The Messiah<8>Osho on Kahlil Gilbran's the Prophet
「The Messiah」 Commentaries by Osho on Kahlil Gilbran's the Prophet, Volume 1<8>
Osho (Author) 1987/09 Publisher: Osho Intl; Paperback: 496 pages Language: English
★★★★★
Almustafa is saying immensely beautiful things, but the most important thing is missing. That is themisery of a poet: he comes to know as deeply as possible but he never reaches the very center. Only a mystic is able to reach to the very center. So although all these statements are beautiful, keep in mind that something is missing. And I amgoing to make you aw are of what is missing.
I amnot a poet. I can understand the beauty of poetry because I ama mystic; I am rooted in my own center, in my ow n being. I would love you to understand Almustafa’s statements –perhaps they will help you reach to the center, of which he himself is not aware.
And what I am saying about Almustafa, I am really saying about Kahlil Gibran. I have not spoken on him. For many years, again and again, I thought to give new blood and new life to his statements, but whenever I saw that there was something missing, I w ondered whether Iw ould be doing justice to you if I simply commented on Kahlil Gibran w ithout telling you that he is not an enlightened man. Very close, but even closeness is a distance. Unless you become one, the distance remains. But finally I decided that it is better to make Kahlil Gibran and his spokesman, Almustafa, complete and whole.0sho p263 pdf177p
当ブログにおける「意識をめぐる読書ブログ」としてのプロセスはジブランの「プロフェット」へと収束してきた。約6年をかけての結果なので、それなりの経緯があったわけだが、そのことは、この本がベスト本、ということを意味しているわけではない。
それは、むしろ、当ブログが自らを「意識をめぐる読書ブログ」と規定したところの限界を表わしていた、ということもできる。意識をめぐるには意識に頼るしかないのだ。
読書として本から離れられない限り、それは決して意識に到達することはない。それはあくまでも意識「周辺」を巡っているだけであり、妥協の産物でしかない。そのジレンマ、そのギャップは大きい。
ブログという作業も、必ずしも意識とは無関係である。クリエイティビティと関連づけて考えてみようとはしてきたが、それもまた、結果論としてのこじつけであった可能性が高い。
そんなことに気づいた当ブログとしては、最近、当ブログの定義を「意識としての愛の探究」と捉え直しつつあるところである。さて、それさえも、ブログという作業とどうリンクするのかは、十分納得できているわけではない。
当ブログが結果として、そのプロセスを「プロフェット」に収束させ、そこから、袋の一点をつまんで裏返しにするように、ゲシュタルトを転じようとしているのは、必ずしもジブランのこの詩集の優劣なり、完成度の高さに依存しているからではない。
「プロフェット」から「メサイア」へとひっくり返そうとしているのは、必ずしも、Oshoの優越性を再確認しよう、としている、というわけでもない。
問題は、「私」であり、私の「意識」である。意識を意識する、というメタコンシャスへの上昇、或いは拡大、あるいは同化、真の収束へと至るには、このジブラン→Oshoという図式が、極めて有効に、私へ働きかけてくれる、と直感したからだった。
That’s why I say Kahlil Gibran is not a mystic yet. First, let us hear what Almustafa is saying:
IT IS TOWEAVE THE CLOTHWITH THREADS DRAWN FROM YOUR HEART...
The heart is better than the head, but you are not the heart. You are still deeper: you are the being,eternal being. The moment your head dies, your heart w ill also stop beating. Your head and your heart both belong to the body and to the w orld.
Only you, in your total purity of consciousness, belong to the eternal flow of life. Only you belong to God. And if you are basing your belief on some desires which are fulfilled... it is better than to believe because certain arguments have convinced your head but it is not yet the real thing.Osho p264 pdf178p
ハートは頭よりもよい、だけどあなたはハートではない。あなたはもっと深い、あなたは存在だ、存在の中心だ。あなたの頭が死に、ハートが呼吸することさえ止まる。あなたの頭もハートもともに、あなたの体に属し、そして世界へと通じる。
あなただけ、あなたのトータルな意識の純粋性においてだけ、あなたは人生の永遠の流れに属する。あなただけが神へと属する。・・・
Oshoのインサイトは深い。その言葉をどこでどう受け止めるのか。頭で・・・。ハートで・・・。体で・・・。しかし、存在の深い部分で受け止めれば、おのずと、自らの存在が変わらずを得ない。
当ブログも変わらずを得ない。あるいは、その予感が絶えず付きまとっていたからこそ、当ブログは、「意識をめぐる読書ブログ」としての自らの立脚点を自己否定せざるを得ない。
あるいは、いままでの自らのプロセスをそう使うことこそが、もっとも人生を愛している、ということにもなるだろう、という直感でもある。
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