« 原発ゼロ世界へ ぜんぶなくす 京都大学原子炉実験所助教 小出裕章<1> | トップページ | 東北 ブルーガイドてくてく歩き 31 »

2012/02/04

ヒロシマ・ナガサキからフクシマへ 「核」時代を考える 黒古一夫


「ヒロシマ・ナガサキからフクシマへ」「核」時代を考える
黒古一夫編 2011/12 勉誠出版 単行本 275p
Vol.3 No.0606★☆☆☆☆ 

 田口ランディの「ヒロシマ、ナガサキ、フクシマ」をめくった時も、そのタイトルに憤ってしまったが、この本も、このタイトルの異様さに、何事が起きているのか、とめくってみることになった。

 この本もまた20人弱の多くの人が雑然と関わるオムニバス本である。3.11後におけるこの形式の本に関して、当ブログの評価は一貫して低い。この手の本を開くと、この混沌の中で、さらなる雑然とした感情が湧きあがってくるだけだ。さっぱり要領を得ない。

 ランディの本は、一人で書いていたし、その中に、身近な人物に繋がるヒントがあったからか、それでも★4つの評価していたが、こちらのほうは、気分的には★一つである。

 いま、「フクシマ」が、同情や支援は拒まないが、「フクシマ」が早く元の福島になることを願い、「フクシマ」の表記を心よく思わないようになるのではないか、また、その日が早くおとずれるといいとも思う。p071伊藤眞理子「『フクシマ』その前・その後」

 そんなこと言うなら、最初からこんな本のタイトルをつくるべきではないのに、なんだか変だな。「核と人間との関係について文学者はどう見ているのか」(p269あとがき)を目的として編まれた本だというのだが、ここにおいて、いわゆる「文学者」などという括りの、いい加減で、無力で、破廉恥なことがよく分かるような本である。

 複数の「文学者」たちが、なぜか村上春樹を叩いているが、ここでそんな内輪もめしているよりも、現場に「行って」ボランティア活動のひとつでも展開するほうが先ではないのか。

   

|

« 原発ゼロ世界へ ぜんぶなくす 京都大学原子炉実験所助教 小出裕章<1> | トップページ | 東北 ブルーガイドてくてく歩き 31 »

34)地球人スピリット宣言草稿」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)


コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。



トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: ヒロシマ・ナガサキからフクシマへ 「核」時代を考える 黒古一夫:

« 原発ゼロ世界へ ぜんぶなくす 京都大学原子炉実験所助教 小出裕章<1> | トップページ | 東北 ブルーガイドてくてく歩き 31 »