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2012/02/16

デクノボーになりたい 私の宮沢賢治 / 山折哲雄


「 デクノボーになりたい」  私の宮沢賢治
山折哲雄 2005/03 小学館 単行本 222p 
Vol.3 No.0613★★★★★

 賢治はまず科学者になろうとした。しかしながら、科学者としての一筋の道をつきすすんでいったわけではなかった。科学者としては一貫しなかったわけです。

 詩人になろうとした。しかしかれは、高村光太郎のように詩人としても一貫した生き方をしたわけではなかった。それならば、童話作家としてその生涯を貫いたか。そうでもありません。農業指導者としても中途半端。

 宗教家としても、彼は出家の生活をしたわけではない。家庭の人となろうとしたかといえば、ついに人の親にもなりえなかった。家庭人としても失敗者だったというほかない。

 宮沢賢治は、天体物理学、地質学、土壌学、音楽、天文学、そのすべての問題に普通人以上のつよい好奇心をもっていたが、結局のところ、そのすべてに対してディレッタント(好事家)の態度を崩さなかったのではないか。外見的に見ればそのように映る。p32「賢治の悲しみ---風と言葉と」

 科学者としての賢治、詩人としての賢治、神秘家としての賢治、を追いかけている当ブログの現在において、どれも中途半端だろう、という見方は成り立つ。

 しかし、私はそういう見方は、やはり浅薄だと思う。ほんとうはそうではない。かれはむしろそれらのすべてのものになろうとした、途方もない欲望を抱え込んだ人間だった。p33同上

 山折哲雄。この人の本は断片的に読んではいるのだが、一気に読んだことはない。3.11後に出された山折哲雄/赤坂憲雄「反欲望の時代へ 大震災の惨禍を越えて」(2011/09 東海教育研究所)も、面白いので、そのうち再読したいとは思っているのだが、読者としての私は、いまいち素直な気分になれずに、時間が経過してしまった。

 ところがよくよく考えてみると、そういう賢治の生き方こそ、じつは今日のわれわれの専門家的な生き方にたいする痛烈な批判になっているのかもしれない。p34同上

 山折の文章は、気がついてみると、「ですます調」と「だである調」が、混在している。講演を文章化したのだろうか、それとも、読者への目線を意識してのカモフラージュだろうか。これだけの書き手だけに、そこのところはかなり意図的に、意識的に、使い分けている可能性は大である。書き手としての山折の存在を、曖昧化する効果は生まれているようだ。

 賢治のような遊蕩児の立場からすれば、そういうはげしい欲望をもった人間の目から見れば、専門家というものほどつまらないものはない。そういう生き方を根底から批判しようとした人が賢治だったということになるかもしれません。p34同上

 科学者でもなく、詩人でもなく、ましてや宗教家でもない、生き方。全否定ではなく、それらを含んだ上で、なお専門化しない生き方。それをあえて「神秘家」と言えないこともない。だが、ここで、そう決めつけるのは早すぎるだろう。

 現実にはそういう生き方を選択しようとした賢治が、故郷から誤解され、冷笑を浴びせられた。かれを理解するものが一人もいない孤独のなかで生きるほかなかった。その賢治の悲しみがどうしようもなく伝わってくるような気がするのであります。p35同上

 山折の実家は、賢治と同じ花巻にある。そのような共通性や、日本山妙法寺の藤井日達上人の「わが非暴力」をまとめた(p103)、というような親近性が、山折を身近なものに感じさせるのだが、いまいち山折の独自性というものを見つけられないでいる。

 この人の文章は、かならずしも知識に満ち溢れている、というものではない。しかし、語彙が豊富であることは間違いない。羅列ではなく、厳選して選び抜いた、ありふれた言語を操りながら、指し示そうとしている、何かがある。

 そういった意味においては、宗教学や民俗学、といった科学の一分野としての専門家として表現しようとしているわけでもなく、詩人や芸術家、というには、ちょっと知が勝ちすぎる。もちろん宗教家、と言われるのが一番好ましいのだろうが、それもまた躊躇し、拒否している。

 この本のテーマはデクノボーである。賢治が「デクノボーになりたい」と思い、山折が「デクノボーになりたい」と思った。しかし、いくら賢治がデクノボーであり得ても、山折がまた同じくデクノボーであり得ても、それを絶賛しているだけでは、読者たる私にはなんの意味もない。山折における「私の宮沢賢治」を読まされているに過ぎない。

 (中原)中也による「賢治全集」推薦の弁のなかから「風」の音がすこしも聞こえてこないのは不思議である。賢治の「感性」が「純粋に我々のもの」すなわち中原中也たちのものであるというのであるならば、このあとにのべることになるが、中也の詩と賢治の詩をあれほどつよく結びつけていたはずの風の流れ、風の響きが、一言半句ここで言及されていないのが不思議である。p146「共鳴する詩人の魂--宮沢賢治と中原中也」

 なるほど、そういわれてみれば、須貝アキラ追悼集「足に土」に寄せた文章で、私は、アキラと賢治を「風」で結びつけていた。

 私自身は、そして当ブログは、宮沢賢治という存在を避けて通れない、と思ったことはない。むしろ、見過ごして今日まできた、と言える。このまま賢治を視野に入れずに人生を終わることに、なんのためらいもないのだが、ちょっと振り返ると、ずっと昔から、自分の傍らに、賢治がいたことに気づく。

 ことさらに、それを大ごとに考えようともしないのだが、しかし、ある領域を超えて、拡大意識、超意識へと歩み行けば、おのずと、賢治らしき表象のかげに、大きな宇宙超意識への道すじを幻視することになる。

 賢治を科学者でもなく、詩人でもなく、あるいは宗教家でもなく、あえていわゆるOshoのいうところの「神秘家」と捉えることは、賢治個人への毀誉褒貶にはまったく無関係に、私自らの、変身への契機とする可能性を創りだすことになるのではないだろうか。

 この本、機会をとらえて、再読を要す。 

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