« プロメテウスの罠 原始村に住む 福島川内村 漠原人 朝日新聞<1> | トップページ | OSHO ZEN TAROT <39>GUIDENCE(ガイダンス) »

2012/02/08

足に土―原人・アキラ  須貝 アキラ 追悼集<1>

Ashi
『足に土――原人・アキラ』 須貝 アキラ 追悼集<1>
やまびこ編集室 1998/9  共同編集・発行 人間家族編集室 A5判・284P
Vol.3 No.0609

 朝日新聞の「プロメテウスの罠」という記事の連載に、福島県川内村の、農業共同体、漠原人のことが登場した。それで、この本のことを思い出した。この本があったことは忘れていなかったが、どうも、当ブログに登場することはないだろうと思っていた。

 だが、どうしたことか、3.11もあり、関連の動きもありで、この本が動きだした。いろいろ思い出深い一冊ではあるが、まずは、自分の書いたコメントを抜き書きしておく。

 「風の中のアキラ」

 アキラが体調を崩しているという便りを聞いて、ああ僕らはもう、そんな年代になっているのだなと、感じていた。

 そして、そのアキラが奥さんや小さな子供たちを残して、この世から卒業していったという。いつの間にか、僕たちの人生も後半に入っていることを、つくづく思わずにはいられなかった。

 僕の中でのアキラは、宮沢賢治が書いた小説の主人公たちのように、どこかなつかしく、どこかあやうい青年として、いつも風やかげろうの中でキラキラ輝いていた。そしていつも、つかもうとするとスーッと消えてしまうような、そんな存在だった。

 アキラに会ったのは、もう25年以上も前のことだ。

 戦後生まれの僕たちの世代は、70年安保という時代の区切りの後、「空しさ」と、「いや僕たちこそ!」という自負をを持ちながら、旅に出た。

 70年に出会った数人の仲間たちとミニコミを作り、仙台で「雀の森」という小さな共同体に参加した僕は、72年にヒッチハイクで、数カ月をかけた日本一周の旅に出た。北海道から沖縄までの旅で、18才の僕の心には強烈な風景がいくつも焼きつけられた。

 花があり、歌があり、恋があった。喜びがあり、悲しみがあり、闘いがあった。うつむき、倒れ、また、歩いた。

 何のために? なぜ? どうして? という問いかけには、答えは見い出せなかった。しかし、全く手がかりがなかったわけではない。

 大自然の中で農業をしながら静かに暮らし、歌を愛し平和を愛して、コミューンを作って生きていく。そんなライフスタイルの中に、当時の僕たちが求めていた答えがあるようにも思われた。

 このころ僕は、福島県の橋本兄弟が作っている農場を訪ねた。彼らもまた北海道出身で、一度東京に出た後、この東北の地で農業を始めていたのだ。その彼らの紹介で、その近くに入ってきた「もぐら」というグループがあることを聞いていた。

 「もぐら」を訪ね、ヒッチハイクで乗せてくれた親切なおじさんに別れを告げ、更に川を超え、細い山道をリュック背負いながら登った。

 ようやく辿り着いた森の中の切り拓いた平地にあるのは、二階建てのプレハブの共同住宅だった。山並みが、すぐ後ろにあった。

 もともと仙台の農家に生まれた僕にとって、農業は決して珍しいものではない。だが、そこで生活するのは、農業という言葉を通り越して、新しいライフスタイルを創り上げようとしている、若い芸術家たちの集団だった。

 その中にアキラはいた。

 彼だけでなく、ここにいる人たちは、決して多くを語らず、日の出と共に起き、夕焼けと共に一日の仕事を終えた。その中でアキラは生きていた。圧倒的なリアリティの中で、僕はしばし言葉を失った。

 彼らの優しさに甘えて、何日も滞在させてもらった。何か、仕事を手伝ったわけでもなかったが、ここの住人たちはやさしく、疲れた旅人をおいてくれた。

 僕がアキラと会ったころ、僕らは青春の真っ只中だった。あの時代たくさんの旅をし、たくさんの友人たちと出会いながら、求めていたものは一体何だったのだろう?

 僕は自分の思いのまま、希望と焦燥感に突き動かされながら、旅をしていただけだったのだろうか。

 あのころを思いおこすと、あの時、自分が見た時代は風景となり、大きなパノラマとなって眼の中のスクリーンに映し出されてくる。そして、その風景の中で、アキラはこちらを向いて、風に吹かれながら立っている。

 僕はいまだに、その答えを見つけられずにいる。アキラは答えを見つけて、この時代を卒業していったのだろうか。

 彼は後年、長野県の大鹿村に移住し、農業を天職として人生を送った。ほかの友人たちも住むこの地に、僕もいつかは訪れてみたいと思いながら、いつも、厳しく雄大な大自然と、その中に生き続ける友人たちの風景を、心の中で思い浮かべて見るばかりだった。

 時々噂に聞いた以外、実際に僕が知っているアキラは、彼の人生のほんの数年間だけだったということになるのだろう。でも、僕の中での彼のイメージは、様々に変化していくほかの友人たちの姿に比べ、大きく変わることはなかった。

 細身の体、長髪にヘアーバンドで、寡黙に大地に向かい、野菜や花を育て、山を背景にして、いつも静かに笑っている。

 あの時代のアキラの「優しさ」は、終生きっと失われることはなかったであろう。あの時代を象徴するアキラの笑顔を思う時、宮沢賢治の世界を思い出してしまう。

 そして、その小説が多くの人に愛され続けているように、風の中でアキラの残していった笑顔は、きっと多くの人に記憶されることだろう。

 この時代が忘れようとして、決して忘れることのできない大切な何かを、アキラは僕たちに残していってくれたのではないだろうか。 阿部清孝(仙台市 元・雀の森の住人) p94

<2>につづく

|

« プロメテウスの罠 原始村に住む 福島川内村 漠原人 朝日新聞<1> | トップページ | OSHO ZEN TAROT <39>GUIDENCE(ガイダンス) »

34)地球人スピリット宣言草稿」カテゴリの記事

コメント

今、この時期に、この記事を読んでいる人がいることに興味深いものを感じる。それほど多い人ではないので、一部の関係者であろうが、あの本は、記念碑的な資料性がある。
ただ、昔を振り返ることだけではなく、未来に向けてのジャンプ台になってくれることを期待したい。
この本が出てからすでに20年。3・11の震災からすでに7年が経過している。

投稿: Bhavesh | 2018/07/01 19:20

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)


コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。



トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: 足に土―原人・アキラ  須貝 アキラ 追悼集<1>:

« プロメテウスの罠 原始村に住む 福島川内村 漠原人 朝日新聞<1> | トップページ | OSHO ZEN TAROT <39>GUIDENCE(ガイダンス) »