miyazawa's story, The Bears of Mt Nametoko, by Helen Smith, who has adapted Junko Morimoto's previous books for Collins. 裏表紙

 すこしく、ステロタイプ化した賢治像が量産されている気もするが、それをとやかく言う立場に当ブログはない。ただただ、その末広がりの動きに圧倒されるだけだ。

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2012/02/20

The Back Country 奥の国 Gary Snyder <2>

<1>からつづく 

Gary_snyder
「The Back Country」 奥の国 <2>
Gary Snyder (著) 1968 ペーパーバック: 150p 出版社: New Directions; New版 言語 英語,
★★★★★

 ゲーリー・スナイダーが1968年の段階で宮沢賢治を英訳していたという記念碑的な一冊。「英語で読み解く賢治の世界」ロジャー・パルバースが来日したの1967年だから、そのころスナイダーはすでに、翻訳を終了していた、ということになるだろうか。

 もっとも、スナイダーの翻訳は、十全なものではなく、このペーパーバックにおいても20数ページを割いているだけである。紹介している詩も部分的となり、20編たらずのものである。しかしながら、初期の詩集において賢治を紹介しているということ自体、スナイダーと賢治に通じる、シンパシーの存在を察することができる。

MIYAZAWA Kenji (1986~1933)

・・・・was born and lived most his life in Iwate prefecture in northern Japan. This area, sometimes called the Tibet of Japan, is known for poverty, cold, and heavy winter snows. His poem are all from there.

He was born and live his life among the farmer: a school-teacher ( Chemistry, Natural Sciences, Agricluture) and a Buddhist. His poems have many Buddhist, as well as scientific vocabulary.

The bulk of his work is colloquial and metrically free. His complete work, published after his death, contains seven hundred free-verse poems, nine hundred tanka poems, and ninety children's stories. P130

 岩手県を、日本のチベットと言い始めたのは誰なのか知らないが、いつかはどこかで出て来るだろう、と思っていたが、まず最初にスナイダーの本の中に見つけたのが、なぜか可笑しい。

 そもそも、日本地図を、世界地図に対応させてみている「国魂学」などから言えば、本州をユーラシア大陸と見た場合、その北部中央にある雪深い地方と、岩手や花巻は一脈通じるところがある。

 また、賢治がイーハトーブとなずけたものが、どこかチベットのシャンバラと親和性を道始めたりするから、まさに賢治を媒介とするかぎり、岩手は日本のチベット、と言うことは可能であろう。

 この詩集は5部構成になっており、FAR WEST Ⅰ、FAR EAST Ⅱ、KALI Ⅲ、BACK Ⅳ、そして最後にMIYAZAWA KENJI Ⅴ、となっている。

 どこか

 どこか、東ニ病気ノコドモアレバ 行ッテ看病シテヤリ 西ニツカレタ母アレバ 行ッテソノ稲ノ朿ヲ負ヒ あたりを連想するのは私ばかりだろうか。

 以前、三省、スナイダー、賢治を並べてみた時に、スナイダーから賢治へのベクトルを、山里勝己「場所を生きる ゲ-リ-・スナイダ-の世界」( 2006/03 山と渓谷社)に代表させてみたのだが、むしろ、ここはやはりスナイダーから賢治へのオマージュともいうべき、この「The Back Country」をこそ、指名すべきだと思われる。

3

 最初、 かなり曖昧だったイメージが、すこしづつ鮮明なトラアングルを形成しつつあるように思う。

<3>につづく

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OSHO ZEN TAROT <47>POLITICS(政治)

Zen065politics_2前からつづく

 

OSHO ZEN TAROT <47>

 

64. POLITICS(政治)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 うまく装うことのできる人、偽善者になれる人であれば、誰でもあなたがたの政治的な指導者になるだろう、あなたがたの宗教的な聖職者になるだろう。そういう人には偽善だけがあればいい。ずる賢さだけがあればいい。その背後に隠れる装いがあれば、それでいい。

 

 あなたがたの政治家たちは二重の生活をしている。あなたがたの聖職者たちは二重の生活をしている——。ひとつは表の入口から、もうひとつは裏口から。そして、その裏口の人生こそが彼らのほんとうの人生だ。表口での笑みは偽りにすぎず、とても無垢なように見えるその顔は、訓練で鍛えたものにすぎない。

 もし政治家のほんとうの姿を見たければ、政治家をその裏口から見なければならない。そこでこそ、政治家は自分のあるがままをさらけ出しているし、聖職者も同じだ。この二種類のずる賢い人たちが人類を支配してきた。

 

  しかも彼らは、もし人類を支配したければ人類を弱くし、罪悪感を抱かせ、自分には価値がないと思い込ませることだということに、ひじょうに早くから気づいていた。その尊厳を破壊し、栄光をすべて取り去り、屈辱を与えることだ、と。

 

 しかも彼らは、まったく目につかないほど微妙なやり方で屈辱を与える方法を見いだした。あなたに屈辱を与えるのは、あなたを破壊してしまうのは、あなた自身に任せるのだ。彼らはあなたがたに一種の緩慢な自殺を教え込んできた。Osho The White Lotus Chapter 10

 

 

 

解説:

 

 この人が誰だかわかりますか? もっとも無垢で誠実な人を除いて、私たちみんなの心のどこかに策を弄する政治家が潜んでいます。事実、心(マインド)は策士です。状況と人びとを操ろうとして画策し、策略を用い、自分の欲しいものを手に入れようする、それが心の本性なのです。

 

 ここでは、その心は雲で覆われた蛇で表わされ、「二枚舌」を使っています。しかし、このカードを理解するうえで大切なことは、どちらの顔も嘘だということです。甘く、無垢な、「私を信頼して」という顔も仮面であり、邪悪で、毒をもち、「おまえなんかおれの思い通りになるんだぞ」という顔も仮面です。

 

 このゲーム全体が嘘なのです。このゲームをしていないかどうか、自分自身をよく見てみましょう。そこであなたが見るものは痛みを伴うでしょうが、ゲームをさらにつづける痛みほどではありません。そんなことをしても、最終的には誰のためにもなりませんし、なによりもあなたのためにはまったくならないのです。このやり方でなにかを達成したとしても、それはすべて水泡に帰してしまいます。Copyright © 2012 Osho International Foundation

 

次へつづく

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2012/02/19

Zen Mind, Beginner's Mind  禅へのいざない 鈴木俊隆 <1>

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「禅へのいざない」 Zen Mind, Beginner's Mind <1>
鈴木 俊隆 (著) 紀野 一義 (翻訳) 1998/06 PHP研究所  単行本 261p
Vol.3 No.0618★★★★☆

 ジョブズの関連本は、大谷和利「スティーブ・ジョブズとアップルのDNA」と、石川温「スティーブ・ジョブズ奇跡のスマホ戦略」を、読んだから、もうじゅうぶんだなぁ、と思っていたら、書店のコーナーで、見なくてもいいような本の腰巻を見てしまった。

 「ジョブズの禅」ときた。

Zen3

 彼の心を捉えたのは、瞑想を通じて悟りに至るという考えだ。西洋の合理的思考の対極に位置し、旅やコミューンを通じて直感を重視する東洋思想に触れたジョブズは、直観力は知力よりもパワフルであると感じ、それを磨くために好んで瞑想を行うようになった。結局のところ、誰かほかの人間から指導や指図をされるのではなく、自らが自然に目覚めていくという悟りのスタイルは、彼の性格的にもジョブズに適した精神修養の方法だったものと思われる。「スティーブ・ジョブズとアップルのDNA」 p024 「コミューンから禅へ」

 たしかに彼がZENに傾倒していたことは報道されていた。しかし、ここに来て、何もジョブスを使ってまで、本を宣伝しなくてもいいのではないか、とちょっと反感を感じた。この本なら、図書館に入っているはず。

 そう思って帰宅し、検索してみたら、なんと、この前まで、この本の腰巻は、佐野元春が務めていたようなのだ。う~ん、なるほど~。機を見て敏なマーケッターたちが、ジョブズ・ブームに乗ろうとしているかのようで、ちょっとウンザリ。

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 でも、よ~く見てみると、この本、もともとは1970年に原書がアメリカででたものだが、その邦訳としてでたのが1998年。その時の邦訳者は、紀野一義だった。紀野は、もともと鈴木俊隆とは深い縁があったらしく、まずは、その邦訳者としてはうってつけだったはず。

 しかしながら、その時のタイトルは「禅へのいざない」。ちょっと古臭くなっているとは言える。そして、今、今店頭に並んでいるものは、タイトルも「禅マインド ビギナーズ・マインド」となっている。出たのは2010/08。ごく最近のことだ。しかも、翻訳者は、松永太郎となっている。松永は、ケン・ウィルバーの「進化の構造」や、「統合心理学への道」「インテグラル・スピリチュアリティ」「存在することのシンプルな感覚」、などの邦訳で有名だった。

 ああ、これは新しい邦訳なのだな、と期待したところ、検索してみたら、なんと松永太郎氏は2010/10/15に61歳という若さで亡くなっていたこと知った。なんということか。

ご冥福をお祈りします。合掌

 さて、紀野一義訳を図書館から借りて読み始めたところだが、なるほど、たしかにちょっと年代がかった翻訳ではある。これで佐野元治やジョブズのイメージとはちょっと違っている。まぁ、そんなこといちいちいうなら、英語で読めばいいことなのだ。ジョブスは、もともと英語の原文で読んでいるわけだし、日本人向けの禅「入門書」は他にもたくさんある。 

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 という訳で、なにはともあれ、この三冊を読み比べてみることとして、まずは紀野訳を開いてみることにした。

<2>につづく

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地球の家を保つには エコロジーと精神革命<4>  ゲーリー・スナイダー

<3>よりつづく

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「地球の家を保つには」 <4> エコロジーと精神革命
ゲーリー・スナイダー (著), 片桐 ユズル (翻訳) 1975/12 社会思想社 単行本 264p

 朝日新聞の記事「プロメテウスの罠」で「獏原人」を思い出し、獏原人で三省や部族を思い出し、そしてスナイダーを思い出した。また、別なプロセスで、3.11後の宮沢賢治を思い、その英訳「奥の国」をもっているスナイダーを思い出した。いずれにしても、当ブログにおいては、スナイダーは何度ももどってくることになるのだろう

 「奥の国」は、最近アマゾンから取り寄せたので、少しづつ楽しんでいるところ。

 当ブログは「足に土―原人・アキラ 須貝アキラ追悼集」から、あたらしく「ベルゼバベシュの孫への話」というカテゴリへの移行を経て、1975年の「星の遊行群」のほうへ話を進めようとしているが、なかなかスタートしない。

 3.11と賢治をダイレクトに繋ぐとすれば、石寒太「宮沢賢治祈りのことば 悲しみから這い上がる希望の力」が、ほんとぴったりだと思う。この一冊で、それはそれでいいと思う。しかし、それでは、なにかが決定的に矮小化されてしまっているのを感じる。

 そもそも3.11をどうとらえるかが問題だ。たしかに1000年に一度の大災害であることには変わりはないが、それでは、3.11以前の環境を戻すとする「復旧・復興」では、当ブログの精神性は満たされない。

 そもそも、その3.11以前の世界にこそ不満をもち、間違っている、と感じていたからこそ、当ブログがあり、また、個人的には、この人生があったのだ。だから、3.11で、いろいろな問題に気づいたのなら、それはそれでいい。しかし、もっと本質的な地球サイズの問題意識をもたなければ、「せっかく」の3.11も台無しになってしまう。

 天災、地災としての、地震、津波に対してなら宮沢賢治も「役に立つ」。その祈りは、たしかに、悲しみから立ち上がるための希望の力、になるだろう。しかし、「人災」である原発事故に対してはどうだ。

 天災としての地震は、地球が生まれた時から、ずっと続いてきただろう。それは、もう、地球の自然の営みと言っていい。それは避けて通ることはできないし、それは、ある意味、地球に新しい息吹さえ与えてくれる。人間が生まれる前から、ずっと続いてきている。

 地災としての津波もまた、山が海の恋人なら、海は山の恋人、というほどに、それは相互依存として機能しているのだ。津波は津波として、受け入れて、あるいはその恵みを受け取っていくしかないのだ。賢治が生まれ年にも、賢治が亡くなった年にも、津波はあった。人は悲しみを乗り越え、新たなる希望を見つけて生きてきた。

 しかし、人災としての原発事故はどうだろう。賢治が生きていた頃、その電子柱からは、原発事故なんて想像さえすることができなかった。「仮定された有機交流電灯のひとつの青い照明」には、放射線を出すことなど、できるわけがなかった。

 伝統的諸文化はどうみても運はつきている。だからそれらの良い点に絶望的にしがみつくよりは、よその文化にあったことや、あることはなんでも、瞑想をとおして無意識から再構成することができるということを覚えておくべきだ。

 じっさい、わたし自身のかんがえでは、きたるべき革命が輪をとじて、われわれを多くの方法で太古のもっとも創造的だった諸側面とむすびつけるだろう。

 もし運がよければわれわれはやがて完全に統一された世界文化に到達するかもしれない、そこは母系で、結婚のかたちは自由、金本位制でない共産的経済、工業はよりすくなく、人口はずっとすくなく、国立公園はうんとたくさんあるのだ。p164「仏教と来たるべき革命」

 スナイダーのビジョンは、一貫している。そして、半世紀が経過したいまでも有効だ。いや、いまだからこそ、さらに力強くなっている。

 瞑想の実践には、ただ「足のしたの地面」があればよいのだが、それはマス・メディアやスーパ―マーケット的大学によって精神に注入されたがらくたの山を一掃する。

 しずかにたっぷりと満足させられれば、目かくしし、傷つけ、抑圧するようなイデオロギーは力をうしない---「道徳家」をおどろかせるような種類の共同体社会への道がしめされ、愛することができないために戦うしかなかった男の大軍を変身させるだろう。p162同上

 地球と人との繋がりは、瞑想だ。瞑想を通じて、人は、自らの中に地球スピリットを見い出す。

 「革命」はイデオロギーの問題ではなくなった。そのかわりに、ひとびとはそれをいま試行しつつある--ちいさな共同体での共産主義、あたらしい家族組織。アメリカで百万人とイギリスとヨーロッパ大陸で百万人。ロシアではアンダーグランドの大軍が待ちかまえて今後4.5年のうちに姿をあらわすであろう。

 どのようにして彼らはおたがいに知り合うのか? つねにヒゲ、長髪、はだし、ビーズだとはかぎらない。

 しるしはきらきらした、優しい顔つき、しずかさとやさしさ、いきいきとして気らくな立ち居ふるまい。みんないっしょに時を知らぬ愛と知恵の小道を、空、風、雲、気、水、動物たちと草木を友としながら行こうとする男たち女たち子どもたち---これが部族だ。p207「なぜ部族か」

 ネット社会は、横に繋がれば、速成のマルチチュードたちを生み出すだろう。しかし、いまは、むしろ、縦に、上昇していくべき時だ。大地に、地球の上に、瞑想し、大地と地球に根づき、さらに、瞑想という羽をつかって、意識という大空にはばたく。そこには超意識の連帯、ひとつの宇宙意識への繋がりが生まれる。

 人類は、直接われわれに関係あるかぎりでいえば、約40000年の垂直軸と西暦1900年現在において水平のひろがりは約3000のことなった言語と1000のことなった文化をもっている。いきているあらゆる文化と言語はかぞえきれない雑交受精の結果であり、---文明の「興廃」ではなく、むしろ花のような周期的九州---開花と---破裂し種をまきちらす。

 今日われわれはいままでにはぜったいなかったほど人類の生活様式と可能性の多様性に気づいている、と同時に、むかしのサイレント映画のように、暴走する機関車にしばりつけられた奇想天外な破滅にむかってまっしぐらに突進している。

 科学は「かざりけない美しさ」を見ることができるかぎり、我々の味方だ。われわれが現代的であるということの一部は、われわれはわれわれのはじまりといっしょであるという意識---あらゆる時代と同時代人であり---あらゆることなった文化に属する---という意識をもつ事実である。p224「詩と原始」

 この本の原書は1969年にでている。片桐ユズルの邦訳がでたのは1975年12月だった。私がこの本を購入したのは、記録を見ると1977年10月ということになる。片桐ユズルは、1973年頃、私たちの小さなコミューンを訪ねてきてくれたことがある。 

 こういった時代性の中に、獏原人や、1975年の「星の遊行群」があった。

<5>につづく

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OSHO ZEN TAROT <46>THE OUTSIDER(アウトサイダー)

Zen073theoutsider   からつづく

OSHO ZEN TAROT <46>

72. THE OUTSIDER(アウトサイダー)

 だから、あなたは、自分はアウトサイダーだと感じている。これはいいことだ。これは一時的な地点だ。今度は、痛みと惨めさで自分を満たしてしまわないように気をつけなければいけない。

 今となっては、神はもうそこにいないのだから、いったい誰があなたを慰めてくれるかね? あなたにはどんな慰めも必要ない。人間は大人になった。男であるがいい、女であるがいい。そして、自分自身の足で立つことだ……。

 存在とつながる唯一の道は、内側に向かうことだ。というのも、そこで、その中心で、今でもあなたはつながっているからだ。あなたは母親と肉体的にはつながりを断たれてしまった。その断絶は、あなたをひとり立ちした個人にするために絶対に必要なことだったのだ。だが、あなたは宇宙から切り離されているわけではない。

 宇宙とのあなたのつながりは、意識のつながりだ。それを見ることはできない。だから、あなたは大いなる覚醒、油断のなさ、観照をもって、深く降りて行かなければならない。そうすれば、そのつながりが見つかる。ブッダがそのつながりだ!Osho God is Dead: Now Zen is the Only Living Truth Chapter 3

解説:

 このカードの幼い子どもは、門の一方の側に立ち、門の向こうを見ています。彼はとても幼く、通り抜けられないと信じ込んでいるために、門を縛っているチェーンには鍵が掛かっていないのを見ることができません——ただ開ければいいだけなのに。

 「とり残された」、あるいは締め出されたと感じるときはいつでも、この、幼い無力な子どもだという感覚が湧いてきます。この感覚は、もっとも早い幼年期の体験に深く根づいているのですから、驚くほどのものではありません。

 問題なのは、それがあまりにも深く根づいているために、私たちの生において、テープのように何度も何度も繰り返し再生されてしまうことです。

 あなたには今、そのテープを止めるチャンス——とにかく自分は受け容れられ招き入れられるには「充分」ではないのだと考えて、自分を苦しめることをやめるチャンスが訪れています。この感覚の過去の根を認め、古い痛みを去らせましょう。

 そうすれば、門を開け、自分がもっともそうなりたいと望んでいたものへと入って行くにはどうすればいいのかがわかる明晰さがもたらされます。Copyright © 2012 Osho International Foundation 

につづく

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2012/02/18

プロメテウスの罠 原始村に住む 福島川内村 漠原人 朝日新聞<2>

<1>からつづく

「プロメテウスの罠」 原始村に住む <2>
福島川内村 漠原人 朝日新聞 2012/02
★★★★★

 所用で友人宅を尋ねたら、この新聞の記事のことが話題になった。朝日新聞をとっているらしく、3日分の記事を読ませてもらった。1日目の記事はともかくとして、2日、3日目の記事は必ずしも、当ブログの関心を引っ張ってくれる内容ではなかった。

 ふと気がつくと、東京電力のホームページに「当社関連報道について」として、2月9日づけで、「朝日新聞朝刊連載『プロメテウスの罠』について」というアナウンスが載っている。今回の「原子村に住む」が始まる前の記事に対するコメントのようだが、末梢的な訂正のようで、マスコミと資本の葛藤ぐらいにしか見えない。

 さて、今日は4日目で、どんな記事になっているのだろう、と気になるところだが、まぁ、そのうちまとめて読むこともあるだろう。
--------------------------

 とここまで書いたあと、ずっと止まっていた。記事の進行は、原発と木村さん中心で、なかなか獏のほうに来なかった。それが、2月17日あたりから、ようやく獏原人のほうに向かい始めたようだ。

 この間、当ブログにおいては、獏原人の開発メンバーのひとりである須貝アキラの追悼集「足に土」やまびこ編集室1998/9)の読み込みばかり進んでしまった。 

 「獏原人村の祭りに友人が連れて行ってくれたんです。すごい所があるんだよ、と」1999年夏。福島県川内村に行った木村俊雄(47)は驚いた。風見正博(61)の家には電気がなく、水は山から引いていた。「でもこれが楽しいんだよ」と話す顔が輝いていた。原発で働く自分とは全く逆の生き方だった。木村は東京電力の社員だと名乗れなかった。「朝日新聞」2011/02/18プロメテウスの罠 原子村に住む<11>「目標 自然に還る」

M
「足に土―原人・アキラ  須貝 アキラ 追悼集」(やまびこ編集室 1998/9)p111

 この写真は、杉村さんが映っているから、1977年当時の山梨県ひまわり農場での一こまだろうか。マサイとともに、三省、アキラが映っている。木村さんが獏を訪ねたのは、更に20年後のことだった。

 宅配新聞を取らなくなってから、あっと言う間に5年が経過してしまったが、今回、ひさしぶりに次の日の新聞を読みたいな、と待ち遠しい気分になった。でも、それは、逆にいうと、新聞を超える情報を手にいれる方法が、ネットなどで代用できるようになって、久しい、ということでもある。

 1999年時において、獏原人には新聞は届いていなかっただろうが、ネットも通じていなかっただろう。そもそも電気がないのだから、パソコンも使えていなかったのではなかろうか。ふう、溜め息がでるような暮らしぶりだ。

<3>につづく

 

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The Messiah<11>Osho on Kahlil Gilbran's the Prophet

10>よりつづく

Themessiah1
「The Messiah」 Commentaries by Osho on Kahlil Gilbran's the Prophet, Volume 1<11>
Osho (Author) 1987/09 Publisher: Osho Intl; Paperback: 496 pages Language: English
★★★★★

 ようやく上下巻の上を視聴し終えた。純粋に本を読んだわけではなく、ネット上のPDFファイルに目を通しながら、ネット上のmp3ファイルで音源を聞きながらだから、かなり臨場感がある。ただ、講話のスピードがやや遅いので、速度は少し早めてある。

 私の英会話力は英検3級レベルで、まぁ、食事をしたり、ガールハントする程度ならまずは実用になる、と豪語はしてみるが、一冊の本を読むとなると、辞書なしでは読み進めることは難しい。普段は、そういうことは飛ばして、大意がつかめればよい、としている。

 今回は、分からない単語があると、テキストをコピペして、翻訳サイトで検索し、そのまままた検索して、エクセルファイルに、語源と意味を貼り付けて、一覧表を作っている。あっというまに膨大なリストが出来てしまったわけだが、これがまた、若い頃とはだいぶ違い、頭に入いらず、結局は、同じ単語を何回も検索していたりするようだ(笑)。

 Medical science has made it an established fact, which is being hidden by every government from the people.... they are against drugs, they are against marijuana, but marijuana is harmless. It simply makes you more relaxed, more joyful - and it has no hangover. But marijuana is illegal and alcohol is legal. And w ho are these law givers? Alcohol destroys you, may bring you an early deathit is not so with marijuana. But to have marijuana is to commit a crime, and you can drink as much alcohol as youw ant.
 
  It seems that because marijuana gives people a relaxedness, a joyousness, the crippled w ho cannot dance w ill not allow anybody else to dance either. The miserable w ho cannot be happy w ill not allow anybody to be happy.
 
  Alcohol does not make you happy - it simply makes you forget your miseries. But tomorrow the miseries w ill be there, not less than before, but more than before - and with a headache and a hangover. This is legal, the law favors it. But marijuana is illegal.
 
  Only one man of understanding in this century, Aldous Huxley, had the courage to say that marijuana should be legalized all over the world and alcohol should be prohibited. He w as the man who said that marijuana is certainly somehow connected w ith the ancient Vedic days, w hen they used something they called somras. It w as a drug; it was found only in the Himalayas. The effects that they describe are very close to marijuana.
 
  Aldous Huxley w as a courageous man, to declare that we have all the scientific technology to take out anything from any drug that is harmful and make drugs not only harmless but nourishing to your health, to your mental stability and perhaps may give you a glimpse of the beyond. He named these ultimate findings of science after the somras. 
 
  The oldest book in the w orld, Rig Veda, mentions that before praying, seers w ould take somras, and then it w as easy for them to dance, to sing, to be joyous. Aldous Huxley said that one day, when humanity comes to its senses,w ew ill create a synthetic drug w hich has no bad effects at all, which passes through the body w ithin tw enty-four hours and does not remain in the body. He called it soma in the memory of those first pioneers who were calling it somras, the juice of the som. The word som means the moon. The moment they had drunk the somras, the earth became as beautiful for themas the fullmoon night - hence the name somras.
 
  But nobody listened to him. Humanity lags behind in listening, and by the time it starts listening it is too late.
 
  I started saying in 1950 that birth control should be propagated, and anybody w ho opposes it should be thought a criminal. I w as stoned, because I w as speaking against religion, because children come from God. At that time, India had a population of four hundred million people. If they had listened to me, they w ould not have been in such a mess. Now their population is more than double - almost nine hundred million people. But the politician is concerned only w ith his pow er.  Osho p468 pdf321p 「Except Love, There Should Be No Law
 
 いきなりこんな文章がでてくると、びっくりする。OshoにはLSD : A Shortcut to False Samadhi という小冊子がある。PDFで全文が読める。この部分は小林薫訳「プロフェット」で言えば、「罪と罰について」p87に対応する部分である。
 この部分に反応したのは、「足に土―原人・アキラ  須貝 アキラ 追悼集」を読み進めていて、杉村芳盛「アキラ 出会いと別れ」(p110)という文章に気づいていたからである。アキラたちが1977年頃、山梨県に一時期作っていた「ひまわり農場」の畑のオーナーであるようだ。
 
 ちょうどその時チターとタブラーの演奏会があり、私もひまわり農場へ招待された。酒か焼酎を持参しただろう。演奏が終わり酒も回り、煙草を吸う。私は生来煙草を吸わないが、煙草の匂いくらいは解る。しかしこの集団の吸う煙草の匂いは、いままでに嗅いだことがない。p110杉村芳盛「アキラ 出会いと別れ」
 
 詳しい経緯はわからないが、このテーマの周辺を書いているのは、この方だけである。「家庭裁判所委託少年補導施設経営」を「本業」とする彼は、「罪と罰について」は、かなり敏感に反応したのだろう。
 
 あるいは、またこの「足に土」を補完するために、山田塊也「アイ・アム・ヒッピー 日本のヒッピー・ムーヴメント’60-’90」を開いていたのだが、関連の書物をしらべながら、ことこの問題に関しては、日本においては、オルダス・ハクスレーごとき蛮勇をふるっていたのは、ポンであることに、あらためて溜め息をついていたからである。
 
 当ブログでは、この問題を自分のブログ上で展開していくことに対しては、十分なガッツを持ち合わせていないので、敬して遠ざかるしかない。だが、少なくとも、20世紀後半のカウンターカルチャーと言われた動きの中では、そういう事実があったということを、この杉村さんという方は教えてくれている。
 
 カリール・ジブランの「プロフェット」を借りながら、Oshoの「メサイア」は、ここまででちょうど半分まで進んできたことになる。以下は、下巻になる。

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「宮沢賢治」 存在の祭りの中へ 見田宗介 <1>

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「宮沢賢治」 存在の祭りの中へ <1>
見田宗介 1984/02岩波書店 四六 277頁
Vol.3 No.0617★★★★★

 山尾三省「野の道 宮沢賢治随想」(1983/11 野草社)の中で、見田宗介は、別名の真木悠介の名前で、前文を書いている。

 三省にはじめてこのことができたのは、三省がみずからもまた賢治とおなじに<野の道>をゆくものであり、だから賢治を語るものではなく、賢治と呼応して語ることのできるものであるからである。

 <野の道を歩くということは、野の道を歩くという憧れや幻想が消えてしまって、その後にくる淋しさや苦さをともになおも歩きつづけることなのだと思う>

 それは三省の長靴とおなじくらいに身の丈どおりの歩幅のことばでありながら、そのままで賢治の思想の芯のところを、ぼくたちの時代のことばとして語っている。9183年9月21日 真木悠介「野の道 宮沢賢治随想」p5「呼応」

 ちょうどこのころ、見田(真木)は見田なりに、自らの賢治論を書いていた。時代を反映してか、やたらと傍点が多い文章だが、ちょっと時代がかかった文章の割には、その明晰性を失わず、最後の最後まで読ませてしまう。

 わたしはこの本を、ふつうの高校生に読んでほしいと思って書いた。<20世紀思想家文庫>のほかの本とはちがって、「エピステーメー」とかそのほかの現代思想の用語を、読者がはじめから知っているものとしては書かなかったのもそのためである。p274「あとがき」

 なんだぁ、やっぱりそうだったのか。

 じっさいには、ふつうの高校生が読むにはむつかしすぎる、という批判がよせられるだろう。やさしく書くことで、わたしが言いたいと思っていることの核心をうすめることはしたくなかったからである。p275同上

 当ブログにおいては、見田(真木)の本は何冊かめくってきた。「気流の鳴る音 交響するコミューン」「まなざしの地獄 尽きなく生きることの社会学」「社会学入門 人間と社会の未来」「創られながら創ること 身体のドラマトゥルギー」など。あるいは、山尾三省「野の道 宮沢賢治随想」、おなじ三省「自己への旅―地のものとして」をはじめ、吉福伸逸「流体感覚」、伊東乾「さよなら、サイレント・ネイビー」、河合隼雄「心理療法対話」「足に土―原人・アキラ  須貝 アキラ 追悼集」などにも、散発的に登場する。当ブログとしては未登場だが、時間の比較社会学」なども長いこと我が蔵書として存在している。

 Oshoが、私の本は日本の大学のテキストとして使われている、という時、その筆頭は、この東大の社会学教授の名前が挙がるだろう。ネット上の「世界からOSHO に贈られた評価」のなかで、筆頭に見田の名前が見える。

 イスラム教のある一派が集団でおこなう儀式のひとつで、ラジニーシ派の瞑想法にとりいれられているもののうちに、両手を高くあげたまま「HOO、HOO、HOO、HOO」と叫びながら、みんなで高く飛びあがるというものがある。

 「なめとこ山の熊」のおわりには「回々教徒の祈るとき」の姿勢が出てくるが、賢治がこの一派のHOO、HOO、HOOとはねあがる儀式を知っていたという確率は少ないと思う。それよりむしろ、人間のさまざまな文化の底をつらぬく、身体的な普遍性に根ざす符号であるように思う。見田「p179「存在の祭りの中へ」

 ここで、賢治とOshoが繋がってくるとは思わなかった。この書き手にして、このような技が飛び出すのであろう。さて、私は、個人的には、読むチャンスがちぐはぐだったせいもあり、この書き手には、すなおに賛同しかねることが多々ある。

 ここでラジニーシ「派」とされるのも心外だし、HOO、HOO、は「イスラム教のある一派が集団でおこなう儀式のひとつ」と捉えるよりかは、Osho自身は、OM MANI PADME HUM というマントラを一つにまとめたもの、と説明していたと思う。ほかから取り入れた、というより、Osho独自のもの、と理解されるべきであろう。

 賢治の世界像は、大正時代の日本に流入してきた、そしてまた残留していた、さまざまな科学や宗教をその素材として構築されている。けれどもこれらの科学や宗教が賢治の世界像を形成したのではない。

 賢治に固有の体感があり、切実な願望があって、これらの生きられた体感や願望こそが、その時代のさまざまな科学や宗教の断片を選び自分のまわりにひきよせながら、理性がなっとくのできるかたちにその世界像をくみたてるのだ。p193同上

 見田が賢治の世界をこう見立てることができるのであれば、Oshoの世界をや、と言わざるを得ない。 

 国柱会での「活動」は、菅谷規矩雄がいうように、「ついに宮沢になんの活力ももたらさなかった。」「上京中のおよそ七カ月間、であうひとすべてが同信のなかまであるはずの国柱会で、宮沢はただのひとりとして心をかよわせる対手、友や知己をえた形跡がない---わずかに高知尾智耀とのあわい(多分に事務的な)交渉をのぞいては。そしてまたこの期間、国柱会の活動を介してただのいちどの法悦・随喜を味わった気配もない。異様なまでの不毛さが感じられるのである。(後略)」p216「舞い下りる翼」

 ここは引用文なのだが、あえて引用を借りた見田の所感、といっていいだろう。ここに見田は、宗教性に「集団性」を重くみているようだが、賢治が生涯、国柱会の会員であり通した(会費を払いつづけた)ことから考えるに、「ついに宮沢になんの活力ももたらさなかった」と断定するのは早計であろう。

 国柱会(田中智学にはついに遭遇しなかったとされる)を、ひとつのマスタリーとして活用したとすれば、賢治は、その活力の源泉をそこから得ていた、ということも可能ではないのか。宗教性を求めるうえで、集団である必要は全くなく、また、仮に不完全なマスターであったとしても、弟子側からすれば、「真」のマスタリーとして活用することは十分可能なのである。

 アキラと会ったのは、1970年代の前半の、国立の、ぐるうぷ・もぐらというコミューンである。「泡沫コミューン」という、色んな場所のコミューンたちが交流する場所の仕事をしていた関係で、みのると七ちゃんやぽおたちとつきあうことが多かったのだけれども、もぐらの本体にはアキラやマロたちがいた。

 70年代前半から後半にかけて、時代の全体が、真剣な祝祭のような空気に包まれていたように思う。こういう時代の活力に充ちた空気を、先頭を切って、具体的な目に見えるような形で実現していったのが、アキラやその仲間たちのような人たちが、色んな仕方で形成していった、コミューンの小さな渦たちだった。

 こういう小さいコミューンたちの中で、新しい、ほんとうに自由な世界の空気のにおいが流れ込むような、風穴が開かれていた。真木悠介「足に土―原人・アキラ  須貝 アキラ 追悼集」p40「火種」

 同時的に編集されていた、三省(1938年10月11日生)の「野の道 宮沢賢治随想」と、見田(1937年8月24日生)のこの「宮沢賢治 存在の祭りの中へ」を併読する時、この二人の東京生まれの同時代人は、まるで乙女座と天秤座の、ツインソウルのようにさえ思えてくる。

 三省は、長いこと塾の講師をしていたから、ひょっとすると、大学の教授などになっていた可能性はある。晩年に琉球大学で行った五日間の講演録「アニミズムという希望」(2000/09 野草社)を読んでいたりすると、その思いはさらに強くなる。

 さて、コミューンを「学問」し続けた社会学者である見田(あるいは真木)は、いつかは、もうひとりの三省となって、屋久島といわず、どこぞの「コミューン」に住まうことになっただろうか。

 三省関連リストを見ると、50冊になんなんとするその著書の中では、「野の道」はかなり初期に属する一冊であり、三省が早くから賢治に思いを寄せていたことが分かる。あるいは、当ブログが五月雨式に読み進めている賢治関連リストの中においても、見田の賢治研究は、かなり先駆的部分に属する一冊と言えるだろう。

 21世紀も10年以上も過ぎた今となっては「毛穴の皮油まで晒された作家」とまで評される「世界の」宮沢賢治である。だが、1980年初頭においては、まだ、残された原稿を中心に、その「文学」の世界が問われていた。そういう時代にあって、見田は、あくまで、その作品を中心に「社会学」的に賢治を見つめ、三省は、賢治を通して屋久島の生活を綴り、自己の中を探っていた。

<2>につづく 

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2012/02/17

スティーブ・ジョブズ奇跡のスマホ戦略<1> 石川温


「スティーブ・ジョブズ 奇跡のスマホ戦略」<1> ポスト・Jobsのプラットフォーム戦争の勝者は?
石川温 2011年12 エンターブレイン/角川グループパブリッ 単行本 255p
Vol.3 No.0616★★★☆☆

 昨年2011年の10月にジョブズが亡くなったことで、にわかにジョブズ・ブームが起きており、書店などでは平積みの関連書籍が続いている。かくいう当ブログは、マック派でも、スマホ派でもないので、普段は、できるかぎり、その手のコーナーは避けてあるいている。

 当ブログとしては、たまたま手にとった大谷和利「スティーブ・ジョブズとアップルのDNA」をめくり、さっさとレインボー評価を付与して、この件は、一件落着としたのだった。しかしながら、またお手軽にこのような本があると、ついつい手が伸びてしまうというのも本当のことだ。

 しかたなく(笑)、とりあえずめくってはみたが、やはり、一読者、一ユーザーとしては、これらの雑多な世界は、まあ、いいでしょう、ということで、なかなか中に入っていくことはできない。

 たしかにスマホやポケットWiFiやテザリングなど、実際に自分の環境に必要な装備の最新情報は気になるが、それらの開発者でもなければ、紹介者でもないので、いちいち気にしている必要はない。開発され、提供が開始されれば、自らのニーズと負担の比率を比較しながら、活用するかどうかを決定すればいいだけだ。

 ただ、ここに来て、自分の、当ブログの、この分野に対する、なんと覚めた態度のことよ、と驚くことがある。かつては、トフラーの「第三の波」に感動し、IT関連を、当ブログの3本柱の一つとして、いちいち最新情報を追いかけていたことを思えば、その変貌は、かなり急だな、と自分でも思う。

 エレクトロニック・コテッジなどというトフラーの概念も、すでに陳腐化しており、いまや、完全に、情報が、世界がポケットに収まってしまった時代なのである。プロシューマーなどという概念も、ある意味、当たり前のこの時代である。

 この勢いが続けて、はてさて、10年先、20年先には、どのようなものがでてくるのか、専門外の当ブログには想像もできない。しかして、そのコンテナの変貌ばかりではなく、利用状況の作用による「アラブの春」のような「効果」が、今後どのように噴出してくるのか。そちらの方に関心がよりいくようになっている。

 ひさしぶりに、コンテナ、コンテンツ、コンシャスネス、の三コンを思い出した。そして、当ブログは、コンテナもコンテンツも、おっかけるのはそこそこにして、主軸は、コンシャスネスにおき始めているのだ、ということを、あらためて確認した。

<2>につづく 

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被災、石巻五十日。霞ケ関官僚による現地レポート 皆川治


「被災、石巻五十日。」 霞ケ関官僚による現地レポート
皆川治 2011/12 国書刊行会 単行本 238p
Vol.3 No.0615★★★☆☆

 たまたま妻の父の葬儀で石巻にいた時に被災した「霞ケ関官僚」による、現地からのレポート。現地から政府にダイレクトに報告していたので、貴重な情報源として政府内では皆川レポートとまで呼ばれたという。そのまとめ。

 あれだけの体験だったので、レポートというのは、その体験者の数だけあるわけだし、ことさら「霞ケ関官僚」というバッチを光らせて語られても、ほう、そうですか、と、すこし拗ねた気分になる。

 例えば、太田圭祐「南相馬10日間の救命医療」なんかには、かなり感動しながら読み耽った自分なのに、こちらには、結構冷たい。この手の肩書に対しては、普段から違和感を持っているからだろうか。

 ただ、レポートはレポートなので、いますぐに役だたなくても、数少ない専門職のレポートなので、時機が来れば、一級の資料として読んでみたいと思う時がくるかもしれない。 

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3・11後の世界の心の守り方 「非現実」から「現実」へ  小池龍之介


「3・11後の世界の心の守り方」 「非現実」から「現実」へ
小池龍之介 2011/08  単行本 ディスカバー p127 
Vol.3 No.0614★★☆☆☆

 いつリクエストしたかも忘れた頃に届いた一冊。この本は人気があるらしい。だいぶ待たされたうえに、私のあとにすでに二桁の追加リクエストが入っている。へぇ~、人気があるんだなぁ、さっさとめくって次の人へ送ろう。

 薄い本だからすぐ読める。内容も同じく薄いように思うが、そこのところが人気のあるゆえんか。まだ30代、40前の人かと思われるが、結構「抹香」くさい。このバランス、アンバランスさが、人気のゆえんかもしれないが、私のハートはヒットしない。

 

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OSHO ZEN TAROT <45>EXISTENCE(存在)

Zen002existence  前からつづく

 

OSHO ZEN TAROT <45>

 

1. EXISTENCE(存在)

 

 

 

 あなたは偶然の産物ではない。存在があなたを必要としている。あなたがいなければ、存在のなかでなにかが見失われ、代わりをつとめることは誰にもできない。そのことが、自分がいないと全存在が寂しく思うということが、あなたに尊厳を与えるのだ。

 

 星や太陽や月、樹や鳥や大地——宇宙のあらゆるものが、あなた以外の誰かではけっして埋めることのできない小さな空白を感じるだろう。これが、自分は存在とつながっていて、存在は自分の面倒を見てくれているという途方もない喜び、満足をあなたに与えてくれる。

 

 ひとたびあなたがきれいになり、澄みわたったら、あらゆる次元から自分に降りてくる途方もない愛を見ることができる。Osho God is Dead: Now Zen is the Only Living Truth Chapter 1

 

 

 

解説:

 

 完全という蓮の葉に坐っているこの裸の人は、夜空の美しさを見つめています。彼女は、「わが家」というのは外の世界にある物理的な場所ではなく、くつろぎと受け容れることの内なる質だということを知っているのです。

 

 星、岩、樹、花、魚や鳥たち―みんな、生のこのダンスのなかで私たちの兄弟姉妹です。私たち人間はこのことを忘れがちですが、それは私たちが個人的なことがらを追い求め、必要なものは闘って獲得しなければならないと信じているからです。

 

 しかし、究極的には、個として分かれているという私たちの感覚は幻想にすぎず、心(マインド) の狭い先入観によってつくられたものです。今こそ、どこにいようとも「わが家」にいると感じる、その並はずれた贈りものを受け入れるようにしているかどうか、見てみる時です。

 

 もし、一方で、世間が自分をつかまえようとして躍起になっていると感じていたら、ひと休みする時です。今夜は外へ出て、星たちを見ましょう。Copyright © 2012 Osho International Foundation 

 

次につづく

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プレムバヴェシュ孫たちとの対話 <2> 目次

<1>からつづく 

 

「プレムバヴェシュの孫たちとの対話」 

<2>目次 

81)パンデミック 2020/04/12 NEW  
80)ランボルギーニ 
79)どっこいしょ 
78)工作
77)世間にて  
76)貯金箱
75)
夏休み  
74)
イモ掘り   
73)ピノキオ
72)坐禅会 
71)こどもの日

70)ハッピーばあさん
69)
宇宙兄弟 
68)
happy birthday to you
67)
新一年生 
66)
プラレール
65)
バカ
64)
メリークリスマス 
63)
わらアート 
62)孫の日
61)5階?
60)ひなまつり
59)おじいちゃんはとしよりなのに、どうして、しなないの?
58)おばあちゃんはどうしてひとりなの?
57)ストレッチ
56)ウルトラマン餅つき大会
55)せいかつはっぴょうかい
54)「崖の上のポニョ」
53)孫と市民農園
52)秘密基地
51)夏休みバーべキュー  
50)誕生日パーティ 
49)幼稚園なんかいかない
48)腰の痛みから、心の痛みへ 

47-B)Happy Birthday SOちゃん
47)チャイルドシート  
46)授乳
45)「となりのトトロ」 
44)還暦しました。
43)凧あげ 
 
42)三人目の孫  
41)児童公園と遺跡  
40)りんくう公園にて
39)冬タイヤ 履き替え時や 今日の空 
38)雑感  
37)福禄寿  
36)バトル  
35)おもちゃ曼陀羅
34)
to be continued 
33)to be continued
32)to be continued
31)孫の寝息とともに瞑想する
30)プロジェクト567に向けて 
29)孫たちのいる風景 
28)収束に向けて
27)ホワイトターラーなのか、かぶと&鯉のぼりなのか 
26)孫たちと三つの波
25)ふたたび、孫たちにとって3・11とは何か
   
24)孫たちとホワイトターラー
23)
孫たちとスマホ
22)
孫たちにとって、孫たちとは何か 
21)
孫たちと図書館ネットワーク
20)
孫たちとエコカー
19)
孫たちにとってのエコビレッジ  
18)
孫たちと3・11
17)
キックキックトントン キックトントン
16)
1歳児と宮沢賢治を読む
15)
ひとり深夜に目が覚める
14)
「プロジェクト567」あるいは3.11との相関関係
13)
自由無碍の境地
12)
公園デビュー
11)
奮闘中
10)
老成幻想と胎内回帰
09)
赤ちゃんと祖父の生命潮流としての大合流
08)
0歳児と1歳児と祖父の共同性
07)
0歳児と1歳児の対話は成立するか
06)
0歳児との対話は成立するのか
05)
プレムバヴェシュにとって孫たちとは何か
04)
孫たちにとってプレムバヴェシュとは何か
03)
改題について 
02)
目次
01)
はじめに

 

 

 

<3>につづく

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プレムバベシュの孫たちとの対話 <1> はじめに

「プレムバヴェシュの孫たちとの対話」 

<1>はじめに

 新しいカテゴリが始まる。ひとつのカテゴリが始まる、というだけではなく、当ブログとしては、独自テーマを先行させ、読書を従とする、という新しいスタイルが始まるのである。ここのところ、その予兆はあったのだが、読書ブログというスタイルを弱め、テーマ性を先行させようと思うのである。

 ではどんなテーマを旗頭にするのか、と言えば、これまでの過程でやり残してきたこと。例えば「プロジェクトGOD」のより明確なフォーマット化とか、「プロジェクト567」の前進と深化とか、あるいは最近浮上してしてきた「星の遊行群」をひとつのきっかけとした、過去の振り返りであるとか、がある。

 そもそも、このカテゴリ名を思いついたのは、グルジェフの主著「ベルゼバブの孫への話」からである。その重厚さには及ばずとも、多少はその意匠を借りて、孫とジイさんの話というスタイルをやってみたい、と思いついたのである。私にも二人目の孫ができた。

 そもそも、このブログを始めたあたりから、例えばハリーポッターだとか、ナルニア国物語などの話を聞いていて、なんだか、そういう世界に遊びたい、とずっと思っていたのだ。だが、そもそもが、それらの小説やストーリーに疎かったので、まずはそれらを少しづつ読む必要があった。

 いまでも、全然不足しているが、まぁ、心構えはできた、という段階だ。いままでの再読、まとめ、そして、新たなる分野への挑戦もあり得るだろう。スターウォーズだの、賢治の童話だのの、より深い世界へと迷いこんでみたい。

 そして、一つはチベットにおける14歳の少年、というものも考えてみたい。それはひとつの人生の始まりである。風の又三郎のような10歳の子供もいるだろうが、私には、14歳のほうがリアリティがある。いずれ、このふたつの年齢層は要注意だ。

 私の孫たちがこの年齢になるには、まだまだ10年以上はかかる。私は、新米じじいで、あまりマトモなジイさんではないが、かと言って、孫たちがジイさんの話を聞いてくれるようになるまで、こちらが生きているとは限らない。

 その時まで生きていればその時に話してやればいいし、もしその時まで生きていなければ、何はともあれ、ジイさんの生きていた痕跡を、このブログに発見するかもしれない。そんなつもりで、孫への話を始める。

 タイトルは、グルジェフを見習って、「ベルゼバベシュの孫への話」としておくが、途中から、「プレムバヴェシュの孫への話」となりそうな気がする。それは、どちらになってもいいように、可変性を確保しておこう。

 私は、二人の子供を、生まれたばかりの時にサニヤシンにしたが、それは単にセレブレーションであって、幼児洗礼のようなものではない。その証拠に子供らは、必ずしもOshoに強い関心を持っているわけではないようだ。強制とかも、まったくしたことない。

 そのさらに子供たちである、私の孫たちにとって、私の話など、本当はどうでもいいだろう。だが、私としては、孫へ語る、というモチーフを借りて、今回の人生のことをまとめておきたい、と思い立ったのである。

 うまくいくやら、いかぬやら、まずは、始めてみようではないか。

<2>につづく

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2012/02/16

OSHO ZEN TAROT <44> THE FOOL(愚者)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

Zen001thefool_2 からつづく

 

OSHO ZEN TAROT <44>

 

0. THE FOOL(愚者)

 

 愚者とは、信頼しつづける者のことだ。愚者とは、自分のすべての体験を顧みず、信頼しつづける者のことだ。

 

 あなたがだましても、その人はあなたを信頼する。もう一度だましても、あなたを信頼する。さらにだましても、あなたを信頼する。

 

 そうなるとあなたは、この人は愚かだ、学ばない、と言うだろう。その人の信頼は途方もない。その信頼はあまりにも純粋だから、それを堕落させることなど誰にもできない。

 

 タオイストの意味で、禅の意味で、愚者であるがいい。自分のまわりに知識の壁を築こうとしてはいけない。どんな体験がやって来ようとも、それを起こらせ、そして、それを落としつづけることだ。

 

 たえず自分の心(マインド) をきれいにしつづけるがいい。過去に死につづけるがいい。そうすれば、あなたは生まれたばかりのまさに赤ん坊のように、現在に、今ここにとどまる。

 

 最初のうちは、それはひじょうにむずかしいだろう。世間があなたを利用しようとしはじめる……そうさせておけばいい。彼らは哀れな人たちだ。たとえあなたが詐欺にあい、だまされ、奪い取られたとしても、起こるに任せるがいい。

 

 というのも、ほんとうの意味であなたのものをあなたから奪い取ることなどできないからだ。ほんとうの意味であなたのものを、あなたから盗むことなど誰にもできないからだ。

 

 そして、機会あるごとに、あなたが自分を堕落させる状況を許さなくなると、その機会が内側での統合をつくりだす。あなたの魂(ソウル) はさらに結晶化するようになる。Osho Dang Dang Doko Dang Chapter2

 

 

 

解説:

 

 瞬間から瞬間へ、しかも一歩ごとに、「愚者」は過去を後にします。彼は手にした白い薔薇(ばら) で象徴される自分の純粋さ、無垢、そして信頼以外のものはなにひとつ携えていません。

 

 身につけているベストの模様はタロットの4つの要素の色をすべて含み、彼が自分のまわりにあるすべてと調和を保っていることを示しています。「愚者」の直観の働きはそのピークに達しています。

 

 未知へのこのジャンプをするにあたって、「愚者」はこの瞬間に宇宙の支えを得ています。生という川のなかで冒険が彼を待ち受けています。

 

 このカードは、まさにいま、自分の直観、ものごとの「正しさ」という自分のフィーリングを信頼することができたら、あなたは間違うことなどありえないことを示しています。あなたの行動は他人の目には「愚か」に映るかもしれません。

 

 あるいは、もしあなたが自分の行動を合理的な頭(マインド) で分析しようとしたら、あなた自身から見ても「愚か」に見えるかもしれません。

 

 しかし、「愚者」が占めている「ゼロ」の場所は、数のない数(ナンバーレス・ナンバー) で、懐疑と過去の体験がガイドなのではなく、信頼と無垢がガイドである場所なのです。Copyright © 2012 Osho International Foundation

 

次へつづく

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地球人スピリット・ジャーナル・ダイジェスト版<39>「地球人スピリット宣言草稿」カテゴリについて

38>よりつづく 

「地球人スピリット・ジャーナル」
ダイジェスト版


<39>「地球人スピリット宣言草稿」カテゴリについて

1)書かれたのは2011/12/13~2012/2/16の間。散発的に続いてきた当ブログのまとめとして自然発生した「ダイジェスト版」をさらにまとめ上げて、そのエッセンスを抽出しようとした。本来であれば「宣言」まで持っていきたかったのだが、予想どおり「草稿」で終わった。

2)ただ、方向性ははっきりしたので、あとは機をみて、それなりに整合化するか、他のものへの隠し味として使うかは、今後の流れに従うとする。

3)読んだ本はそれほど多くはなかったし、このカテゴリにふさわしいものが残ったかどうかはともかくとして、再読したいこのカテゴリこの3冊は次のとおり。

「原発ゼロ世界へ ぜんぶなくす」 京都大学原子炉実験所助教 小出裕章 2012/01 エイシア出版/出版共同販売

「足に土―原人・アキラ  須貝 アキラ 追悼集」やまびこ編集室 1998/9 共同編集・発行人間家族編集室

「英語で読み解く賢治の世界」 ロジャ-・パルヴァ-ス/上杉隼人 2008/06 岩波書店

4)このカテゴリにおいて初めて、おっかけテーマとカテゴリの進行を同調させてみた。そして、ここに一つの収束点をおいておく。

5)次なるカテゴリは「ベルゼバベシュの孫への話」となる。これまでの集約の中で、残っているのは「星の遊行群」をめぐるふりかえりであり、また、「プロジェクト567」の新たなる展開である。

6)また、別途「プロジェクトGOD」も存在するが、こちらはむしろまとまってしまっているので、可動部分少ない。ある意味、これは当ブログの本体であり、実体である。

7)この地点において、ひとつの交点を見つけることができる。

<40>へつづく

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地球人スピリット宣言草稿<31>まとめ--新たなる宣言に向けて

30>からつづく 

「地球人スピリット宣言草稿」 
<31>まとめ--新たなる宣言に向けて

 ようやくというべきか、この草稿を終了させる段階にきた。このテーマは、当ブログの「ダイジェスト版」の後継として立ち上がったテーマであり、一体、当ブログは何をやってきたのだろう、というまとめであった。

 「ダイジェスト版」がふりかえりや、強引なまとめであったとするならば、こちらの「草稿」は、より積極的に未来を見据えて、当ブログの位置を探ろうというものであった。その試みは、ほぼ達成されたと思える。

 偶然というべきか、当然、必然というべきか、この「草稿」の終了が、カテゴリの終了と重なり、このカテゴリに「ついて」を別途化書かなければならないタイミングになった。いままでは、読書が優先して、漫然としたリストをとりあえず区分けするために作られたカテゴリやダイジェストだったが、今後はむしろ、当ブログのテーマを優先させ、読書を従としていこうと思う。

 つまり、ひとつひとつのカテゴリは、ひとつのテーマで始まり、まとめで終わる。そのまとめがダイジェストとなる、という構図である。

 「宣言」については、ここであえて集約しないでおこうと思う。そもそもは、賢治の「農民芸術概論綱要」に触発されてスタートした文章であったが、宣言までにはいかず、最初の思惑通り、草稿で終わった。それはそれでよいことだった。

 今後の宣言は、各テーマを重ねていくことによって、より明確に立ち上がってくるだろう。あるいは、明確に立ち上がる方向へと、当ブログの各機能をドライブして行こうと思う。

 この宣言は、結局、タロットカードの「愚者」のカードで終わりそうである。それは、このカテゴリの象徴でもあり、当ブログ全体の象徴でもあるようである。なぜにそうなのか。そのことについては、今回の草稿を経て、次なる宣言に向けての各論で明瞭になってくるだろう。

おわり

<32>へつづく

 

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足に土―原人・アキラ  須貝 アキラ 追悼集 <7>

<6>からつづく 

Ashi
『足に土――原人・アキラ』 須貝 アキラ 追悼集<7>
やまびこ編集室 1998/9  共同編集・発行 人間家族編集室 A5判・284P
★★★★★

 2012/02/07に朝日新聞「プロメテウスの罠」という記事の連載が始まったことに触発されるように、この本を思い出したのだが、記事本体のほうが、「獏原人」のほうに行かず、「二人の人物」のうちの一人・木村さんという原発で働いていた人を中心として継続しているので、なんだか、ひとり歩きしているような格好になってしまった。

 まぁ、それはそれでいいだろう。

これで十分  須貝 あきらに

 足に土
 手に斧
 目に花
 耳に鳥
 鼻に茸
 口にほほえみ
 胸に歌
 肌に汗
 心に汗
 心に風
 これで十分

 1984・10 大鹿村 ナナオ サカキ 『地球B』より     p1

 この本のタイトルの「土に足」というのは、日本のビートニク詩人ナナオ・サカキが1984年アキラに送った詩から引用されている。

 ナナオの生涯については、私が今まで読んだ限りでは、山里勝己「場所を生きる--ゲ-リ-・スナイダ-の世界」(2006/03 山と渓谷社)に活写されている部分が一番詳しい。

 ナナオは、ゲーリー・スナイダーが1974年に発表し、ピューリッツアー賞を受賞した「亀の島」を邦訳している。

 スナイダーはまた、1956年に来日し、京都などに滞在し、東洋文化や禅を学んだ。また、宮沢賢治の英訳を始め、「The Back Country 奥の国」(1971New Directions)などに所蔵されている。その意味では、「英語で読み解く賢治の世界」ロジャー・パルバースよりも先んじて賢治に共感を示している。

 岩手県花巻市の「宮沢賢治記念館」では、賢治を世界に紹介した欧米人として、スナイダーが大きく写真つきで紹介されている。

 思えば、2011年3月11日の午前中、私はビル・モリソンの「パーマカルチャー 農的暮らしの永久デザイン」(1993/09 農山漁村文化協会)を読んでいた。昼に外出して、外で3.11東日本大震災に被災したわけだが、それから1カ月は、本など読める状況ではなかった。

 そして、ようやく読書を始めたのは4月25日になってからだった。とにかく読み始めたのはスナイダーの「地球の家を保つには エコロジーと精神革命」(1975/12 社会思想社)だった。

 2月にもこの本を開いていたとは言え、実にあの時期、私は地球の方へと磁力を感じていたらしい。実際に、あの時期には近くの山地にエコビレッジを作る構想に動かされていた。その構想もまた、今回の3.11で大きく変化せざるを得なかった。

 私の中では、農業や共同体、コミューンなどの動きは、まだ果たせないでいる夢として浮遊している部分がある。あの時期にあの構想に対して動いていたのは、三省やスナイダーや獏原人などの、スペースの在り方に、ある種の理想を持っていたからだろうと思う。

 今回の朝日新聞「プロメテウスの罠」という記事の中で、主人公の一人は、「10年前、そんな風見に触れて人生を変えた元原子力技術者がいる。」と紹介されている。

 原子力発電を推進しようとする力に対して、獏原人が、いくばくかのカウンター・パンチになり得たとするならば、その蔭には、風見(マサイ)ばかりではなく、アキラや、ナナオや、スナイダーや、そして宮沢賢治がいる、と、私は思わざるを得ない。

 さらに、もっと大きなうねりがあることを、今回あらためて感じようになった。

 ナナオは、アキラが亡くなったあと、小さな詩を寄せている。

 杖ひとつ 持ってけ 道は長いぞよ

   ななお さかき 1997・9・30      p264

 

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宮沢賢治祈りのことば 石寒太 <3> 悲しみから這い上がる希望の力

2> からつづく


「宮沢賢治祈りのことば」 悲しみから這い上がる希望の力<3>
石寒太 2011/12 実業之日本社 単行本 223p
★★★★★

 図書館に返却する前に、もう一度目を通してみる。

 この詩には、高みから科学によって、また芸術によって、現実に悲惨な農民を自分の力でなんとか救いたい、などという気負いはまったくありません。現実には全く「オロオロアル」いたり、涙を流したりと、たとえ無力であっても、農民たちの苦しみや悲しみをともに分かち合う同伴者になりたいという、賢治の切々たる思いが「デクノボー」の精神のひとつになっているのです。p021「雨にもマケズ」

 本当にこの本は、3.11と賢治をダイレクトに繋ぐなら、この本以上はない、というほど、実にシンプルに、簡易にその意味を教えてくれる。

 新たなる詩人よ
 嵐から雲から光から
 新たなる透明なエネルギーを得て
 人と地球のとるべき形を暗示せよ 
p055「生徒諸君に寄せる」

 まさに、人と地球のとるべき道こそ、当ブログの探究であり、今こそ問われている人類共通の命題である。

 賢治のことばは、いまや賢治の生地岩手県の花巻の人々はもちろん、今度の震災に遭遇し多くの死者を出した陸前高田、東松島市、双葉町をはじめ、大槌町、京都、釜石、山田、久慈の人々、また津波から火災にまで被害の広がった気仙沼市、南三陸町、名取市の人々、もっとも悲惨なのは、地震、津波、から予想だにしなかった原発被害に苦しんでいる、福島圏内の人々でしょう。

 それらの大震災にあった被災の人々のはげましとなり、さらに世界中の人々への生きる希望を与えてくれているのです。まさに、ふるさと賛歌なのです。p104「ふるさと賛歌『きれいにすきとほった風をたべ』」

 あまりに甚大で、全体を見ることさえ不可能な今回の3.11。その地から立ち上がる賢治の姿、というのは図式としては、とても美しい。しかし、物事をシンプルにする方向と、物事を矮小化する方向は、時に混同してしまうこともあり得る。

 賢治は詩人であり童話作家であることは、いまさらいうまでもありません。また、科学者にして宗教家でもあります。

 たった37年という短い生涯の中で、創作と献身に生きた賢治は、豊かな自然を愛し、自然と交感し、特に貧しき農家に生きる喜びを喚起し、希望の光を与えてくれました。p130「希望といのち『そは新たなる人への力』」

 ものごとすべてが3.11で、その解決策が、唯一、賢治のみ、という構図なら、この賢治賛歌でも悪くはないだろう。しかし、それでは、なにかが、大きく見おとされてしまう。

 新たな時代は世界が
 一の意識になり生物となる方向にある
 正しく強く生きるとは銀河系を自らの中に意識して
 これに応じて行くことである
 われらは世界のまことの幸福を索(たず)ねよう
 求道すでに道である
 p163「農民芸術概論綱要 序論」 「隣人の幸せを願う『世界がぜんたい幸福にならないうちは』」

 詩に感動し、詩人に共鳴しているだけでは、自らの人生を生きている、ということにはならない。

 私は、賢治のいう「イーハトーヴ」は、彼のふるさと岩手を中心とした、さらにもっと途方もなく巨大な夢のようなものだ、と考えをさらに大きく変えざるを得なくなったのです。そして、その果てには、地球はおろか、銀河鉄道に乗ってはるばると行く、宇宙の彼方までおよんでいるのです。

 田んぼのことをあえて沼畑と呼び変え、稲をオリザと呼ぶセンスも、ひとつの賢治の鍵になっています。賢治が、岩手を核とする壮大なパラダイス、イーハトーヴの拡大をこころのうちに抱いていたことが、読みすすむごとに明らかになります。p188同上

 賢治の声を聞き、その生きた存在を、今、感じるということは、ここにいま、自分の3.11後を生きる、ということに繋がっていくことになるはずである。

 平成23(2011)年3月11日に、東日本を襲った大震災は、未曾有の被害をわれわれにもたらしました。
 それにともなう津波・火災もそうですが、何よりも想定外だったのは、原子力発電所の放射能漏れによる汚染の事故でしょう。 

 この問題はいまだに尾を引き、解決のめどさえ立っていません。日本人が今後、幸せな暮らしに戻るためには、いったい何をすべきでしょうか? 東北の太平洋側の人々は、まったく零、いやマイナスからの、第一歩を踏まざるを得ないのです。いままでの日常生活に戻るには、何年の歳月がかかるでしょうか。こころの傷はいつになったら癒えるのでしょうか。

 皆戸惑いの色をかくしきれませんが、これは科学優先の人間本位ですすめてきた政策への、自然現象のシビアなしっぺ返しだったのかもしれません。苛酷ではありますが、このあたりでもう一度むかしの暮らしに戻ることを考えてもいいかもしれません。

 節電を余議なくされたときもありました。「日本の夏はこんなにも暑かったんだ」と、自然と共生する暮らしを、もう一度真剣に考えてみたいと思います。p213「あとがき」

 この本は、小学校の図書館に入ってもふさわしい一冊であろう。場合によっては、幼稚園児に読み聞かせても、分かってくれるだろう。しかし、中学生以上なら、ものごとはそう単純ではないことに気づいている生徒も少なくないはずだ。

 ものごとをシンプル化することはいいことだ。難解で、複雑なことだけが高級である、なんてことはない。この本は、3.11後に、一冊だけ、被災地に持っていくとしたら、もっともふさわしい本の一つになるだろう。だが、それだけでは解決にはならない。

 ただ、この本を読み、そこから、その「悲しみから這い上がる希望の力」のとっかかりを見つけることができれば、この本は十分に生きて働いてくれた、ということになるだろう。

<4>につづく

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デクノボーになりたい 私の宮沢賢治 / 山折哲雄


「 デクノボーになりたい」  私の宮沢賢治
山折哲雄 2005/03 小学館 単行本 222p 
Vol.3 No.0613★★★★★

 賢治はまず科学者になろうとした。しかしながら、科学者としての一筋の道をつきすすんでいったわけではなかった。科学者としては一貫しなかったわけです。

 詩人になろうとした。しかしかれは、高村光太郎のように詩人としても一貫した生き方をしたわけではなかった。それならば、童話作家としてその生涯を貫いたか。そうでもありません。農業指導者としても中途半端。

 宗教家としても、彼は出家の生活をしたわけではない。家庭の人となろうとしたかといえば、ついに人の親にもなりえなかった。家庭人としても失敗者だったというほかない。

 宮沢賢治は、天体物理学、地質学、土壌学、音楽、天文学、そのすべての問題に普通人以上のつよい好奇心をもっていたが、結局のところ、そのすべてに対してディレッタント(好事家)の態度を崩さなかったのではないか。外見的に見ればそのように映る。p32「賢治の悲しみ---風と言葉と」

 科学者としての賢治、詩人としての賢治、神秘家としての賢治、を追いかけている当ブログの現在において、どれも中途半端だろう、という見方は成り立つ。

 しかし、私はそういう見方は、やはり浅薄だと思う。ほんとうはそうではない。かれはむしろそれらのすべてのものになろうとした、途方もない欲望を抱え込んだ人間だった。p33同上

 山折哲雄。この人の本は断片的に読んではいるのだが、一気に読んだことはない。3.11後に出された山折哲雄/赤坂憲雄「反欲望の時代へ 大震災の惨禍を越えて」(2011/09 東海教育研究所)も、面白いので、そのうち再読したいとは思っているのだが、読者としての私は、いまいち素直な気分になれずに、時間が経過してしまった。

 ところがよくよく考えてみると、そういう賢治の生き方こそ、じつは今日のわれわれの専門家的な生き方にたいする痛烈な批判になっているのかもしれない。p34同上

 山折の文章は、気がついてみると、「ですます調」と「だである調」が、混在している。講演を文章化したのだろうか、それとも、読者への目線を意識してのカモフラージュだろうか。これだけの書き手だけに、そこのところはかなり意図的に、意識的に、使い分けている可能性は大である。書き手としての山折の存在を、曖昧化する効果は生まれているようだ。

 賢治のような遊蕩児の立場からすれば、そういうはげしい欲望をもった人間の目から見れば、専門家というものほどつまらないものはない。そういう生き方を根底から批判しようとした人が賢治だったということになるかもしれません。p34同上

 科学者でもなく、詩人でもなく、ましてや宗教家でもない、生き方。全否定ではなく、それらを含んだ上で、なお専門化しない生き方。それをあえて「神秘家」と言えないこともない。だが、ここで、そう決めつけるのは早すぎるだろう。

 現実にはそういう生き方を選択しようとした賢治が、故郷から誤解され、冷笑を浴びせられた。かれを理解するものが一人もいない孤独のなかで生きるほかなかった。その賢治の悲しみがどうしようもなく伝わってくるような気がするのであります。p35同上

 山折の実家は、賢治と同じ花巻にある。そのような共通性や、日本山妙法寺の藤井日達上人の「わが非暴力」をまとめた(p103)、というような親近性が、山折を身近なものに感じさせるのだが、いまいち山折の独自性というものを見つけられないでいる。

 この人の文章は、かならずしも知識に満ち溢れている、というものではない。しかし、語彙が豊富であることは間違いない。羅列ではなく、厳選して選び抜いた、ありふれた言語を操りながら、指し示そうとしている、何かがある。

 そういった意味においては、宗教学や民俗学、といった科学の一分野としての専門家として表現しようとしているわけでもなく、詩人や芸術家、というには、ちょっと知が勝ちすぎる。もちろん宗教家、と言われるのが一番好ましいのだろうが、それもまた躊躇し、拒否している。

 この本のテーマはデクノボーである。賢治が「デクノボーになりたい」と思い、山折が「デクノボーになりたい」と思った。しかし、いくら賢治がデクノボーであり得ても、山折がまた同じくデクノボーであり得ても、それを絶賛しているだけでは、読者たる私にはなんの意味もない。山折における「私の宮沢賢治」を読まされているに過ぎない。

 (中原)中也による「賢治全集」推薦の弁のなかから「風」の音がすこしも聞こえてこないのは不思議である。賢治の「感性」が「純粋に我々のもの」すなわち中原中也たちのものであるというのであるならば、このあとにのべることになるが、中也の詩と賢治の詩をあれほどつよく結びつけていたはずの風の流れ、風の響きが、一言半句ここで言及されていないのが不思議である。p146「共鳴する詩人の魂--宮沢賢治と中原中也」

 なるほど、そういわれてみれば、須貝アキラ追悼集「足に土」に寄せた文章で、私は、アキラと賢治を「風」で結びつけていた。

 私自身は、そして当ブログは、宮沢賢治という存在を避けて通れない、と思ったことはない。むしろ、見過ごして今日まできた、と言える。このまま賢治を視野に入れずに人生を終わることに、なんのためらいもないのだが、ちょっと振り返ると、ずっと昔から、自分の傍らに、賢治がいたことに気づく。

 ことさらに、それを大ごとに考えようともしないのだが、しかし、ある領域を超えて、拡大意識、超意識へと歩み行けば、おのずと、賢治らしき表象のかげに、大きな宇宙超意識への道すじを幻視することになる。

 賢治を科学者でもなく、詩人でもなく、あるいは宗教家でもなく、あえていわゆるOshoのいうところの「神秘家」と捉えることは、賢治個人への毀誉褒貶にはまったく無関係に、私自らの、変身への契機とする可能性を創りだすことになるのではないだろうか。

 この本、機会をとらえて、再読を要す。 

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2012/02/15

宗教詩人 宮沢賢治―大乗仏教にもとづく世界観 丹治 昭義

Photo
「宗教詩人 宮沢賢治」―大乗仏教にもとづく世界観
丹治昭義 (著) 1996/10 中央公論社 新書 242p
Vol.3 No.0612★★★★☆

 いつもは行かない、ちょっと離れた図書館に行った。気まぐれに賢治の本を探したら、はずれの支所なのに、たくさんの賢治本があった。どれにしようかな、と迷ったあげく、何冊かの中に、この本を入れておいた。

 当ブログで読み進めている賢治本の中から、ちょっと早すぎる賢治再読リストベスト10」を抜き書きしておいたが、その中には、斎藤文一「科学者としての宮沢賢治」と、大島宏之編「宮沢賢治の宗教世界」が入っている。しかし、詩人・宮沢賢治、とうたった本はない。

 科学者としての賢治、詩人としての賢治、神秘家としての賢治、この三方向から、三位一体の存在として賢治を見てみようという、当ブログの思いは、さて、どれほどの妥当性があるのだろうか。

 そんな思いの中で、この本を選んだのだった。「宗教詩人」という形容がはて、どれだけ妥当性があり、また、当ブログの進行のなかで、どこほど当てはまってくれるのか。とにかく、そういう三冊を抜き出してみようという思いがあった。

Photo_2 この三冊が、それぞれの視点の代表作とは言いきれない。しかしながら、これらの三つの視点があるとするのなら、まずは、その糸口を見つけたい、と思ったのである。

 当ブログでは現在、カリール・ジブランの「プロフェット」をめくり、そのジブランを語るOshoの「Messiah」の視聴を進めているところである。Oshoはジブランを詩人として絶賛しつつも、その限界を指摘しつつ、神秘家であることの重要性を説いている。

 詩人としての宮沢賢治、という見方はある意味、当然のことであり、それ以外の見方がある、という方がちょっと変わっている。本人は心象スケッチとか言っているし、童話も沢山あるので、ひょっとすると童話作家、と言ったほうがいいのかもしれないが、やはり、科学者、詩人、神秘家、という見方で言えば、賢治は詩人、というのが一番ぴったりくる。

 たしかに農業技術者であったり、その作品の中に、天体のマクロの動きや、鉱石の中にあるミクロな世界を取り込んでいたとしても、賢治が「科学者」としての業績を大きく評価されることはないだろう。むしろ、それらを「詩」の中に取り入れたからこそ、「科学者としての宮沢賢治」というタイトルが際立ってくるのだ。

 「宮沢賢治の宗教世界」のほうはどうだろう。法華経や国柱会などの絡みで語られることが多いが、本来、それらのことは付属物であり、「宗教家としての宮沢賢治」も、決して大成したとは言い難い。ここでは「宗教家」と「神秘家」という言い方の違いは、峻別して使っておきたい。

 さて「詩人としての宮沢賢治」という視点が、きちんとこの「宗教詩人 宮澤賢治」の中に表わされていたか、というと、必ずしも、そうとも言い切れない。この本においては、「詩人」としての賢治ではなく、「宗教詩人」としての賢治を語ろうとしているわけだが、ざっと読んでみる限り、「宗教」と「詩人」が、多少分離している感じがする。

 特に仏教や法華経、なかんずく菩薩や日蓮宗に関するあたりは、著者の理解を朗々と述べているのであって、賢治においては、やはり「宗教」は、隠し味として、存在していてしかるべきものだろう、というイメージが残ったのである。結論として、結局、賢治は「宗教詩人」ではなく、「詩人」である、という結論を得ることになった。

 さて、それでは、「詩人」宮沢賢治は、「神秘家」たりえたのか、というのが、当ブログの今後の関心の中心となる。概念が拡散してしまう「宗教家」ではなく、あくまで「神秘家」としての賢治を探してみよう、と思う。

 この本では、若い時代に玄米を食べていたので、賢治は下痢で悩んでいた、という表現があったが、本当はどうだろう。また、学生時代に禅寺に下宿していたので、坐禅をしていた、というのは妥当としても、それについて書いていないので、神秘体験をするまでは至っていなかったのではないか、という表現があった。こちらも、あとですこしづつ検証してみたい。また、見田宗介に賢治本があることを、あらためてこの本で思い出した。

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OSHO ZEN TAROT <43> RECEPTIVITY(受容性)

Zen029receptivity 前からつづく

OSHO ZEN TAROT <43>

28. RECEPTIVITY(受容性)

 聴くことは、神の寺院に入るためのもっとも基本的な秘法のひとつだ。聴くことは、受け身であることを意味する。聴くことは、自分を完全に忘れてしまうことだ——。そうして初めて、あなたは聴くことができる。

 ある人の言うことを注意して聴いていると、自分のことを忘れる。自分のことを忘れられなかったら、けっして聴いてはいない。自意識が過剰だったら、あなたは聴いている振りをするだけだ——聴いてはいない。うなずいたり、ときには「はい」とか「いいえ」とか言うだろう——が、聴いてはいない。

 聴いているときは、あなたはまさに通路、受け身、受容性、子宮になる。女性的になるのだ。そして、行き着くためには、人は女性的にならなければならない。

 攻撃的な侵略者、征服者として神に到達することはできない。あなたが神に到達できるのは、ただ……あるいは、こう言ったほうがいいだろう——神があなたに到達できるのは、あなたが受け身、女性的な受け身の状態のときだけだ。

 あなたが陰(イン)に、受け身になったとき、扉が開かれている。そして、あなたは待つ。
聴くことは、受け身になるためのアートだ。
Osho A Sudden Clash of Thunder Chapter 5

解説:

 「受容性」は女性的なものを、水と感情の受容的な質を表わします。両腕は受け取るために上へと伸ばされ、彼女自身はすっかり水の中に浸かっています。彼女には頭がありません。自分の純粋な受容性を妨げる、忙しい攻撃的な心がないのです。

 そして、自分がいっぱいに満たされると、絶えず自分を空にしてあふれ出させ、さらに多くを受け取ります。彼女から出ている蓮(ロ-タス) のパターン、あるいはマトリックスは、私たちが宇宙と調子が合ったときに明らかになる宇宙の完璧なハーモニーを表わします。

 「水のクイーン」は限界のないひと時、どのような期待も要求もなく、生がもたらすすべてのものに感謝するひと時をもたらします。義務も、利点や報酬を考えることも重要ではありません。

 感受性、直観、そして慈悲こそが、まさに今輝き出ている質であり、私たちひとりひとりを隔て、私たちを全体からも隔てている障害をすべて溶かしています。Copyright © 2012 Osho International Foundation

次へつづく

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2012/02/14

エステー、7,900円の家庭用放射線測定器「エアカウンターS」<2>

<1>よりつづく

S
「エアカウンターS」 <2>
エステー、7,900円の家庭用放射線測定器 2012/02発売

 ようやく届いた。別に意図したわけではなかったのだが、販売店は福島の薬局。通信販売だけど、かなり安かった。ポイントを考慮すると、5000円台中頃の値段。送料込だから、これは底値と言ってもいいのかも。

 もっとも性能が問題だ。それはこれから使っていかないと分からないが、とにかく開けて使い始めてみると0.05μSv/hからスタートする。室内では、このまま動かない。地上1mというと、私の場合は、ちょうどベルトの腰のあたり。

 このまま水平にもったまま、移動して見る。玄関をでて、庭の植物の上に持っていってみると、次第に10秒単位で上昇し、0.13μSv/hまで上がったが、その後、同じ場所に留まっているのに、0.08μSv/hまで下がってきた。

012

 説明書には、蛍光灯の近くで使うなと書いてあるので、ひょっとすると、室内では蛍光灯などがよくもわるくも反応している可能性がある。あるいは、カメラのフラッシュなどにも反応しているかもしれない。

 いずれにせよ、いままで何度か計測しているが、昨年の夏あたりと、それほど大きな違いはなさそう。機器の誤差もあるだろうし、これから定期的に変化を記録しておこうと思う。

 それに、周囲の地域ばかりではなく、これから遠出をしたときに、チェックしてみる価値はありそうだ。約2分間、ということだが、35秒ほどで反応はでてくる。それから以降は、10秒単位で更新される。

 まだ読んでいないが、首都大学東京の福士政広教授の「正しく覚えよう 放射線の基礎知識」という文庫本サイズ30ページの小冊子もついている。

Photo

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Oshoサイトのバナー

 OshoZenTarotカードをひきながら、Oshoサイトを見ていると、毎回、バナー広告がでてくる。それなりに気になりながら、別にクリックすることもないのだが、なるほど、今はこういうセンスなんだな、と思う。

 タントラとかコンシャスネスとか、それなりに、面白そうだ。数えてみると、30くらいありそうだ。きれいなので、ここに並べてみる。

Trantricenergyreading

Creativityformeditation

Enteringheart

Leaderboard_blog1

Leaderboard_bornagain2

Leaderboard_medtherapies

Leaderboard_mobileapps

Leaderboard_mvcentering2

Leaderboard_mvcreativity1

Leaderboard_mvesoteric

Leaderboard_mvlifeissues2

Leaderboard_mvmindemotions

Leaderboard_mysticrose2

Leaderboard_newsletter

Leaderboard_nomind

Leaderboard_radio3

Meditaionandcentering 

Meditationandesoteric

Meditationandlifeissues

Openingthemind

Osho_banner2

Osho_banner3

Oshomeditativetherapies

Tantraconsciousness

Tantraenergy

Trantricenergyreading_2

Trantricenergyreadingintensive

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2012/02/13

地球人スピリット・ジャーナル・ダイジェスト版<38>「センダード2011」カテゴリについて

37>よりつづく 

「地球人スピリット・ジャーナル」
ダイジェスト版

<38>「センダード2011」カテゴリについて

1)そもそもは「センダード2012」としてスタートしていたカテゴリだったが、予想以上に進展が早く、2011年中に終了してしまったため、終了時に「センダード2011」と改名した。

2)センダードとは、宮沢賢治のイーハトーブに連なる隣町のイメージであり、2012は、3.11のあった2011年を超えた近未来をイメージしたのであったが、むしろ、3.11直後から、すでに未知世界に突入してしまったのではないか、という思いもある。

3)再読したいこのカテゴリこの3冊は次のとおり。

「宮澤賢治イーハトヴ学事典」 天沢退二郎・他(編集)  2010/11 弘文堂

「郡山遺跡 日本の遺跡35 飛鳥時代の陸奥国府跡」 長島榮一 2009/02 同成社

「スピノザとわたしたち」 アントニオ・ネグリ 2011/11 水声社

4)このカテゴリで明確になってきたことは、いくつかある。宮沢賢治の、科学者として、詩人として、そして宗教的資質としての側面や要素のなかから、当ブログとしてはやはり、宗教性、なかんずく、賢治の神秘家としての本質に迫っていく必要がある、ということ。

5)さらには、ポスト3.11の中で、地震、津波、原発事故、と、トリプルパンチの大悲劇の中にあって、復旧復興の掛け声も大きい中ではあるが、本来、地球の上に、人間が、そして、この自分が生きている意味を、本質的に問いかけていく必要がある、ということ。

6)自分は、この地球において、3.11という大ドラマを体験しつつあるわけだが、地域的に閉塞して、全体性を見失ってはいけない、ということも大切である。2011センダードは、イーハトーブの隣町でありながら、当ブログ流に解釈した上での、マルチチュード達との連帯の中に存在している、ということを忘れたくない、ということであった。

7)書かれたのは、2011年11月8日から12月22日までの一カ月半の期間であった。

<39>へつづく

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OSHO ZEN TAROT <42> WE ARE THE WORLD(ウィ・アー・ザ・ワールド)

 

 

 

 

Zen078wearetheworld

 

 

 

前からつづく

 

OSHO ZEN TAROT <42>

 

77. WE ARE THE WORLD(ウィ・アー・ザ・ワールド)

 

 地球のあらゆるところで数えきれないほど多くの多くの人びとが祝い、歌い、踊り、歓喜に満ち、神性に酔っていたら、どんな地球規模の自殺も起こりえない。

 そのような祭とそのような笑い、そのような正気と健全さ、そのような自然さと自発性があれば、どうして戦争などありえるだろう?

 

  生は創造するために、楽しむために、そして祝うためにあながたに与えられている。涙を流して嘆いているとき、惨めなとき、あなたは孤独だ。祝っているときは、全存在があなたと共に参加する。

 祝祭のなかでのみ、私たちは究極なるもの、永遠なるものと出会う。祝祭のなかでのみ、私たちは誕生と死の輪廻(りんね) を超える。
Osho I Celebrate Myself Chapter 4

 

解説:

 

 ここでは、人間が虹の生きものとして描かれ、生という贈りものへの喜びと感謝のもとに手を結び合い、地球というマンダラのまわりを踊っています。

 

 このカードはコミュニケーションの時を、私たちそれぞれが全体にもたらす豊かさを分かち合う時を表わしています。ここには執着はありません、独り占めはありません。それは劣等感や優越感を味わう恐れのないサークルです。

 

 人間性の共通した源、私たちの夢と望み、希望と恐れの共通した原点がわかると、私たちはみな存在の大いなる奇跡でひとつに結ばれているのを見ることができます。

 

 私たちみんなの手に入る、愛と智慧の宝を創りだすために、私たちの途方もない内なる富をひとつに組み合わせることができたら、私たちは永遠につづく創造の絶妙なパターンへと結び合わされます。Copyright © 2012 Osho International Foundation 

 

次へつづく

 

 

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2012/02/12

地球人スピリット宣言草稿<30>the spirit of the earth

<29>からつづく 

「地球人スピリット宣言草稿」 
<30>the spirit of the earth.

 「メサイア」を読んでいた。

You are the spirit of the earth.
You are the spirit of the sky.

Except you, there is no consciousness anywhere.
Only you can be filledw ith love, only you can be just. 
Osho 

う~ん、これできまりだろう。

Only your meditative silence, filled with love and fragrance,will sanctify every act that you do. Osho 

 そして、これしかないのだ。

 当ブログの「地球人スピリット宣言」は、これで決まりだ。往相はこれできまりだ。これしかない。そして、還相としては、この3.11の現実と向き合うことになるのだ。

 これが、私の、当ブログの、ゾルバ・ザ・ブッダ、Meditation in the Market Place だ。

<31>につづく

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The Messiah<10>Osho on Kahlil Gilbran's the Prophet

<9>よりつづく

Themessiah1
「The Messiah」 Commentaries by Osho on Kahlil Gilbran's the Prophet, Volume 1<10>
Osho (Author) 1987/09 Publisher: Osho Intl; Paperback: 496 pages Language: English
★★★★★

Kahlil Gibran is simply repeating a very primitive superstition of the whole humanity. The question is not of invoking the spirit of the sky or of the earth –the question is of finding your own soul.

Hence I say unto you, invoke your consciousness. Invoke silence in your being. It cannot be done by mantras, chantings, prayers. It can be done only by meditation, there is no other method.

Only your meditative silence, filled with love and fragrance,will sanctify every act that you do.

It w ill also sanctify your inactivity, if you are not doing anything.
Your very silence will become a charismatic presence, and will create waves of love which will go far away over the oceans to the stars.

Awake yourself. Strange –people have been trying towake the spirit of the earth, and they are fast asleep and snoring!

You are the spirit of the earth.
You are the spirit of the sky.

Except you, there is no consciousness anywhere.
Only you can be filledw ith love, only you can be just.
 Osho p387 pdf 264p

 う~ん、ほとんど、ここで決まりだな。淡々と「メサイア」の視聴はつづく。順調だ。是ほど順調にくるとは思わなかった。そして、Oshoのジブラン評価は、もっと穏やかなものであると思っていたが、どうしてどうして、かなり手厳しい。

 あるいは、ジブランの「プロフェット」を読んでも、ちょっと歯の浮くような、ちょっと意味不明な、受けを狙ったようなフレーズは、やはり詩ではあっても、ミスティックのビジョンではあり得ない、ということになる。

You are the spirit of the earth.
You are the spirit of the sky.

Except you, there is no consciousness anywhere.
Only you can be filledw ith love, only you can be just.
 Osho

 自らのもっとも深い意識に、瞑想を通じて到達する以外に、もっとも深く地球人になることも、もっとも高く空へと、星へと飛び立つことも出来ないのだ。

 現在進行中の「地球人スピリット宣言」も、結局は、このセンテンスで決まりだろう。これまでの合理的な、理詰めのプロセスなど、なにもないが、ここはむしろ、量子力学的に、ジャンプするしかない。

<11>につづく

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OSHO ZEN TAROT <41>ABUNDANCE(あふれ出る豊かさ)

Zen036abundance_2前よりつづく

 

OSHO ZEN TAROT <41>

 

35. ABUNDANCE(あふれ出る豊かさ)

 

 東洋では、人びとはからだを非難してきた、物質を非難してきた。物質を「幻」、マーヤと呼んできた——。それはほんとうは存在せず、存在しているように見えるだけで、夢と同じ材料でできているのだ、と。彼らは世界を否定した。

 

 東洋がいつまでも貧しく、病み、飢えているのはそのためだ。人類の半分は内なる世界を受け容れてはいるが、外側の世界を否定している。人類の残りの半分は物質の世界を受け容れてはいるが、内なる世界を否定している。

 両方とも半分ずつだ。が、半分でしかない人間が満足できるはずはない。あなたは全体でなければならない。からだも豊かで、科学も豊かで、瞑想も豊かで、意識も豊かでなければならない。私から見れば、全体的(ホール)な人だけが神聖(ホーリー) な人だ。

 

 私はゾルバとブッダが出合ってほしい。ゾルバだけではむなしい。ゾルバのダンスには永遠の趣(おもむき) がなく、つかの間の楽しみにすぎない。すぐに飽きてしまうだろう。

 

 宇宙そのものから手に入る、枯れることのない源泉をもっていないかぎり ……あなたが存在に即したものにならないかぎり、あなたが全体になることはありえない。
これが人類への私の貢献だ——全体的な人。
Osho Communism and Zen Fire, Zen Wind Chapter 2 

 

解説:

 

 このディオニュソス風の気ままな人物は、酒を飲み、海辺で踊り、雨に打たれながら歌うことができると同時に、聖者の理解と智慧の深みをも楽しむことのできる全体的な人間、「ゾルバ・ザ・ブッダ」を描いたものです。

 

 片手に蓮の花(ロータス) をもち、女性的なものの優美さを自らの内に包含し、それに敬意を抱いていることを示しています。はだけた胸(開かれたハート)とリラックスした腹は、自らの男らしさとも気楽にくつろぎ、ひとりで完全に満ち足りていることを示しています。

 

 地、火、水、空の四つの要素すべてが、生の智慧の書の上に坐っている「虹のキング」において結ばれています。もしあなたが女性であれば、「虹のキング」はあなたの生に、あなた自身の男性エネルギーの支えを、内なる魂の伴侶(ソウルメイト)との合一をもたらします。

 

 男性に対しては、今こそ従来の男性の典型を突き破り、全体的な人間の豊かさを輝き出させる時だということを表わしています。Copyright © 2012 Osho International Foundation

 

次につづく

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星の遊行群 1975年ミルキーウェイ・キャラバン<1>

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「星の遊行群」 Vol.1 <1>
星の遊行群 ミルキーウェイ・キャラバン 1975/03 ミニコミ雑誌 p135
Vol.3 No.0611★★★☆☆

 人生の中には、できれば思い出したくない、恥ずかしい話が、いくつかあるはずだ。それは誰でもそうだろう。でも、私の場合は、他人より多いエピソードがあるかもしれない。思い出せばキリがない。

 中学生時代に、学級新聞を創ることになった時、「MPC」というタイトルにした。増中ペーパーズ・クラブとかなんとか理由を付けたのだが、実は、これは除草剤の名前だった。悪い雑草をやっつける、という意味だったのだ。

 レイチェル・カーソンの「沈黙の春」がでたのが1962年だから、それから数年後の日本の中学生には、まだ農薬の悲劇的側面を考える余裕がなかったと言えばそれまでだが、今考えてみれば、あまりにセンスのないお話ではないか。

 高校の時、学校誌にクラス紹介を書くことになった。私はありきたりの文章を書きたくなかったので、ウンウン考えたのだが、締めきりがやってきてしまった。そこで考えたのが、ひとつのパロディで「共産党宣言」の部分を抜き書きしてやろう、ということだった。私としては、結構面白いと思っていたのだ、が・・・・・。

 同じクラスの同級生だった編集委員とすったもんだの末に、結局は、顧問の教師がそれを外してしまい、まったく別な生徒にまったく別なクラス紹介を書かせたのだった。それはそれでしかたない。私も顧問の教師だったら、そうしたかもしれない。しかし、私の書いた文章は別枠で、巻末に投稿として、掲載されたのである。

 高校の学校誌に「共産党宣言」の原文。しかもその下には、私の名前が著者として刻銘さえされていたのである。これは、ホントにチョ―恥ずかしい。この世に「共産党宣言」を、自分の作品だ、と言えるのはカール・マルクスと、フリードリッヒ・エンゲルス以外にはいない。ましてや私などが、登場する場面ではない。もう40年前の学校誌などを持っている奴などいないとは思うが、人生の中の大きな汚点である(汗~~)。

 これからメモしておくお話は、これらに続く、私のチョ―恥ずかしいお話の中の一つである。「星の遊行群」をネットで検索してみれば、私のブログ以外でてこないが、別名である「ミルキーウェイ・キャラバン」なら沢山でてくる。

 みんな忘れてしまった話だし、そもそも知らない人がほとんどなので、メモすることも憚れるが、当時、迷惑をかけた(?)人たちもいるので、懺悔の意味も込めて、経緯を記しておくことにする。

 と、上段に構えてしまったが、どこからメモし始めたらいいものか。朝日新聞の記事関連で「プロメテウスの罠」に出てきた「足に土―原人・アキラ  須貝 アキラ 追悼集」にやたらと「星の遊行群」という言葉がでてきた。

 あんまりにもいろいろなことが関わっているので、今回は、項目だけを箇条書きにしておいて、あと、思いついた時に、各論につっこむことにする。

1)1975年という時代があった。

2)星の遊行群あるいはミルキーウェイ・キャラバンというものがあった。

3)日本にも、共同体やコミューンを模索する動きがあった。

4)機関紙あるいは文集「星の遊行群」があった。

5)その編集過程でさまざまなドラマがあった。

6)私はその中で、私なりの感慨を持っていた。

7)私は例によって、また出来そこないのパロディみたいなことをやってしまった。

8)最初、印刷所となっていた部族系CCC印刷所で、なぜか私の文章だけが、印刷拒否された。

9)ある意味、私の思惑通りに物事はすすんだが、結局、私の文章だけが、「蘇生」系の谷原コミューンで印刷され、無事、一冊の本となって世にでた(1500部)。

10)しかし、なぜに、あの時、私はあのパロディを書いたのか。

11)カウンターカルチャーと、コミューンと、タントラと。

12)心の隙間。

13)自宅出産。

14)「存在の詩」との出会い。

15)雑誌「時空間」の廃刊。

16)共同生活スペースとしての「雀の森」の終焉。

17)瞑想、あるいはスピリチュアリティ。

18)1976年以降。

19)その後のネットワーク。

20)その後の、それぞれの道。

21)そして21世紀とポスト3.11。

22)それからそれから・・・・・・・

 思えば、現在進行形の「地球人スピリット宣言草稿」に連なる部分もあるし、次なる「ベルゼバベシュの孫への話」にも連なる部分があるのだが、ここはここ、1975年、というテーマで、すこし文字として固定化しておく必要があるだろう。

<2>につづく 

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足に土―原人・アキラ  須貝 アキラ 追悼集 <6>

<5>からつづく 

Ashi
『足に土――原人・アキラ』 須貝 アキラ 追悼集<6>
やまびこ編集室 1998/9  共同編集・発行 人間家族編集室 A5判・284P

 第6章大鹿村の人々、そして第6章闘病生活と読み進めてみる。ここまでくると、「うんどう」とか「こみゅーん」とかいう言葉を離れた、アキラ本人の、アキラらしい素直な素顔が浮かび上がってくる。寡黙なアキラはやさしく笑っているだけなのに、雄弁なアキラが立ち上がってくるようだ。それはまるで、ジブラーンの「人の子イエス」を読んでいるようでさえある。

 しかし、その中から立ち上がってくるのは、イエスのような救世主ではなく、賢治のいうようなデクノボーだ。ほんとうに、アキラは、賢治の生まれかわりであるかのように、その時代を生きた。いみじくも、私はこの文集の中に、2ページを与えられ、拙い追悼文を寄せたが、その中に、二度、宮沢賢治、という言葉を使っている。

 しかしながら、この本に寄せられた100人以上の中に、その名を語った人はいない、ただひとりアキラ本人を除いては。

 退院してからの約2週間ぐらいは、体もままならないので、悪い事ばかり考えてネ。どのくらい苦しんで死ぬのか、死んだら後に残ったものはどうなるのか、とか----。

 畑の花の上にバッタリとたおれて死んでしまえば、みんなから「イヨー、大鹿の宮沢賢治」とでも声をかけられたのにとか思ったりして、くやしんだり。-----

 体も順調になってくると、心の方も軽くなって来て、悪い事はほとんどどこかに行ってしまって、以前よりも明るくなったのではないかと思う程になりました。p246アキラ「トムと、いくちゃんと、わたると、かいへ」

 こうしてみると、結局は、私はアキラにすでに見透かされていたように、「イヨー、大鹿の宮沢賢治!」、と言ってしまったのだった。その掛け声は、アキラにとってはよかったか悪かったかは、よくわからない。やっぱりアキラはその掛け声に対しても、風の中で静かに笑ったと思う。

 終章には、資料として「『名前のない新聞』にみるアキラとコミューン」という記録を浜田光(あぱっち)が寄せている。記録をとる、という意味でのジャーナリズムとして、この新聞の果たしてきた役割は大きい。この新聞があればこそ残されたアキラの生きた姿がある。

 10ページに渡るこの資料にも見えるとおり、アキラはもぐら、コミューン、獏、農業、というものを心から愛し、叫んでいた。いろいろ理想を語り会ったが、結局は、本当に大地と向き合い、作物を作り続けたのは、結局アキラしかいなかったのではないか。我が身を振り返ってみれば、忸怩たる気持ちで、そんな思いさえする。

 詩人の工藤直子さんを訪ねた時のことだった。この人はゲームを考え出すのがとても上手で、その一つが「90歳になった自分を想像してみる」ことだったそうだ。

 アキラに見えた90歳になった自分は、「獏」の地に座っている自分だった。「オレはそれぐらい、獏が好きだったんだよな」と言う通り、獏のことを語る時の口調は熱っぽかった。p252中村政子(わかめ)「1996年9月~1997年9月」

 飛騨山中に独立するようになった僕は、隣の長野県大鹿村へは、年に1、2回は訪ねるようになったが、アキラと会っても、彼は決して「もぐら」や「ひまわり農場」のことは話題にしなかった。まるでコミューンという見果てぬ夢の実体を、見抜いたかのように。p142「山田塊也(ポン)「コミューンと八角堂」

 またある時、ふっと思い出すように、共同体作りの夢を追って、がむしゃらに皆で力を合わせて働いていた時が一番楽しかったなあと、ぽつりともらしていた。泣けてきた。内田ボブ「アキラへ」

 最近、古いブログのほうに、若い大学院生からメールをいただいていたことに気がついた。当時の日本の小さなコミューン運動について調べてみたい、との意向のようだった。数カ月後に返信したために、タイミングの悪い反応になったが、彼は何人かの当時の関係者(マサイも入っていた)には連絡がとれたが、結局はテーマを変更したため、特に情報は必要なくなったという。

 自分の間の抜けた対応に反省しきりだったが、いや、この時期に、すこし昔を振り返っておくのも悪くないな、と思いだした。特に、1975年、と言う記念すべき年を、もうすこし丁寧にトレースしておくのも悪くないのではないか。そんな思いを次なるカテゴリ「ベルゼバベシュの孫への話」につなげようとしている。

 しかしてまた、この本もまた、一つのコミューンに成り得ている。須貝アキラという、行ってしまった存在を中心に、一冊の八角堂に集まった人々が、大きなAUMのマントラを空に放っているようだ。

 そして、いま、あらためて、3.11東電第一原発事故と福島県双葉郡川内村の「獏」を思う。

<7>につづく

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2012/02/11

足に土―原人・アキラ  須貝 アキラ 追悼集 <5>東海地震と浜岡原発 河本和郎

<4>からつづく

Ashi
『足に土――原人・アキラ』 須貝 アキラ 追悼集<5>
やまびこ編集室 1998/9  共同編集・発行 人間家族編集室 A5判・284P

 追悼集の中に、アキラと同じ地域に長く住んでいたカズが、数ページを使って、原発の危険性を綴っている。1998年当時の文章である。長野県に移っていたから浜岡原発になっているが、もし、アキラやカズが縁あって、福島に留まり続けたら、次の文章は、福島原発についてのコメントになっていただろう。

 そして、すでに13年前にかかれた文章なのに、被害状況としては、ほとんどまったく同じことが福島で起きてしまっている。いや、むしろそれより、規模が大きく、被害はもっと悲劇的だ。

 福島第一原発から25キロの農業コミューン「獏原人」。この対峙を、空からアキラはどう見ているだろう。

 「東海地震と浜岡原発」 河本和郎(カズ)

 今や日本の原発を巡る状況は、確実に悪くなっている。老朽化が進んでいるし、プルサーマルという設計時には考られていなかった運転が行われようとしている。そして浜岡原発については、大地震災害の上に放射能が降り注ぐという悪夢を、具体的に考えなければならなくなった。

 東海地震は、兵庫県南部地震の15倍のエネルギーの地震になると予想されている。東海地震は100~150年おきに発生しているけれど、前回の1854年・安政東海地震からすでに144年が過ぎて、エネルギーが蓄積している。

 地震を起こす地下の震源断層面の大きさは、70kmX115kmの面積を持ち、真上から見ると、富士川、御前崎、浜名湖、赤石岳で囲んだ大きさになる。この震源域の真上に、浜岡原発が建っている。東海地震発生時には、浜岡は約1m急激に隆起する、と考えられている。

 地震学者の最近の見解では、1996年兵庫県南部地震の経験から、浜岡での揺れは神戸で最も揺れた地点よりも長く激しく、複雑であると予想されている。また、95年以来、浜岡町の水準の上下変動に異動が現われている。96年10月からは、震源域のへりで中規模な地震が多発し続けている。

 原発を推進している人たちは、例によって「原発は地震で壊れない」と主張している。カリフォルニアの地震で高速道路が落下した時にも、「日本の高速道路は絶対に地震で壊れない」と主張していた。結果は、兵庫県南部地震で阪神高速が倒壊し、その誤りが見事に実証された。

 私は、普段でも原発の大事故の危険があるのに、東海地震の時、浜岡原発が無事である可能性は、ほとんどないと思っている。

 東海地震の時、大鹿を含む飯田・下伊那北部地方で、家屋の倒壊4千戸、死傷者1千名が予測されている。そのほか、崖崩れや土石流も起こり、一部の道路も使えなくなる。震央から95kmの、飯田・下伊那北部でこの被害だ。静岡方面では、神戸の震災の状態が、もっと広い範囲で出現すると思ったら良い。
 
 そこに目に見えない放射線が飛来することになる。

 現在のベラルーシ、ウクライナ、ロシアでは、チェルノブイリ原発から12年が過ぎ(編注1998年当時)、放射能による障害が姿を現し始めた。セシウム137などの残留放射能からの放射線を、胎児が受けることによる死産や障害が増えている。事故原発の風下になったベラルーシ共和国では、死者数が出生者を上回り、国に人口が減り始めている。

 また、事故当時にヨウ素131という放射線を、体内に取り込んでしまったために起こる、甲状腺ガンが多発し始めた。甲状腺ガンは、事故当時は幼児だった10代の子供たちに多発している。今後は、もっと年齢の高い者にも現れてくるだおろう。ヨウ素131は寿命が短く、現在は完全に消滅している。だから、事故当時と事故後しばらくの間、ヨウ素131を取り込まないようにできたならば、甲状腺ガンを減らせたのではないかと思えてならない。

 事故原発の風下になれば、アキラの夢であった百姓共同体は不可能になる。けれども、せめて子供の甲状腺ガンだけは減らしたい。

 目に見えない放射能の雲が飛来する直前に、ヨウ素剤を飲ませ、建物に目張りして、濡れタオルを重ねて口に当て、建物の奥で放射能雲の通過を待つ。その後も、地面は降下した放射能で汚染されているから、絶対に子供や妊婦を外に出してはならない。やむを得ず外に出た大人は、建物に入る時には服を脱ぎ捨て、体を洗うこと。

 事故原発から30~80kmの地域では、汚染状況、事故の進行、地震被害、静岡・浜松方面からの避難の様子、気象状況を見て、今後の長期避難を検討する。 

 事故原発から30km以内の人は、急性放射能障害による死亡を防ぐために、緊急避難しなければならない。ただし雨の場合は、雨に当たるとより悪い結果になるから、締めきった屋内に避難する。

 けれども、これが東海地震の時に通用するだろうか。通路は寸断されているだろうし、壊れていない建物が近くに全くないかもしれない。橋も、落ちているかもしれない。ともかく風を見て、風上の方へ歩いて逃げるしかないだろう。海陸風の影響があると、昼夜で風向きは逆転する。逃げた放射能雲は目に見えないから、その動きを予測しなければならない。

 浜岡原発の問題は、88年のランニング以来の課題である。とりわけ東海地震の予兆が観測されている今、逃れることのできない現実性をもって迫っている。p194~196

 4年内に起こる確率70%と言われている東海地震である。この文章は、このまますっかり、生きたままである。いや、むしろ、事態はさらに深刻化しているだろう。

 寡黙なアキラであったが、盟友のカズの文章を借りた、これはアキラからのメッセージだったと考えることができるのではないだろうか。アキラが愛した福島双葉郡川内村の獏原人の地は、この汚染の中に取りこまれてしまった。

<6>につづく

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足に土―原人・アキラ  須貝 アキラ 追悼集 <4>

<3>からつづく

Ashi
『足に土――原人・アキラ』 須貝 アキラ 追悼集<4>
やまびこ編集室 1998/9  共同編集・発行 人間家族編集室 A5判・284P

 第4章大鹿時代(1981年~97年)、第5章大鹿村の人々、となると、私には分からないことばかりで、読めば新鮮な内容だし、関わっている人々も、一世代若い人々が混じり始めているようである。

 しかし、この文集には100名以上の人々が文章を寄せており、必ずしも時代々々で人間関係がすっかり変わっていたわけではない。例えば、「アキラと時代と私」(p178)の河本和朗(カズ)などは、かなり長い間、アキラと親交を保っていた筈だし、大鹿村ではかなり近い距離で生きていたと思われる。彼は、カズ、という名前より、札幌の「ねずみ」のほうが私には親近感があるのだが、それはまたちょっと私的過ぎるだろう。

 初めにアキラに会ったのは、1974年11月16日から10日間、東北の奥羽山中、中山温泉の湯治場「星の湯」での合宿だったと思う。p178河本和郎「アキラと時代と私」

 この星の湯こそ、前年の73年に私たち雀の森が合宿に使い始めた湯治場だ。県内で一番安く泊まれる宿泊場所を電話帳で探して見つけたスペースだった。流峰のバイクに乗って、あの場所を探しに行った時のことを覚えている。それにしても、あの74年の合宿は10日間だったのか、とあらためて溜め息。昨年2011年の夏に、その地を訪ねてみたが、すでにあの時の宿は廃止となっており、少し上のほうに新しい世代が新館を立てて、今も経営している。

 「星の湯」は完全な自炊の湯治場で、煮炊きはすべて七輪だった。玄米と炭を持ち込み、一つ部屋に寝起きし、一つ風呂に入った。小さな湯船に全員すし詰めに入り、だれかが「AUMマントラ」を唱え始め、それが自然に全員の合唱になった時の一体感は、忘れられない。まるで、理想社会が出現したように思えたものだ。p178同上「『星の遊行群』1974」

 そうだったねぇ、あの時のマントラはすごかった。湯治場の浴室が反響し、正に雪の中から空に向かって、おおきなバイブレーションを送り続けているようだった。夜空に飛翔していた。

 「星の湯」合宿の最後に、参加者は湯治場の名をとって「星の遊行群」と名のり、翌75年に沖縄から北海道へのキャラバンをやろうと呼びかけた。

 これは「ミルキーウェイ・キャラバン」という名で、予想を超えた規模になった。自分に言わせれば、「部族」などのアーティスト系、「オーム・ファンデーション」や「日本妙法寺」などのインド系、「星の遊行群」などの共同体系が、互いに知り合うことになった画期的なものだった。「・・・系」などというのは、ただ通ってきた道筋に過ぎない。ここで知り合うとは、信じ会うということだ。

 ただしアキラには、キャラバンは初めのイメージとはかけ離れたものに感じられたようだ。一つは大規模になり過ぎたこと。もう一つは、百姓に基礎を置くものではなくなったことだ。私は大雪山越えコースなど、北海道でキャラバンを準備したけれど、終点の藻琴山にもアキラは現れなかった。p179同上

 この辺あたりの大塚ルーシーの文章によれば、「星の遊行群事件」という表現にさえなっている。

 ヒッピー、カウンターカルチャー全盛のこの時、「星の遊行群」(日本中のラブ&ピースのポイントを縦断するツアー)というムーブメントが起こり、その東京の実行委員会で、奛(アキラ)が「もぐら」の参加を決定してきてしまったことから、内部の二つの流れが一気に表面化しました。

 生活者として暮らし始めた私たちにちにとって、旅人を迎え入れるだけの、時間とエネルギーがとれるのかどうかが、問題となりました。

 また一つの取り組みに対し、全員納得で取り組む=ことばで理解しあう方法と、ことばでの確認がなくても、愛とやる気さえあれば何でもやっていけるという方法の違いが、くっきり浮き出てしまいました。

 このような話し合いが起こること自体が、奛(アキラ)には信じがたいことだったように思います。「ことばがすべてじゃないだろう」と。

 話し合いはどんどん煮詰まって、「出るか、留まるか」に至り、結果、「獏」を去ることになった奛(アキラ)とハルは、新たな共同体「原人」を作っていくことになります。p56大塚ルーシー「私の原点」 星の遊行群事件

 私はこの1975年のキャラバンは、九州宮崎の海岸にあった「夢見るヤドカリ族」から、北海道の札幌の友人宅まで参加した。出発点の沖縄にも到達点の北海道藻琴山にも参加しなかった。九州から北海道までずっとヒッチハイクだったし、途中で友人たちと合流したり離散したりして移動した。私なりの感触があった。

 仙台にたどりついた時には、すでにみんなが北海道に向かって出発した後だったが、雀の森の廊下に、ポツンと「存在の詩」が置いてあった。誰もいない廊下でパラパラとめくったのだが、何が書いてあったとか、誰がすすめてくれたのか、とか、そういう問題ではなく、ガタガタと何かが崩れていくのを感じた。

 その後、どんどん、自分の中では別の何かが動き始め、そのころ編集していたミニコミ雑誌を11号で休刊し、4年間暮らした生活共同体を出ることを決意することになる。呉越同舟のミルキーウェイ・キャラバンではあったが、もしアキラが農業、なかんずく「百姓」の理想像を求めていたとすれば、私が求めていたのは、その時ははっきりと言葉としては明確になっていなかったが、今でいうところのスピリチュアリティであったのだと思う。

 アキラは宗教的な言葉や、儀式による表現を行わなかった。アキラにとっては、百姓であること、人の手助けをすることが、彼の表現だった。

 けれどもアキラは、とても宗教的な人だったと思う。アキラは人間に対する信頼をもち続けていた。人を信じ、受け入れ、それが自分の望んでいたものと違う結果になっても、また人を信じ、受け入れてきた。アキラは、私たちの中でも最も宗教的な人物かもしれない。p183河本和郎「アキラと時代と私」 形から心へ

 農業や百姓、というものに対する私の見方は、ちょっと捻じれている。私は、東北の農家に生まれ、百姓という生き方は、ごく当たり前で、ひょっとすると、それ以外の生き方を見たことないような環境に育った。

 ただ今考えれば、ちょっと特殊な農家であったかもしれない。まず地区では一二を争う耕作面積を平地に持っていたし、冬場の仕事も確立していて、完全に自立した農家だった。常時住みこみの働く人々が数人はいたし、地域の人々も常に働きに来た。家族も常に10人以上だったので、まるで、ひとつの農業コミューンだったのである。

 それは、特別に我が家だけの「特殊性」ではなくて、親戚や地域のネットワークには、そのような自立した専業農家は多かった。母親の実家もそのような農家だった。だから、農家、百姓、と言えば、そういうものだ、という先入観が強かった。

 18歳以降、カウンターカルチャーの旅の中で、沢山の友人たちが、農業や百姓を口にし、またそのような暮らしを試みたが、自分の生家の実態を超えているところはなく、山岸会や北海道の牧場などでさえ、私には魅力的には見えなかった。結果的には、私には、82年の夏に訪れたアメリカ・オレゴンのコミューンが一番、魅力的に思えたのだった。

 私は私なりに、実践農業を学んだり、可能性のある土地を求めたりしたが、いまだに農業や百姓は遠い道である。もっとも、私の生家も、その親戚筋の多くも、すでに生計の中心は農業から離れている。これもまた1970年に始まった減反を象徴とした、農業切り捨て、工業優先の国家政策の結果であろう。農業ではなく、工業立国へ。そして経済大国へ、という道すじの中で、原発開発も急がれてきたのだった。

 1982年、アキラを大鹿に訪ねた時には、もう思想を熱っぽく語る時代は終わっていた。思想がもたらす対立には、うんざりしていた。アキラは、「本は一生の間に枕の高さに積めるだけ読めば良い」と言っていた。(本当は読書家だった)。

 だれもが田舎に住めるわけでもないし、畑を作る条件に恵まれているわけでもない。積極的に都会地を活動の場に選ぶ者もいる。「自分は好きでこうして田舎に住み、百姓をしているのだ」ということで、ほかのすべての立場を受け入れようとしていた。p183同上「形から心へ」

 カズの文章は20ページに渡っており、この追悼集に中ではもっとも長文でまとまった文章になっている。同じ後半生を同じ大鹿村で過ごした仲間であるがゆえに、実に的確にアキラの人生をまとめてある。

 おそらく、アキラがこの25年以上の間で唯一、外に向かって行動したのは、1988年1月24日~25日、四国の伊方原子力発電所出力調整実験反対と、同年8月16日~17日の、大鹿から静岡の浜岡原子力発電所へのランニングだった。

 70年ごろを最後に政治闘争をやめ、百姓共同体を目ざしたアキラだったが、大地そのものを殺してしまう原子力発電所についてだけは、どうしても反対の意思表示をせざるを得なかったのだろう。p192同上「チェルノブイリ原発事故」

 すでに長野の大鹿村に移転していたアキラやカズにとっては、福島原発よりは、西日本の原発の動きに敏感だった。この時代に行われたランニングに、私も福島から宮城まで参加し、走った。

 カズの文章はここから、原発についての考察が長く続く。すでにこの本の出た1998年の段階で日本のエネルギー政策が変わっていれば、今度の3.11に繋がる原発事故は起きなかった可能性は大だ。

 「国破れて山河あり」という言葉がある。大地さえ健全ならば、また耕し復興してける。だが、大地そのものが汚染されてしまったら、どうしようもない。野菜が大量に廃棄された西ドイツと、チェルノブイリ原発の距離を考えると、日本で同じ規模の事故が起きれば、日本全土の作物を廃棄しなければならなくなる。

 高濃度汚染されてしまえば、住み続けることすらできなくなる。低濃度汚染でも、百姓は不可能になる。原発事故は、私たちの夢をを土台から奪い取ってしまう。

 しかし、ついにこのような大事故が起こってしまったのにもかかわらず、日本では原発廃止どころか、相変わらず増設計画が推し進められていた。p192同上「チェルノブイリ原発」

 ここからさらに原発談義が続くが、次回に譲る。これは1980年代の話である。2011年になって、3.11で大事故が、しかも、国内で起こっているにも関わらず、廃止どころか再稼働の声さえでてくる。一体どうなっているのだろう。

 当ブログにおいて、この本が登場したのは、朝日新聞の「プロメテウスの罠」の記事がきっかけだった。福島第一原発と、そこから25キロにある双葉郡川内村の農業コミューン「獏原人」の対比、拮抗、と言う形だ。記事によれば、すでにその地に残っているのはマサイ唯一人。あとは避難せざるを得なかった。

<5>につづく

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2012/02/10

OSHO ZEN TAROT <40>条件付け(コンディショニング)

Zen016conditioning 前よりつづく  

OSHO ZEN TAROT <40>

15. 条件付け(コンディショニング)

 自分の人格を落とさないかぎり、あなたは自分の個であること(インディヴィジュアリティ) を見いだすことなどできない。個であることは、存在から与えられている。人格は社会が押しつけたものだ。人格は社会のなかでは都合がよい。

 社会は個であることに耐えられない。個であることは、羊のように追従しないからだ。個であることにはライオンの資質がある。ライオンは独りで動く。羊はつねに群れをなしている。群れのなかにいると楽で居心地がいいはずだと期待している。群れのなかにいると、守られて安全な感じがする。誰かが攻めてきても、群れのなかにいれば、自分を救える可能性がいくらでもある。

 だが、独りだと? ライオンだけが独りで動く。そして、あなたがたひとりひとりが、生まれつきのライオンだ。だが、社会が絶えずあなたがたを羊として条件づけている。あなたの心(マインド) を羊としてプログラムミングしている。それがあなたに人格、当たり障りのない人格、素敵で、とても都合がよく、ひじょうに従順な人格を与えるのだ。

 社会は奴隷を望んでいる。どんなことがあっても自由に身を捧げている人びとなど望んでいない。社会が奴隷を望むのは、特権をもつあらゆる者たちが従順さを望むからだ。 Osho One Seed Makes the Whole Earth Green Chapter 4

解説:

 このカードは、あるライオンについての禅の古くからある話を思い出させてくれます。このライオンは羊に育てられたのですが、年老いたライオンに捕まって池に連れていかれ、水面に映った自分の影を見せられるまで、自分は羊だと思い込んでいました。

 私たちの多くは、このライオンに似ています——。私たちがもっている自己のイメージは、自分自身が直接体験したことから生じるのではなく、他人の意見から生じます。内側から育つことができたかもしれない「個であること(インディヴィジュアリティ) 」が、外側から押しつけられた「人格(パーソナリティ)」に置き換えられているのです。

 私たちは群れのなかのもう一匹の羊にすぎなくなってしまい、自由に動くことができず、自分自身のほんとうのアイデンティティを意識していません。池に映る自分の影をよく見て、他人からの条件付けによって自分はこうだと信じ込まされてきた、そのすべてを打ち破るために、動きだす時です。

 踊り、走り、揺さぶり、ジベリッシュをしましょう——。内側で眠っているライオンを目覚めさせるために必要なことは、なんでもやりましょう。 Copyright © 2012 Osho International Foundation

次へつづく

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足に土―原人・アキラ  須貝 アキラ 追悼集 <3>

<2>からつづく

Ashi
『足に土――原人・アキラ』 須貝 アキラ 追悼集<3>
やまびこ編集室 1998/9  共同編集・発行 人間家族編集室 A5判・284P

 「第3章 農業コミューン時代(1974~80年)」まで読み進んだ。ここまで登場しただけでも、すでに40人以上。3.11後、あれほど読むことが苦痛だった、複数の書き手が語るオムニバス形式の本だが、おなじ形式でも、この本は、なんとも楽しみながら、しかもゆっくりと読むことができる。

 何が違うのだろう、と考えてみた。地震についてであれ、津波についてであれ、あるいは原発についてであれ、通常の書き手であれば、ほとんど、他者のこととして、なかば評論家として、他罰的に、あるいは無力な第三者として、無責任な惑いの言葉を連ねることになってしまう。

 ところが、こちらは「アキラ」という実在した個人を媒介としながら、ひとりひとりの書き手が自らを語っていることが多い。私の文章などは、むしろ、ひたすら自らを隠している文章に属する。ひとりひとりが、自らを語ることによって、それこそ漠とした「アキラ」という人間像が、すっきりと野に立ち上がることになる。

 アキラとの出会いは24年くらい前、当時福島に住んでいたワカの所だ。そのころアキラは「もぐら」という共同体に住んでいて、近くのワカの所に仲間と時々遊びに来ていた。冬でも雪が結構あって格好もボロに長靴で、とんでもない奴らが住んでるなと思ったものだ。俺は、ワカの所にやっかいになって、その後、時々「もぐら」に遊びに行っていたりした。p99「福島でのアキラ」風見正博(マサイ)

 2月7日から始まった朝日新聞 「プロメテウスの罠--原始村に住む」に登場する、「東京都出身、61歳」の人物である。本名を知っている友人たちはそう多くないだろう。通常はマサイという通り名で知られている。ワカとは、前に橋本兄弟農場と書いたところの、兄貴のほうである。体は小さかったが元気でよく体の動く若者だった。

 それから数カ月して、アキラは「もぐら」を出て、そして俺もボケとワカの所を出て、アキラとほかの何人かと一緒に入植地を交渉するために、同じ川内村の今野さんという人の物置に住まわせてもらった。そこで、今野さんの飼っているカイコの世話を手伝いなどしながら、しばらく暮らした。p99「福島でのアキラ」風見正博(マサイ)

 橋本農場、もぐら、漠、原人、漠原人、もぐらバク、など、さまざまな呼称が使われているが、どれも、正式な固定化された名称ではないようだ。場所も、いくつか移転しているようである。

 結局その土地の交渉は実らず、少し離れた、いわき市の高部という所に土地が見つかり、キャラバン(編註1975年ミルキウェイ星の遊行群キャラバン)に行っていたアキラを、北海道までヒッチハイクで迎えに行った。

 今野さん所に建てた家は、皆で足で押し倒して片づけた。きっとこういうことで、俺は何かを学んだのだと思う。今でもこのあたりの仲間は皆、自分で家を建てているが、アキラの精神が、こういうところにも生きているのだと感じる。p100同上

 次から次と新しい環境が生まれるので、そのひとつひとつを体験した人物でなければ、その辺の事情を把握するのは難しい。ただ、結局は、獏、あるいは獏原人、という流動的な人々の繋がりがあった、ということになるのだろう。そしてその繋がりをサポートする大地があり続けた、ということだ。

 2年後の春、「もぐら」は解散状態になり、漠(「もぐら」のいた所)は、だれもいなくなったので、皆で獏に行こうぜと高部には3人ほど残り、アキラを始め俺とボケ、マモル、ヒコたち5,6人で、獏に入った。p100同上

 1970年代の、若い世代の動きである。

 アキラはなぜか、「原人村」のことを「もぐらバク」と称していた。今考えてみると、アキラは一度は「もぐら」を出ても、新しい仲間を連れて「もぐら」に戻ったという感じだったのかもしれない。それだけ「もぐら」に青春を賭けていたのだろうし、「もぐら」の仲間たちを愛していたのだろう。しかし、そのころの俺には、「もぐら」にこだわることがわからなかったし、こだわられることがいやだった。p101同上

 私は、個人的には「もぐら」のほうがリアリティがある。「獏」はもともとの地名であったとも言われるが、もぐらは、東京で70年に始まった「土が欲しいもぐらの会」が、ついに福島に見つけた「土」のイメージがある。

 そしてしばらくして、アキラは獏を去った。今でも、その時のアキラの気持ちを思うとつらい。俺は、去っていくアキラの意志も、継いでいかなくてはと思った。p101同上

 年表によれば、アキラが獏を出たのは1978年秋ごろとされており、これまでのアキラとマサイの「共同性」は実質的にはこの地点でおわり、マサイの「獏」が本格的に始まった、と考えていいのだろう。

 ここに、私の個人史を挟むのも気が引けるのだが、仁義上書いておけば、私は1975年のキャラバンの途中で、Oshoの「存在の詩」に出会い、「時空間」を休刊し、1976年初冬、雀の森を出た。それから旅行資金をためるため印刷会社で働き、77年秋にインドに旅立った。帰国したのは78年暮れ。79年には、瞑想センターを開始しながら、農業実践大学校での2年間の寮生活が始まった。

 あのまま人生が進行していけば、またどこかでアキラや獏や農業と密接にクロスする場面もあったのだろうが、80年代始め、卒業を眼の間にして、私は病を得た。後で知ったことではあるが、私はその時、余命半年と宣告され、一生太陽にあたってはいけない、とさえ申しわたされた。実質的に、私の農業志向は、この地点で終了した。この辺の経緯はほかに書いたこともある。

 さて、この「足に土」が編集されたのは1998年のことだが、この時点でのマサイの註では、福島県双葉郡 獏原人村、となっている。

<4>につづく

 

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2012/02/09

エステー、7,900円の家庭用放射線測定器「エアカウンターS」<1>

S
「エアカウンターS」 <1>
エステー、7,900円の家庭用放射線測定器
Vol.3 No.0610

 ガイガーカウンターが必需品になってしまう世界なんて、本当はあってはいけないことなのだが、これが現実なのだから、しかたない。すでにガイガーカウンターを持っている身近な友人知人も多く、自分の周囲は計測済みだが、日々変化するし、今後の変移も気になるところ。

 ホームセンターやネットでも、すでに沢山の種類の機種が入手可能だが、いまいち決定的なものがでてこなかった。「自宅につくる震災対処PCシステム」だとか、「ガイガーカウンターGuideBook 放射能から身を守る!!」だとか、いくつかガイドブックがあったが、国内製品ではなかなか決定版がなかった。

 昨年末に、エステーがたまごっちみたいな機種を販売したので、さっそく福島に行った時に探してみたが、殆ど発売前に予約販売済みだった。その時、さらに新しい機種がでるよ、とアナウンスがされていたので、期待していた。

 どうやら2月になって、発売が開始されたようだ。いろいろ難点はありそうだが、まずはこの価格なら、そろそろ買いでしょう。さっそく注文することにした。ちかぢか届くようだから、来たら、また性能やら計測結果をメモすることにする。

<2>につづく 

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足に土―原人・アキラ  須貝 アキラ 追悼集 <2>

<1>からつづく

Ashi
『足に土――原人・アキラ』 須貝 アキラ 追悼集<2>
やまびこ編集室 1998/9  共同編集・発行 人間家族編集室 A5判・284P

 思いもよらぬ経緯で、この本を思い出し、久しぶりにめくり始めた。全体は次のような構成になっている。

序章 
第1章 アキラの生きた時代
第2章 ぐるうぷ・もぐら 東京時代 (1970~73年)
第3章 農業コミューン時代 (1974~80年)
第4章 大鹿時代 (1981~97年)
第5章 大鹿村の人々
第6章 闘病生活
終章

 こうして見ると、私が知っていたアキラは第3章までで、大鹿村時代以降については知らないということになる。私が福島県川内村の漠原人を最後に訪れたのは1980年代の末のことだったと思うが、その時は、すでにアキラは獏にはいなかった。

 ゆっくりと読み直し、今ようやく第2章まで読み終えたところだが、ここまででも、いろいろなことが分かってきた。須貝アキラ年譜(p14)の関連のところだけ抜き出してみる。

1965(昭和40)年 18歳 3月、高校卒業、集団就職で東京金町(日本紙業)へ。労働運動と政治運動にかかわる。

1970(昭和45)年 23歳 「土が欲しいもぐらの会」学習会始まる。

1971(昭和46)年 24歳 東京普通にて「ぐるうぷ・もぐら」の一軒家の共同生活が始まる。山岸会特別講習研修会(特講)に参加、途中で抜け出すが、杉浦剛と出会う。

1973(昭和48)年 26歳 浦和の生活共同体「もってん」と合併

1974(昭和49)年 27歳 福島へ移住。当初文字(もんじ)に借家、道路修理など。半年後、「漠」の地へ移る。11月、星の湯第2回「版文化合宿」。「星の遊行群」を名乗る。

1975(昭和50)年 28歳 「ミルキーウェイ・キャラバン」 6月、もぐらを去り、谷地に「原人部落」を開設。秋、原人部落、高部に移る。

1976(昭和51)年、29歳 秋ごろ、「ひまわり農場」で家造り。

1977(昭和52)年、30歳 もぐらが去った後の漠の地へ移り、「漠原人」を名乗る。秋、ひまわり農場を解体。

1978(昭和53)年 31歳 秋ごろ、漠を出て新たな土地を探す。福島・手古岡に移る。

1979(昭和54)年 32歳 手古岡をベースに四国、信州など土地探し。p14「年譜」やまびこ編集室

 このあと、延々と1997年の50歳まで続くわけだが、つくづくアキラは幸せな男だったなと思う。それこそ宮沢賢治が弟の清六や天沢退二郎などによって、事細かにフォローされたように、アキラもまた、きっちりとその人生がトレースされているかのようだ。

 そして、よくよく考えてみれば、アキラと私の接点は、1974~1975年当時、ということになる。そして、宮城県北部山間の「星の湯」での合宿というのは、私たち雀の森が発案して前年に始めていたことであり、そこに「版文化合宿」というニュアンスを注入したのは、東京練馬のトモやキコリたち参加する都市コミューン「蘇生」グループのアイディアだった。

 その合宿で、合宿の場となった「星の湯」にかけて、キコリあたりが「星の遊行群」という名前に仕上げた。キャラバン、というスタイルは、もともとは1972年に、私たちが行った80日間日本一周がベースになっており、大部分がヒッチハイクで移動した。

 その後、1974年のキャラバン「性感隊」を経て、1975年の「ミルキーウェイ・キャラバン」へと発展していくのである。

 そうか、あの時、1974年、アキラは星の湯に来ていたのか、とあらためて確認した。なんせ寡黙な存在なので、目立った発言はなかったように思うが、静かに議論の中に存在する彼らしい参加の仕方だったのだ、と思う。

 アキラは、福島に移って一年半ほどで「もぐら」を出た。が、アキラはいつも人の輪を広げていくのが楽しみだったから、色々な所で「遊びにおいで」と言っていた。それは「ぐるーぷ・もぐら」が立ち上がった時からそうだったし、遊びに来て気がついたら一緒に暮らしていた、なんていうのがほとんどだった。

 しかし、あまり落ち着いた生活ではなかった。いやアキラは、落ち着くというより騒がしさの中に自分を置くことが好きだったのかもしれない。そうだ、それこそが、アキラにとっての自分探しの旅だったのだろう。p50金野マロ「おだやかな時のながれそのもの」

 その土地の主要メンバーだったはずのマロは、キチンとアキラを見ていた。「騒がしさの中に自分を置くことが好きだった」という表現は、実にうまい、と思う。

 そしてさらに思うこと。橋本農場、もぐら、原人、漠、などと断片的にしかしらなかった当地の動きだが、実に激動していたのだな、ということ。さらに、アキラは、その地に、それほど長くはいなかったのだ。

 今、3.11を契機に、漠原人がいまだに存在している意義を再考してみるに、やはり、その出発点の中の一人としてアキラが存在したことは大事なことだし、また、この頃、福島原発もまた、動き出していたのだ、という同時代性のことであった、ということについてである。

 福島第一原発は、1971年3月に営業運転を開始している。

<3>につづく

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OSHO ZEN TAROT <39>GUIDENCE(ガイダンス)

Zen071guidance_3 前よりつづく  

OSHO ZEN TAROT <39>

70. GUIDENCE(ガイダンス)

 あなたがガイダンスを求めなければならないのは、自分の内なるガイドは自分の内側に隠されていることを知らないからだ。あなたはその内なるガイドを見つけださなければならない。それこそ、あなたの観照と私が呼ぶものだ。

 それこそ、あなたの"ダルマ"と私が呼ぶものだ。それこそ、あなたにもともと内在するブッダと私が呼ぶものだ。あなたはそのブッダを目覚めさせなければならない。そうすれば、あなたの生は祝福を、恩恵を降らせるようになる。

 あなたの生は善きことで、神々しさで、素晴らしく輝きを放つようになる。あなたの想像をはるかに超えて——。それはほとんど光のようだ。あなたの部屋は暗い。ちょっと光を持ち込むがいい。小さな蝋燭(ろうそく) ですら役に立つ。

 それで暗闇全体が消える。そして、いったん蝋燭を手にしたら、どこに扉があるのかわかる。「扉はどこだろう?」と考えなくていい。扉はどこだろうと考えるのは、目の見えない人たちだけだ。目のある人たちは、光がそこにあるのだから、考えたりしない。

 「扉はどこだろう」と、一度でも考えたことがあるかね? あなたはただ起き上がって、出ていくだけだ。どこに扉があるのか、少しも考えない。扉を探して手さぐりしはじめたり、壁に頭をぶつけだしたりしない。あなたはただ見るだけだ。そして、思考のかすかな動きすらない。あなたはただ出ていくだけだ。
Osho God is Dead: Now Zen is the Only Living Truth Chapter 7

解説:

 このカードの虹色の翼をもつ天使の像は、私たちひとりひとりが内側に宿しているガイドを表わしています。このガイドがやって来ても、私たちは背後にいる二番目の人物のように、少し信頼が欠けてしまうことが時々あります。それは、私たちが内側からではなく外側からきっかけをつかむことに慣れてしまっているからです。

 あなた自身のもっとも深い実存の真理が、まさに今どこに行けばいいのかをあなたに示そうとしています。そして、このカードが現われたときは、あなたは与えられている内なるガイダンスを信頼することを意味しています。それは囁くように話しかけ、時として私たちは、正しく理解したかどうかわからずに、躊躇してしまうこともあります。

 それでも、示されていることははっきりしています。内なるガイドに従うことで、あなたはもっと全体的な感じが、もっと統合された感じがしてきます。まるで自分の実存の中心そのものから外に向かって動いているかのように——。もし、あなたがそれと共に進んだら、この光線が、あなたの行く必要のあるところへ正確に連れていってくれるでしょう。
Copyright © 2012 Osho International Foundation

次へつづく

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2012/02/08

足に土―原人・アキラ  須貝 アキラ 追悼集<1>

Ashi
『足に土――原人・アキラ』 須貝 アキラ 追悼集<1>
やまびこ編集室 1998/9  共同編集・発行 人間家族編集室 A5判・284P
Vol.3 No.0609

 朝日新聞の「プロメテウスの罠」という記事の連載に、福島県川内村の、農業共同体、漠原人のことが登場した。それで、この本のことを思い出した。この本があったことは忘れていなかったが、どうも、当ブログに登場することはないだろうと思っていた。

 だが、どうしたことか、3.11もあり、関連の動きもありで、この本が動きだした。いろいろ思い出深い一冊ではあるが、まずは、自分の書いたコメントを抜き書きしておく。

 「風の中のアキラ」

 アキラが体調を崩しているという便りを聞いて、ああ僕らはもう、そんな年代になっているのだなと、感じていた。

 そして、そのアキラが奥さんや小さな子供たちを残して、この世から卒業していったという。いつの間にか、僕たちの人生も後半に入っていることを、つくづく思わずにはいられなかった。

 僕の中でのアキラは、宮沢賢治が書いた小説の主人公たちのように、どこかなつかしく、どこかあやうい青年として、いつも風やかげろうの中でキラキラ輝いていた。そしていつも、つかもうとするとスーッと消えてしまうような、そんな存在だった。

 アキラに会ったのは、もう25年以上も前のことだ。

 戦後生まれの僕たちの世代は、70年安保という時代の区切りの後、「空しさ」と、「いや僕たちこそ!」という自負をを持ちながら、旅に出た。

 70年に出会った数人の仲間たちとミニコミを作り、仙台で「雀の森」という小さな共同体に参加した僕は、72年にヒッチハイクで、数カ月をかけた日本一周の旅に出た。北海道から沖縄までの旅で、18才の僕の心には強烈な風景がいくつも焼きつけられた。

 花があり、歌があり、恋があった。喜びがあり、悲しみがあり、闘いがあった。うつむき、倒れ、また、歩いた。

 何のために? なぜ? どうして? という問いかけには、答えは見い出せなかった。しかし、全く手がかりがなかったわけではない。

 大自然の中で農業をしながら静かに暮らし、歌を愛し平和を愛して、コミューンを作って生きていく。そんなライフスタイルの中に、当時の僕たちが求めていた答えがあるようにも思われた。

 このころ僕は、福島県の橋本兄弟が作っている農場を訪ねた。彼らもまた北海道出身で、一度東京に出た後、この東北の地で農業を始めていたのだ。その彼らの紹介で、その近くに入ってきた「もぐら」というグループがあることを聞いていた。

 「もぐら」を訪ね、ヒッチハイクで乗せてくれた親切なおじさんに別れを告げ、更に川を超え、細い山道をリュック背負いながら登った。

 ようやく辿り着いた森の中の切り拓いた平地にあるのは、二階建てのプレハブの共同住宅だった。山並みが、すぐ後ろにあった。

 もともと仙台の農家に生まれた僕にとって、農業は決して珍しいものではない。だが、そこで生活するのは、農業という言葉を通り越して、新しいライフスタイルを創り上げようとしている、若い芸術家たちの集団だった。

 その中にアキラはいた。

 彼だけでなく、ここにいる人たちは、決して多くを語らず、日の出と共に起き、夕焼けと共に一日の仕事を終えた。その中でアキラは生きていた。圧倒的なリアリティの中で、僕はしばし言葉を失った。

 彼らの優しさに甘えて、何日も滞在させてもらった。何か、仕事を手伝ったわけでもなかったが、ここの住人たちはやさしく、疲れた旅人をおいてくれた。

 僕がアキラと会ったころ、僕らは青春の真っ只中だった。あの時代たくさんの旅をし、たくさんの友人たちと出会いながら、求めていたものは一体何だったのだろう?

 僕は自分の思いのまま、希望と焦燥感に突き動かされながら、旅をしていただけだったのだろうか。

 あのころを思いおこすと、あの時、自分が見た時代は風景となり、大きなパノラマとなって眼の中のスクリーンに映し出されてくる。そして、その風景の中で、アキラはこちらを向いて、風に吹かれながら立っている。

 僕はいまだに、その答えを見つけられずにいる。アキラは答えを見つけて、この時代を卒業していったのだろうか。

 彼は後年、長野県の大鹿村に移住し、農業を天職として人生を送った。ほかの友人たちも住むこの地に、僕もいつかは訪れてみたいと思いながら、いつも、厳しく雄大な大自然と、その中に生き続ける友人たちの風景を、心の中で思い浮かべて見るばかりだった。

 時々噂に聞いた以外、実際に僕が知っているアキラは、彼の人生のほんの数年間だけだったということになるのだろう。でも、僕の中での彼のイメージは、様々に変化していくほかの友人たちの姿に比べ、大きく変わることはなかった。

 細身の体、長髪にヘアーバンドで、寡黙に大地に向かい、野菜や花を育て、山を背景にして、いつも静かに笑っている。

 あの時代のアキラの「優しさ」は、終生きっと失われることはなかったであろう。あの時代を象徴するアキラの笑顔を思う時、宮沢賢治の世界を思い出してしまう。

 そして、その小説が多くの人に愛され続けているように、風の中でアキラの残していった笑顔は、きっと多くの人に記憶されることだろう。

 この時代が忘れようとして、決して忘れることのできない大切な何かを、アキラは僕たちに残していってくれたのではないだろうか。 阿部清孝(仙台市 元・雀の森の住人) p94

<2>につづく

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プロメテウスの罠 原始村に住む 福島川内村 漠原人 朝日新聞<1>

1

「プロメテウスの罠」 原始村に住む <1>
福島川内村 漠原人 朝日新聞 2012/02/07
Vol.3 No.0608★★★★★

 雪が降っていた。山に囲まれた4ヘクタールの土地に木造の建物が点在している。葉の落ちた木々が周りを囲む。木にぶら下がったまま柿が腐っていた。1月初旬、福島県川内村の山中。福島第一原発から25キロ。「話をする人もあんまりいないんだけど、悔しいっつうかねえ。でもあんまり悔しさとかいいたくないじゃん。それも悔しくて」   

 風見(かざみ)正博。61歳。東京都出身。この地に入って35年になる。もとの地名がバクだったので、獏原人(ばくげんじん)村と名づけた。自給自足の共同体を目指した。自分で家を建て、畑をつくり、山奥から水を引き、木を割って燃料にした。放し飼いで鶏を飼い、自然卵を売って必要最小限の現金を得た。お金がないという点では貧しかったが、満足感があった。

 昨年の3月11日、原発事故が起こるまでは。以前、ここには幼子を育てる若い一家と風見夫婦がいた。事故後、若い一家は県外に逃げ、風見の妻は隣のいわき市で暮らすようになった。「前はね、向こうにあるもう1軒の煙突から煙がのぼるとうれしくてね。ああ、いるんだなって」  

 今、この地に住むのは風見1人。朝8時と午後の3時に400羽の鶏から卵を採り、顧客の元へ運ぶ。50軒あった契約先は半分に減った。「全部やめられちゃってもおかしくないところだったけど、半分は残ってくれて」  5月に測ったとき、卵に含まれる放射性セシウムは1キロ当たり8ベクレルだった。国の暫定基準値500ベクレルに比べると、ずっと低い。

 「卵ってあまり出ないんだよ、放射能。今はもっと少なくなっていると思う」  とはいえゼロがいいに決まっている。「考えます、やっぱりね。いろいろね。いろいろ考える。わずかとはいえ放射能が出るものを売り続けていいのか、とかね」  放し飼いをやめ、鶏は小屋に入れたまま。えさの中心は米国産トウモロコシとスーパーの野菜だ。広い土地がありながら放し飼いできない現実。目の前の畑で取れる野沢菜を与えられない矛盾。

 「自分の理想追求がめちゃくちゃになっちゃったわけね」  飄々(ひょうひょう)とした人柄。淡々とした語り口。ふっと遠くに目をやった。「なぜここに残ってんだっていわれてもねえ。いろんな事情があって。ここの土地が好きだってのがまずあるし。しがらみがない人はさっさと遠くへ行くだろうけど……」  

 10年前、そんな風見に触れて人生を変えた元原子力技術者がいる。その男は今、はるか南の地で自給自足を目指している。(依光隆明)

◇  第7シリーズ「原始村に住む」は、2人の人物を軸に原子力の周辺を見ていきます。敬称は略します。

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 この地に一番最初に行ったのは1972年か73年の頃。その頃はまだ、橋本兄弟農場という通称だったのではないだろうか。その後、橋本兄弟は、さらに別な地に移転し、その地に、関東からグループもぐら、という若い集団がやってきた。そして、70年代末には、獏原人という名前に代わっていた。そんな漠とした記憶しか残っていない。

 当時、橋本兄弟でさえ20代前半で、弟のほうはまだ10代でなかっただろうか。通称ゲタオの弟のほうは、76年頃には、Oshoのサニヤシン・アディナタになって、アッシーシ瞑想センターのリーダ―をやっていたこともある。

 その後、1985年頃、アメリカのコミューンのクリシュナムルティ湖で、水泳中に心臓マヒでなくなった。私がこの地を最後に訪れたのは、1980年代末。そこでトモと再会した。こまかいことは年々記憶が薄くなっていくが、この地が、日本の60~70年代からのカウンターカルチャーの香りを遺していた数すくない地であることは確かだ。

 1990年代後半に、この地のメンバーだったアキラがなくなった。そして追悼文集足に土―原人・アキラ』須貝アキラ 追悼集(スタジオ・リーフ/「人間家族」編集室 1998/09)がでた。ななお・さかき、真木悠介、山尾三省、おおえまさのり、あぱっち(名前のないしんぶん)、山田塊也(ポン)、などと言ったそうそうたる面々が文を寄せている。私も「風の中のアキラ」というコメントを送った。

 日本におけるウィルダネス、バイオリージョン、あるいは森の生活を考える時、この地のことはいつも頭に浮かんでくる。その地に寄せた多くの人々の思いと、今回の3.11に関わる東電原発事故。この拮抗は、たくまずして仕組まれた運命だったのか。

 新聞を取っていないので、今後もキチンとこの記事を読めるかどうかわからないが、気になるところだ。

<2>につづく

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2012/02/07

The Messiah<9>Osho on Kahlil Gilbran's the Prophet

<8>よりつづく 

Themessiah1
「The Messiah」 Commentaries by Osho on Kahlil Gilbran's the Prophet, Volume 1<9>
Osho (Author) 1987/09 Publisher: Osho Intl; Paperback: 496 pages Language: English
★★★★★

 そもそもジブラン「プロフェット」は、全体としては、一番面白いのは「序章 船来る」と「終章 別れ」である。この部分だけでひとつの物語になるであろうし、この部分なくしては「プロフェット」にはならなかっただろう。Oshoの講話もかなりの時間がこの部分について語られている。

 つづく、「愛について」、「結婚について」、「子について」などあたりまでは、Oshoの舌鋒も穏やかなものだが、「与えることについて」、「飲み食いについて」、「働くことについて」などに至ると、かなりジブラン批判が強くなる。そして「歓びと悲しみについて」に至ると、もう全否定とまでいうほどの勢いである。

Kahlil Gibran cannot be consistent, because he is a great poet –but only a poet; he is not a mystic.
He has not seen the reality in its totality. He has not experienced himself, his own individuality.
Osho p282 pdf190p

 科学者であり、芸術家であり、神秘家である、というのが、ひとつの「NEW MAN」の姿だが、ジブランが「詩人」であるだけでは、Oshoにとっては不足である。

There is beauty in the words, poetry in the expression, but there is no profundity of meaning. This statement is true only for those who are fast asleep and unconscious. The statement is not true; it simply shows your sleepiness, your unconsciousness. Osho p282 pdf190p

 Oshoがこの時期、ジブランを講話の材料に選んだのにはそれなりの訳があった。

In one of the very important statements of Friedrich Nietzsche... and it is well to remember Friedrich Nietzsche at this moment because Kahlil Gibran was impressed by Friedrich Nietzsche more than by anybody else. In fact, he wrote the book, THE PROPHET under the influence of Friedrich Nietzsche’s book, THUS SPAKE ZARATHUSTRA.Osho p282 pdf190p

 「Osho、ニーチェを語る」に繋がる部分であるし、当ブログが今後、この「Messiah」の次に読み込もうとしているZarathustra: A God That Can Danceや「Zarathustra: The Laughing Prophet」に繋がる部分である。

Christ is the Greek translation of the word Messiah. And of course, the followers became known as Christians. Otherwise, Jesus was born a Jew , lived a Jew , died a Jew . Two great Jews... strange mysteries of existence... had to come to a land where there were no other Jews. And it was good;
otherwise they would have been crucified.
Osho p286 pdf193p

 そもそも、このジブランの「プロフェット」を講話するにおいて、なぜにOshoは自らの講話を「メサイア」としたのであったのだろうか。

If Kahlil Gibran had been in the East, he would have touched the same heights of consciousness as any Lao Tzu, as any Bodhidharma. And he was more articulate than Gautam Buddha or Mahavira. If he had touched all those heights and remained on them, he would have been the greatest man on the earth, because neither Buddha has that poetry nor anybody else. But they know the truth.Osho p289 pdf194p

 ジブランに対して手厳しいととるべきだろうか。ジブランに対する新しい可能性をみている、というべきだろうか。

Kahlil Gibran was never a disciple. Hence, he has no understanding of many things which only disciples can have. He was never a master so he is not aware of the total truth. He was never a mystic. He was only a great poet. And I have chosen him for my commentaries so that I can show you – don’t be deceived by beautiful words. Always look inside, whether they contain anything. Don’t be bothered by the containers –the containers can be very beautiful, very aesthetic, and inside? There is nothing but darkness and emptiness.Osho p294 pdf198p

 ふむふむ、なるほどね。

The heart is a sacred shrine. Knock on the doors of the heart only in moments when your mind feels that it is beyond its capacity.

But not a single time does he mention, ”Look into your being.” He is not even aware of it, that all profound truths and secrets are not contained in the heart.

There will come a moment when even the heart cannot help you.

Then Kahlil Gibran has no answer for you.

But I have an answer.

Then, go beyond the heart. Look into your own being.Osho p294 pdf198p

 当ブログが、結局は読書ブログとしてジブランの「プロフェット」に収束し、そこからさらに図地反転しようとしている理由は、この辺に存在している。

<10>につづく

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地球人スピリット宣言草稿<29>THE FOOL、デクノボー、あるいは不用の用

<28>からつづく 

「地球人スピリット宣言草稿」 
<29>THE FOOL、デクノボー、あるいは不用の用

 すでに「地球人スピリット宣言」カテゴリも80に達してしまった。108までの残るチャンスで、見事「宣言」まで到達することは可能であろうか。あるいはここは見事「草稿」に退却して、またのんびり再スタートしようか。

 そんなことを逡巡しながら、このカテゴリの最後は何でしめくくろうか、と考え始めた。思いついたのは、結局はOsho Zen Tarotの「THE FOOL(愚者)」が適当なのではないか、ということ。愚者こそはタロットの主人公であるし、また探究者のシンボルでもあるし、締めくくりであり、再到達点としては、ひとつの円環のシンボルでもある。

 そう考えてしまえば、賢治のデクノボーだって、なかなか素敵なシンボルではある。 

ヒドリノトキハナミダヲナガシ
サムサノナツハオロオロアルキ
ミンナニデクノボートヨバレ
ホメラレモセズ
クニモサレズ
サウイフモノニ
ワタシハナリタイ 
宮沢賢治「雨ニモマケズ」

 こういうモノに私はなりたい、とまで集約できるかどうかはわからないが、賢治がならんとした、祈りの姿を、デクノボーという言葉は立派に表現している。あるいは老子の「無用の用」に通じるものでもある。

 当ブログにおいては、「地球人」、あるいは「地球人スピリット」という慣用句を常用してきたわけだが、賢治の羅須地人協会もまた、「地」と「人」がある限り、なんらかの繋がりを設定することも可能ではないか、と模索してみる。

 次のカテゴリ名を「べゼルバヴェシュの孫への話」と決めているかぎり、ここは適当に、不連続的に、「宣言」までこぎ着かなければならないのではないか、と、多少のあせりがでてくる。

 しかし、ここはぐっと堪えて、THE FOOLでも、デクノボーでも、あるいは不用の用でもない、当ブログ独自の表現がでてくるまで、ぎりぎり待とうではないか。当ブログにとっての「地球人スピリット」とはなにか。「宣言」すべきものとはなにか。

賢治の場合は、雨ニモマケズは

南無無辺行菩薩
南無上行菩薩
南無多宝如来
南無妙法蓮華経
南無釈迦牟尼仏
南無浄行菩薩
南無安立行菩薩


という曼荼羅で終わるわけだが、当ブログにおいては、そのようなものは登場し得るのだろうか。

<30>につづく

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2012/02/06

OSHO ZEN TAROT <38> PATIENCE(忍耐)

Zen075patience 前よりつづく  

 

OSHO ZEN TAROT <38>

 

74. PATIENCE(忍耐)

 

 私たちはどうやって待てばいいのか忘れてしまった。それはほとんど見捨てられたスペースだ。ふさわしい瞬間を待つことができるということは、私たちのもっとも大きな宝だ。全存在がふさわしい瞬間を待つ。

 

 樹ですらそれを知っている——花を咲かせるのはいつなのか、すべての葉を落とし、空に向かって裸で立つのはいつなのかを。

 

 樹々は裸であっても美しい。古いものは去り、新しいものがすぐにやって来て、新しい葉が育ちはじめるという大いなる信頼をもって、樹は新しい葉むらを待っている。私たちは待つことを忘れてしまった。私たちはあらゆることを早急に欲しがる。それは人間にとって大きな損失だ……。

 

 沈黙して待っていると、あなたの内側でなにかが成長しつづける——あなたの真正な実存が。そしてある日、それはジャンプして炎になり、あなたの人格全体が粉々になる。あなたは新しい人間だ。そして、この新しい人間は、祭り祝う(セレモニー) とはどういうことかを知っている。この新しい人間は生の永遠のジュースを知っている。Osho Zen: The Diamond Thunderbolt Chapter 10

 

 

 

解説:

 

 あとは待つしかない、という時があります。種はまかれ、子宮のなかでは子どもが成長し、あこや貝は砂粒に膜をかけて真珠に変えようとしています。このカードは、今こそただ油断せずに、忍耐強く、待っていることだけが求められている時なのだということを私たちに思い出させてくれます。

 

 ここに描かれている女性は、まさにそのような姿勢をしています。満たされ、不安な様子もなく、ただ待っています。頭上を過ぎていく月のあらゆる相を通して彼女は忍耐強く、月のリズムとすっかり合っているために、そのリズムとほとんどひとつになっています。彼女は、今は自然がみずからの進路を取るに任せ、自分は受け身であるべき時だということを知っているのです。

 

 しかし、彼女は眠たげでも、無関心でもありません。重大ななにかに備える時だということを知っています。それは、まさに夜明け前のひと時のように、神秘に満ちている時です。あとは待つしかない、という時なのです。Copyright © 2012 Osho International Foundation

 

次へつづく

 

 

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The Messiah<8>Osho on Kahlil Gilbran's the Prophet

<7>よりつづく 

Themessiah1
「The Messiah」 Commentaries by Osho on Kahlil Gilbran's the Prophet, Volume 1<8>
Osho (Author) 1987/09 Publisher: Osho Intl; Paperback: 496 pages Language: English
★★★★★

Almustafa is saying immensely beautiful things, but the most important thing is missing. That is themisery of a poet: he comes to know as deeply as possible but he never reaches the very center. Only a mystic is able to reach to the very center. So although all these statements are beautiful, keep in mind that something is missing. And I amgoing to make you aw are of what is missing.

I amnot a poet. I can understand the beauty of poetry because I ama mystic; I am rooted in my own center, in my ow n being. I would love you to understand Almustafa’s statements –perhaps they will help you reach to the center, of which he himself is not aware.

And what I am saying about Almustafa, I am really saying about Kahlil Gibran. I have not spoken on him. For many years, again and again, I thought to give new blood and new life to his statements, but whenever I saw that there was something missing, I w ondered whether Iw ould be doing justice to you if I simply commented on Kahlil Gibran w ithout telling you that he is not an enlightened man. Very close, but even closeness is a distance. Unless you become one, the distance remains. But finally I decided that it is better to make Kahlil Gibran and his spokesman, Almustafa, complete and whole.
0sho p263 pdf177p

 当ブログにおける「意識をめぐる読書ブログ」としてのプロセスはジブランの「プロフェット」へと収束してきた。約6年をかけての結果なので、それなりの経緯があったわけだが、そのことは、この本がベスト本、ということを意味しているわけではない。

 それは、むしろ、当ブログが自らを「意識をめぐる読書ブログ」と規定したところの限界を表わしていた、ということもできる。意識をめぐるには意識に頼るしかないのだ。

 読書として本から離れられない限り、それは決して意識に到達することはない。それはあくまでも意識「周辺」を巡っているだけであり、妥協の産物でしかない。そのジレンマ、そのギャップは大きい。

 ブログという作業も、必ずしも意識とは無関係である。クリエイティビティと関連づけて考えてみようとはしてきたが、それもまた、結果論としてのこじつけであった可能性が高い。

 そんなことに気づいた当ブログとしては、最近、当ブログの定義を「意識としての愛の探究」と捉え直しつつあるところである。さて、それさえも、ブログという作業とどうリンクするのかは、十分納得できているわけではない。

 当ブログが結果として、そのプロセスを「プロフェット」に収束させ、そこから、袋の一点をつまんで裏返しにするように、ゲシュタルトを転じようとしているのは、必ずしもジブランのこの詩集の優劣なり、完成度の高さに依存しているからではない。

 「プロフェット」から「メサイア」へとひっくり返そうとしているのは、必ずしも、Oshoの優越性を再確認しよう、としている、というわけでもない。

 問題は、「私」であり、私の「意識」である。意識を意識する、というメタコンシャスへの上昇、或いは拡大、あるいは同化、真の収束へと至るには、このジブラン→Oshoという図式が、極めて有効に、私へ働きかけてくれる、と直感したからだった。

That’s why I say Kahlil Gibran is not a mystic yet. First, let us hear what Almustafa is saying:

IT IS TOWEAVE THE CLOTHWITH THREADS DRAWN FROM YOUR HEART...

The heart is better than the head, but you are not the heart. You are still deeper: you are the being,eternal being. The moment your head dies, your heart w ill also stop beating. Your head and your heart both belong to the body and to the w orld.

Only you, in your total purity of consciousness, belong to the eternal flow of life. Only you belong to God. And if you are basing your belief on some desires which are fulfilled... it is better than to believe because certain arguments have convinced your head but it is not yet the real thing.
Osho p264 pdf178p

 ハートは頭よりもよい、だけどあなたはハートではない。あなたはもっと深い、あなたは存在だ、存在の中心だ。あなたの頭が死に、ハートが呼吸することさえ止まる。あなたの頭もハートもともに、あなたの体に属し、そして世界へと通じる。

 あなただけ、あなたのトータルな意識の純粋性においてだけ、あなたは人生の永遠の流れに属する。あなただけが神へと属する。・・・

 Oshoのインサイトは深い。その言葉をどこでどう受け止めるのか。頭で・・・。ハートで・・・。体で・・・。しかし、存在の深い部分で受け止めれば、おのずと、自らの存在が変わらずを得ない。

 当ブログも変わらずを得ない。あるいは、その予感が絶えず付きまとっていたからこそ、当ブログは、「意識をめぐる読書ブログ」としての自らの立脚点を自己否定せざるを得ない。

 あるいは、いままでの自らのプロセスをそう使うことこそが、もっとも人生を愛している、ということにもなるだろう、という直感でもある。

<9>につづく

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2012/02/05

OSHO ZEN TAROT <37> ORDINRINESS(普通であること)

Zen076ordinariness 前よりつづく  

 

OSHO ZEN TAROT <37>

 

75. ORDINRINESS(普通であること)

 

 ときとして、なにかの稀な瞬間に、あなたがひとつになるということが起こる。海を、その途方もない荒々しさを見守ってごらん——すると突然、あなたは自分が分裂していることを、自分の精神分裂症を忘れる。あなたはリラックスする。

 あるいは、ヒマラヤの山中を進みながら、ヒマラヤの峰々の処女雪を見ていると、突然、涼しさがあなたのまわりを取り巻き、ごまかす必要がなくなる。ごまかす相手の人間がいないからだ。あなたはひとつにまとまる。

 

 あるいは、美しい音楽を聞いていると、あなたはひとつにまとまる。いつであれ、どのような状況であれ、あなたがひとつになると、平和、幸福、至福があなたを取り巻く、あなたのなかから湧き起こる。あなたは満たされているのを感じる。

 こうした瞬間を待つ必要はない——こうした瞬間があなたの自然な生になりうるのだ。こうした特別な瞬間が普通の瞬間になりうる——それが禅の努力のすべてだ。あなたはごく普通の生で、特別な生を生きることができる。

 木を切る、薪を割る、井戸から水を汲む、あなたは素晴らしくくつろいでいる——というのも、問題はすべて、あなたが自分の行ないを楽しみながら、そこに歓びを感じながら、全面的にやっているかどうかにかかっているからだ。
Osho Dang Dang Doko Dang Chapter 3

 

 

 

解説:

 

 自然のなかを歩くこの人物は、生の単純な普通のものごとのなかに美を見いだすことができることを私たちに示しています。私たちは、自分たちが生きているこの美しい世界をあまりにも簡単に当然のことと受けとめてしまいます。

 

 家を掃除する、庭仕事をする、食事をつくる——もっとも世俗的な作業であっても、自分が全面的にかかわり、愛をもって、認められたり報酬を得たりすることなど考えずに、ただそのためにだけ行なうと、それは神聖な質を帯びてきます。

 

 出会う状況に対する、この簡潔で自然でごく普通のアプローチのほうが、立派で賢くあろう、さもなければ特別であろうとする自分の側でのどんな試みよりもはるかによい結果をもたらす、そういう時にあなたはいま臨んでいます。

 

 新奇なものを発明して評判を取ったり、ユニークなスター性で友人や仲間を感嘆させるといったことは、すべて忘れましょう。あなたがいま差し出さなければならない特別な贈りものは、ものごとを簡単に、単純に、一度に一歩ずつ受けとめることで、もっともよい形で贈られますCopyright © 2012 Osho International Foundation

 

次につづく

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The Messiah<7>Osho on Kahlil Gilbran's the Prophet

<6>よりつづく 

Themessiah1
「The Messiah」 Commentaries by Osho on Kahlil Gilbran's the Prophet, Volume 1<7>
Osho (Author) 1987/09 Publisher: Osho Intl; Paperback: 496 pages Language: English
★★★★★

 通常は10回分の講話が一冊になっていることが多いのだが、この本は23回分の講話が一冊になっている。第二巻においては24回分が収録されているので、47回分の講話がカリール・ジブランの「プロフェット」について語られているということになる。

 一回分の講話はおおよそ2時間であるから、全部聞くにはおおよそ100時間もかかるということになる。再生スピードを速めることはできるが、それでも短縮できる時間は微々たるものだし、損なわれる風合いもある。できれば、通常のスピードでききたい。そんなことを思いつつ、なんとかかんとか、挫折せずにこの本と付き合っている。

 ジブランを最大限に評価してきたOshoだが、「The Wine And The Winepress(飲み食いについて)」あたりに差し掛かって、激しくジブランを叩く。

 BUT SINCE YOU MUST KILL TO EAT, AND ROB THE NEWLY BORN OF ITS MOTHER’S MILK TO QUENCH YOUR THIRST, LET IT THEN BE AN ACT OF WORSHIP....

This is compromise. And this is one of the reasons why the world w as not annoyed with Kahlil
Gibran. He reaches to high peaks –that too, through a fictitious figure, Almustafa –but he will go
on many times falling back and w ill not have the courage to go against the tradition, the traditional
mind, the society, its old, deep-rooted ugly behavior. 
Osho p219

 これは邦訳の次の部分に対応する。

 しかし、食べるためには、他の生命を奪い、渇きを癒すためには、生まれたばかりの仔から、その母の乳を盗り去らざるをえない。
 だから、それを敬虔の念をもって行わなければならない。
小林薫訳「プロフェット」p56

 Oshoにとって、ベジタリアンは当然の人間的な基本である。ジブランは、肉食に妥当性を与えるために、アルムスタファにたわごとを語らせることによって、古い伝統に妥協しているという。それが、ジブランを神秘家ではなく、詩人としか言えない理由である、ともいう。

 But Kahlil Gibran has fallen into the old trap of tradition, conditioning, upbringing. That’s why I cannot
count him in the category of the enlightened ones. He has come very close, but has not entered the
temple yet. A great man, full of tremendous insights, but he remained only on the steps of the temple.
 Osho p226

 詩人と神秘家の違いについて、かなり具体的に語られている。

獣を殺すときは、心のなかでこう説なえよ。
<おまえを殺めた同じ力によって、私もまた殺され、捧げれる。
おまえを私の手に渡した同じ法が、私をより力強きものの手に渡すだろう。
おまえの血も、天の木を養う樹液にほかならない。>と。
小林薫訳「プロフェット」p56

 Oshoは語る。

WHEN YOU KILL A BEAST, SAY TO HIM IN YOUR HEART:
BY THESAME POWER THAT SLAYS YOU I AMSLAIN; AND I TOO SHALL BE CONSUMED.
FOR THELAW THAT DELIVERED YOU INTO MY HAND SHALL DELIVER ME INTO A MIGHTIER
HAND.YOUR BLOOD AND MY BLOOD IS NAUGHT BUT THE SAP THAT FEEDS THE TREE OF
HEAVEN.

These arew ords... if he had avoided them, his bookw ould be totally free fromall dirt. When you kill a
beast –butw hy should you kill a beast? It is strange:w hen you kill a beast it is a game, hunting, and
when the beast kills you nobody says it is a game, it is hunting. Then it is a calamity. Double
standards are always of the cunning mind –although he is trying to put them in such away that they
can deceive anybody, particularly thosewho are nonvegetarians. They will feel immensely happy that
Kahlil Gibran, a man like Kahlil Gibran, is supporting their ugliest act in life. 
Osho P230

 この部分を読んでいて、私は宮沢賢治の童話「なめとこ山の熊」を思い出す。猟師の小十郎は、熊を食べるわけではないが、生活のため、熊を撃ち落としては、その毛皮と胆を売らねばならない。

「おまえは何がほしくておれを殺すんだ」

「ああ、おれはお前の毛皮と、胆のほかにはなんにもいらない。それも町へ持って行ってひどく高く売れるというのではないしほんとうに気の毒だけれどもやっぱり仕方ない。けれどもお前に今ごろそんなことを言われるともうおれなどは何か栗かしだのみでも食っていてそれで死ぬならおれも死んでもいいような気がするよ」

「もう二年ばかり待ってくれ、おれも死ぬのはもうかまわないようなもんだけれども少しし残した仕事もあるし ただ二年だけ待ってくれ。二年目にはおれもおまえの家の前でちゃんと死んでいてやるから。毛皮も胃袋もやってしまうから」 宮沢賢治「なめとこ山の熊」

 「雨ニモマケズ」にあるように、賢治自身は、「一日ニ玄米四合ト味噌ト少シノ野菜ヲタベ」て生きていたと言われている。それであるがゆえに、丈夫だった体が衰弱し、病を得て早世したとさえ言われている。

 当ブログにおいては、賢治とジブランを二つ並べて同化させようというプロセスにある。そして、この部分において、この二つの存在は激しく拮抗している。

 さて、この範疇でいうと、Oshoにとって、賢治は、詩人だったのだろうか、神秘家だったのだろうか。そんなことを考えながら、読み進めている。

 さてさて、私は別に獣を倒すような仕事に携わっているわけではないが、決してベジタリアンではない。アレルギーを持っているわけでもなく、立派な信条があるわけではない。熊の肉を食べたこともあるし、イノシシや蛇だって食べたことがある。ましてや、通常の生活いにおいてや、清貧な食生活を守れているわけではない。

 しかし、ここまでOshoが言う限り、いまいちど、自分の食生活を見直してみなければならない。あらためて反省する。

<8>につづく

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2012/02/04

OSHO ZEN TAROT <36> MOMENTO TO MOMENT(瞬間から瞬間へ)

Zen070momenttomoment 前よりつづく  

 

OSHO ZEN TAROT <36>

 

69. MOMENTO TO MOMENT(瞬間から瞬間へ)

 

 過去はもうないし、未来はまだない。このふたつは両方とも、その必要もないのに、存在しない方角に動いている。ひとつは、かつては存在していたがもはや存在せず、もうひとつは、存在しはじめてすらいない。

 唯一正しい人とは、瞬間から瞬間へと生きる人、その矢が瞬間に向けられている人、つねに今とここに在る人のことだ。どこにいようとも、その人の全意識、全存在は、ここの現実(リアリティ) と今の現実(リアリティ) にかかわっている。

 

 それこそ、唯一正しい方角だ。そういう人しか黄金の門には入れない。現在が、その黄金の門だ。<今ここ>が、黄金の門だ。

 ……そして、あなたが現在に在ることができるのは、野心がないときだけだ——成し遂げるということがなく、権力、金、名声、光明さえも達成したいという欲望がないときだけだ。というのも、野心はすべて、あなたを未来へと導いていくからだ。野心のない人でなければ、現在にとどまることはできない。

 

 現在に在ろうと望む人は、考えなくてもいい。ただ見て、門を入ればいいだけだ。体験はやって来る、が、体験は前もって計画したものであってはならない。Osho The Great Zen Master Ta Hui Chapter 37

 

 

 

解説:

 

 石を踏み越えて行くこの人物の足取りは軽く、深刻なところはひとつもなく、それでいて完全にバランスを保ち、油断がありません。渦を巻き、たえず変化しつづける水の背後には、ビルディングの輪郭が見えます。

 

 都市が背景に姿を現わしているのです。この人は市場(マーケットプレイス) にいますが、それでいてなお、その外にいて自分のバランスを保ち、市場を上から見守ることができます。

 

 このカードは、別の場所と別の時に心を奪われている状態から離れて、今ここで起こっていることに油断せずにいてごらん、と私たちを促しています。自分の判断、好み、そしてこまごまとした長期計画への執着をすべて落としたら、生はそのなかで遊ぶことのできる大海です。

 

 自分の道に現われるものに対して開いていましょう——来るに任せて。そして、つまずいたり転んだりしても、心配することはありません。自分を起き上がらせ、ほこりを払い、思い切り笑って、進みつづけましょう。Copyright © 2012 Osho International Foundation 

 

次へつづく

 

 

 

 

 

 

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東北 ブルーガイドてくてく歩き 31


「東北」 第5版 / ブルーガイドてくてく歩き 31 
実業之日本社 2012/01  単行本・ムック p191
Vol.3 No.0607★★★★☆

 有名なガイドブックシリーズ。今時の「東北」は、観光的にはどうなのだろう。新刊本コーナーにこのような本があると、やはり気になる。

 手にとって驚くのは、ケレン味もなく、いっさい3.11にふれていないこと。太平洋側沿岸部についての案内も松島を除いて殆どない。2012年の1月発行だから、もうすこし、アップツウデイトな記事が載っているかと期待したが、一切ない。

 しかしまぁ、こんなガイドもいいのかな、とあらためて手にとってみると、なるほど知っていると思っている地元のことでも知らないことでいっぱいだ。ましてや、行きたいと思っていたのに、まだまだ行けてないところがこんなにある。

 それしても変だなぁ、と思って、よくよく見ると、このガイドブックは「2012年1月5日 第5版第一刷」となっている。なるほど、これは「新刊」ではなくて、「増刷」だったのだ。みれば、第4版は、2010年03月となっているから、二年前の情報と殆ど同じものが掲載されている、と判断すべきなのかもしれない。

 と、理解をしめしつつも、複雑な気分。今回の3.11を挟んで、「東北」の意味は違っている。岩手県平泉の頁を見ると、「祝・世界文化遺産登録」となっている。あれれ、平泉の世界文化遺産登録は、3.11後の2011年6月のことであった。

 ということはやはり、この5版は、5版なりに改訂されていると考えて間違いない。青森県の紹介では、新幹線の「はやぶさ」が紹介されている。はやぶさは2011年の3月5日開通だったから、3.11以前に編集されていたと仮定しても、すくなくとも4版には載っていなかったはず。

 考えてみれば、はやぶさも御難でしたな。開通してすぐに被災してしまったのだった。先日、青森まで乗ってきたが、爽快であった。揺れもすくなく、スピードも速い。でも早すぎるかもなぁ。「てくてく歩き」には、もっと、ガタガタで、のんびりも悪くないのだが。

 そういえば、福島はどんな紹介のされかたをしているのだろう。会津若松、磐梯高原、猪苗代、喜多方、という具合に、内陸部や山ばっかりで、海岸線の紹介は無いようだ。実際、これらの観光地においても、放射線の線量は低くはない。ホットスポットも散在する。

 秋田は、玉川温泉や田沢湖、角館などが紹介されている。玉川温泉は、この度の雪なだれの災害で、大変なことになっている。山形は、蔵王や庄内、酒田や鶴岡など、またいつか訪れてみたいところが一杯だ。

 と、パラパラめくっていて、ふと手が止まった。「再生への歩み、一歩ずつ・・・空から見つめた石巻のいま」(p134)という頁が、たった一頁だけ挟まっていたのだ。書いたのは「空撮写真家 山本直洋」となっている。

 なるほど、やっぱりこの本は、5版なりに改訂されてだされているのだ。だとするならば、例えば岩手県の浄土ヶ浜の紹介など、現在の状況とキチンと反映されたものとなっているのだろうか。

 あるいは、他の地域だって、どんなことになっているかわかりゃあしないぞ。「てくてく歩き」もよいけれど、それらのことをひとつひとつ追っかけていたら、だんだんと意味ある一冊となってきた。

 被災地における観光地は、それこそ悲惨な思いをしている。地震、津波、放射線の直接被害と、風評被害で大変なことになっている。できるだけ被害に触れずに、できるだけ多くの観光客に来てもらいたいと願っているのが、本音なのだ。

 なにも、ボランティアや救援物資の供給ばかりが支援ではない。多少は物見遊山でもいいから、とにかく現地に「行ッテ」みることが大切なのだ。観光だって、立派な支援なのである。正直言って、私のような年配者なら、多少の線量の地域に突入してしまったとしても、一晩や二晩では、大きな影響はないだろうとされている。

 ましてや、地震の余震が多少は続いてはいるが、あのような大きな津波はそうそう来るものではない。避難対策は、現在、全員熟知している段階だ。あえてこの時期、東北に足を向けてみるのも悪くないだろう(って、私は、すっかり3.11後、東北を歩き回っているのだが)。

 と、ここまで来たので、この本は、★ひとつプラスして、★4つ、の評価をしておく。 

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ヒロシマ・ナガサキからフクシマへ 「核」時代を考える 黒古一夫


「ヒロシマ・ナガサキからフクシマへ」「核」時代を考える
黒古一夫編 2011/12 勉誠出版 単行本 275p
Vol.3 No.0606★☆☆☆☆ 

 田口ランディの「ヒロシマ、ナガサキ、フクシマ」をめくった時も、そのタイトルに憤ってしまったが、この本も、このタイトルの異様さに、何事が起きているのか、とめくってみることになった。

 この本もまた20人弱の多くの人が雑然と関わるオムニバス本である。3.11後におけるこの形式の本に関して、当ブログの評価は一貫して低い。この手の本を開くと、この混沌の中で、さらなる雑然とした感情が湧きあがってくるだけだ。さっぱり要領を得ない。

 ランディの本は、一人で書いていたし、その中に、身近な人物に繋がるヒントがあったからか、それでも★4つの評価していたが、こちらのほうは、気分的には★一つである。

 いま、「フクシマ」が、同情や支援は拒まないが、「フクシマ」が早く元の福島になることを願い、「フクシマ」の表記を心よく思わないようになるのではないか、また、その日が早くおとずれるといいとも思う。p071伊藤眞理子「『フクシマ』その前・その後」

 そんなこと言うなら、最初からこんな本のタイトルをつくるべきではないのに、なんだか変だな。「核と人間との関係について文学者はどう見ているのか」(p269あとがき)を目的として編まれた本だというのだが、ここにおいて、いわゆる「文学者」などという括りの、いい加減で、無力で、破廉恥なことがよく分かるような本である。

 複数の「文学者」たちが、なぜか村上春樹を叩いているが、ここでそんな内輪もめしているよりも、現場に「行って」ボランティア活動のひとつでも展開するほうが先ではないのか。

   

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原発ゼロ世界へ ぜんぶなくす 京都大学原子炉実験所助教 小出裕章<1>


「原発ゼロ世界へ」 ぜんぶなくす<1>
小出裕章 2012/01 エイシア出版/出版共同販売 単行本 309p 京都大学原子炉実験所助教
Vol.3 No.0605★★★★★

 この方の本は何冊かめくってきた。講演会も、一番前の席で聞いてきた。どの本、どの話を聞いても、おっしゃっていることは同じことである。「原発ゼロ世界へ ぜんぶなくす」。 これしかないのである。

 世界ぜんたい

 幸福にならないうちは

 個人の幸福は

 あり得ない   宮沢賢治

 表紙をあけると、まずこの葉が書いてある。最後の「結び」もこの言葉で締めてある。賢治の「農民芸術概論綱要」の中にあるこの言葉は、当ブログにおける希望の祈りでもある。

 この本は、レインボー評価とするよりも、むしろ真っかっ赤評価としておきたい。氏の本はどの本を読んでも内容は同じである。編集の角度や、出版された時期、読者層の想定など、多少の造本の違いはあれ、この40年間、まったくブレていない。ブレようがないのだ。

 3.11後に、宗旨替えをして、「脱原発」を唱える「専門家」や「評論家」が多くいるなか、氏は一貫している。もし原発本を読むのなら、氏の本を外してはならない。あるいは、氏の本を一冊でも読めば十分である。勿論、熟読する必要があるが。

 ビル・ゲイツは、最近ダボス会議で「高性能の次世代型の原発」に投資すると発言したという。実際にNHKのニュースでインタビュー風景が映っていたから、そうなのであろう。

 専門家たち、世のリーダー的な人たちの意見はまちまちである。ひょっとすると、世界の大勢は、むしろビル・ゲイツの側にあるのである。小さな実験所の助教の言葉など、なんの実行力がないように見える。あまりにも非力に思える。

 しかし、真実は小出裕章氏のほうにあるだろう。氏は、仙台でその研究生活を始め、女川原発建設時のエピソードから、一貫して原発をつくらせまい、とする側にまわった。いいかげん原発建設に携わったあとに、私は間違ってました、という人ではない。

 3.11後に連絡不能になった以前の友人を訪ねて石巻に行った。幸い彼は無事だったが、現在は原発の中に仕事を得ていることが分かった。彼がどのような経緯でその仕事を得たのかは聞かなかったが、地方において仕事を得て家族を養っていくことのむずかしさを、他人のことながら、私も痛感した。

 そのあと、私はあまり原発を直接的に言えない時期もあった。働いている人たちのことを考えると、ぐっと口数が減ってしまう。だが、しかし、彼ひとり、彼の家族ひとつの問題ではなかろう。

 世界ぜんたい

 幸福にならないうちは

 個人の幸福は

 あり得ない   宮沢賢治

 お題目のように「原発ゼロ世界へ ぜんぶなくす」、と、思っていただけでは、どうもならないのだろう。どうしたらいいのだろう。専門家ならず、意思のそれほど堅固でもない私などは、様々な意見の中で右往左往してしまうことになる。どうしたらいいのか、なんて分からない。

 ただ言えることは、この本に書かれているのは本当だ、ということ。この本が、当ブログの祈りにならなくてはならない。

<2>につづく

 

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OSHO ZEN TAROT <35> THE LOVERS(恋人たち)

Zen007thelovers前よりつづく  

OSHO ZEN TAROT <35>

6. THE LOVERS(恋人たち)

 この三つのことに気をつけなければならない。もっとも低い愛はセックス——肉体のもの——そして、愛がもっとも高く洗練されたものが慈悲。セックスは愛より低く、慈悲は愛より高い。愛はまさにその中間にある。
 
 愛とはなにかを知っている人びとは、ほとんどいない。 99 パーセントの人びとは、不幸なことに、性欲が愛だと思っている——そうではないのだ。性欲はひじょうに動物的なものだ。たしかに、性欲には愛へと成長する潜在能力がある。だが、ほんとうの愛ではなく、潜在能力にすぎない ……。

 あなたが気づき、油断せず、瞑想的になったら、セックスは愛へと変容することができる。そして、あなたのその瞑想的であることが完全なものに、徹底したものになったら、愛は慈悲へと変容することができる。セックスは種子、愛は花、慈悲は香りだ。

 仏陀は慈悲を「愛プラス瞑想」と定義した。

 あなたの愛が相手を求めるただの欲望ではないとき、あなたの愛がただの必要なものにすぎないのではないとき、あなたの愛が分かち合いであるとき、あなたの愛が乞食の愛ではなく皇帝の愛であるとき、あなたの愛が見返りになにかを求めているのではなく、ただ与えるための——与えるという、純然たる喜びから与えるための準備が整ったとき、そのときに愛に瞑想を加えると、純粋な香りが放たれる。

 それが慈悲だ。慈悲こそが最高の現象だ。Osho Zen, Zest, Zip, Zap and Zing Chapter 3

解説:

 私たちが愛と呼ぶものは、実際にはかかわることの、地から空へ届くまでの、スペクトル全体のことです。もっとも地に根ざしたレベルでは、愛は性的な魅力です。私たちの多くは、そこで行き詰まったままです。

 それは、私たちの性欲が、私たち自身の条件づけによって、あらゆる種類の期待と抑圧の重荷を負わされているからです。

 実のところ、性愛のもっとも大きな「問題」は、けっして長つづきしないことです。この事実を受け容れてこそ、私たちは性愛のなんたるかをほんとうに祝うことができます——。

 それが起こっているときは喜んで迎え入れ、起こらなくなったら感謝して別れを告げましょう。そうすれば、成熟するにつれて、私たちは性欲を超えて存在する愛を体験しはじめ、相手のユニークな個性に敬意を払うことができるようになります。

 パートナーはしばしば鏡としての役割を果たし、まだ見たことのない、より深い自己の局面を映し出し、私たちが全体になるのを支えてくれていることがわかってきます。

 この愛は、期待や要求にではなく、自由に基づいています。その翼は、すべてをひとつとして体験する宇宙の愛へ、私たちを高く高く運んでいきますCopyright © 2012 Osho International Foundation

次へつづく

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スティーブ・ジョブズとアップルのDNA 大谷和利


「スティーブ・ジョブズとアップルのDNA」Think different.なぜ彼らは成功したのか?
大谷和利 2011/12 マイナビ 単行本 207p
Vol.3 No.0604

 私はマック派ではない。別に積極的にマックが嫌いというわけではなかったが、結果的にそうなっていた、というしかない。マックでしかできない、ということはなかった。むしろ、私はマックに近づこうとしても、どうしても近づけなかったと言うことができる。

 1983年に「携帯コンピュータ資格」(笑)を取得しているから、一般人としては割と速い時期からコンピュータに関心を持っていたと言える。ジョブスと同年代で、似たような時代性の中で生きてきたわけだから、無関心ではあり得なかったが、技術者ではないので、ただひたすら供給されるものを使ってくるしかなかった。

 1998年に初代iMacが発売されたときに、我が子の高校入学祝いに買ってあげたのが、唯一私がマックに心躍った時代と言える。しかし、このiMacもそれほど製品寿命は長くなかったし、性能も決してよくなかった。

 21世紀になって、ジョブスがいわゆる音楽革命をおこしたり、スマートフォン革命をおこしたり、とする中でも、私は積極的に取り入れてきたというより、回りに引きづられながら、やってきたという感じがする。

 私の中でのコンピュータ革命は、もう技術的にはこれ以上は必要ないのではないか、とさえ感じているところがある。同じ年代でありながら、私はこの面に関しては、早々と老化をはじめていたのかもしれない。

 ジョブスが亡くなった後、一種のジョブス・ブームが起きており、書店には関連の書籍が山積みになっているが、私はなぜか、そのエリアを遠回りして避けている。この本もまた、たまたま図書館で手に取っただけで、きっとこの本より優れているものはたくさんあるに違いない。

 しかし、この分野に関しては類書を追っかける気はないので、内容的にはこの本で十分だ。それでもやはり、スティーブ・ジョブスには座布団を送りたいので、ここではレインボー評価とさせていただく。

 若い頃のジョブズは、自分探し的な行動の一環としてインドにグル(導師)を探しに出かけたり、東洋思想に傾倒したリーダーが率いる「オールワンファーム」というコミューン(社会運動的な意味合いで、ヒッピー文化に根ざした共同生活コミュニティを指す)に参加し、後者においてはそのリンゴ農園の管理を任されていた。

 しかし、理想とするグルには会えず、商業主義に走るコミューンのリーダーとも衝突する機会が増えて、ある意味でカルト的なそれらの集団からは距離を置くようになっていった。 

 その代りに彼の心を捉えたのは、瞑想を通じて悟りに至るという考えだ。西洋の合理的思考の対極に位置し、旅やコミューンを通じて直感を重視する東洋思想に触れたジョブズは、直観力は知力よりもパワフルであると感じ、それを磨くために好んで瞑想を行うようになった。結局のところ、誰かほかの人間から指導や指図をされるのではなく、自らが自然に目覚めていくという悟りのスタイルは、彼の性格的にもジョブズに適した精神修養の方法だったものと思われる。

 そして、面白いは、彼の友人が証言しているように、ジョブズが修業を重ねるほど独りよがりで高慢な人物になっていったという点だ。普通は、この逆になるものだが、彼の場合には自分の都合のよい悟りの境地に達していったのだろう。この点からも彼は禅宗という宗教ではなく、禅そのものに関心があったというべきなのだ。p024「コミューンから禅へ」

 まさに愛すべき同時代人である。

 ジョブズは毎日、早朝に瞑想していたと伝えられるが、それは自分は何者か?という問いから逃れ、ありのままの自分を受け入れるためのの修練だったのではないだろうか。

 そして、皆で一つのビジョンを共有して暮らすコミューンでの経験と、パーソナルコンピュータが情報化社会において人々を解放するという思想が、彼の直感によって融合したとき、ジョブズは、アップルを新時代のコミューン的存在にするという考えに至ったように感じられる。

 それが如実に現れたのが、初代Macintoshの頃だった。有名な"The Computer for the Rest of Us"(マニア以外の人々のためのコンピュータ=誰もが使えるコンピュータ)というキャッチフレーズや、アーキテクチャをクローズドにして、すべてのユーザが同じ仕様のマシンを使うことで情報環境を平等なものにするという考えは、アップルという組織を借りてジョブズなりの理想郷を作ろうとしたことにほかならない。

 その意味で、アップルとその製品に賛同するユーザたちのコミュニティは、彼にとってのコミューンだったのである。028「アップルこそが彼のコミューン」

 まさに、愛すべきスティーブ・ジョブズ。だが、私は彼のコミューンの一員ではなかった。勿論、私はマック派でもなければ、ウィンドウズ派でもなく、あえていうならリナックス派だ。しかし、業務上、使用できるソフトがウィンドウズ版しか提供されれずに、結果論としてウィンドウズを使ってきただけである。

 そもそもなぜにカウンターカルチャーであったのか。なぜコミューンだったのか、なぜインドや旅だったのか、という処に戻っていけば、パソコンやマックにこだわりつづけることも可笑しいことになる。

 スマートフォンでツイッターやフェイスブックがベーシックな環境となりつつある今、重要なインフラはモバイルWiFiがキーポイントとなってきている。この環境が進化すればするほど、アラブの春のような現象がもっともっと起きやすくなるだろう。

 人間進化の可能性を求めたジョブズの「かくめい」DNAは、今後も受け継がれていくだろうし、そのリレーは持続されていくだろう。スティーブ・ジョブズは素晴らしいランナーであったと思う。

 冥福を祈ります。 合掌

 

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2012/02/03

OSHO ZEN TAROT <34>FLOWERING(開花)

Zen037flowering_2  前よりつづく  

OSHO ZEN TAROT <34>

36. FLOWERING(開花)

 禅は、あなたに生きることを望んでいる。豊かに生きること、全面的に生きること、強烈に生きること——キリスト教が望んでいるように最小限ではなく、最大限に、あふれ出るように——。
 
 あなたの生は他の人たちに届かなければならない。あなたの至福、あなたの祝福、あなたのエクスタシーは、種のようにあなたの内側に包み込まれたままではいけない。それは花のように開き、その芳香をあらゆるものたちに広めるべきだ——―友人だけではなく、見知らぬ人たちにも。

 これがほんとうの慈悲だ、これがほんとうの愛だ——自分の光明(エンライトンメント) を分かち合うこと、彼方なるものの、あなたのダンスを分かち合うことだ。Osho Christianity, the Deadliest Poison and Zen� Chapter 5

解説:

 「虹のクイーン」は、その開花と色彩が極致に達したファンタスティックな植物のようです。彼女はとてもセクシャルで、活き活きとし、可能性に満ちています。愛の音楽に合わせて指をはじき、黄道十二宮のサインをかたどったネックレスを“ヴィーナス”がハートの上にくるようにして掛けています。

 衣のたもとには種がたくさん入っていて、風が吹くと播き散らされ、どこかに根を下ろすことでしょう。その種が土の上に降りるのか、それとも岩の上なのか、彼女は気にしていません——生と愛の純然たる祝祭から、その種をあらゆるところに広めているだけなのです。

 上からは彼女自身の開花と協和して花が降り注ぎ、彼女が坐っている花の下では感情の水が楽しげに渦を巻いています。

 まさに今、あらゆるところから祝福が降り注ぎ、あなたは花園のように感じているはずです。蜂たちを迎え入れ、鳥たちを招待して、あなたの甘露を飲ませてあげましょう。分かち合うために、あなたの歓びをまわり中に広めましょう。Copyright © 2012 Osho International Foundation 

次へつづく

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2012/02/02

仙台平野の歴史津波~巨大津波が仙台平野を襲う! 飯沼 勇義 <6>

<5>よりつづく

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「仙台平野の歴史津波」 巨大津波が仙台平野を襲う!<6> 
飯沼 勇義 (著) 復刻版 2011/09 本田印刷出版部 単行本 p234

 この本を親戚の小母さんにプレゼントしたのは数カ月前のことだ。届いたという連絡があったものの、その感想を聞かずにいた。そうしたら、先日、急に電話が来て、読むのは大変だったけど、とても参考になったという。

 さらには、町内の知人に教えたところ、痛く感銘して、自分もほしくなり、街中の書店を探しまわったけど、見つけることができなかったという。どうやら、これから印刷元に連絡して送ってもらうようだ、とのことだった。

 それはそうだろうな。見る人が見れば、この本の特異性がよくわかるはず。そんな気になって、あらためてパラパラめくっていたら、夜遅くになって来客があった。沿岸部の被災地でイチゴ農家をやっている親戚の小父さんである。

 かろうじて残った農地でイチゴ栽培を再開した。塩害などもありなかなかうまくいかなかったが、ようやく、出荷できるようになったと、そのイチゴを持参してくれたのだった。

Pict0012

 ああ、ありがとうございます。作ってくれたばかりか、こうして我が家まで持ってきてくれたことに、いたく感動してしまった。まだまだ粒ぞろいとは行かないが、それでも沢山もってきてくれたので、沢山たべた。甘さは、いつもイチゴの甘さである。

 様々な津波体験や、今後の計画を聞きながら、自然とこの「仙台平野と歴史津波」の話題になった。すると、驚いたことに、小父さんは、この飯沼さんを知っているという。それも、だいぶ前から、もう20年以上も前から知っている、というのだった。よく郷土史家として、地元に来て、何度もあっているという。

 だが、この本を出していることは知らなかったらしく、さっそく、この本をプレゼントすることにした。一度に読まなくても、きっと参考になるところがあるはずなので、手元においてください、と「3.11あの日を忘れない」とセットで手渡した。

 さて、私の分がなくなってしまったので、さっそく、また印刷元に行って、数部入手してきた。もう売れ切れになってたら困るなぁ、と思っていたのだが、入手できたのでほっとした。

 「売り切れでなくてよかったです」と言ったら、「いや実はあの時の版は売り切れて、あれから、新たに二度増刷したのです」ということだった。

 そうだろうなぁ。聞いていた部数より絶対売れると思っていたから、増刷は必至だったはず。だが、出版社ならぬ、小さな印刷会社のこと、売れ残ったら大変なので、おそるおそるの再刊なのであった。

 しかし、それにしても、ジワリジワリとこの本は売れている。この本の価値はとてつもないものがある。3.11を早々と預言したばかりでなく、その対策をもすでに提案している。今後の街づくりにも、この提案は大きく生きてくるはずだ。

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 イチゴをいただきながら、私は、この津波でいつまでも落ち込んではいられないのだな、と、つくづく思った。

<7>につづく

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OSHO ZEN TAROT <33>TRUST(信頼)

Zen030trust前よりつづく  

OSHO ZEN TAROT <33>

29. TRUST(信頼)

 いずれ取り去られてしまうものを求めて自分の生を無駄にしてはいけない。生を信頼するがいい。信頼して初めて、あなたは自分の知識を落とすことができる、自分の心(マインド)を脇に置くことができる。

 そして、信頼と共に、なにか途方もないものが開け放たれる。そうなったら、この生はもはや普通の生ではない。それは神で満たされ、あふれるようになる。

 ハートが無垢で、いくつもの壁が消えたとき、あなたは無限と橋渡しされている。そして、あなたは幻惑されてはいない。あなたから取り去ることのできるものはなにもない。取り去ることのできるものには、取っておくだけの価値はない。

 そして、取り去ることのできないものであれば、それが取り去られてしまうことをなぜ怖れなければならないのかね? それは取り去ることができないのだ。そんなことはありえない。自分のほんとうの宝を失うことなどありえない。Osho The Sun Rises in the Evening Chapter 9

解説:

 今こそバンジー・ジャンパーになるときです。紐を結ばずに!そして、なにかを取っておいたり、秘密の安全ネットを張ったりしない、絶対的信頼というこの質こそが、「水のキング」が私たちに要求するものです。

 ジャンプして、未知なるものへ入っていけるとなったら、考えただけでも死にそうなくらい怖いのですが、それでも、この上なく愉快な感じがします。そして、信頼を量子的(クォンタム) 跳躍(リープ)のレベルにまでもってくると、私たちはもはや念入りな計画を立てたり用意したりはしません。

 「いいだろう、これから自分がなにをするのかわかっているのだから、信頼しよう。ちょっと片づけ、スーツケースに荷物を詰めて、持って行こう」などとは言いません。そうではありません。

 次になにが起こるのか考えもせずに、私たちはただジャンプします。その跳躍、そして虚空を自由に落ちていくときの、そのスリルが肝心なのです。Copyright © 2012 Osho International Foundation

次につづく

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2012/02/01

The Messiah<6>Osho on Kahlil Gilbran's the Prophet

<5>よりつづく

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「The Messiah」 Commentaries by Osho on Kahlil Gilbran's the Prophet, Volume 1<6>
Osho (Author) 1987/09 Publisher: Osho Intl; Paperback: 496 pages Language: English
★★★★★

 シコシコと読んでいる。読んでいる、というより、ネット上のMP3のオーディオを聞きながら、やはりネットで下ろしたPDFの文字を追っている、ということだ。つまり、本自体は必要ないのだ。少なくも、ここにおいては、「No Books Noblog」のうちの「No Books」は達成されている、ということになる。

 これはとても便利。いままでなかなか面倒で手がつかなかったスタイルがスタートしている。特にいいのは、極めて臨場感があること。ほとんどブッダホールでのレクチャーの雰囲気になれる。笑いがあり、Oshoの声の変化がある。

 それにダイレクトに声が届くので、インドなまりの英語はつらいところもあるが、テキストを見ながらなので、ああ、こう言っているのか、と理解も早い。少なくとも、普段は、圧倒的に翻訳スタッフのワークに頼って読んでいる本たちではあるが、たまに気にいらない翻訳があったりすると、そこに一枚の皮を感じたりする。

 その距離感がどんどん大きくなると、もっと簡単でお手頃な別の方面の本をめくったりすることになる。しかし、今回は、もう先延ばしすることはできないところまで来ている。すくなくともカリール・ジブランの「プロフェット」を、結局は当ブログの中心位置を占めてしまったのだった。 

 そして、そこを突破していくことこそが、「No Blog」へと繋がっていくはずなのである。その道筋は大体見えてきた。

 いざこのシステムが見えてくると、ニーチェの二冊を初め、最後のZENシリーズの他にも、例えばThe Last Testament シリーズや、心理学シリーズも、と、ついつい欲を出してしまうのだが、それはいつのことになるやら。

 ここはじっくり読み込んでいくことにする。

 この第一巻はおよそ3分の1を読んだところ。船がやってきて、人々が集まり、アルムスタファ―が、愛について、結婚について、子どもについて、語り終えたところ。

 それに触れて、Oshoが語る。すでに四半世紀前のレクチャーだが、これが新鮮。いや、いまこそ読まれるべきなのだと思う。ジブラーンを通して、Oshoの世界が広がる。広がる、というより、広がり過ぎる。

 ここは、結局は、広げるだけ広げて、最後はまたジブラーンサイズに戻ってくるのではないか。きっと、それがいいに違いない。

<7>につづく

 

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