プレムバヴェシュの孫たちとの対話 <10> 老成幻想と胎内回帰
「プレムバヴェシュの孫たちとの対話」
<10> 老成幻想と胎内回帰
いやはや、0歳児、1歳児の孫たちと暮らすというライフスタイルは思っていた以上に大変である。突如遭遇したこの環境も、すでに1ヶ月が経過し、あとどれだけ続くかわからない中での、日々の暮らしである。
一番は、体力が衰えていることを痛感する回数が増えていることに驚く。友人の整骨師に言わせれば、気持ちは40代でも、体はすでに60歳代だとか。おんぶに抱っこは、なかなか楽しいのだが、これまた腰を痛める。
心構えもなく、突如現れた環境に対応しようとしたせいもあるだろうが、すでに腰はガタガタである。読書どころか、テレビのニュースを見る余裕すらなく、三度三度の食事を与えることさえ結構骨が折れる。そう、文字通り、骨が折れるのである。
0歳児はともかくとして、1歳児の行動範囲は広がる。住まいの中は、彼の探求心をくすぐる危険物でいっぱいである。部屋をひとつ空けて、無害化したキッズ・ルームを作ってみたが、これもまたすぐ飽きる。いざという時の収容所とはなるが、日々更進する探求心は、新たなる危険ゾーンを要求する。
家の中だけでは息がつまってくるので、ベビーカートで外に連れ出す。車でベビーシートにしばりつけてドライブという手もあるが、その間はおとなしくしていても、降りれば、その分を取り返そうとでもするかのように、ますます元気に動き回る。
おしめの世話もある。いまでは紙おむつが常識になっているが、その後処理だって、なかなか手間がかかる。ウンチだけをトイレに流し、紙の部分は一般ゴミとして収集場所へ運ぶ。この量だって馬鹿にならない。
部屋の掃除も気がぬけない。ほこりや何かの欠片でも、すぐ拾って口に入れてしまう。まさか、というような行動が連続して起きる。すでにパターン化した、こちらの思考の構図が、次々と破壊される。心も体も、小気味良く解体される。
おじいさんになったら、よっぽど物の分かった存在になるはずだ、という老成願望もついに幻想と化し、トロトロにとろけて、また、お母さんのお腹の中に入ってしまいたいという胎内回帰も、今のところは、すぐには達成しようがない。
むしろ、今はここで、老成と胎内の、合体を試みん、としているのである。
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