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2012/03/24

プレムバヴェシュの孫たちとの対話 <7> 0歳児と1歳児の対話は成立するか

<6>よりつづく

「プレムバヴェシュの孫たちとの対話」 

<7> 0歳児と1歳児の対話は成立するか

 0歳児、誕生直後に目は開いていない。光にさえ反応しない。しかしながら、自らの生理的要求には敏感である。とくに空腹については盛んにシグナルをだす。排便についても違和感、嫌悪感として、異様な鳴き声に託して表現する。睡眠についても、その環境がそろわないと、鳴き声として不満を表現し、あるいは揃っていると、すみやかに睡眠にはいる。

 やがて、目もあき、光に反応し、周囲の外在物にも気づくようになる。もっとも、生誕前の胎内にいる間に、音やそれに近い媒体を通じて外界を把握することを試みており、必要最小限の状況把握は済ましている。

 さて1歳児になると、たべ、あるき、しゃべる、という人間という機能の、基本的動作が自らの力でできるようになる。噛み、さわり、奇声をあげることで、周囲との距離感をはかり、いたずらをしまくることによって、ひとつひとつの外在物の断片的な情報を収集し、入力し、整理する。

 0歳児にとって1歳児は、周囲をとりまく環境のひとつではあるが、分離して1歳児を、それとして認識するのはむずかしい。ただ、そのやわらかさ、その原理的単純さ、あるいは視点のちかさや生存パターンの類似性から、シグナルを発信されれば、親しいものとして、受信することは可能である。

 1歳児にしてみれば、たべものやおもちゃ、あるいは母親や医師といった外在の存在のひとつとして、0歳児を、ひとつのまとまりのある存在として認識することは当然可能である。ただ、それが、たべものとどうちがうのか、おもちゃとどうちがうのか、あるいは母親とどうちがうのか、などは、くりかえされるいたずらなどの試行によって、ひとつひとつ再構成される必要がある。

 自我が十分形成されていない0歳児と1歳児においては、高度に構築された対関係に発展することはなく、また、あるいは、それにむかってそれらが歩み始めているという、きわめてファジーな、曖昧な揺籃期にある。

 したがって、ここまでで言えることは、0歳児と1歳児の対話は成立するということであり、あるいはそれに向かって、互いが努力しているということは、十分言えるのである。

<8>へつづく

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