The Messiah<7>Osho on Kahlil Gilbran's the Prophet
「The Messiah」 Commentaries by Osho on Kahlil Gilbran's the Prophet, Volume 1<7>
Osho (Author) 1987/09 Publisher: Osho Intl; Paperback: 496 pages Language: English
★★★★★
通常は10回分の講話が一冊になっていることが多いのだが、この本は23回分の講話が一冊になっている。第二巻においては24回分が収録されているので、47回分の講話がカリール・ジブランの「プロフェット」について語られているということになる。
一回分の講話はおおよそ2時間であるから、全部聞くにはおおよそ100時間もかかるということになる。再生スピードを速めることはできるが、それでも短縮できる時間は微々たるものだし、損なわれる風合いもある。できれば、通常のスピードでききたい。そんなことを思いつつ、なんとかかんとか、挫折せずにこの本と付き合っている。
ジブランを最大限に評価してきたOshoだが、「The Wine And The Winepress(飲み食いについて)」あたりに差し掛かって、激しくジブランを叩く。
BUT SINCE YOU MUST KILL TO EAT, AND ROB THE NEWLY BORN OF ITS MOTHER’S MILK TO QUENCH YOUR THIRST, LET IT THEN BE AN ACT OF WORSHIP....
This is compromise. And this is one of the reasons why the world w as not annoyed with Kahlil
Gibran. He reaches to high peaks –that too, through a fictitious figure, Almustafa –but he will go
on many times falling back and w ill not have the courage to go against the tradition, the traditional
mind, the society, its old, deep-rooted ugly behavior. Osho p219
これは邦訳の次の部分に対応する。
しかし、食べるためには、他の生命を奪い、渇きを癒すためには、生まれたばかりの仔から、その母の乳を盗り去らざるをえない。
だから、それを敬虔の念をもって行わなければならない。小林薫訳「プロフェット」p56
Oshoにとって、ベジタリアンは当然の人間的な基本である。ジブランは、肉食に妥当性を与えるために、アルムスタファにたわごとを語らせることによって、古い伝統に妥協しているという。それが、ジブランを神秘家ではなく、詩人としか言えない理由である、ともいう。
But Kahlil Gibran has fallen into the old trap of tradition, conditioning, upbringing. That’s why I cannot
count him in the category of the enlightened ones. He has come very close, but has not entered the
temple yet. A great man, full of tremendous insights, but he remained only on the steps of the temple. Osho p226
詩人と神秘家の違いについて、かなり具体的に語られている。
獣を殺すときは、心のなかでこう説なえよ。
<おまえを殺めた同じ力によって、私もまた殺され、捧げれる。
おまえを私の手に渡した同じ法が、私をより力強きものの手に渡すだろう。
おまえの血も、天の木を養う樹液にほかならない。>と。小林薫訳「プロフェット」p56
Oshoは語る。
WHEN YOU KILL A BEAST, SAY TO HIM IN YOUR HEART:
BY THESAME POWER THAT SLAYS YOU I AMSLAIN; AND I TOO SHALL BE CONSUMED.
FOR THELAW THAT DELIVERED YOU INTO MY HAND SHALL DELIVER ME INTO A MIGHTIER
HAND.YOUR BLOOD AND MY BLOOD IS NAUGHT BUT THE SAP THAT FEEDS THE TREE OF
HEAVEN.
These arew ords... if he had avoided them, his bookw ould be totally free fromall dirt. When you kill a
beast –butw hy should you kill a beast? It is strange:w hen you kill a beast it is a game, hunting, and
when the beast kills you nobody says it is a game, it is hunting. Then it is a calamity. Double
standards are always of the cunning mind –although he is trying to put them in such away that they
can deceive anybody, particularly thosewho are nonvegetarians. They will feel immensely happy that
Kahlil Gibran, a man like Kahlil Gibran, is supporting their ugliest act in life. Osho P230
この部分を読んでいて、私は宮沢賢治の童話「なめとこ山の熊」を思い出す。猟師の小十郎は、熊を食べるわけではないが、生活のため、熊を撃ち落としては、その毛皮と胆を売らねばならない。
「おまえは何がほしくておれを殺すんだ」
「ああ、おれはお前の毛皮と、胆のほかにはなんにもいらない。それも町へ持って行ってひどく高く売れるというのではないしほんとうに気の毒だけれどもやっぱり仕方ない。けれどもお前に今ごろそんなことを言われるともうおれなどは何か栗かしだのみでも食っていてそれで死ぬならおれも死んでもいいような気がするよ」
「もう二年ばかり待ってくれ、おれも死ぬのはもうかまわないようなもんだけれども少しし残した仕事もあるし ただ二年だけ待ってくれ。二年目にはおれもおまえの家の前でちゃんと死んでいてやるから。毛皮も胃袋もやってしまうから」 宮沢賢治「なめとこ山の熊」
「雨ニモマケズ」にあるように、賢治自身は、「一日ニ玄米四合ト味噌ト少シノ野菜ヲタベ」て生きていたと言われている。それであるがゆえに、丈夫だった体が衰弱し、病を得て早世したとさえ言われている。
当ブログにおいては、賢治とジブランを二つ並べて同化させようというプロセスにある。そして、この部分において、この二つの存在は激しく拮抗している。
さて、この範疇でいうと、Oshoにとって、賢治は、詩人だったのだろうか、神秘家だったのだろうか。そんなことを考えながら、読み進めている。
さてさて、私は別に獣を倒すような仕事に携わっているわけではないが、決してベジタリアンではない。アレルギーを持っているわけでもなく、立派な信条があるわけではない。熊の肉を食べたこともあるし、イノシシや蛇だって食べたことがある。ましてや、通常の生活いにおいてや、清貧な食生活を守れているわけではない。
しかし、ここまでOshoが言う限り、いまいちど、自分の食生活を見直してみなければならない。あらためて反省する。
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