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2012/03/17

新装 犬も歩けば ナナオサカキ <2>

<1>からつづく


「犬も歩けば」新装 <2>
サカキナナオ 2004/05 野草社/新泉社 単行本 141p

 大鹿村から友人がきているという。スケジュールの合間にひさしぶりの再会を約した。おもえば実にざっくりとした付き合いである。

 ナーガという詩人は、自らの詩集をいつも限定100部としているという。なるほど。いい得て妙。自分の近況や心境を伝えたい人など、そうそう多くない。すくなくとも私はそうだ。人生を送るにあたって、濃密な関係をむすぶことのできる範囲は限られている。

 ただ、私は限定100部までは絞り込めない。せいぜい限定200だ。1万人のフォロワーもいらないし、1万人もフォローすることはできない。ほんとにフォローするとすれば、せいぜい20人程度だろう。

 ただ一般的には、それほどの濃密な人間関係は、現代社会においては好まれないし、不都合も起きる。私の場合はせいぜい200だ。だが、実はその中には、ダミーや、切れずに切れない腐れ縁もある。貴重な情報源となっている場合もあるし、逆スパイされているのだが、わざと泳がしている場合もある。

 限定100部の人間関係で完結しているなら、それはそれですばらしい。ある意味、それは理想だ。

 なんの多勢を頼むことがあろうか。所詮、我が身はひとつ。両親あって、祖父母がふたりづつ。連れ合いがあって、子がふたりあり、孫が何人かいれば、それはそれで家族は完成だ。あとは兄弟姉妹があり、子供時代からおとなになって、仕事仲間や、遊び仲間の友人たち。それらが何人かある。

 それに私にはマスターがいる。この人と決めた限りは、それはそれで濃密である。仕事をしている限りは、引き立ててくれるお客さまが必要だ。恩師もいるし、後輩もいるが、それぞれに濃淡がある。これで多分、限定100になるだろう。

 私はこれを倍して、ネットに期待している。限定200だ。じつはここにはトリックがあり、200の繋がりがあると、6次の隔たりで人類の全てと繋がりうるという可能性を秘めている。

 私と大鹿村は1次の隔たりではないが、1・5次位の隔たりである。限定100のなかにはいるかはいらないかの、微妙な位置簡関係にある。ナナオもそのあたりにいた。しかし、ナナオからみれば、私は70億分の一か、無に等しいであろう。実際は2次の繋がりである。

 その関係をとりもつ友人とあした会う。

<3>へつづく

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