Zen Mind, Beginner's Mind 禅へのいざない 鈴木俊隆 <3>
「禅へのいざない」 Zen Mind, Beginner's Mind <3>
鈴木 俊隆 (著) 紀野 一義 (翻訳) 1998/06 PHP研究所 単行本 261p
★★★★☆
この本、なかなか読み進めることができない。読めば、平易な日本語で書かれているし、内容も、ことさら難しい内容ではない。しかし、時節がら多忙であることもあり、まとまった読書時間がとれない。それでもなお。最後までは読んでみたいと思わせる魅力はもっている。
道元はこの宇宙そのものである大我を「こころ」と表現し、また「いのち」と表現し、これに対しての人間の小我を「心」といい、また「命」と表現していたと思う。「正法眼蔵」の用例がいつもその通りであったということはできないが、少なくとも道元の真意はその辺にあっただろうと私は考えている。紀野一義 p57「正しい修行(RIGHT PRACTICE)」
これは翻訳者による解説だが、いちいち登場するこの解説がうるさくないわけでもない。1970年のアメリカにあって、講演する鈴木俊隆の横に座って、アメリカの聴衆に翻訳しながら解説するのなら、それもありだろうが、ここで日本向けに、しかも後だしジャンケンのように、ひとつひとつ訂正する、というのは、どうであろうか。
今日のメッセージは「自分の心(spirit)を育てなさい」ということです。これは、自分自身の外に何かを求めるなという意味です。これはとても大事なポイントで、禅の修行をする唯一の道です。p158「不変性(CONTANCY)」
心をマインドと訳するかスピリットと訳するかは、局面において微妙な使い分けが必要だが、ことZENに関しては、しかも肯定的な意味において使われるなら、やはりスピリットのほうが適している。
「忍」は、私の心(spirit)を育てる方法です。「忍」は修行を続ける道です。私たちは常に暗い空っぽの空に生きていかなればなりません。空(そら)はいつも空(そら)です。雲や稲光が来ても、空(そら)は乱されません。悟りという稲光が来ても、私たちの修行はそれについてすべて忘れてしまうのです。
そうすれば、もう一つの悟りを受け入れる用意ができます。次々と、できれば一瞬一瞬に悟りを得ることが必要です。それが悟りを得る前の悟り、そして得たあとの悟りと呼ばれるものです。p162「正しい態度(RIGHT ATTTITUDE)」
この本には、当然、英文の原文があり、また、新訳として松永太郎・訳が2010/08にでている。わずか10年で新訳がでたということは、この本の版権の問題もあるだろうし、また、訳自体、あるいは本の作られ方自体が、どうもいまいちで、現代の若い世代にフィットしていなかった、ということができるだろう。
紀野・訳と、スティーブ・ジョブズは、直線的には繋がりにくいけれど、なにはともあれ、英文や新訳はあとから読み比べることとしても、この本にはこの本の味わいはある。
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