宗教詩人 宮沢賢治―大乗仏教にもとづく世界観 丹治 昭義
「宗教詩人 宮沢賢治」―大乗仏教にもとづく世界観
丹治昭義 (著) 1996/10 中央公論社 新書 242p
Vol.3 No.0612★★★★☆
いつもは行かない、ちょっと離れた図書館に行った。気まぐれに賢治の本を探したら、はずれの支所なのに、たくさんの賢治本があった。どれにしようかな、と迷ったあげく、何冊かの中に、この本を入れておいた。
当ブログで読み進めている賢治本の中から、「ちょっと早すぎる賢治再読リストベスト10」を抜き書きしておいたが、その中には、斎藤文一「科学者としての宮沢賢治」と、大島宏之編「宮沢賢治の宗教世界」が入っている。しかし、詩人・宮沢賢治、とうたった本はない。
科学者としての賢治、詩人としての賢治、神秘家としての賢治、この三方向から、三位一体の存在として賢治を見てみようという、当ブログの思いは、さて、どれほどの妥当性があるのだろうか。
そんな思いの中で、この本を選んだのだった。「宗教詩人」という形容がはて、どれだけ妥当性があり、また、当ブログの進行のなかで、どこほど当てはまってくれるのか。とにかく、そういう三冊を抜き出してみようという思いがあった。
この三冊が、それぞれの視点の代表作とは言いきれない。しかしながら、これらの三つの視点があるとするのなら、まずは、その糸口を見つけたい、と思ったのである。
当ブログでは現在、カリール・ジブランの「プロフェット」をめくり、そのジブランを語るOshoの「Messiah」の視聴を進めているところである。Oshoはジブランを詩人として絶賛しつつも、その限界を指摘しつつ、神秘家であることの重要性を説いている。
詩人としての宮沢賢治、という見方はある意味、当然のことであり、それ以外の見方がある、という方がちょっと変わっている。本人は心象スケッチとか言っているし、童話も沢山あるので、ひょっとすると童話作家、と言ったほうがいいのかもしれないが、やはり、科学者、詩人、神秘家、という見方で言えば、賢治は詩人、というのが一番ぴったりくる。
たしかに農業技術者であったり、その作品の中に、天体のマクロの動きや、鉱石の中にあるミクロな世界を取り込んでいたとしても、賢治が「科学者」としての業績を大きく評価されることはないだろう。むしろ、それらを「詩」の中に取り入れたからこそ、「科学者としての宮沢賢治」というタイトルが際立ってくるのだ。
「宮沢賢治の宗教世界」のほうはどうだろう。法華経や国柱会などの絡みで語られることが多いが、本来、それらのことは付属物であり、「宗教家としての宮沢賢治」も、決して大成したとは言い難い。ここでは「宗教家」と「神秘家」という言い方の違いは、峻別して使っておきたい。
さて「詩人としての宮沢賢治」という視点が、きちんとこの「宗教詩人 宮澤賢治」の中に表わされていたか、というと、必ずしも、そうとも言い切れない。この本においては、「詩人」としての賢治ではなく、「宗教詩人」としての賢治を語ろうとしているわけだが、ざっと読んでみる限り、「宗教」と「詩人」が、多少分離している感じがする。
特に仏教や法華経、なかんずく菩薩や日蓮宗に関するあたりは、著者の理解を朗々と述べているのであって、賢治においては、やはり「宗教」は、隠し味として、存在していてしかるべきものだろう、というイメージが残ったのである。結論として、結局、賢治は「宗教詩人」ではなく、「詩人」である、という結論を得ることになった。
さて、それでは、「詩人」宮沢賢治は、「神秘家」たりえたのか、というのが、当ブログの今後の関心の中心となる。概念が拡散してしまう「宗教家」ではなく、あくまで「神秘家」としての賢治を探してみよう、と思う。
この本では、若い時代に玄米を食べていたので、賢治は下痢で悩んでいた、という表現があったが、本当はどうだろう。また、学生時代に禅寺に下宿していたので、坐禅をしていた、というのは妥当としても、それについて書いていないので、神秘体験をするまでは至っていなかったのではないか、という表現があった。こちらも、あとですこしづつ検証してみたい。また、見田宗介に賢治本があることを、あらためてこの本で思い出した。
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