ヒロシマ・ナガサキからフクシマへ 「核」時代を考える 黒古一夫
「ヒロシマ・ナガサキからフクシマへ」「核」時代を考える
黒古一夫編 2011/12 勉誠出版 単行本 275p
Vol.3 No.0606★☆☆☆☆
田口ランディの「ヒロシマ、ナガサキ、フクシマ」をめくった時も、そのタイトルに憤ってしまったが、この本も、このタイトルの異様さに、何事が起きているのか、とめくってみることになった。
この本もまた20人弱の多くの人が雑然と関わるオムニバス本である。3.11後におけるこの形式の本に関して、当ブログの評価は一貫して低い。この手の本を開くと、この混沌の中で、さらなる雑然とした感情が湧きあがってくるだけだ。さっぱり要領を得ない。
ランディの本は、一人で書いていたし、その中に、身近な人物に繋がるヒントがあったからか、それでも★4つの評価していたが、こちらのほうは、気分的には★一つである。
いま、「フクシマ」が、同情や支援は拒まないが、「フクシマ」が早く元の福島になることを願い、「フクシマ」の表記を心よく思わないようになるのではないか、また、その日が早くおとずれるといいとも思う。p071伊藤眞理子「『フクシマ』その前・その後」
そんなこと言うなら、最初からこんな本のタイトルをつくるべきではないのに、なんだか変だな。「核と人間との関係について文学者はどう見ているのか」(p269あとがき)を目的として編まれた本だというのだが、ここにおいて、いわゆる「文学者」などという括りの、いい加減で、無力で、破廉恥なことがよく分かるような本である。
複数の「文学者」たちが、なぜか村上春樹を叩いているが、ここでそんな内輪もめしているよりも、現場に「行って」ボランティア活動のひとつでも展開するほうが先ではないのか。
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