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2012年3月の35件の記事

2012/03/31

プレムバヴェシュの孫たちとの対話 <14> 「プロジェクト567」あるいは3.11との相関関係

<13>よりつづく

「プレムバヴェシュの孫たちとの対話」

<14> 「プロジェクト567」あるいは3.11との相関関係

 孫、というキーワードで表現され得るものの、大体の概要が分かり始めれば、それはまた、当ブログの中のどのような位置に属してくるのか、が気になってくる。

 プロジェクト567は56歳と7ヶ月、を意味しているわけだが、58歳の誕生日を迎えた我が身は、そのプロジェクトをすでに1年と5ヶ月の間、黙々と突き進んで来てしまったことになる。そのベースにエコビレッジを置き、トップに3.11を掲げ、中心には孫たちを置いた。そして、ハイブリッド車や図書館、スマホやホワイトターラー像を、それぞれの位置に配置した。

 それらをその瞬間を切り取られたリアリティ達であり、そもそも個別にはその位置を自ら主張して獲得したものではない。乱雑に投げ出される雑多な個別性たちを、主だった要素を繋ぎ止めれば、こういう全体像になるだろう、という、暫定的な見取図である。

 当然それらは絶対性を主張するものではないにせよ、より全体に目配りをしようとするなら、ひとつひとつの指標としては、多いに役立ってくれることが期待されている。

 ここにおいて、外すことが難しいのは、孫たちであり、3.11であろう。孫たちは未来に向けた生命の象徴であり、3.11は、地球のただいま真っ最中の現実である。それに比すれば、他の要素たちは、少しくトーンダウンする。

 しかし、ホワイトターラー像に込められた意味は重い。もちろん、それを下支えするスマホの存在や、図書館ネットワーク、ハイブリッド車などの環境への配慮も決して軽視することはできない。

 ライフ・スタイルの根元ともいうべきエコビレッジ構想の、やや頓挫ぎみの進捗状況には、下半身的弱さを感じる。可能性のある土地やそもそもの予定地に、東京電力原発の放射線がふりそそいでしまったことは、あまりにも痛ましく、悲惨だ。

 それでもなお、自らのリアリティとして、その苦難を切り裂いていこう、という屈強な精神が我が身にはない事が、もっと悲惨であると思われる。

 3.11に対峙すべきは、日々のわが生き様であり、ライフスタイルである。綺麗ごとでは済まされない、人間としての現実がある。スナイダーのキッドキッドディジーや三省の白川郷のような、ある種スタンドプレイ的な住環境ばかりを夢想していてはならない。

 もしそのプロジェクトの中心に、孫たち、を据えるなら、十分な医療や教育に配慮しなくてはならない。当然、愛にあふれる家族ネットワークも必要条件だ。未来に対する夢や就労の機会も保証される必要がある。

 となって来ると、結局は、今、こうして暮らしている我が家族の存在様式が、結果的には、それがいくら現在の、しかも、ごくごく狭い我が家だけの特殊性であったにせよ、この地このまま蓮華国、ということになって来る。

 現状の追認、環境への妥協、自らの非力さの無反省的な惰性。様々なマイナス要素が介在するも、まずは、この地に、この二本の足をつけて生きていく以外にないのだ。

 それはまるで、初めて買ってもらった最も小さなサイズの靴を履いて、公園を歩き始めた孫の足取りのように、至っておぼつかないものではあるが、これはこれとして、受け入れて生きて行くのである。

<15>につづく

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2012/03/30

プレムバヴェシュの孫たちとの対話 <13> 自由無碍の境地

<12>からつづく

「プレムバヴェシュの孫たちとの対話」

<13> 自由無碍の境地

 夢に出て来た陶芸の高齢達人が、その極意を教えてくれた。なるほど~と思ったが、その極意そのものについては、記憶しておく事を忘れた。でも、確かにあのワンポイント・アドバイスは凄かった。

 そんな思いで目が覚めた時、すぐに、子育ての事を考えた。なるほど、赤ちゃん達といながら、赤ちゃんに振り回されてばかりいるようでは、とても育児の達人とは言えない。ここは人馬一体と言うべきか、赤ちゃんとじいさん一体、祖父+孫たち一体の境地を目指して、育児道を極める必要がある。

 0歳児や1歳児の赤ちゃん達には、より自然体の無碍の境地がある。祖父が、赤ちゃんを赤ちゃんと見てしまうところに、彼我の亀裂が生じてしまっている。本来、生命潮流の合同である限り、じさまと孫たちの生命の運びには、そもそも分離し難い、一体感が存在しているはずなのだ。

 う~むー、一体感などと言っているうちは、まだまだ分裂しているとしか言い様がない。祖父から見た場合、孫は孫であろうが、孫たちから見た場合、祖父は祖父であるのだろうか。祖父は祖父として、自らとは分離した存在であると見ているだろうか。

 孫から見た場合、祖父は彼らを取り巻く環境から分離したものと認知することはできるだろうか。すべてがそれぞれに存在しているものであり、それぞれが自由無碍に活動しているものとするならば、風も日差しも、小川の流れも、まったく別個なものであるはずなのであるが、それを感じる人間には、すべて一体のものとしか感じようがない。

 とするならば、孫も祖父も、一幅の絵の中に溶け込んだものと感じさえすれば、孫と祖父に分離はないはずなのである。そう感じられるかどうかが、勘所だ。ここまで来れば、あとは孫VS祖父、などという限定されたお話ではなくなる。

 もし祖父が孫たちといて、心からくつろいでいるとするならば、オシメが濡れようが、泣き叫ぼうが、あるいは腰がギクリと痛もうが、それはそれとして、それらは全体のひとつひとつの小さなグラデーションに過ぎない。その全体の中にすべてが溶け去っているのである。

 つまり、その時は、孫などはおらず、また祖父などという者もいない。ただ全体だけがあるのである。

<14>へつづく

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プレムバヴェシュの孫たちとの対話 <12> 公園デビュー

<11>からつづく

「プレムバヴェシュの孫たちとの対話」 

<12> 公園デビュー

 暑さ寒さも彼岸まで、とやら。この数日は、好天が続き、外の景色が明るい。0歳児はベビーマッサージのセミナーとやらにでかけたので、1歳児はベビーカートで近くの中央公園へ散歩。外での靴をはいてのウォーキングはまだ数回目だが、だんだん上手になってきた。

 多少風はあるが、日差しがまぶしい。なかなかのアウトドア日和である。シートをひろげ、砂場遊びセットを置いてみるが、1歳児の関心はそこになく、周囲の見るもの全てがめずらしい。小枝を拾い、樹木の葉っぱをちぎり、散歩中の仔犬を追いかける。

 春休みに入った小学生たちも公園で遊んでいる。先日は臆して静かにしていた1歳児も、だんだん慣れて、ヨチヨチ近寄って行っては、お兄ちゃんたちに声をかける。もっとも、言葉にならない奇声なので、「あの赤ちゃん、なんか言ってるよ」程度にあしらわれてしまう。

 小学生たちとはいえ、観察していると、ルールの定まっていない遊びを、互いに新しく構築しようとしている最中であり、0歳児の闖入を別に避けている分けではない。可能であれば、この新参者を自分たちの世界へ加入させようとはするのだが、まだ日は浅く、深いコミュニケーションが成立するはずもない。

 しかしまあ、この程度であれば、今のところの公園デビューは成功であろう。家の中ではエネルギーを持て余し気味の1歳児にとって、安全無害なキッズルームは物足らない。新たな危険ゾーンを求めて、今日も探求心を燃やすのである。

<13>へつづく

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2012/03/29

プレムバヴェシュの孫たちとの対話 <11> 奮闘中

<10>よりつづく

「プレムバヴェシュの孫たちとの対話」

<11> 奮闘中

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      本日は、じいさんの58歳の誕生日です。

<12>へつづく

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プレムバヴェシュの孫たちとの対話 <10> 老成幻想と胎内回帰

<9>よりつづく

「プレムバヴェシュの孫たちとの対話」 

<10>  老成幻想と胎内回帰

 いやはや、0歳児、1歳児の孫たちと暮らすというライフスタイルは思っていた以上に大変である。突如遭遇したこの環境も、すでに1ヶ月が経過し、あとどれだけ続くかわからない中での、日々の暮らしである。

 一番は、体力が衰えていることを痛感する回数が増えていることに驚く。友人の整骨師に言わせれば、気持ちは40代でも、体はすでに60歳代だとか。おんぶに抱っこは、なかなか楽しいのだが、これまた腰を痛める。

 心構えもなく、突如現れた環境に対応しようとしたせいもあるだろうが、すでに腰はガタガタである。読書どころか、テレビのニュースを見る余裕すらなく、三度三度の食事を与えることさえ結構骨が折れる。そう、文字通り、骨が折れるのである。

 0歳児はともかくとして、1歳児の行動範囲は広がる。住まいの中は、彼の探求心をくすぐる危険物でいっぱいである。部屋をひとつ空けて、無害化したキッズ・ルームを作ってみたが、これもまたすぐ飽きる。いざという時の収容所とはなるが、日々更進する探求心は、新たなる危険ゾーンを要求する。

 家の中だけでは息がつまってくるので、ベビーカートで外に連れ出す。車でベビーシートにしばりつけてドライブという手もあるが、その間はおとなしくしていても、降りれば、その分を取り返そうとでもするかのように、ますます元気に動き回る。

 おしめの世話もある。いまでは紙おむつが常識になっているが、その後処理だって、なかなか手間がかかる。ウンチだけをトイレに流し、紙の部分は一般ゴミとして収集場所へ運ぶ。この量だって馬鹿にならない。

 部屋の掃除も気がぬけない。ほこりや何かの欠片でも、すぐ拾って口に入れてしまう。まさか、というような行動が連続して起きる。すでにパターン化した、こちらの思考の構図が、次々と破壊される。心も体も、小気味良く解体される。

 おじいさんになったら、よっぽど物の分かった存在になるはずだ、という老成願望もついに幻想と化し、トロトロにとろけて、また、お母さんのお腹の中に入ってしまいたいという胎内回帰も、今のところは、すぐには達成しようがない。

 むしろ、今はここで、老成と胎内の、合体を試みん、としているのである。

<11>へつづく

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2012/03/27

できることをしよう。 ぼくらが震災後に考えたこと 糸井重里 ほぼ日刊イトイ新聞


「できることをしよう。」 ぼくらが震災後に考えたこと
糸井重里/ほぼ日刊イトイ新聞編集部 2011/12 新潮社 単行本 398p
Vol.3 No.0630★★★★★

 この本も家族の誰かが読みかけて、茶の間においてあった本。最近の私の日常はとてもこのような400ページもあるような厚い本を読もうという気力はない。が、それでも、この人の本なら、目をとおしておこうか、という気になる。

 若い世代には人気があるようだが、私らの世代になると、この人物を露骨に嫌う友人たちも少なくない。還暦をすぎてまだ、ぼくら、という言葉遣いにあるように、軽くて薄く見える点も、マイナス要素であるようだ。逆にそこが魅力t的に思えたら、一読の価値はあるだろう。

 と思いつつ、読んだのは最初だけ。どうも気力が続かない。内容も面白いし、書いてあることが地元のことなので、無関心でいられる訳がない。

 ただ、光をあてている部分と、その他の部分に差がありすぎる。宅配便だって、一社だけではなく、各社がんばった。表紙にしている会社の宣伝をするための本なのか、勘ぐることさえできる。

 そもそもボランティア活動などは、やったやったと大騒ぎするようなものではなく、無名性のなかで、そっと密かに行われるべき行為なのであって、いちいちレポートするようなものではないはずだ。

 そういう反感がわいてくると、この本の後半はよめなくなる。所詮、目立ちたがり屋の目立ちたい行為の一環が、震災という「お祭り」のなかで展開されているだけではないか。震災前から、この地域を知り、その問題点を考えていた人々にとっては、そう感じる部分も少なくないだろう。

 軽薄といえば軽薄。もっと深刻にとらえたい。深刻、というのも、これまたひとつの病気なのだが、どうもそれが体質なのでしかたない。

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2012/03/26

プレムバヴェシュの孫たちとの対話 <9> 赤ちゃんと祖父の生命潮流としての大合流

<8>よりつづく

「プレムバヴェシュの孫たちとの対話」 

<9> 赤ちゃんと祖父の生命潮流としての大合流

 孫という立場は、人間成長過程の発達段階の程度を意味するものではない。祖父もまた、誰かの孫であり、その誰かも、実は、また別な誰かの孫である。この小論は、いずれそのような入れ子構造の神秘に立ち入ることを避けることは出来ないにせよ、ここでは、敢えて、0歳児、1歳児という孫たちを、赤ちゃん、と一括りにして、その生命成長過程を固定しておくことにする。

 さて、ここでいきなり先を急ぐとして、赤ちゃんは、祖父の中に、自らの生命体としての存在意義を見つけることは出来るだろうか。あるいはまた、祖父は赤ちゃんの中に、自らの人間として生きてきた存在の結末を見ることは可能だろうか。

 この小論においては、これは是非ともつながって貰いたい肝要な部分なのである。あるいは、つながるべきであり、十分につながり得る現象として、ここを凝視する。しかしながら、可能性があるとは言うものの、100パーセントの必然ではなく、結果としてつながらない、ということも当然あり得る。

 そのような幾多の条件の中においても、両者、赤ちゃんと祖父は、たがいにつながり得るものとして、互いに手をさしのべ合う関係である、と規定する。それはそうなくてはならないのである。それは直感であり、それを根拠とする神秘である。

 祖父はすでに、自らの死を予感する前ランナーであり、赤ちゃんは、今まさに新たなる生命体を立ち上げようとする、次なるランナーである。当然、生命潮流としては、この両者の狭間に、父親とか母親とかの存在を挟まざるを得ないのであるが、人間という生命体が、単に生命体というだけのものではない、と想定される以上、ここでは、祖父から赤ちゃん、という構図の中でこそ、合流できるものがあるはずである、と規定する。

 あるいは、祖父として、そう思わないことには、孫たる赤ちゃんたちの介護、育児、養育から疎外され、やがては生命潮流からも取り残されてしまうのではないか、という危機感さえ覚えるのである。

 はてさて、母のない子はないとしても、子のない母(とは言わないだろうが)が存在するように、祖父のない赤ちゃんはいないだろうが、孫のいない祖父(とは言わないだろうが)は、当然存在するだろう。ここにおいて、何か大きく、差別的な選別が進行している可能性はないのか。

 ここでは、それはない、と断定しておこう。柴刈りじいさんも、竹取りじいさんも、本来「孫のない祖父」である。生命の誕生の、そのプロセスには直接関わってはいない。しかしながら、彼らは、だからこそ、生命潮流の大合流にむけて、ささやかではあるが、じつに重要な決断を下すことになるのである。

<10>へつづく

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プレムバヴェシュの孫たちとの対話 <8> 0歳児と1歳児と祖父の共同性

<7>よりつづく

「プレムバヴェシュの孫たちとの対話」 

<8> 0歳児と1歳児と祖父の共同性

 0歳児と1歳児とだけのコミューンは存在し得ない。なぜなら、共に生命を維持する条件をクリアするには、自立している第三者の介在を必要とするからである。母親であるとか、善意のサポートがないことには彼等は生存できない。

 この時、祖父は、介在者として最善の存在ではない。むしろその役目を期待されたとしても、十全なサポートを果たすことはできないであろう。武骨な手、聞き苦しい太い声、古く時代遅れの育児知識、どれをとっても、じいさんはお呼びではない。

 しかしだ。川流れの桃から生まれた桃太郎の育児に、柴刈りじいさんも、少なからず携わったはずだ。麗しいかぐや姫のおしめ交換や、いないいないばぁ、に、竹取りじいさんも積極的に参加していたと、推定することはできる。

 最善ではないにせよ、次善、次々善の養育者として、祖父の存在も認めてもらえる可能性は残っている。とするなら、0歳児、1歳児と祖父だけの空間、というものも想定することはできる。その時、そこにはどのようなコミュニティ、コミューン、共同性、共同体が現出するのだろうか。

 この場合、養育、被養育という立場は、主従関係ととらえず、要素の違いだけであって、対等なものと考えたい。ここに現出する共同性は、言語的に繋がるものではない。また、選択可能な思想的な嗜好性や交換可能な曖昧性に裏打ちされたものではない。

 ここにあるものは、人間としての、あるいは生物、生命としての、ぎりぎりの、自らの生命維持の必要性を満たすための、根元的な存在維持活動なのである。ここで、祖父は育児や養育を放棄することは、物理的には不可能ではない。しかし、そうはさせない存在からの説得力がある。

 思わぬ形で登場する桃太郎やかぐや姫を、子もなく、突然に「祖父」の立場におかれる、おじいさんやおばあさんは、その存在からの申し出を拒否することなく、あえて積極的に、その生命の流れに合流するのである。

 つまり、0歳児、1歳児と、祖父の共同性は、言語や思考を越えて、生命の大合流という形で説得力をもち、厳粛な、尊厳をともなった事実として、いま、ここに、ある、ということになる。

<9>へとつづく

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2012/03/25

赤ちゃんのつぶやき 改訂版 小児科医 大塚昭二


「赤ちゃんのつぶやき」 改訂版 
大塚昭二 2010/11 赤ちゃんとママ社 単行本 191p
Vol.3 No.0629★★★★★

 茶の間にこの本がころがっていた。きっとどちらかの母親が読みかけているのだろう。パラパラめくってみると、なるほど、ということがいっぱい書いてある。

 そもそも、赤ちゃんとは、どのくらいの月齢・年齢までいうのであろう。この本は乳幼児から、誕生日をすぎた、歩き始め、しゃべり始めの幼児について書いてあるので、当ブログが対象としている0歳児、1歳児は、立派な赤ちゃん、と言えるだろう。

 赤ちゃんのつぶやき。これは独白だ。語っているのだが、相手に伝わっていない。赤ちゃんの、一番身近な存在はお母さんだ。二番目はお父さん。これでいくと、おじいちゃんなんて、何番目になるか、わかったものではない。そもそも、いなくたっていい存在だからなぁ。

 赤ちゃんは、十分、言語的発信能力がそなわっていないので、つぶやきとなってしまうが、別に情報を発信していないわけではい。原初的な、基本的な情報は発信し続けている。その情報を、周囲の存在がどう受信してくれるかが鍵となる。

 それでは、0歳児、1歳児の赤ちゃんは、受信能力はあるのだろうか。これも、理解する領域は限定されているとはいえ、十分にその基本能力をそなえている、と思われる。

 赤ちゃんのつぶやき。なるほどね。祖父は近からず、遠からずの距離感を保ちながら、まずはこの、赤ちゃんのつぶやき、とやらを、しっかりうけとめる感性を磨いていく必要がありそうだ。

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2012/03/24

プレムバヴェシュの孫たちとの対話 <7> 0歳児と1歳児の対話は成立するか

<6>よりつづく

「プレムバヴェシュの孫たちとの対話」 

<7> 0歳児と1歳児の対話は成立するか

 0歳児、誕生直後に目は開いていない。光にさえ反応しない。しかしながら、自らの生理的要求には敏感である。とくに空腹については盛んにシグナルをだす。排便についても違和感、嫌悪感として、異様な鳴き声に託して表現する。睡眠についても、その環境がそろわないと、鳴き声として不満を表現し、あるいは揃っていると、すみやかに睡眠にはいる。

 やがて、目もあき、光に反応し、周囲の外在物にも気づくようになる。もっとも、生誕前の胎内にいる間に、音やそれに近い媒体を通じて外界を把握することを試みており、必要最小限の状況把握は済ましている。

 さて1歳児になると、たべ、あるき、しゃべる、という人間という機能の、基本的動作が自らの力でできるようになる。噛み、さわり、奇声をあげることで、周囲との距離感をはかり、いたずらをしまくることによって、ひとつひとつの外在物の断片的な情報を収集し、入力し、整理する。

 0歳児にとって1歳児は、周囲をとりまく環境のひとつではあるが、分離して1歳児を、それとして認識するのはむずかしい。ただ、そのやわらかさ、その原理的単純さ、あるいは視点のちかさや生存パターンの類似性から、シグナルを発信されれば、親しいものとして、受信することは可能である。

 1歳児にしてみれば、たべものやおもちゃ、あるいは母親や医師といった外在の存在のひとつとして、0歳児を、ひとつのまとまりのある存在として認識することは当然可能である。ただ、それが、たべものとどうちがうのか、おもちゃとどうちがうのか、あるいは母親とどうちがうのか、などは、くりかえされるいたずらなどの試行によって、ひとつひとつ再構成される必要がある。

 自我が十分形成されていない0歳児と1歳児においては、高度に構築された対関係に発展することはなく、また、あるいは、それにむかってそれらが歩み始めているという、きわめてファジーな、曖昧な揺籃期にある。

 したがって、ここまでで言えることは、0歳児と1歳児の対話は成立するということであり、あるいはそれに向かって、互いが努力しているということは、十分言えるのである。

<8>へつづく

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2012/03/23

プレムバヴェシュの孫たちとの対話 <6> 0歳児との対話は成立するのか

<5>よりつづく

「プレムバヴェシュの孫たちとの対話」 

<6> 0歳児との対話は成立するのか

 0歳児、あるいは生後数ヵ月という存在にとって、対話というものは存在するのだろうか。自我が形成されていないかぎり、自らと対になる存在を認識するということ自体、不可能なことであろう。対という認識もなく、また語られる言語もなければ、対話はあり得ないだろう。当然のことである。

 しかるに、0歳児に対峙する祖父の立場にしてみれば、相手が生命を宿した、れっきとした一個の人間存在であるかぎり、自らを対峙する対象として0歳児をひきだすことは十分可能である。もちろん話しかける言語ももっている。

 とするならば、祖父の側からは対話は成立するけれども、0歳児側からは対話というそもそもの発想がないのだから、この対関係は、祖父の側からの、一方的な思い込みということになるのであろうか。

 いや、そうとはかぎらない。もし祖父が、ありきたりな対話を期待しているのではなく、言語を越えた相互理解をもとめ、個を越えた共通存在、つまり対関係の否定、あるいは超越を求めているのだとするならば、表現のあいまいさは残るが、別な次元における「対話」は存在しうると言える。

 つまり、祖父はいよいよ言葉を失いつつあり、自らの「存在」というものの境界線を、ついに越えて、私という束縛を越えてしまっているとしたら、そこには、祖父と呼ばれているだけの、0歳児がもうひとりいる、ということになるのである。まるで、「2001年宇宙の旅」の、あのラストシーンのような神秘が、立ち上がってくることさえ、想定されるのである。

 したがって、祖父と0歳児の間には、対話というような欺瞞的な状況は発生しないが、対話を越えた対話、つまりは、そもそも対話がもとめている最終効果としての、対話効果はありうるということになる。

 総じて結論すれば、本質的な意味において、祖父と0歳児に間には、対話は成立する、と断言しても、まんざら間違いとは言えないのである。

<7>につづく

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プレムバヴェシュの孫たちとの対話 <5> プレムバヴェシュにとって孫たちとは何か

<4>よりつづく

「プレムバヴェシュの孫たちとの対話」 

<5> プレムバヴェシュにとって孫たちとは何か

 では、祖父にとっての孫とは何かを問い始めなければならない。そもそも、祖父とは、人生のプロセスにおいて、終盤にさしかかっている存在として想定される。そこにいたるまでの経過によって、あらゆる体験、あらゆる合理化、あらゆる妥協、あらゆる断念を繰り返してきているのであり、あえてそれを「知恵」とよぶことも可能ではあろう。

 しかしまた、老練な祖父であってみれば、あらゆることに、あらゆる意味を付与することができるのであり、それは森羅万象、ことごとく表現可能な状態になっているはずだ、とさえ推定できる。

 つまり、祖父は自由の境地にいるのであり、身の回りのすべてにおいて、自由に遊ぶことさえできるのでえる。

 ということは、祖父にとって、孫とは、特段に特筆すべきものではなく、ありとあらゆるものの中のひとつの現象であり、ありふれたことのひとつにすぎない、ということになる。

 さて、ここで孫と祖父、あるいは祖父と孫が対峙する、というと、どのような意味転換が行われているのであろうか。

 孫にとって、祖父とはあってもなくてもいい、どうでもいいものであり、祖父にとって、孫とはありふれた外在物の一現象でしかない。まずはこの認識がスタート地点である。この実に淡白な、実に遠大な距離感を、はてさて、これから、どのように縮めていくのか。あるいは、適正な距離感を把握するにはどうすべきなのか。

 祖父としてのプレムバヴェシュと、プレムバヴェシュの孫としての孫たち、と特定した場合、いったい、どのような特殊性が現出しようとしているのであろうか。

<6>につづく

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2012/03/22

プレムバヴェシュの孫たちとの対話 <4> 孫たちにとってプレムバヴェシュとは何か

<3>よりつづく

「プレムバヴェシュの孫たちとの対話」 

<4> 孫たちにとってプレムバヴェシュとは何か

 私は誰か、という問いに飽いたら、誰かにとって私とは誰か、と問いかける逃げ道はある。ひとつの鏡として自分を写してみるのだ。だが、それはやっぱり最初から逃げ道でしかない。

 そもそも、プレムバヴェシュにとって孫たちとは何か、を、的確に答えることが、まずはできるだろうか。

 私がおり、子供たちがいたからこそ、孫たちが存在したわけだが、時間軸ではそういうことになったとしても、存在論的には、必ずしもそうとは言い切れない。

 例えば、私にも、祖父が二人おり、生命を持ったのは当然私より先ではあるが、私が生まれなかったら、私にとっての祖父などいうものは、存在しないわけだから、私からみれば意味のないものとなる。

 つまり、孫たちからみれば、自分たちが生まれ、生命という存在をもちえたから、プレムバヴェシュに、新たな意味が生まれた、あるいは加わったわけである。あるいは、孫たちが生まれることによって、プレムバヴェシュの存在意義が変容したとも言うことが可能である。

 しかるに、子を生んだ一人の女性が、女から生物的に母親になるのに比べ、祖父が孫をもったからといって生物的に変化するなんてことはない。それは、子をもっても、生物的に父になるなんてことはない以上に、悲しいほどに、形而上的な思い込みに過ぎないのである。

 これは、同じ女性であっても、母親ではなく、祖母の存在からみても、祖父と同じことが言える。生物的に祖母となる、なんてことはない。

 とするならば、むしろ、母親という存在だけが特殊なのであって、それ以外の存在は、すべて、思い込みによる意味のなすりつけあいである、ということができる。

 さて、祖父と孫の関係が、単に形而上的な、一方的な意味のーなすりつけあいだったとするなら、祖父から見た場合は、それなりに適当に意味をかぶせればいいのだが、孫から祖父を見た場合は、いったいどういう事になるのであろうか。

 そもそも、0歳児や1歳児にとって、直接的に乳をくれるわけでもなく、具体的な生活を維持してくれているわけでもない祖父というものは、不要不急のものではないのか。

 祖父は一方的に孫に話をしたいと思うとしても、孫からみれば、祖父に伝えたいことなど、あるだろうか。

 0歳児や1歳児にとって、母親以上の火急に必要とする存在はない。父親ですら、2~3歳にならなければ、実用的な意味をもたないであろう。ましてや祖父母などをや。

<5>につづく

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プレムバヴェシュの孫たちとの対話 <3> 改題について

<2>よりつづく

「プレムバヴェシュの孫たちとの対話」 

<3> 改題について

 そろそろカテゴリ名を変えよう。グルジェフの「ベルゼバブの孫への話」へ寄りかかり、仮のカテゴリ名を「ベルゼバベシュの孫への話」としてみたが、どうもいまひとつ、そのユーモアのほうに流れない。本家グルジェフの本を手元においても、1ページも開かず返却してしまう始末だ。

 ここで本来のリアリティにそって、「プレムバヴェシュの孫たちとの対話」と、改題する。

 そもそも、図書館の本を読んでメモを残すというスタイルの維持はすでに実態にそぐわなくなっている。そう気づいてだいぶ時間が経過し、そこからの卒業さえ宣言しているはずである。

 それなのに、未練がましいのか、切り替えが迅速にできないほど老化がはじまっているのか、どうも昔のパターンにもどろうとする悪癖が目立つ。

 このところ、入力もスマホ・オンリーとなり、長文の入力も疲れる。また、自分のブログなのに、いつまでも他人の本に依存しているのもシャクである。かといって、あまりプライベートな記事をストレートにメモする気はないので、ここはここ、適当に膨らましたり、濁したりしながら、己が孫との対話記録を始めるとする。

<4>につづく

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日本の大転換 中沢新一 <3>

<2>よりつづく


「日本の大転換」 
中沢新一 2011/08 集英社 新書 155p

 エネルギーの存在論をエネルゴロジーとなづけ、第8次エネルギー革命を模索し、太陽と緑の革命を提案し、今こそ日本はよい機会を与えられたと認識し、いつのまに「私」を「私たち」と呼び変える。いつものパターンであり、別に目新しいものではない。よく考えれば、極めて陳腐なパターンの繰り返しである。

 どんな状況になっても、歌い手は歌を歌い、写真家は写真を撮りたがるように、思想屋を思想を述べて流布させることが、自分の仕事だと思っているのだろう。

 震災直後にまとめられ、すでに続編ともいえる展開軸が提示されている段階では、もうこまかく追求する必要もないが、通読してみれば、かなり穴ボコぼこぼこの観が否めない。この本は、誰が誰にむけて書いたものなのだろうか。

 大学の教室において、教壇から学生たちに語りかけている以上の説得力はあるのだろうか。被災地にいった歌い手は、歌を歌う前に、まず泥かきボランティアから始めた。写真家は、まずお年寄りの体にさわり、マッサージをしてから、そのあとに、一枚いいですか、とことわってシャッターを押したという。

 ましてや、産業界や行政などの、責任ある立場において、どれほどの説得力をもってこの提案がうけいれられていることだろう。私は正直言って絶望的気分に襲われる。

 この本から欠如していること。個としての人間存在の有り様。超意識。死生観。

 思想屋が思想を垂れ流すのに忙しいのであれば、瞑想家は瞑想し、神秘家は神秘に隠れるのが相応しいのだろうか。

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2012/03/20

日本の大転換 中沢新一 <2>

<1>よりつづく (って、<1>は無かったかも・・・・)


「日本の大転換」 
中沢新一 2011/08 集英社  新書 155p
Vol.3 No.0628★★★★★

 この本もすでに立ち読みして概略は知っているが、いずれゆっくり熟読しようと予約していたものだ。予約が多く半年ちかく経過してようやく私の番に来たのだが、今回もまた熟読するほどの時間はないようだ。結局はよく読まずに返却、ということになりそう。

 最近の私は、どうも、この「日本」という奴がすきではない。日本というくくりで、なにかが表現されているのだろうか。たしかに弧状列島は、地球の北半球にあり、私が日常的につかっている言葉で話せる人間たちが住んでいそうだ、ということはわかる。

 しかし、ひとくくりとしての日本なんて、実感しようがない。メディアやなにかの統計的な手法のなかで、ぼんやりとうかんでくるものはあるが、それらと一体化した「私」を想定することが、ますます難しくなりつつある。

 がんばろう日本。絆でささえあって、この震災を乗り越えていこう・・・。ほんとうだろうか。

 3・11という震災だって、全体を実体験した人なんて、ひとりもいないはずだ。それぞれが、自分の場で、自分の五感で体験したのが、そのひとの3・11なのであって、あとはメディアなどからのバーチャルなイメージでしかないはずだ。

 原発についての後だしじゃんけん議論を聞いていても、どこか、寒い。みんな正義感ぶっていて、悪い奴などひとりもいなういかのようだ。私がわるうござました。したがって私はここで切腹をして懺悔します、という人物はひとりもいない。

 もっとも、いまさら切腹されても手遅れなので、そんなことはやめてほしいが、責任をとる専門家がいない、といのも不思議だ。詳しい人たちがきちんとやってくれれば、私のようなしもじもは、余計なことに気をそらさずに、自分のことに専念できるんだが。

 バスにのったら、行き先を確認して、あとは居眠りでもしていればいいはずなのだが、どうも、運ちゃんへの信頼やら、バスのメンテナンスやらが、バラバラで、おちついてバスにのっていられない。これじゃ、自分の足で歩いたほうが確実だ。そう感じることが多い。

 中沢の「大転換」とやらもなんだかな~~。本人は真面目なつもりなのだろうが、実効性が薄い。

鬼ヶ島の鬼を退治しにいく「日本一」は多けれど、どれもこれも、滑稽話に見えてくる。

<3>につづく

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2012/03/18

新装 犬も歩けば ナナオサカキ <3>

<2>よりつづく


「犬も歩けば」新装 <3>
サカキナナオ 2004/05 野草社/新泉社 単行本 141p

 ナナオの詩の中では、サンシャインオレンジが、同時性をともなって、一番記憶に残っている。薬物効果のなかで、あるいはそのものを歌った詩であったにせよ、より具体性をともなって、あの時代を思い出す。1975年。それにしても、このー詩が、ナナオの一番最初の詩集のなかの、かなり最初のスペースに登場することが、私にとってはかなり意外だ。

 あのころナナオはすでに出来上がったひとつの存在であったはずである。修正不可能な、ある意味、完全性を携えて、私ーたちの前に立っていたはずではなかったのか。

 ナナオを詩人としてとらえるのは、間違っているのだろう。すくなくとも、詩集のなかにナナオをみつけようとするなら、それはまったくの見当違いということになるのだろう。

 名付けようもないもの。とりあえず詩人というレッテルを張り、詩でも吟わしておけば、危険性を軽減できる。あいつは詩人だし、あいつはあいつだ。

 しかし、私は、ナナオの本質からみて、その危険性に震撼する。強烈な挑発だ。詩などでは覆いきれないマグマが畝っている。危ない。私はそのマグマに溶解される勇気はない。準備もない。あるいは、私には私の人生の目的がある。だから、避けた。身に降る火の粉は、払わにゃならぬ。

 2012年。3・11の1年後にして、私はベルゼバべシュとして、0歳、1歳の孫たちと暮らし始めた。妻はその祝いの食事にあたって救急車で病院おくりとなった。私は私で、孫たちとの風呂遊びをたのしんでいたら、腰を痛めて、自分ひとりの風呂さえはいれなくなった。うん、これはただ事じゃないぞ。

 2012年には2012年のリアリティが進行中である。

 ポンによれば、1988年8月の八ヶ岳における「いのちの祭り」にナナオは参加しなかったという。会場がスキー場だったから。ナーガも飛び魚漁の最盛期で不参加。私もこの時、不参加。前年かrら、そのイベントの意義をしっており参加するつもりでいたが、出発直前になって車が故障した。これもひとつの縁。

 ナナオ還暦の「ナナオサカキ邸新築設計書過」も、意味深い。 我が身も還暦チカクなり、原寸大の詩人の実像を思い描くようになった。

 犬も歩けば。足に土。ココぺリの足あと。思えば、ナナオに足は付き物だった。地球と人間を繋ぐもの。それは足。

 人生生きていれば、何事かあらん。犬も歩けば。

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2012/03/17

新装 犬も歩けば ナナオサカキ <2>

<1>からつづく


「犬も歩けば」新装 <2>
サカキナナオ 2004/05 野草社/新泉社 単行本 141p

 大鹿村から友人がきているという。スケジュールの合間にひさしぶりの再会を約した。おもえば実にざっくりとした付き合いである。

 ナーガという詩人は、自らの詩集をいつも限定100部としているという。なるほど。いい得て妙。自分の近況や心境を伝えたい人など、そうそう多くない。すくなくとも私はそうだ。人生を送るにあたって、濃密な関係をむすぶことのできる範囲は限られている。

 ただ、私は限定100部までは絞り込めない。せいぜい限定200だ。1万人のフォロワーもいらないし、1万人もフォローすることはできない。ほんとにフォローするとすれば、せいぜい20人程度だろう。

 ただ一般的には、それほどの濃密な人間関係は、現代社会においては好まれないし、不都合も起きる。私の場合はせいぜい200だ。だが、実はその中には、ダミーや、切れずに切れない腐れ縁もある。貴重な情報源となっている場合もあるし、逆スパイされているのだが、わざと泳がしている場合もある。

 限定100部の人間関係で完結しているなら、それはそれですばらしい。ある意味、それは理想だ。

 なんの多勢を頼むことがあろうか。所詮、我が身はひとつ。両親あって、祖父母がふたりづつ。連れ合いがあって、子がふたりあり、孫が何人かいれば、それはそれで家族は完成だ。あとは兄弟姉妹があり、子供時代からおとなになって、仕事仲間や、遊び仲間の友人たち。それらが何人かある。

 それに私にはマスターがいる。この人と決めた限りは、それはそれで濃密である。仕事をしている限りは、引き立ててくれるお客さまが必要だ。恩師もいるし、後輩もいるが、それぞれに濃淡がある。これで多分、限定100になるだろう。

 私はこれを倍して、ネットに期待している。限定200だ。じつはここにはトリックがあり、200の繋がりがあると、6次の隔たりで人類の全てと繋がりうるという可能性を秘めている。

 私と大鹿村は1次の隔たりではないが、1・5次位の隔たりである。限定100のなかにはいるかはいらないかの、微妙な位置簡関係にある。ナナオもそのあたりにいた。しかし、ナナオからみれば、私は70億分の一か、無に等しいであろう。実際は2次の繋がりである。

 その関係をとりもつ友人とあした会う。

<3>へつづく

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トワイライト・フリークス 黄昏の対抗文化人たち 山田塊也 <3>

<2>よりつづく

Pon0
「トワイライト・フリークス」―黄昏の対抗文化人たち <3>
山田 塊也 (著) 2001/11  ビレッジプレス 単行本: 250p

 もしこの本が残されなかったら、多くのことが失われてしまったろう。この本でこそ明らかになったことがたくさんある。翻って、幸いこの本が残されものの、この本をいかように読むかは、なかなかむずかしい。

 ヤクチュウとさえ蔑称されそうな経歴は、個人的にはまったく共感しない。むしろ、敬せずして遠ざけたい。実際、飛ばし読み、あるいは、流し読みした。そこから展開される論旨には、雑なバグが多すぎ、対応できない。

 だが、現場にいた人にしか書けないことがたくさんある。この人が生きた道をそれなりにトレースすることができる。この人がいたからこそ起きたこともたくさんある。でもそれって、ちょっと違う。関係者以外にとって、どれだけの意味があるだろう。

 実際に会い、現場を共有していた限り、私も部外者ではない。時代を、人生を共有している部分もなしとはしない。しかし、そこから波及する私の知らなかったこともたくさんこの本から教えてもらった。

 ナーガという詩人の限定100部の詩集。この限定100部に共感する。詩は読んだことないけれど、いつか読みたい。

 ポンからみたばあい、ナナオとも三省とも、距離をたもっていたこともわかった。スナイダーにはやはり、一目おいている。

 1975年の、こちらがわからの一方的な断絶j以来、あえてさけてきた道ではあるが、3・11以降、彼らのことを見返してみようと思い立ったのはなぜだろう。そこにはそこにしかない、蜜があった筈だ。

 読めば読むほど、自分のみちではないことが明確になり、より解像度の高い実像を結び始めた。しかし、それは想定内の結末だった、と、個人的には思う。私は私に道をゆこう。

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2012/03/16

ココぺリの足あと ななおさかき <3>

<2>よりつづく


「ココペリの足あと」 <3>
サカキナナオ/原成吉 2010/08 思潮社 単行本 220p

 思えば、詩人サカキナナオの詩集はそれほど多くない。日本語で出ているのは、ほんの数冊だ。そういえば、ポンだって、三省に比べたら、ごくごくわずかな記録しか残していない。いや、これは逆に三省が突出していた、というべきなのだろう。

 ナナオはナナオであり続けた。三省は三省にしかなりようがなかった。ポンには若さがあり、揺らぎがある。ナーガという人については知らないが、実に寡黙なイメージがある。みんなそれぞれだ。

 ナナオにはユーモアがあり、三省は涙し、ポンは怒る。ナーガという人は多分、瞑目する。それぞれがそれぞれに生きた。一幕の人生芝居である。

 時代があり、出会いがあった。生きる人々の群れがあり、つかずはなれず、多生の縁を生きた。

 ひとりづつ、みんないなくなる。そしてまもなく私もいなくなる。

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2012/03/15

ココぺリの足あと ななおさかき <2>

<1>よりつづく


「ココペリの足あと」 <2>
サカキナナオ/原成吉 2010/08 思潮社 単行本 220p

 中程まで読み進み、ナナオにとっては1975年はどのような位置にあったのかを思う。トワイライト・フリークスのポンの斜視的なアイロニーを踏まえつつ、そしていまさらながら三省やスナイダーを見据えた上で75年を考える。

 私は21才だった。4年経過したコミューンでは、メンバーの自宅出産が続いた。当時の煮詰まった問題点はふたつ。経済をどう維持するのか、ということと、対関係はどうあるべきか、ということ。この二つに出口はなかった。

 逆にいえば、部族流れは、答えをもっているようには思えなかった。ますます混沌としたなかに、引きずり込まれていくようだった。チベットタントラなどの扱いは、断片的で、なにかチグハグな感じがつきまとった。

 だからと言って、「存在の詩」でであったoshoも、解決策を持っているとは思えなかったが、結果的にoshoのもとに流れていったのは、他に妥当な解決策がなかったからであった。

 Oshoのもとで徹底的に叩かれたのは、清貧主義をよかれとする態度。貧乏根性を徹底的に打ちのめされた、だからと言って、その後の人生がリッチになったわけではないが、ただ部族的な清貧主義には、もう戻れなかった。また、自らをプロレアリートとか、辺境最深部への退却、などという、貶められた位置にあえて据えようとする態度にももどれなかった。

 あえていうなら、大いなる魅力をかんじつつも、1975年という年は、結果的に、いくつかの可能性の遮断であった。そのなかには、部族的なものも含まれていた。つまりは、今こうして詩集を読んだりはするが、実存としては、あの時点で、私は、自らの生き方としては、ナナオ的なものを、完全に否定したことになる。

<3>につづく

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ベルゼバブの孫への話 G・Iグルジェフ <5>

<4>よりつづく

Photo
「ベルゼバブの孫への話」 人間の生に対する客観的かつ公平無私なる批判<2>
ゲオルギー・イヴァノヴィチ・グルジェフ /浅井雅志 1990/08 平河出版社 単行本 787p

 結局、今回もまったく手付かずのまま、返却となる。まあ、これもひとつの縁というものだろう。この本をまともに読める人などそうそうおらず、仮に読んだとしても、どうということはない(はずだ)。また日をあらためる。

 それに比して、リアリティのベルゼバべシュの孫への話は、鋭意着々と進行中である。ヘビィーと言えばあまりにもヘビィーである。対話というべきか、体話というべきか、ものすごいボディー・コンタクトである。

 おかげでついにノックダウンを喰らった。立ち上がれない。起き上がれない。布団のうえで、身動きも自由にできないほどだ。しかしまた、このノックダウンされた気分がまた心地よい。アリスの歌にある「チャンピオン」の世界だ。

 ベルゼバべシュも相当トレーニングを積んできた筈だが、今回の挑戦者たちも半端じゃない。しかしまあ、友人の整骨医にいわせれば、気持ちは40代でも、私の体は60代だとか。そろそろ老い支度だな。孫が出来る頃には、腰が痛くなることに決まってるんだな。

いずれつづくだろう・・・・

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2012/03/13

トワイライト・フリークス 山田塊也 <2>

<1>よりつづく

Pon0
「トワイライト・フリークス」―黄昏の対抗文化人たち <2>
山田 塊也 (著) 2001/11  ビレッジプレス 単行本: 250p

 ポンにはポンの矜持がある。ポンからみれば、三省もナナオもこうなる、という得難い視点を披露する。スナイダーだって、ギンズバーグだって、とんでもないことになってしまいそうだが、スナイダーは腰巻きに祝辞を贈っている。

 ポン あなたの知的な精神力 まったく衰えてないですね。 Congratulations! ゲーリー・スナイダー

 この本を読んで、ますます、1975年という年がどういう年であったのか、が、いよいよ明確になってきた。いわゆる「星の遊行群」の「事件」性というものが、明確になってきた。

 つまり、あの年、私は私なりに、年端もいかない若者の一人として、「部族」の否定を行っていたのである。たしかに表現としては拙いものだった。しかし、直感は正しかった。私はナナオでもなければ、ポンでも三省でもない。もちろんスナイダーでもギンズバーグでもない。私には私の矜持があった。

<3>につづく

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もし、日本という国がなかったら ロジャー・パルバース <2>

<1>よりつづく


「もし、日本という国がなかったら」 <2>
ロジャー・パルヴァース/坂野由紀子 2011/ 12集英社インターナショナル/集英社 単行本 314p

 3・11後に立ち上がってきた宮沢賢治シンドロームの中で、NHKの番組に登場したことで、この人物を知ることになった。その履歴も、その言説もなかなか興味ひかれるところではあるが、今ひとつ納得感がない。

 極端に言うと、自民党も、民主党も、社民党も、公明党も、共産党も、たちがれ日本も、みんなの党もあるから、日本はすばらしい、と言われているようで、とても奇妙な心境に襲われる。日本びいきも過ぎると、気持ち悪い。この本を読んで気持ちよくなるひとはいるのだろうか。

 「真に非宗教的な先進国、日本 世界を対立から救うのは、日本以外にない」p275などは、うす気持ち悪くなる。大体において、自分達は我欲で対立を作っておいて、あとは、誰かさんにおまかせなんて、ズルい。自分のケツは自分で拭くしかないだろう。

 それに、なにかを「国」という幻想に託してしまうところに、また新たなる迷妄を産み出すことになる。危なくて、この人の言っていることに耳を傾け続けることができない。

 この人の言っていることは、もし、日本という国がなかったら、私は「成功」しませんでした、ということだけで、これだけ日本を利用させていただきましたよ、ああ、楽しかった、という根無し草の放浪譚でしかない。

 この本、最近の本である。気を取り直して再読することもあろうが、大きく印象がかわることはあるまい。ただ、今回は時間がなく飛ばし読みだったことが悔やまれる。

 つづく・・・・かも

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2012/03/12

禅マインド ビギナーズ'・マインド 鈴木俊隆 松永太郎訳 <3>

<2>よりつづく


「禅マインド ビギナ-ズ・マインド」 <3>
鈴木俊隆/松永太郎 2010/08 サンガ 単行本 236p

 完読。というほどの大作でもないが、このコンパクトさのなかに、なにか、読み急がせないものがある。

 ゆっくりよむ。なるほど紀野一義がちゃちゃをいれるような、バグは、確かにあるが、それは岡目八目、後だしじゃんけん、というもの。これはこれで、ひとつのできあがった一枚の絵として、鑑賞されるべきものであろう。

 ジョブズがこれを熟読していたとして、これをこのまま教義として、文字通りドグマ化したのでもないかぎり、余人がどうのこうのと言う筋合いのものでもない。

 鈴木俊隆が1970年前後にこの程度のレクチャーをし、この期10年の1980年代に、oshoが、オレンジZENをアメリカにもちこんだのだから、アメリカの動揺の様態が、今更に浮き彫りにされる。

 この本、いずれ英文で読みたい。

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2012/03/11

禅マインド ビギナーズ・マインド 鈴木俊隆著 松永太郎訳 <2>

<1>からつづく


「禅マインド ビギナ-ズ・マインド」 <2>
鈴木俊隆/松永太郎 2010/08 サンガ  単行本 236p

 3・11からちょうど一年。このタイミングで、この本を読んでいる。0歳と1歳の孫たちに囲まれて、なんとも賑やかな日々である。日課となった未明早朝の短い瞑想は、禅と名付けるほどのものではないにせよ、精神はZENそのものである。

 廻向するほどの功徳もないにせよ、震災で亡くなられた人々と、50回忌を迎えたわが父を想いつつ、今朝も座る。

 鈴木大拙アラン・ワッツスナイダーを繋いだルース・ササキ、そして鈴木俊隆ポンの本にも出てくる山田龍宝と、断続的に登場するZENの系譜のたどたどしくも、色鮮やかに、つながる一連の系譜を追いながら、未来をおもいつ、過去をおもいつ、今を座る。

<3>につづく

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2012/03/10

ミラレパの十万歌<4>

<3>よりつづく 

Mirarepa
「ミラレパの十万歌」 チベット密教の至宝 <4>
ミラレパ おおえまさのり 1983/04 いちえんそう めるくまーる社 特装本 975p
★★★★★

どさくさにまぎれて、こちらもアップしておこう。書きかけてまま、数か月経過してしまったが、なかなか進展しない。そもそもの本そのものが大冊であるうえに、内容がまた深い。さらっと読み通すには、もったい無さすぎる。 それに、忘れた頃に、この本についての記事へのアクセスがあると、なんとか書き込みを完了しなくては、と思うのだが、そちらに流れない。 今回は、忘れてhいないよ、ということ、読み込み中、ということをここに記しておく。

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2012/03/09

ベルゼバブの孫への話 人間の生に対する客観的かつ公平無視なる批判 G・Iグルジェフ <4>

<3>よりつづく 

Photo
「ベルゼバブの孫への話」 人間の生に対する客観的かつ公平無私なる批判<2>
ゲオルギー・イヴァノヴィチ・グルジェフ /浅井雅志 1990/08 平河出版社 単行本 787p

 またまたこのタイミングで、この本を迎えることになってしまった。まあ、これも天の配剤。内容については、松岡正剛親分の千夜千冊に詳しい。

 進行中のカテゴリ名「ベルゼバベシュの孫への話」の遠景として、借景をお願いしているかぎり、ここでも、どういう形でも登場してもらわずばなるまい。

 期せずして、0歳と1歳の孫たちとの共同生活がスタートしてしまった。孫たちとの対話がはじまった。幼児たちとの対話は対話などというようなものではない。いっさいのはからいが破壊される。ロジック、レトリック、アルゴリズム、パラドックス、隠喩、装飾、すべてが不能。

 必要なのは、おんぶにだっこ、おしめ交換、部屋掃除、病院への送り迎え、離乳食の作り方、おもちゃの選び方、キッズルームの運用、風呂掃除、入浴、ウンチの捨てかた、アレルゲンの排除、マスク、手洗い、etc

 目と目、本音と嘘の戦いだ。孫たちの本音の前では、こちらの嘘がはぎとられる。言葉が、表現が、思考が、がたがた、無益のものとなる。じゃまになるだけだ。飲む、食う、泣く、寝る、排泄。実に直線的。直球オンリーで攻めてくる。

 1歳児になると、多少は変化球を使ってくる。そのアルゴリズム、レトリック、サインを読む。真剣勝負である。0歳児は、まるでブッタだ。あの目は悟っている。すべてを見透かしている。

 ベルゼバベシュの孫との暮らしが始まった。

<5>につづく

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2012/03/08

新装 犬も歩けば ナナオ サカキ <1>


「犬も歩けば」新装 <1>
サカキナナオ 2004/05 野草社/新泉社 単行本 141p
Vol.3 No.0627★★★★★

 私にとってのナナオは、72~75年あたりで出来上がっていて、この詩集には、それ以降の詩がたくさん収録されていて、びくりする。つまり、ナナオというスタイルが棲息できていたのは1975年くらいまでと、勝手に決めつけていた。

 ああそれなのに、それ以降も、ナナオという神話は生き延びていたのだ。彼は彼の人生を生きた。ほんとうは、時代も、地域も関係なかったのだろう。ナナオという魂が転生していて、この地上、そう。地球Aをいきていた。

 ナナオという地球人が21世紀までいきていたなんて、ほんと、びっくり。

<2>へつづく

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ココペリの足あと ななおさかき <1>


「ココペリの足あと」 <1>
サカキナナオ/原成吉 2010/08 思潮社 単行本 220p
Vol.3 No.0626★★★★★

 この詩集について、ブログにメモしておくことなど、私の力量にあまる。あまりすぎる。ななおと草野心平が交流していたとはーーー。ななおを集大成することなど、できはしない。一冊の本にはあまりすぎる。それでもなお、こういう一冊が、足あととしてのこされた。偉大なる同時代的原始人。膨大なる精神的挑発者。おいかけようにも、おいかけることのできない逃亡者。耽美的にして、素朴な原木の味わい。触れることなどできない、あふれんばかりのオーラ。さかきななお。

<2>につづく

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2012/03/07

自我の起源 愛とエゴイズムの動物社会学 真木悠介

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「自我の起原」 ―愛とエゴイズムの動物社会学
真木 悠介 (著) 2001/9 岩波書店 単行本: 198p
Vol.3 No.0625★★★★★

 この本は宮沢賢治に贈られている。それがわかれば、あとは、おかしく、おもしろく、科学読本としてたのしめばいい。ここに、自我のなんたるか、その起源とはなんたるか、があるわけではない、

 最初、クリシュナムルティの自我の終焉が、まちがってきたのか、とおもった。時間の起源などわかるわけがない。だが、時間を終わらせることはできる。自我の起源などわかるはずがない。だが、自我を終焉させることはできる。

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もし、日本という国がなかったら ロジャー・パルバース <1>


「もし、日本という国がなかったら」 <1>
ロジャー・パルヴァース/坂野由紀子 2011/ 12集英社インターナショナル/集英社 単行本 314p
Vol.3 No.0624★★★★★

 よくできた現代版の日ユ同祖論。これで懐をひろげてしまってはいけない。うしろには、トロイの木馬が控えている。宮沢賢治を日本人という概念に押し戻してはいけない。賢治を日本の代表的作家などと評価させてはならない。

 この本のタイトルのあとには、たくさんのフレーズを連想することができる。だが、そもそも、この発句がまちがっている。日本も、国も、すべて、後ろにおいて、もっと前にあるきださなくてはならない。

 おなじアメリカ人で日本にきて、賢治を評したパルバースとスナイダーを並べてみるとおもしろい。結局はパルバースはユダヤ人だ。きわめて巧みな狡猾さをもっている。

<2>につづく

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2012/03/06

トワイライト・フリークス 黄昏の対抗文化人たち 山田塊也 <1>

Pon0
「トワイライト・フリークス」―黄昏の対抗文化人たち <1>
山田 塊也 (著) 2001/11  ビレッジプレス 単行本: 250p
Vol.3 No.0623★★★★★

 ポンはいい奴だけど、小骨が多い。決して上品な刺身なんかじゃない。ちょっと土くさい川さかなのようだ。ななお、三省、スナイダー、そして、やっぱりポンがいないと、部族じゃない。

 せいいっぱい生きたポンを尊敬します。ドラッグにこだわりすぎるところは嫌いです。でも、あわせて、原発と、天皇制についてもこだわり続けたポン。すくないけれど、立派な本ものこした。

<2>へつづく

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2012/03/05

つながらない生活 「ネット世間」との距離のとり方 ウィリアム・パワーズ


「つながらない生活」 「ネット世間」との距離のとり方
ウィリアム・パワーズ/有賀裕子 2012/02 プレジデント社 単行本 343p
Vol.3 No.0622★★★★★

 ネット世間につながっていなくても、むしろ、もっとリアルなつながりが濃厚に進行しているということはありうる。現在の自分がそうであろうし、3.11直後はもっとそうだった。

 適正な距離感とは、個人差があるだろうが、私の場合は、せいぜい200人程度のネットワークがつながっていれば十分なようだ。

 この本のタイトルは、原書では、A Practical Philosophy for Building a Good Life in Digital Age という。べつにつながらなことをすすめているわけではない。

 ソローなどがでてくるところは、我が意を得たりという感じがする。

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2012/03/04

禅マインド・ビギナーズ・マインド 松永太郎訳 <1>


「禅マインド ビギナ-ズ・マインド」 <1>
鈴木俊隆/松永太郎 2010/08 サンガ  単行本 236p
Vol.3 No.0621★★★★★

 極端に読書時間が失われている。まともに本を読む時間がない。よみたい本がないわけでもなく、手元には、いくつも良書がとどている。このまま目を通さずに返却するのもしゃくなので、後日の再読のためにも、メモだけランダムにのこしておく。

 こちらは松永太郎訳。紀野一義訳より、解説がすくないだけあり、すっきりしているが、必ずしも、優れている、というわけでもない。松永太郎のほぼ最晩年の仕事になるのだろうが、ケン・ウィルバーなどを経て、ここに至るのか、という、安堵とともに、失望感もある。

 ジョブズの禅、等と言われているが、はっきり言って古くさい。中国で始まる曹洞禅の宣教師のテキストのような仕上がりだ。これなら、むしろ紀野訳の解説つきのほうが、禅の深みを感じる。

 インドから中国に渡ったボーディ・ダルマは宣教師ではなかった。一人のブッタとして中国に現れたのだ。鈴木俊隆は、自らを宣教師以上のものとして表現しなかった。それが、いわゆる初心なのだろうが、まず、それはそれでよしとしよう。

 しかし、道を歩む者として、本、とくに、このような本には長い間、執着すべきではない。この本は越えていかれなくてはならない。

<2>につづく

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